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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第三十七話 声

訂正2点

●1点目

『メルギニア』11領地の名前について誤りがありました。

地図上:ケヴィイナ領

文章中:サヴィイナ領(一部はケヴィイナ領)

地図に合わせてケヴィイナ領で統一しました。

●2点目

第二十四話で風の神節を春の季節と記載していましたが

正しくは土の神節が春の季節です。

風の神節は秋の季節にあたります。


失礼しました。

『メルギニア兵士諸君!』


 エクマ山地の稜線から光星の輝きが広がり、乳白色の霧はより一層白く輝きを増し始めた頃、その声は文字通り空を裂くように、天から降り注いだ。


 天幕を畳み、囲みの中で整列を始めていたロイス軍の誰もが、その声に驚き空を見上げる。


 その中で一人、ファブリツだけは、顔面を蒼白にし、唖然としていた。


『私の名はシリウス。シリウス・クラウディウス。諸君らを代表し、国を任されている。

 諸君らの国を想う心、その忠心、誠に喜ばしい限りである!」


「皇帝陛下だと!」


「馬鹿な」


「なぜこんな場所に皇帝陛下が」


 陛下がこのような場所に現れるはずがないと叫ぶのは、ファブリツの周りに立つ将軍職のものたちだった。一方で、彼らの前に並ぶ兵士は、その声の真偽にざわめきながらも、誰かが膝をついたのを見ると、波打つように皆が膝をつき、頭を下げ始める。


 ファブリツはその様子を見て苦笑いをした。

 兵たちの方が余程純粋に国を思い、国を慕っている、とそう思えたからだ。

 そう思うと、彼もまた自然と膝をついていた。


「侯!」


 突然膝をついたファブリツを見て、側にいたノランが慌てた様子を見せる。

 この場において、ファブリツが膝をつく、ということは、この声が皇帝本人だと認めることだった。

 そして、それと同時に皇帝に文字通り膝を屈する、ということだった。


 この軍の目的を考えれば、ファブリツこそが最もこの声の事実を否定し、抗わなければならないはずが、将軍達の中で最も早く膝をついたのだ。


「侯、どういうつもりか。これは、陛下の名を騙る偽物でしょう!このような場所に陛下が現れるわけがないのです。そのようなこと、少し考えれば分かることをなぜ!」


 ノランの言葉をファブリツは否定しない。

 皇帝陛下がこのような場所に現れるはずがない、という思いは彼にもある。カファティウスあたりが、彼らも知らない方法で、その声を再現させたと言われたほうが、まだ現実味がある。

 だがそう思っていても、ファブリツは膝をついていた。なぜか?彼がそうしたかったからだ。


 『メルギニア』に牙を剥くことに元々乗り気だったわけではない。それでも、父親のような気質を持たない、ただ成り行きでその座についてしまった皇帝を、自らその座につきたいと願っている者に譲り渡すだけのことであるならば、手を貸してもいい、とは思っていた。思おうとしていた。

 無駄に人の血が流れずに、誰もが望む結末になるのであれば、その方がいいだろう、と。

 その際、現皇帝がどうなるのか、想像には難くなかったが、それについては、助命を請おうと、そう思っていた。


 だが、マグノリア侯は、帝都を滅ぼしてでもその地位を欲していた。

 いや、自らがその地位を手に入れられるわけではない。その地位を手にするのは彼の孫だ。

 それでも、彼が生きているうちに、あるかないかも分からない『ポートガス』の権威を取り戻したいと願っているのだと分かり、ファブリツの心は折れていた。


 だからこそ、この霧を女神の意志と思いたがった。

 だからこそ、この声を女神の意志と思いたがったのだ。


 皇帝に膝を屈したのではない。

 彼は最初から『メルギニア』に対して牙を剥くことに抵抗があった。その意志を表示する切っ掛けがなかった、それだけだった。


『そなたたちは、神話の時代よりこの世のありとあらゆる生命の存続を脅かす存在、『ウツロ』と抗うために武器を手にした。

 愛しい土地を護るため、大切な家族を護るため、自らの中に湧き上がる恐れと戦い、立ち上がることを決意してくれた。

 その意志を、そして行動を、私は称賛する。そして感謝する。

 かつて、『ウツロ』によって奪われた多くの尊厳、多くの生命もまた、そのそなたたちの意志を称賛するであろう。

 女神よ!照覧あれ!あなたの盾として立ち上がった彼らの雄姿を!』


 皇帝と思われる声が高らかに叫ぶと、ロイス軍と霧の向こうの影の間に空から強風が吹き下ろした。

 それは、周囲に立ち込めていた光星の輝きを含んだ霧を一瞬の内に吹き飛ばした。

 代わりに霧の向こうに姿を現したのは、同じ帝国の鎧をまとった無数の兵達だった。

 彼らの姿は見渡す限りの先まで続き、ロイス軍を取り囲むように配置されていた。


 おぉっ、という歓声がロイス軍の兵士たちから上がる。


 それ自体は大したことがない事象だ。

 多少の力、または人数が必要だが、魔術士が風の魔術を使って、空から地面に向かって風を吹き下ろせば実現できるだろう。

 だが、魔術と触れ合うことの少ない兵士たちにはそんなことは分からない。

 ただ、皇帝が女神に呼びかけた時機に合わせて、霧が晴れた。

 それはまさに女神が皇帝の声に応えたように見えた、そういう印象を与えた、そのことの方が重要であった。


――カファティウスめ。やってくれる。


 ファブリツは人心掌握を兼ねたその演出に、思わずそう心の内でごちていた。



 だが、同時刻、ファブリツに敵意とも称賛ともつかない思いを向けられていたカファティウスもまた、ファブリツと似た心境を抱えていた。

 

 女神の名と共に立ち込めていた霧が晴れる。

 女神が彼ら民の為に視界を開けたと感じる演出は、カファティウスが考えたものではない。そして、皇帝が兵たちに語りかけるという作戦もまた、彼の立案ではなかった。

 

 開けた平野にロイス軍を囲むようにして展開された皇帝直属軍クリペウスハスタ並びにブラべ軍。その中央にはためく皇帝旗。

 そこに座する者こそが、この演出の立案者であり、今回の陣容を決めた人物であった。

 すなわち、皇帝シリウス・クラウディウス。



△▼△▼△


「国の民同士。一度血を流せば、より多くの血を欲し、仮にその血を互いに枯れ果てるまで飲み干したとしても、残されたものの怨嗟は更なる血と粛清を望むだろう」


 皇帝並びにブラべ軍がロイス軍と対峙する6つ陽(6日)程前、兼ねてよりマグノリアに派遣していた密偵からの空信(鳥を用いた通信手段)からマグノリア侯挙兵の第一報をいち早く入手したカファティウスは、その()のうちに内乱鎮圧の計画を練るため、帝都に残っていたクレーべ侯、ブラべ侯、それから帝都防衛長官であるサビヌスを集めた。

 自らがそうであるように、マグノリア侯もまた、自身の手のものを帝都に配している可能性がある以上、公の会議を開くことは出来ず、秘密裏に事を運ぶ必要があったからだった。

 その秘密会議に突然皇帝シリウス・クラウディウスが現れ、告げたのが先の言葉だった。


 カファティウスが、シリウスがこの場に現れた理由を伺うと、彼はにこやかに、だが少し困った感じの笑みを浮かべた。その時ふと感じた百合の香りはただの錯覚だったのだろうか。


「私よりも優秀な、心配性の妹が教えてくれた」

 

 そう告げたシリウスは、そのまま言葉を続ける。

 

「戦に勝つ為の策は、私より皆が考える策のほうが遥かに優れているに違いない。しかし、私ならば、戦をせずに済む策を提示できるかもしれない」


△▼△▼△

 

 その結果が今のこの陣容だった。


 ロイス軍を圧倒する陣容を構え、その上で皇帝自らが彼らの前に名乗りを上げる。

 そもそもロイス軍は建前上、国に対して反乱するために兵を挙げたわけではない。『ウツロ』を討つための軍ならば、迎え討つのではなく迎え入れてしまえば良い。


 名乗りに先立ち、霧が出てしまったことは想定外ではあったが、計画が大きく変わるわけではなかった。

 霧すら効果的な演出に変えてしまった皇帝の能力には舌を巻くしかなかったが。


 皇帝自らが帝都を出て名乗りを上げる目的はもう一つあった。


 ロイス侯を含めた旧『ポートガス』の権力者たちの目的は皇帝の身柄。

 皇帝が自ら皇弟であるプロキオンにその座を譲ると言わせること、または座を譲らざるを得ない状況にすることが彼らの目的であるならば、皇帝が帝都を離れれば、帝都の民に被害が及ぶことはない。

 皇帝の身が帝都にないと知れば、マグノリア・メラヴィア連合軍は帝都を攻撃する理由も目的も失い、進軍先を変えざるを得ないだろう。


 つまりこの戦がどこに向かうのかは全て皇帝が握っている、と言っても過言ではなかった。


「民が私を信じ、共に『ウツロ』を討つために手を携えてくれると考えるなら、自然、軍は無力化される。仮に民が私に恨みを持ち、私を討てと言うのなら、私はその座を弟に譲り、喜んで討たれよう」


 内乱が起きれば、やがて訪れる『ウツロ』との戦いだけでなく、隣国からの侵攻にも耐えることは出来ない。そうなれば、多くの民は犠牲となり、また自らの命も長くはない。それならば、内乱を早期に治めることこそが最上。


 そのために皇帝は自ら名乗りを上げ軍の前に姿を現す。


 それがシリウスの策であった。




 若者らしい崇高な志であった。

 

 民を信じているのか、自らを信じているのか。


――それとも、本当にどちらでも良いと思っているのか。

 

 カファティウスにはシリウスの心中を測る術はない。だが選帝侯会議で感じたシリウスの底知れなさは間違いではなかった、とそう思った。

 

 そして、失うには惜しい皇帝だ、とも。

 

「全軍の魔術部隊に盾を張らせよ。来るぞ」

 

 目の前に餌をぶら下げて大人しくしているような連中なら、そもそも飼い主の手に噛みつこうなどと考えるはずもない。

 皇帝本陣のすぐ後ろに控えていたカファティウスは、無表情のまま、周囲の側近に声を掛け、即座に伝令を走らせることにした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「その血を互いに枯れ果てるまで飲み干したとしても、残されたものの怨嗟は更なる血と粛清を望むだろう」 この表現、とてもいいですね。 特に互いの血を枯れ果てるまで飲み干すという表現はセンスが…
[一言]  どこまでがメテオラで、どこからがシリウスなのか、と思いつつ。  後世では優れていたと判断されそうなことも、現時点ではわかるはずもなく、振り回される周りも大変なのでしょうけど。  こうい…
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