第四十一話 陰陽の渦
陣列先頭の兵士から放たれる幾十本もの風の槍は辺りに舞う白い砂に螺旋を描かせ、幾重もの模様を編んでいく。そうして描かれた螺旋模様は、壁の上部に立つ『ウツロ』の手前で巻き起こった暴風と共に聳え立つ風の柱となって、周囲に飛び散った。
望星隊から放たれた無数の風の槍は、『ウツロ』に到達する直前で『ウツロ』が展開した多数の風の壁と衝突し、ぶつかりあった風は新たな風を描いて散ったのだった。
だが、全ての風の槍が暴風に変わり果てたわけではなかった。
『ウツロ』が風の盾を展開するのが遅れたのか、望星隊が放ったその風の槍が特に速く風を裂いたのか、もしかするとそのいづれもか。幾つかの風の槍は壁上に立つ『ウツロ』の幾体かを貫くと、そのままの勢いで『ウツロ』達は壁の内側に吹き飛ばされていく。
そしてその数秒後には、今度は『ウツロ』から仕返しとばかりに風の槍が放たれた。
予期された反撃を望星隊の面々は、風の盾を展開して防いでいく。だが、防げるのは直撃だけで、風と風がぶつかり合って発生する暴風まで抑えることは出来ず、辺りはまるで砂嵐のように真っ白な砂で視界が遮られていく。
「風の盾を並べてそのまま前方に飛ばせ!砂を払うだけのものだ。薄い膜程度のもので構わん。まずは視界を確保しろ」
ヒノは即座に風の円柱を立てて、周囲の砂を巻き上げると、立て続けに風の膜を作り上げて、勢いを失った砂塵を払う。自らはそうしながらも、周囲にはより簡易な方法で視界を確保するための指示を出す。
指示命令系統という点では、ヒノには何ら指揮権はなかったが、視界が確保できなければ、こちらは身動きが出来ない。一方『ウツロ』はこちらを何で認識しているか分からない。一方的に撃たれる恐れもある以上、指示を待っている場合ではなかった。
第二小隊の小隊長であるスクナもそれは理解しており、ヒノへの叱責よりも先に次の指示を出す。
「視界を確保出来次第、続けて、火矢を扉に。壁上部の『ウツロ』には、風の槍での牽制を続けながら、壁の破壊を始めろ。風の力だけなら事欠かん。炎の柱を立ててやれ!」
風の槍が放たれる度、魔術による火矢を飛ばすための風の道が作られる度に、砂塵が風の足跡を追い、辺りには幾重もの糸が絡み合うように、無数の白い線が引かれていく。それは時に突然紅い翼を広げ、回転しながら空に舞い上がることもあった。
それと共に、鳴り響く風を切り裂く甲高い音、風同士がぶつかり合う破裂音、そして炎の柱が上がる轟音が各所で入り交じり、身近の者たちの叫ぶ声ですらも、その音の渦の中に呑み込まれてしまっていった。
一つの音は一つの命が燃える火となり、一つの線は一つの命を断ち切る線となっていった。
幾たびの轟音が重ねられたか、南門に炎が上がり、そこから立ち上る煙が『ウツロ』達の光を灰に、黒に染める。
火の矢が次々と扉に向かって放たれ、炎の中に吸い込まれていく。巻きあがる炎の渦が、共に踊る仲間を呼び込み、楽しむかのように激しく揺れて燃えている。
「戦線を上げる。一列目、前へ!」
タケヅチの言葉は、各部隊の部隊長、そして小隊長を通じて伝令され、次の合図と共に遂行された。
「進め!」
一列目の小隊の前進を見届けると、タケヅチは次いで、二列目、三列目と前進の号令を出す。一気呵成に突撃するわけではなく、少しずつ距離を詰める。それも、周辺の状況によっては容易に撤退可能な状態である必要があったため、全てを一度に動かさず、様子を見ながらの前進としていた。
その間も、南門の火は激しくなり、上部の『ウツロ』のほとんどは姿を消していた。燃え上がる火と煙を忌避してか、度重なる風の砲撃に屈したか、ともかく、旧跡への突撃に向けた条件は徐々に整いつつあった。
「門が崩れ落ちるに合わせて出る。スクナ、ヤビコは合わせて周辺の火砲を厚くしてくれ」
風の精に乗せて届くタケヅチの命に、第二小隊の小隊長スクナと第三小隊の小隊長ヤビコは「応」とだけ返す。
こうした怒号が行き交う戦場において、更に風の槍が飛び交い、荒れ狂う気流が全ての音をかき消す空間では普通の会話は困難であり、こうして風の精に声を託して命を飛ばしあう。その風の精も、気流を越えて羽ばたくだけの強さが必要であり、そもそも術に長けた隊長格であっても僅かな言葉を伝える風の精を喚び出すのがやっとの有様だった。
それでも突撃の時は、刻一刻と迫っていた。
「アレーックス!ウォーレンに紐でも括り付けておけっ。血気に逸って前に出過ぎだ!」
「僕じゃ手綱持っても引きずられます!」
「シェリルに言って首輪でも付けさせろっ」
初めての本格的な大規模戦闘の為か、多くの隊員達が防御を疎かにして、馬鹿みたいに槍を量産する様を横目に、ヒノは『ウツロ』から飛んでくる風の槍を、小型の風の盾で迎撃する。
時折、火を纏った槍が飛来するため、手にした水筒で片手に巻いた布を湿らせ、水の膜を展開する必要にも迫られる。
自分にもう一本手があるか、自分の意思を的確に実行してくれる現身のようなものがいれば、「馬鹿」な隊員共に風の礫で後頭部を打ち抜いてやりたい。そんな気持ちにかられながら、得意でもない防御魔術を次々展開する。
「クライブ!シェリルと二人で槍の迎撃に専念しろ。あと、我を忘れてる阿呆を見つけたら、尻蹴とばせっ」
指示を出す相手に視線を向けることなく、ヒノは『ウツロ』からの攻撃を撃ち落とし続ける。少し離れた場所で、誰かが「ぎゃぁ」と叫ぶ声が聞こえたので、おそらく自分の指示は伝わったのだろう、とヒノは判断する。
『ウツロ』から放たれる槍は、射角を変え、速度を変え、時には礫、刃と形を変えている。これまでに相手をした魔獣にも、高位の魔獣の中には戦いながら戦法を変えてくる厄介な相手はいた。だが、そんな獣は滅多に出会うものではない。それが、ここには見渡す限りの数並んでいる。
『ウツロ』一体一体の能力は、望星隊の隊員以下であるように見えた。動きも鈍重だ。だが、数は力だった。そして、能力が下回っているとは言っても、一つ一つの攻撃は無防備に喰らえば一度で戦闘不能になりかねない威力を持っていた。
気を抜いて対峙できる相手ではない、その危機意識がヒノの神経を削り続ける。周りがどこか『ウツロ』をただの獣だと思っているようにも思える、その感覚もまた、ヒノの神経をすり減らしている要因だった。
「帰れたら全員叩きのめしてやる」
徐々にヒノの口から漏れ出る言葉が、単なる悪態に変わっていったとしても仕方がないことであったかもしれない。
「ヒノ、いけるか」
呪詛のように悪態を吐き続けるヒノに得も言えぬ何かが感じ取れるのか、無言で距離を取るものが多い中、スクナがヒノの隣に立ち話しかけた。
視界を遮る白亜の砂塵の先には、南門を燃やし続けていた炎が落ち着いたように見える。
「その辺で初めて与えられた玩具を前にしっぽ振って喜んでる子犬共をなんとかしてくれるんなら、いつでも」
ヒノの言い草にスクナは苦笑いを浮かべるが、実態としては笑えない。
「こっちは何とかする。頼む」
「了解」
ヒノは口の端を上げると、目前でアレックスの隣に並んで風の槍を放っているウォーレンの後頭部に風の礫を投げつける。
「ヒノ隊、出るぞ!」
横一線に並んでいた陣列の中央部からテスラを先頭に三十人近い隊員が突出した。
その彼らを援護するように、後背から数多の風の槍が放物線を描くようにして正面の白壁に放たれる。風の槍は白壁に立つ『ウツロ』の風の盾を穿ち、ぶつかり合った風は壁の高さを越える白い風の柱となって吹き荒れた。その風の柱を裂くように、次々と風の槍が投擲され、南門の脇には巨大な2本の竜巻が出来上がっていく。
その隙間を縫うように、テスラを先頭とした先発隊が南門に向けて駆けこんだ。
門を越えた先には、旧跡を分断するかのように、人にして二十人ほどが並べるほどの幅の道がまっすぐに続く北門の方角に向かって敷かれていた。
その道の両脇には周辺の砂を塗り固めたかのような白い岩で出来た建物が立ち並び、軒先は木に布を被せた簡易な屋根を備えた建物もある。
左右を見渡せば、白壁を巡るようにしてこちらも幅の広い道が敷かれ、その道に沿う形で建物が並んでいる。
彼らの住む土地では目にしたことのない、機能的で、大規模な都市の跡だった。
壁の中には数多の『ウツロ』が蠢いていることも覚悟をしていたテスラ達だったが、そのようなことはなく、時折、道の先に『ウツロ』らしき影は見えるものの、それ以外に生命を思わせる姿は見当たらなかった。
強いて上げるとするならば、北門に向かう道の先、都市の中央部から見て僅かに西側に逸れたある一角に見えた異様な光景。黒の光の渦が立ち昇り空に向かって霧散し、その黒の渦に絡む形で、黒の光より遥かに大きな白の渦が逆回転するように吸い込まれていく様子が見て取れたことだった。
「まさか、あれが楔か」
神の恩寵、白の光が渦巻く場所こそが楔だと聞いていたテスラは、その光景に思わずごちる。
タケヅチからは「見れば分かる」と言伝されており、この目にするまでは半信半疑ではあったが、確かにそれは他と比べて明らかに異様な光景であった。
「ならば、すぐに……」
テスラの呟きを傍で聞いた彼の部下のアスリが、楔に向かうよう促しかけた時、後背で激しい破裂音が響き渡る。
部隊の護衛として周囲を警戒していたヒノが一番にその音に反応し、振り向くと、西手から本隊に向かって降り注ぐ数多の火と風の雨が映りこんだのだった。




