第四十七話 光る海に浮かぶ黒船
楔と思われる光を発見した、というミナカ隊の報告を受け、第二遠征隊は転移陣の配置された洞の前で全軍を集結させた後、一路、南西の方角を目指していた。転移陣を出発して六つ陽目を迎えた頃、東の空から昇る光星の光に照らされながら、西側の空には、薄い絹状の雲が空色の川の上で染め物をするように長く長く流れている。その薄絹の棚引く姿に惹かれ追いかけるように、毛綿をたっぷりと抱えた羊雲の群れが空を駆けていた。
空の羊たちが楽しんで空を駆けているかどうか、その気持ちを知る者はなかったが、東から射す光星の光を背にしながら駆け続けていた第2遠征隊の面々は、緊張と高揚の気持ちで溢れていた。
転移陣から楔までの距離が遠いことが判明していた第二遠征隊は、広く調査を行うために各部隊で単独行動を行う期間は、第一遠征隊と比較すると長期に及んだ。
未開の地での二十陽に及ぶ調査期間の末、帰らぬままとなった者も少なからずいた。その多くは第一小隊であり、他の小隊に先行して調査を行っていたこと、第二小隊以降の安全を確保するために、周辺に危険な要素があれば、率先して危険の排除、制圧をする使命を帯びていたことなどから、他の小隊に比べて遥かに危険との遭遇確率が高かったことが理由と考えられた。
また、一部隊四人という少人数での行動は、迅速で臨機応変な対応を可能としたが、一方で、損害が出るような危険に遭遇した場合、誰も逃げ切れない、という事態に陥りやすい危険を常に孕んでいた。そして結果的に、何らかの危険と遭遇した部隊はその悉くが全滅となっていた。第一小隊と共に周辺制圧を指揮していた副部隊長のホノも、そうした部隊行動中に帰らなかった者の一人だった。
残された事実は、長く訓練を積み、魔力を操る魔獣すら相手取れる望星隊の隊員を倒しうる存在がこの遠征地には存在していることだった。そして、それが彼らがこれから相手にする『ウツロ』である可能性が高いであろうことは想像に難くなく。そのことが、彼らの胸の内に、死への緊張と、復讐への高揚感を与えていたのだ。
第2遠征隊の多くの隊員たちが、目に見えぬ炎を内で燃やしている頃、どこか穏やかな気持ちで流れゆく雲と目の前に広がる景色を見つめている者がいた。
楔と思われる光を最初に発見することとなった第二遠征隊第二小隊所属、ミナカ隊のテルだった。
テル達がこの景色を見るのはおよそ二十つ陽ぶりの事になる。前回訪れた時には腰辺りまでの高さでまっすぐ天を突くように伸びていた草の葉が、今は頭を垂れるようにして、その先にたくさんの穂を実らせ始めていた。光る波だったあの光景は、今では穂を覆うようにふわりと灯った恩寵によって、一面光る雲の海となっていた。
旧跡とその街の中に浮かぶようにして立つ高台の上の城壁は、さながら光る空の上に浮かぶ城のようにも見えた。
テルも失われた隊員の命に思うところはあった。
第一小隊は古参のものが多く、日頃テル達との関りが少なかったとはいっても、同じ場所で生活を共にし、訓練を積み重ねてきた仲間だ。
悲しくないと言えば、嘘になる。
だが一方で、命を懸けたその結果であるからには仕方がない、とも感じていた。
失われた命も『ウツロ』も、共に命であるのなら……。
たとえ『ウツロ』が生命を喰らう獣であり、自分たちとは相容れない存在だとしても。
奪い、奪われる関係であるのならば、命が失われた事による悲しみはあっても、恨みという感情は湧き上がってはこなかった。
だが、皆がその悲しみを忘れるために、感情を怒りに変ることもまた当然だと思えた。
誰もが『ウツロ』は滅ぼすべき敵だと見做す中で、なぜそこまで『ウツロ』を自分たちと同じものと感じるのか。
テル自身分からないまま、ただ心は凪いでいた。
旧跡の外周部の一角からは、天を目指す二匹の竜の如く白と黒の光が渦巻いている様子が見えた。地面から立ち昇る熱気で空気が揺らめき、光をはっきりと目にすることが出来ないために、光はまるでうねる生き物のようにも見える。
この目で一度その姿を確認したミナカ隊を除けば、隊員の誰もがそれを初めて目にするはずであったが、誰もがそれが楔であることを疑わなかった。
神の恩寵たる白の光と対の象徴たる魔力を示す黒の光が絡まりながら渦巻く姿は、彼らが伝え聞いていた楔の姿と同じであり、また彼らは今この時以外にそのような光景を目にしたことがなかったからだった。
楔の姿がはっきりと見えるほどの距離にまで近づき、旧跡を取り囲むように聳える外周の壁の上に『ウツロ』らしき姿が微かに認められる程度の距離にまで近づくと、遠征隊は一度進軍を停止した。
「まだ旧跡の入口まで距離はあるが、これより楔を地に打つべく、戦闘行動に入る。以降は各部隊は小隊長の指揮下に入り、第二戦闘速度(小走り程度の速度)で旧跡に向かう。
楔の発動が成れば、『ウツロ』は楔の力で地の底に封じられる、と伝えられている。それゆえ本作戦では旧跡内にある楔の発動を最優先事項とする。
第一小隊は旧跡内外を問わず、『ウツロ』を発見次第『ウツロ』の殲滅を行う。
次に第二小隊は楔の発見、発動を主に行う。但し遭遇した『ウツロ』の数が多数の場合、第二小隊と共に『ウツロ』の殲滅にあたり、大勢が決した段階で、第二小隊は継続して楔の発動に向かうものとする。
第三小隊は第二小隊の援護を行う。
第一小隊は状況次第で、単独で『ウツロ』を相手にすることになる。これをお前たちに伝えるのは指揮官としてふさわしい言葉ではないかもしれん。だが、それでも敢えて言わせてもらう。なんとしてでも生き残れ。楔さえ発動すれば、私たちの勝ちだ。それまでは、格好よくなくていい。死なずに、生き抜くんだ。いいな」
遠征隊の部隊長イザキの言葉に、第一小隊の面々は言葉を出すことなく、彼らは踵を揃えると右手で左胸を打った。
それは、指令を理解したという意思表示でもあったが、敵地を目前にした今、声に想いを乗せることが適わないために、ただ行動で想いに応えた、その結果でもあった。
旧跡の東側に配置された巨大な扉に向けて突入を開始する前に、第一小隊を先頭にした斜線陣を組みなおそうと並びを変え始めた頃、最も北側に配置された第三小隊でざわめきが起こり、少し遅れて、遠征隊の部隊長のイザキの下にざわめきの理由が報告される。
「旧跡北側より多数の『ウツロ』と思われる群れが接近」
風の魔術によって届けられた声は、第三小隊の隊長ミサチであった。まだ距離があるためか、焦りもなく、ただ淡々と事実だけが述べられる。
各員が隊列を組み上げる中、イザキが隊列を抜け、延々と南北に続く旧跡の壁のその北側に視線を向けると、確かに北側より黒の靄の群れが多数近づいている様子が見えた。
だが、それよりも異様な雰囲気であったのは、『ウツロ』の群れと共に動く神の恩寵の光だった。
その光の量の広がりは『ウツロ』の黒い靄よりも遥かに広く、奥行きがある。
その光景は、『ウツロ』が神の恩寵の光を運んでいるのではなく、神の恩寵の光が自らの意志で『ウツロ』を守っているようにも見えた。
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「神の恩寵の光の中には、精霊のような性質を持つものがいるそうです」
遠征地の楔の位置についての報告を受けるために、望星隊の総司令であるイズアナミに呼び出されたタケヅチ、イザキ、オトベ、スヒニ、アメヤは、その場にいたムスヒからそう切り出された。
神子と呼ばれる存在。
神の封印の力が衰え、世界的に神の恩寵が減少する事象が発生した際、神の声を聞き、楔の楔への先導と発動による『ウツロ』の再封印に寄与したとして語り継がれた存在である。
だが、その実態が明確に記録されたものは少なく、神の声を聞くことが出来るだけのごく普通の人であったとされているものもあれば、常人には扱うことの出来ない特別な力を揮う事が出来た、とされているものもあった。
無情であり、その振る舞いはまさに人の都合などあずかり知らぬ神のようでもあったとするものもある。
だが、目の前に立つムスヒはそのいずれであろうか、と言えば、人とどこかずれた感覚を持ち、隊の幹部候補に名を連ねる程の能力を保有しているが、これまで常人とは異なる力を見せたことなど一度もない、人としての常識の範囲内に収まる程度の人である、というのがその場にいた者たちの印象であった。
そのため、ムスヒは「神子」である、とイズアナミに告げられた時、イザキは思わず「こいつがですか?」と声を漏らしてしまったほどだった。
「僕が「神子」であるかはこの際重要ではなく、僕がもたらした情報が隊にとって重要なものである、という事実を以て理解いただけないですか?」
「そうだな。特に楔の位置の特定については大きい。重要な情報であり、かつ危険な場所に送り込む必要があったために、確認は精鋭数部隊に限定せざるを得ないと判断したことは、結果論だがお前の言葉を信じきれなかった私達の失策だ。精鋭で臨んだ結果、全ての遠征地に同じ者を送り込めないことを思えば、な。
だが、お前の情報によって、普通に探せば発見困難と思われた楔も含めて四つの楔が新たに発見され、更に二つの遠征地は、かなり正確に場所を把握することができた。お陰で、転移陣からの距離に反して短期での攻略が見込める目処がついた。その点は高く評価している」
ムスヒの言葉にイズアナミが応える。遠征隊を率いるほどのものにもなれば、これは予め決められたやり取りなのだろうことは容易に想像がついた。
ムスヒを認めさせるための儀式のようなものだ。
「『ウツロ』に対する警戒を避けるため、派遣出来る部隊数が限られたため、一部隊でも生還できる精鋭を送らねばならなかったのですから、仕方ない事と思います
それでも一部の地域では生還できなかった部隊もいたのですから、部隊長の皆様の心労は如何ばかりか」
そう返すムスヒは言葉とは裏腹に、表情は穏やかで、むしろこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
彼の感覚がどこか「ずれている」と感じられているのはこうした日頃の言動のずれが原因でもある。
「それで、先ほどの言葉はどう捉えればいい?」
「そのままです。精霊が魔力そのものの生命であるように、神の恩寵の光そのものを生命としたものがいる、ということです」
「……それで?」
「それだけです。神の恩寵の光という、僕たちの先達が名づけた呼び名のために、それそのものは意思を持たない、僕たちが生きていく上で必要なものとして捉えられていると、そうではない事態が起きた時、軍が動揺する恐れがあります。
ですが、神の恩寵の光の中には精霊と同様に意思のようなものをもつ生命が存在している。彼らは彼らの考えで動くものがいることがある、それを事前に知っていれば、その動揺も早期に防げると考え、遠征に赴く前にお伝えしました」
「要らぬ考えを持たぬよう、私たちの胸に納めておけ、ということか」
イザキの問いに、ムスヒはただ笑みを浮かべた。
元より回答を期待するような類の事でもない。
そして、ムスヒの言う通り、それはただ「知っているだけで良い」情報だと、彼は判断した。
△▼△▼△
「あれがそうか」
誰に語るつもりもなく、イザキは言葉を漏らす。
だが、届けるつもりのなかった言葉はホノの後任として副部隊長に就いたナキサの耳に届いていた。ナキサはイザキに視線を移すが、イザキは『ウツロ』の群れから視線を外すことなく、それ以上語るつもりもないと気付くと、敢えて先の言葉を問うことなく、代わりに違う事を尋ねた。
「全軍で当たりますか?」
ナキサの声にイザキは、過去に捉われていた思考を引き戻す。ここは既に戦場なのだ。思いに耽るのは全てが終わってからでも十分なはずだった。
「旧跡内の『ウツロ』が気づいても面倒だ。北側の群れがこちらに気づいていない様子ならば、僅かに迂回して、北側の群れの南東側から当たる。
陣形を変え、第一小隊、第三小隊を前面に出し、第二小隊は後方待機。第一小隊だけで十分迎撃出来る見通しが立てば、予定通り、第二小隊を旧跡に向かわせ、第三小隊は後を追わせる。
北側の群れが手ごわいと見たら、第二小隊を第一小隊の後背から東側に迂回させ、北の群れの側面から突かせる。そのまま中央に切り込ませ、群れを壊滅させ次第、そのまま旧跡に突入する。
あとは状況次第だな」
「承知しました。各小隊に今の指示を伝え、隊列を再編成させます」
「それから、『ウツロ』の周辺にある神の恩寵だが、あれの中には精霊のようなものが混じっている可能性がある。独自に動き、何かを仕掛けてくるものがあるかもしれんから、警戒は怠るな、と伝えろ」
「精霊ですか?」
「神子が、神からそう伝えられたそうだ。我々に危害を加えるほどの力を持つものは無いだろうとのことだが、ともかく、ただそこで浮いているだけの光ではないことだけは認識しておけ。怪しい動きをしたら、『ウツロ』と同じように討っていい」
『ウツロ』の群れを凝視したままのイザキに、ナキサは先程の「あれがそうか」と呟いたイザキの言葉の真意を知った。
神の恩寵の光が意思を持って動く、そのようなことがあるとはイザキ自身もその目に見るまで信じておらず、それ故に、隊の者にも伝えてこなかったのであろう。
楔の近くであるからなのか、『ウツロ』との戦を前にしているからなのか、少しでも隊の者の足並みが崩れることを避けるために、ここで不安要素を消しておこうとしているのかもしれない。
ナキサは、了解しました、とだけ返すと、各小隊に伝令を飛ばすための風の精を喚び出すことにした。
一方、指示を出し終えたイザキは北側に位置する『ウツロ』の群れを睨みつけるように眺めていた。それは、『ウツロ』の一挙一投足から、この後の彼らの動きを見極めようとしているようにも見えた。
光の雲海の上に浮かぶ黒い『ウツロ』の群れ。それらが揺れ動く様は、雲の海の上を旅する大きな黒い船のようにも見えた。




