第四十二話 地を舞う砂塵と空より落つる雨
「側面から回り込まれたのか」
門の外で猛威を揮う竜巻によって巻き上げられた砂の壁で、旧跡の外の視界はかなり悪いにも関わらず、降り注ぐ火が描く筋がかなりはっきりと目に映りこむ。それはそれだけの量の火の魔術が空から降り注いでいる証だった。
「テスラ小隊長、本隊が側面から奇襲を受けています。このまま突入作戦を続行しますか!?」
ヒノが声を掛けるまでもなく、他の隊員達も後背の異常事態には気づいていた。テスラもまた同様ではあったが、彼は他の隊員達と異なり、この隊の全権を担っている。自らの判断が自分たちだけでなく、この地にいる全ての仲間たちの命運を握っているといっても過言ではなかった。
逡巡の間に、彼の視界の端に白を纏った黒の獣の姿が映る。そちらを見やると、石壁の内側から生まれ出づるようにして、『ウツロ』の群れがこちらに向かってくるのが見えた。南門を挟んで反対側の壁を見れば、そちらからも同様に『ウツロ』の群れが映りこむ。
「ここは一旦退く!石壁の『ウツロ』が降りてきているなら、石壁上部の『ウツロ』の数は減っているだろう。今のうちに本隊に戻る」
左右から迫る『ウツロ』の群れは未だ距離がある。各個撃破ののち、「楔」を占拠することも可能である確率はあった。しかし、一方で、この後、都市内部で別の門から現れた『ウツロ』との挟撃される可能性もあった。
そして、そもそもテスラに任された任務は都市への侵入可否を見極めることである。それは、本隊が無事であることが前提の作戦だ。前に進むことで確実に本隊が救えるならば前に進むが、その確率が不透明であり、一方で、戻れば本隊の窮地を救える可能性が高くなるのであれば、この場は退くべきである。
テスラは瞬時にそう判断を下した。
強い敵との戦は確かに心が踊る。だが、それは無為無策の上で行うものではなく、自らが出来る最善と死力を尽くすからこそ心踊るのだ。
「ヒノ、ミヅチ、トール隊。兼ねての指示の通り、後背は任せる。ヒノ、殿の指揮は任せる。好きにやれ」
「了解」
「アディタカは西、セトは東、サラは俺と共に前方の南を警戒。『ウツロ』を発見次第、討て。
俺の部隊とサラ隊は、本隊西手の敵も索敵し、見つけ次第槍でけん制。本隊を援護せよ」
「遊撃部隊として、西手の敵を側面から襲うつもりですか?」
アディタカの声は、テスラの策を否定するというよりも、面白がるような声音だった。少なくともテスラはそう受け取った。
「せっかく開けてくれた正面の道から外れることになる。ヒノ、ミヅチ、トールは防御に専念してくれ」
本隊が正面の『ウツロ』を大きく削ったため、来た道をまっすぐ戻るのが最も危険が少ない。だが、それでは、合流の後、西手の敵と白壁上の敵との二面から挟まれる形になる。その場合、数の絶対数に勝る『ウツロ』に圧し負ける可能性があった。
ならば、西手の敵に対して側面から襲い掛かり、本隊と挟撃の上、撃破するか、撃破が叶わなくても西手の敵の群れの中央を食い破り、攻め手を散らした上で反対側に突き抜ける。そのまま本隊とタイミングを合わせて、西手を二正面から挟みながら戦線を後退させ、白壁の射程外に抜ければ、最悪『ウツロ』からの挟撃の状態は回避できる。
それがテスラの考えた策だった。
「ミヅチ、途中で分離して、本隊に合流出来る?」
「出来る……が」
「テスラ小隊長。西手の撃破の有無に関わらず、退くべきです。ですが、その時機を本隊と合わせなければ、今度は我々が各個撃破される恐れがあります」
「ミヅチに、撤退時機を示す信号を本隊に伝えてもらうか」
「『ウツロ』の動きを見ている限り、このままだと西手だけでなく、更に大きく迂回して我々を取り囲む動きをしていてもおかしくありません」
「それは俺も考えていた。その策だと、ヒノ、お前たちの負担は増えるが、やれるんだな」
「やるしかありません」
ヒノの言葉にテスラは口の端を上げる。その回答は彼好みだった。
事実、この策が成らなければ、軍は全滅の恐れもある。出来なかった時のことを考えても仕方なく、本隊との合流を優先した場合、撤退が間に合わない恐れがあるからこそ、テスラも遊撃部隊として西手を側面から討つべきだと考えたのだ。
「よし、それで行く。左右から寄せてきている『ウツロ』を排除した後、西手の敵を側面から討つ!」
方針が決まれば、動きは早かった。隊員たちは大規模な集団戦に慣れていないが、隊長格は多かれ少なかれ、大規模集団戦の経験者だ。作戦の理解も早ければ、時間の重要性も理解していた。
テスラ達先行組が東側の『ウツロ』に向かえば、ヒノ達殿組は西側の『ウツロ』に向かう。
そのまま直ぐに散開すると、何名かは風の魔術で近くの建物の屋根に飛び乗り、正面と側面の二正面から『ウツロ』に向かって槍と刃を放つ。
――どこまで効果があるかは分からないんだが。
試す価値はあるだろう、とヒノは隊員たちの動きに先駆け『ウツロ』の目前で風を巻き上げ、地面の砂で視界を遮る。
『ウツロ』がどのようにして知覚しているかは分からないが、これまでの動きを見る限り、自分たちと全く異なる感覚で敵を知覚しているようには思えなかった。
そしてこれだけの爆音と暴風の中でこちらが知覚出来ているのであれば、それは聴覚でも嗅覚でもなかろう。であるならば、人同様、視覚に頼っている可能性が高かった。
そして、もしも人と同じように視覚に頼っているのならば、自分らしく戦えば負ける気がしなかった。感覚を惑わして戦うことにおいて、自分を上回れる者など誰もいない、そう自負する程度の自信がヒノにはあった。
砂塵で視界を防ぐと同時に、『ウツロ』の群れの後方で風同士をぶつけ、甲高い破裂音を鳴らす。そうして敵の意識を後方に惹いた状態で、左右に甲高い音だけが鳴る風の矢を打ち、本命の風の刃を正面から放った。
風の刃は風の槍と違って空気抵抗が大きく速度が遅い。また貫通力が低く、風の盾で防がれれば、盾を壊すことも出来ずに完全に止められてしまう。
だが、止められさえしなければ、範囲殺傷力は最も高い魔術だった。
左右に散った隊員たちによる風の槍の攻撃も功を奏し、『ウツロ』たちの意識は完全に、ヒノの立つ場所から外れていた。
そうして放たれたヒノの風の刃は、道路上で列をなしていた『ウツロ』達を切断し、彼らの黒い靄はその黒い靄を覆う白い光ごと霧散していく。
ヒノはそれを最後まで見届けることなく、テスラ達が対峙する『ウツロ』達に向かって走り始めた。
テスラは数の上において勝る『ウツロ』を短時間で屠り、早急に本隊への援護に向かう必要性を強く感じていた。数の差は魔術力と練度の差で補うことが出来、万に一つも負ける要素はないと確信していたが、それを短時間に成し得るかと言えば、それはまた別の話だった。
正面から迎え撃つ場合、相手の風の盾の強度を上回る風の槍を打ち、一体一体を確実に屠る。この策ならば確実に勝つことが出来る。だが、時間のかかる策である。
ならばどうするか。
テスラはまた、これまでの交戦経験の中で、『ウツロ』が人同様の感覚で世界を知覚していることも感じ取っていた。知覚出来なければ、防がれることもない。
――雷が撃てれば一掃も容易いが。
乾いたこの地でそれを望むのは不可能に近い。雷とは言わずとも……。
「アスリ。『ウツロ』の目を正面に惹きつけろ」
「は?」
「もちろん、倒せるなら倒して構わんぞ」
「それは、小隊長より数倒したら、なんか恩賞もらえると思っていいんすかね」
「やれるもんならな」
「っしゃ。ラニス、テシ。全力で正面の『ウツロ』をぶっ潰して、小隊長秘蔵の酒奪い取るぞ」
テスラは手の平でアスリの後頭部を無言で叩く。この『ウツロ』は単なる前哨戦に過ぎず、そこで全力を出して後で役に立たなくなっては困るのだ。とは言え、その程度のことはアスリも分かった上での発言だろう。それでも、調子に乗り過ぎだ、と無言で叩くに留めることにした。
アスリは言葉通り、同じ隊のラニス、テシらと『ウツロ』に対して、正面から風の矢を無数に放った。直線と放物線を混ぜて放つことで、『ウツロ』の防御を一か所に集中させることを許さず、放つ魔術も風の槍ではなく風の矢にして手数を増やすことで、一撃の威力は落ちるものの最終的な殲滅力を上げる作戦だった。
隊員は隊長に似るらしい
テスラはにやりと笑みを浮かべながら、自らの周囲に四十を越える風の矢を浮かべると、それらを天高く放った。
矢はそのまま空に昇るかのように天高く舞うと、白壁を遥かに越えた高さで上昇をやめ、雨のように地上にいる『ウツロ』の頭上目掛けて降り注いだ。
『ウツロ』からすれば、目の前の敵が次々と放ってくる矢を守るために前方に盾を展開させていたところで、ほとんど目に映らない風の矢が空から降り注いだのだ。避けるどころか、知覚することも出来ないままに、次々と矢に貫かれ、黒い靄と白の衣は霧散していった。
「討伐数は、数えるまでもないな」
大人げないとは思いながらも、テスラはアスリ達に対し、勝ち誇った顔でそう言った。




