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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第四章 星は空ろな命と踊る
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第四十五話 楔

2024/02/25 テスラとラニスとの関係性に関する表現を修正しました。

 最初に旧跡にとりついた時には吹き荒れていた風は、今は嘘のように収まっていた。未だ東の空が紫紺の色に染まり、西の空には闇星の淡い残光が見える時間。


 魔力の少ない遠征地においては、そもそも自然に具象化した姿を見たことはないが、もしも具象化した姿を見られたならば、氷の精が辺り一面を飛び回っていそうな程の寒さの中、テスラは自隊の隊員であるラニス、テシと共に、白壁の壁面まで歩を進めていた。


 壁上には所々に火が焚かれ、煌々と壁上を照らしているが、壁面、壁下を照らすには足りず、旧跡に接近すること自体は難しいことではなかった。


「火の魔術を扱える以上、火を焚くことを驚きはしませんが」


 壁上の明かりにテシの長い黒髪が炎の影のように揺らめいている。見上げた浅黒の肌と黒髪をした彼女は少しでも光の届かぬ陰に潜むと、そのまま暗闇の中に溶け込みそうにも見える。


 テシが言いたいことはテスラにも分かった。

 先の戦闘において『ウツロ』が見せた行動も、群れとしての集団戦も、いずれにおいても獣と呼ぶにはあまりにも人に近すぎる。

 テシはそう言いたいのだろう。


 だがそうだとして、なんだというのか。


 意思疎通も不可能な、互いに相容れない生命であるなら、敵に変わりはない。集団戦を得意とする知能の高い魔獣のようなものだ。

 それが分かるからこそ、テシもそれ以上は言葉にしなかったのだろう。


「光星が旧跡の東壁を越え、内部に光が射しこむのを合図に作戦が始まる。

 俺たちはそれより早く『ウツロ』の注意を引く必要がある」


 星の瞬きは絶え、ただ闇星だけが西の空に残光を残す。地を照らす光が最も少なくなる時間。

 やがて姿を表すであろう光星が、今既にそこにあるかの如く、テスラはその瞳を細めた。


「まもなく、光星が地平線に姿を見せる。それを合図に壁上に飛ぶ」


「……この壁を、ですか?」


 ラニスはねめつけるようにして壁上まで見上げた。隊の中でも一、二を争うと言って良い体格のテスラであったが、その次を上げるとしたときに多くの者が思い浮かぶのがこのラニスだった。

 実は同じ泉で生まれた仲なのでは、などと冗談交じりに言われることもあるが、鼻筋が高く彫りの深い顔つきのテスラに対し、比較的のっぺりとした、威圧感も薄いラニスは、体格を除けばどこも似た要素はない。だからこそ、隊の者たちも冗談で、二人を泉違いの兄弟と揶揄することがある。


「この俺の隊に居て、出来ないなんて言うなよ」


 テスラに睨まれ、ラニスは苦笑いした。


「そんなの、聞くまでもないでしょ」


 ラニスの表情に、テスラも笑みを浮かべると、そのラニスの後背から姿を見せた光星の放つ光の道が目に映る。

 テスラは手の平に板状の風を作り上げると、それを胸の位置に浮かせた。


「まずは俺が上がる。壁上に着いたのが見えたら、お前たちも着いてこい」


「「了解」」


 テスラは二人の返事を聞くと、その場で跳躍し、風の足場を更に蹴り、飛び上がった。




 穴を這い出たタケヅチは、縦横に交差した道のその先の一角に巨大な建物を見た。旧跡を囲む石壁を、僅かに縮小した程度の高さと長さで囲まれた建物には、望星隊の訓練塔のような円筒の建物がいくつも並び、それは書物で見たことのある王宮のようにも見えた。

 その建物までまだかなりの距離があるように見えたが、それでもはっきりと形が判別出来たそれは、近づけば相当な大きさであると推測できた。


 その巨大な建造物に続く道の両脇には人が三人ほど縦に連なった程度の高さがある石造りの建物が連なっている。それは、彼らが歩いてきた方角、南門側にもまた同じように連なってた。そして交差された道の西手側、交差点から僅かに離れた場所に、彼らが目指す建物があった。


 見上げる程の高さの直方体の建物は、上部に塔のような円筒建築物が聳え立つ。塔は1つではなく、建物の中央と四隅に全部で五つ聳えていた。


 神の恩寵の白い光とマナを具象化したような黒の光は、その塔の中央部に纏わりつくように渦巻いて見えた。


「これが楔か」


 タケヅチの呟きに遠征隊の副部隊長であるヒバヤがタケヅチを見た。

 炎の光を受けるとまるで火そのもののようにも見える彼女の茶色の髪は、振り向きざまに光星の光を反射し、夜空の星のように煌めく。

 戦においては、その髪がまるで稲光のように閃いたような速さで敵を葬ることから、タケヅチの得意とするイカヅチの術と合わせて、タケヅチには二本の槌を持っている。左の手には雷槌が、右の手には火雷(ほのみかづち)が、と揶揄されていた。


「タケヅチも初めて目にするのですか」


「皆、そうだろう。本物を目にする機会があったのは、遥か昔のことだ。それでもその姿が伝わっているのは、神の言葉のお陰だ」


「……神子ですか」


 ヒバヤの言葉に潜む不満を感じ取ったタケヅチは苦笑いを浮かべる。ヒバヤが何を考えたのかは想像に難くなかった。

 おそらくタケヅチ自身が感じている気持ちと大差ないと予測できたからだ。


「隣のイスイ地域でも同様の事例を二つほど聞いている。我らに扱えぬ力を揮うことが出来ることも伝承通りだ。それがどういう人物でもな」


 タケヅチの物言いに、心中を読まれていると悟ったヒバヤもまた、苦笑いを浮かべた。容易に察することが出来るようでは、気が抜けていると言われても仕方がない。


 続々と穴から隊員達が這い出し隊列を組み始めたところで、タケヅチは楔に流れ込むそれとは異なる白い光を視界の端に捉えた。

 その場で揺らめいたかと思うと、この場を離れるように流れた光に、タケヅチは風の礫を飛ばし撃ち抜く。


「……どうされましたか?」


 タケヅチが僅かに指先を振った動きの意図を読めず、そう尋ねたヒバヤに、「いや、なんでもない」と、答えながら、タケヅチは霧散する白い光を見つめていた。




 建物の壁に身体をつけたまま、両開きの扉の一方をアティタカが、もう一方をセトがゆっくりと押し開く。扉の正面では、第2小隊が風の盾を展開し、万が一の攻撃に備えていた。

 開かれた建物の内側は、東側の窓から射し込む光に照らされ、かろうじて中を窺うことが出来た。


「誰もいない、か」


 扉の内側には赤い布がまっすぐに敷かれ、それは建物の中央に配置された階段に向けて伸びていた。その階段の先には、建物の外側から見えた中央の塔、その塔の尖端に向けてまっすぐに螺旋を描くようにして聳え立つ二本の石柱があった。


 石柱の一本は全体が白く輝き、もう一本は全体が黒く光輝いている。その二本の石柱は絡み合うようにして聳え、それは建物中央台座に建てられているようにも、台座に差し込まれているようにも見えた。


 石柱の尖端の先、建物の塔の尖端からには、外から流れ込んできた神の恩寵の光が滝のように流れ伝い、反対に、黒の光は流れ出ているように見える。


 誰もがその石柱を初めて目にしたにも関わらず、誰もがそれこそ、伝承にある楔であることを悟った。


「『ウツロ』は、これに群がっていたわけではないのか?」


「……もしくはテスラの誘導が功を奏したか、です」


 ヒバヤの言葉にタケヅチは頷いた。『ウツロ』の群れにはある程度の集団戦術を組み上げるだけの知能がある。ならば、先日の経験から、タケヅチ達の戦力は『ウツロ』にとって大きな脅威であることを悟っているはずだった。

 それゆえ、同じ襲撃が行われたとなれば、総力を挙げて迎え撃ちにかかる可能性は十分にあった。


 それは、彼らの狙い通りと言えたが、狙い通り過ぎたとなると、今度は誘導したテスラ達の危険性が増したということでもあった。


「事前通知の通り、第一小隊より順次突入する。第二小隊は第一小隊の援護、第三小隊はこのまま待機し、周辺を警戒、怪しいものがあれば、『ウツロ』に限らず、ただの光であっても全て討伐せよ。では、突入」


 風の魔術で各隊員にだけ声が届くよう、タケヅチは小声で合図をすると、手招きで扉にとりつく。

 そうして扉に張り付くと、外から視認出来なかった建物の内側に視線を配るが、やはりそこにも『ウツロ』の姿は見られなかった。


 横一線、薙ぐように右手を振ると、薙いだ線上に風の刃が浮かび建物の中に向けて放たれる。壁を切り裂くほどの強度を持たないそれは、部屋の中央にある階段にぶつかると、そのままつむじ風となって霧散した。


「……」


 どこまでも待ち伏せの懸念は消えなかったが、風の刃の届く範囲においては『ウツロ』が潜伏していないことが確認できたタケヅチは、右手を上げると、建物の中に向かって振り下ろす。

 その動きを合図に、同じく扉の側に伏せていたアディタカ、セトの部隊が中に侵入した。それに続くように、第一小隊の隊員達が、次々と建物の中に侵入する。


 この先何が待っていようと、楔さえ沈めればこの遠征は成功と言える。


 既に楔まで、その進路を防ぐものは何もいない。意を決すると、タケヅチは足元に風の板を浮かべて、楔に向け一気に距離を詰めた。


△▼△▼△



「楔が打たれた?」


 『アストリア』教会の祭壇の奥に隠されるようにして配置された通路、その更に隠された部屋の中から地下に続く螺旋階段の途中でムスヒは立ち止まり、呟いた。


 螺旋階段には仄かに輝く白い光が流れ込んでいた。階段の壁の両脇に掛けられた灯りに照らされ、それはほとんど目立つことはないが、それはムスヒが今、「こちら」側にあるからに過ぎない。ここにもしミナカがいれば、階段に灯された明かりが霞むほどの輝きを足元から感じていただろう。


「キシリア……。そっか。まぁ、妥当なところだね」


 突然の事に一度は立ち止まったものの、知った事実は左程驚く程の事でもなく、ムスヒは再び階段を降り始めた。


 『アストリア』の教会は、王宮から少し離れた高台に立てられていた。王宮を見下ろすことがないよう配慮して場所が離れているというが、ならば最初から平地に建てれば良いだけのことだ。真実は異なる。


 教会は、高台の上に建てる必要があった。もっと言うならば、教会はあるものの上に建てたいが故に、高台の上に建っている。


 螺旋階段を一番下まで降ったムスヒは、目の前の扉に手を掛ける。扉が開くに合わせ、内側からは白と黒の光が溢れ出し、ムスヒの視界を覆った。


 徐々に光に目が慣れると、部屋の内側に収められているものが露わになる。磨かれた石のような石柱が二本、一本は全体が白一色であり、もう一本は全体が黒一色の石柱が互いに絡め合うようにして部屋の中央に聳えている。

 二本の石柱は、部屋の中央部に「置かれて」いるのではなく、部屋の中央部から生えるように聳えていた。

 地に埋もれた先がどうなっているのかは、ムスヒからは分からない。

 だが、おそらくは、その先を知ることは出来ないだろう。

 それを知るのは、この石柱を生み出した存在だけ。


「知ったところで、理解することは出来ないんだろうけどね」


――そうだろう、クラツチ。


 ムスヒは石柱に近寄り、指先で触れる。その指先から伝わるようにして、白と黒の光が彼の身体に纏わりついた。


 互いを必要とするはずなのに、完全には相容れることの出来ない光。

 ただ求めあうことが出来たなら、どれほど幸せなことだろうか。

 それを許さない世界として「在る」からこそ、壊してしまえ、と思う。


「そんなことすると悲しむのがいるから、やれるだけやってみるんだけどね。惚れた弱みってやつかな」


 一人ごちて、自らの言葉に自嘲する。

 意思を残したままであることと、意思を全て預けること、どちらが幸せなのかは分からなかった。だが、少なくともムスヒは、意思を全て預けることで得られなくなる人としての感情を諦めることが出来なかった。

 自らを保ったままでいられる、それを許容される立場であるからこそ協力しているとも言える。


「そろそろミナカ達も始める頃だろうし、僕も頑張りますか」


 ミナカは石柱に指先だけ沿わせていた手の平を開くと、撫でるようにして石柱に触れた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  あっちもこっちも、あれもこれも…。  読んでいて『あっ』と思ったところを覚えておけない己の頭を恨むべきか、思わせ振りな文字たちを妬むべきか(笑)。  というより、最後にムスヒの台詞で全て…
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