第四十四話 土竜
西手の『ウツロ』の群れは、群れの中に飛び込んだテスラ隊によって多くが霧散し、残った僅かの『ウツロ』もそのほとんどが本隊によって消し去られていた。
その後、白壁から断続的に降り注ぐ攻撃を防ぎながら両隊が合流すると、白壁の姿が見えなくなる距離まで全軍を撤退させた。
警戒していた他の『ウツロ』の群れからの襲撃は起こらなかった。西手の奇襲が失敗し、群れ全体が狩られたことを警戒したのか、最初から大きく迂回した部隊はいなかったのか、タケヅチ達にそれを知る術はない。
白壁から離れ、隊を編成し直す過程で、先の戦闘における犠牲者も明らかになった。
終始物量の上では圧倒され困難な局面が続いた戦闘において、生き残ることが出来た事自体幸運であったとも言える。
「第一小隊 二十七名」
「第二小隊 三十四名」
「第三小隊 三十二名」
「私と副隊長を含め総勢九十五名か。皆、よく残ってくれた」
各小隊からの点呼の結果を受けたタケヅチが隊員たちに向けて語り掛ける。第一遠征隊は一小隊四十名、全三小隊で編成され、隊長、副隊長を含めた全百二十二名の隊員で構成されていた。
先の戦闘では二十七名が喪われた。損耗率は二割を超えており軍隊の戦闘としては壊滅に近い被害と言えた。
しかし、日頃から一部隊四名編成での戦闘に慣れた彼らは、時に半数を喪っても戦わねばならない戦闘も多く、指揮命令系統も四名単位の分隊で対応可能な編成となっているため、これだけの被害を出しても未だ統制のとれた軍として形を成していた。
「今回の戦闘で各自の魔力も残り少ないものが多い。一度転移陣まで退き、休息を取る。あまり長く時間は取れないだろうが、少しでも身体を休めてくれ。では、出立」
タケヅチの声に、全隊員が両踵を揃える。ざっ、という音が響くと、全部隊が一つの群れとなり歩き始めた。
砂が吹き荒れる視界のように、彼らの行く末は未だ晴れなかった。
「南門から侵入した際、楔らしきものを見た」
転移陣が敷かれた洞の中では、隊長以上の者たちが大きな輪となり座り込んでいた。
転移直後には洞のあちこちに数多見られた神の恩寵の光も、彼らがこの地に戻った際に取り込まれ、初めて訪れた時には光星の下にいるかのような明るさだった洞の中も、今では相応の暗がりに包まれている。そのため中央には灯りを採るための火が焚かれていた。
揺らめく火の灯りに合わせ、洞の中をいくつもの影が揺れる。それは彼が先ほどまで打ち倒してきた『ウツロ』の靄のようにも見えた。
「南門からの距離は」
「はっきりとは分からん。立ち並ぶ建物の遥か先に、立ち昇るマナの光と、吸い込まれていく神の恩寵の光の絡み合った場所が見えた程度だ。楔に近づこうとするより前に本隊の奇襲に気づき転進せざるを得なかったからな。確認できてない」
テスラの言葉にタケヅチが唸る。
正面の『ウツロ』に集中し、周囲の警戒が疎かであったのはタケヅチの差配に問題があったためだ。『ウツロ』は獣であり、自分たちよりも知能が劣っているという傲りが招いた結果がこれだった。
「マナと神の恩寵が絡まり合う光の柱なら、楔で間違いないだろう。あの旧跡の中に確実に楔がある。それが分かっただけでも、旧跡に侵入した成果はあった」
自らの過ちにより十分な結果を残せなかった。だが、この場では表には出さない。今は、士気を下げるような発言をするべきではなかった。
己の過ちを認めるのは、この作戦が終わった後で良い。
遠征地に着いて後、晴れることのない砂嵐は彼らの視界を著しく阻害していた。
闇星が昇る頃に薄く輝く光の柱が、そこに楔があると分かる微かな希望だった。その微かなものが確かなものに変わったという事実は、この場面において数少ない希望であった。
「外で挟撃が起きた以上、都市内でも同様の襲撃を受ける恐れがあった。あのままでは本隊が更なる挟撃を受ける可能性も捨てきれなかった。
指令も都市の潜入可否の調査である以上、強硬することは得策ではないと判断した」
テスラもそれを分かってか、タケヅチの差配については触れない。当初の作戦が大きく誤っていたわけでもなければ、失敗に終わったわけでもない。ならば、次の手を打つために前向きな議論をするべきなのだ。
「それは正しい。むしろ、よく判断した」
タケヅチとテスラの間で交わされた、茶番のような現状確認が終わると、ヒノがそれを待っていたかのように挙手をした。
その姿にその場の者たちの視線が集まるが、ヒノは他者から注目されたことを意に介する様子はなく、ただタケヅチだけを見ていた。
そのタケヅチがヒノに視線を移したのを見て、ヒノは彼の発言を待たずに口を開いた。
「策があります」
「……聞こう」
「隊員が八割まで減少し、正面からの侵入は今後更に困難となるでしょう。群れの一角を崩したとは言えど、『ウツロ』は未だ我らの数十倍の規模に及ぶと推測されます」
今日の戦闘で崩したのは南門にいたごく一部の『ウツロ』だけだった。西手から新手が現れたことを見ても、未だ群れの数は十分に残っていると見るべきだろう。
タケヅチは頷き、続きを促す。
「今回全滅の危険を避けるため、部隊を分けての行動を採りましたが、戦闘の結果、『ウツロ』は群れとしての狩りに慣れていると感じられました。そうであるなら、こちらの数が減れば『ウツロ』の物量に圧し潰される危険性が高くなる、と推測されます」
「だが、我らが一丸となったところで、数の差は埋まらん」
「全てを相手にすれば、そうです」
「囮か?だが部隊を分ければ、分けた部隊の危険性が高くなる、とはお前自身の言葉だが」
「直接旧跡内部に侵入します」
その場がしんと静まりかえり、ただ炭が弾ける音だけがする。タケヅチが言葉の意図を掴みかねていると、彼の横にいた第二小隊の小隊長スクナが「あっ」と声を上げ、周囲の視線を惹きつける。
「地中か」
「はい」
「……ヒノらしいな」
スクナの言葉にタケヅチもヒノの意図を理解し笑みを浮かべた。
それは絡め手を得意とするヒノならではの作戦と言えた。
「正面から当たれば、数の差で不利になるのは必定。ならば、『ウツロ』共が守りを固める壁など無視して、最初から内側に侵入します。今日、旧跡に侵入した際に見た限り、『ウツロ』のほとんどは外壁上に群れており、内部にその姿は見当たりませんでした。そうであるなら、最初から内部に侵入することで、今回より容易に楔に近寄れる可能性があります」
話しながら、ヒノは手にした枝で地面に四角の枠を描く。その一辺をまっすぐと引き延ばすと、引き延ばした先に円を描き、その円から四角の枠に向かって更に半円を描いた。
そして、四角から伸びた一辺と、半円の中央部付近に二本の線を引く。
「周辺は乾いた土が多いですが、植物がある以上、ある程度掘り進めれば、水分を含んだ粘土層があるはずです。そこを掘り進めます」
次いで、半円を重ねるように、四つ描く。
「穴一つでは、出口で囲まれる恐れもあるため、最低でも三つから四つの通路を作ります。そして、それら地中の通路を楔近くまで掘り進めた後、地上へ。
ここから旧跡までの正確な距離は、数名に偵察させるしかありませんが、白壁が目視出来る距離程度までなら潜伏しての行動も可能でしょう」
ここまで語ると、ヒノは新たにもう一つ、四角の枠を描く。その枠を四つに分割するように縦と横に線を引く。その線の交点となる付近に円を四つ描いた。
「門から楔らしき光までの距離は、正確ではありませんがおおよその目算はつきます。南門から北門に向けてまっすぐ道が通っており、建物などの障害物はありませんでした。
確実に外に出るならば、この通路上を目指せば間違いないでしょう。
作戦には相当の魔力を要するため、事前に大量の神の恩寵の光を確保する必要がありますし、作戦中も別動隊を派遣して、逐次神の恩寵を追加する必要はあるでしょうが、幸い遠征地はマナは少なくとも神の恩寵ならば周辺に数多あります」
最後に、四つの円の横に楔を示す三角錐を描くと、これを斜めに切り裂くように線を引く。
「地中から楔の近くまで侵入し、短期間で作戦を遂行。然る後に撤退する。
楔近辺に生息する『ウツロ』の群れが読み切れない、という不安要素はありますが、それでも正面から突破するより十分勝算はあります。またこの方法ならば、旧跡内の『ウツロ』が想定以上に多く、万が一囲まれる事になった場合でも、即時撤退をすることが可能です」
「他に、策はあるか?」
ヒノの策にタケヅチは大きく頷くと、次いで円陣に並ぶ周りを見渡す。
すると、難しい顔でヒノの描いた図を眺めていたテスラが口を開いた。
「外で注意を惹くものがいれば、更に危険は減るな」
「……それはそうですが、注意を惹くために囮を引き受けた者たちが危険です」
「誰かに任せるつもりはない。俺の部隊だけでやる」
「ですが、テスラ隊長の部隊は……」
テスラ隊は先の撤退戦の折に隊員の一人であるアスリを喪っており、テスラを含めた3名となっていた。だが、当然テスラはそれを承知の上で言っていた。
「隠れて戦うのは性には合わん。とは言え、俺も小隊を預かる身だ。ただの好みで戦場を選ぶわけでもない。先の戦で最も近くで『ウツロ』を見た。やつらの特性は理解したつもりだ。だが、その特性を利用して戦うには、こちらの数が多くては逆に邪魔になる。だからこそ、俺の部隊だけでやる」
「やれるんだな」
「戦は勝ってこそだ。そうでなければ、次も楽しめん。タケヅチ部隊長殿。面倒をかけるが、その間、第一小隊は任せたい」
「結局お前が楽しみたいだけだろう?」
「それもある」
タケヅチに対してテスラはそう言うと、口の端を上げた。
策が決まれば、動きは早かった。
通路を作る部隊、恩寵の光を集める部隊、白壁までの距離を測るための偵察部隊の3つに分かれると、それを更に三つに分け、交代制で作業を行う。
転移陣から旧跡までの距離は、彼らの進軍速度にして光星が二つと半分巡る程の距離だったが、地中を進むとなると容易ではなかった。それでも彼らには魔術があり、またその魔術を続けて使うだけの恩寵の光を集めて回っていた。
作戦中、『ウツロ』の群れが彼らを警戒して周辺を偵察に来ることも想定し、交代要員の一部で周辺の警戒に当たったが、偵察隊が一度、数体の『ウツロ』を視界に捉えるに留まり、それ以外に『ウツロ』と遭遇することはなかった。
そうして光星と闇星が五つ程巡った頃、通路はついに白壁の下を潜り抜け、南門から続く道の先にまで繋がった。
望星隊の第一遠征隊が最初に旧跡に取り付いてから八回目の光の女神の刻。
旧跡の東の空に光星が放つ光が射し込み始め、旧跡の南門から続く大通りには、道の東側に並ぶ建物が作り出した長く黒い影に覆われた。
その影に隠れるようにして、旧跡の地の一部が突如失われる。暗く深い穴の内側からは、自らの地に恩寵の光を望む者達が姿を現した。彼らの視線の先には、四角い箱型の建物の上にいくつかの塔を頂いたような構造をした、神の恩寵の光が流れ込む建物が建っていた。




