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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第三十五話 計画

 時は遡り、フアン達がアストリアを目指し帝都メラノを出立した翌陽(翌日)のこと、ロイス領都イーチ、その都庁舎の執務室には旧『ポートガス』王家に連なる三人の選帝侯が集っていた。

 執務卓には地図が広げられ、その上には人や馬、船の形をした木彫りの駒が配置されている。その椅子には本来の主であるロイス侯ファブリツではなく、マグノリア侯ルクセンティアが座していた。


挿絵(By みてみん)


「決起は土の昇神節二十(三月二十日)。この()、帝都に使者を送る。

 名目は『マグノリアに現れた神子の予言に従い、帝都メラノに出現する『ウツロ』から帝都を護るため』だ。

 我が領土に神子が現れたことは教会が証明してくれる。容易に虚偽と決めつけることは出来ん。

 使者が帝都に到着するのは土の昇神節二十九(三月二十九日)となるが、ロイス侯にはこれより二つ陽(二日)ほど早く、帝都に使者を送ってもらいたい」


 マグノリア侯ルクセンティアは、ロイス領に配置されたロイス軍の駒をブラベ領に向けて進ませる。


「ロイス侯にはブラベ領の軍を引きつけてもらう。

 使者を送った二つ陽()後、ちょうど帝都にマグノリアからの使者が到着する頃に合わせて、ロイス侯の軍はブラベ領に侵入する。

 各領地に我々の動きが伝わるまでの時間もあるが、仮に伝わった所で、各領の軍は他国からの進軍を警戒するために兵を動かすことは出来ん。

 この状況において、軍を動かすことが可能な警戒すべき領は三つだけ。ブラベ領、クレーべ領、バトロイト領だが、実際に警戒すべきはブラベ領だけだ。

 まず、バトロイト領だが、ここは国の反対側。情報が届く前か、届いたとして軍を派遣する前に全てが終わっているであろう。

 次いでクレーべ領だが、クレーべ領は対『ルース』の防衛に兵を常時割いている。出兵出来ても数は少なかろう。我が軍かメラヴィア侯の軍の一部を割けば対処出来ると踏んでいる。

 つまり唯一、全軍で当たる可能性があるのはブラベ侯の軍だけだ。

 これをロイス侯が引きつけてくれれば、残すは帝都メラノの近衛部隊と帝都防衛の常備軍のみ。

 帝都を落とすのも容易かろう」


 ルクセンティアが卓を見渡す。視線の合ったメラヴィア侯シューブリンは同意を示すよう頷いたが、ロイス侯ファブリツは地図に手を伸ばし、帝都の駒を動かす。


「ブラベ侯単独であれば、引きつけるは容易でしょう。だが、もし帝都から軍が出たとなると、我が一軍で相対することは容易ではない。帝都にはあのアンスイーゼン候もいる」


 事の発端は、前回の『キシリア侵攻』の最中、前皇帝が陣中で崩御したことにある。当時から現皇帝は皇太子として、第一皇位継承者の座にはあったが、その能力を疑う者は多かった。

 前皇帝が今なお存命であれば、その継承権はいずれ第二王位継承者であるプロキオンに移るのではないか、という声も出ていたほどだ。

 それが、前皇帝崩御の騒動を利用して、カファティウスがあっという間に現皇帝シリウスを皇帝の座につけてしまった。

 プロキオンが皇帝の座につけば、旧『ポートガス』王家の血が『メルギニア』皇家に継がれるはずだった。

 そうなれば、五大選帝侯の持つ巨大な権力を彼らが手にするはずだったのだ。

 旧『ポートガス』王家の流れを汲むマグノリア領、メラヴィア領、ロイス領の重臣達は、皇帝となったシリウスとその母親よりもカファティウスこそを目の敵にしているものも多かった。

 ロイス侯ファブリツは、カファティウスを油断ならぬ相手、と最大限警戒していた。



「帝都の軍が動けば、帝都を落とすも容易。むしろそうなってほしいところだが、2つの軍を相手取ることになるロイス侯の心配をわかろうもの。だが、安心するがいい」


 ルクセンティアはケヴィイナ領の駒をブラベ領と直轄地の境界線に向けて動かす。


「ケヴィイナ侯の協力は領土の通過だけではない。

 ブラベ領、直轄領の境界線に軍を進め、皇帝軍がブラベ領に進軍したならば皇帝軍を、皇帝軍が動かなければ、ブラベ領側から帝都に向かうことになっておる」


 地図上での駒の動きにファブリツは感嘆の声を漏らした。


「いつの間にこのような差配を」


「ここに来る途中だ。さすがに侯と直接話をする機会は無かったが、事ここに至って否はあるまい」


 ルクセンティアはメラヴィア領の駒とマグノリア領の駒をケヴィイナ領に動かす。


「ロイス侯の動きもあり、カファティウスもサビヌスも、我々が皆ロイス領を通って来ると考えるだろう。ブラベ侯の軍だけでは抑えられぬと踏んで、いくつかの援軍を追加で編成する可能性はある。

 その場合も、先のケヴィイナ侯との連携を以てすれば、凌げるだろう。

 そうして、軍の目がそちらに向けば向くほど、我々は容易に帝都を抑えることが出来る」


 メラヴィア軍の駒とマグノリア軍の駒がケヴィイナ領マレポルタからまっすぐ帝都メラノに進む。

 相対するのは帝都メラノの常備軍一軍のみ。その駒をルクセンティアは指で弾いた。


「マレポルタ到着は土の昇神節二十八(三月二十八日) 。メラノ到着は遅くても土の央神節三(四月三日)になる。

 ロイス侯がブラベ侯の軍と当たるのは土の昇神節二十九(三月二十九日)か三十。土の央神節一(四月一日)まで引きつける事が出来れば、最早どれほど急いだところで間に合わん」


「帝都を落とすのに思いのほか時間がかかった場合はどうする」


「時間はかからんよ」


 ファブリツの言葉にルクセンティアは即答すると、目の前の地図を手にした。そして近くの燭台に地図の端を触れさせる。途端に火が灯ると、瞬く間に火は燃え広がって、地図を単なる灰に変えていく。

 シューブリンとファブリツが呆然と見守る中、ルクセンティアは地図を手放し床に落とすと、燃え盛る火ごと、地図を踏みつけた。


「帝都は『ウツロ』が滅ぼしてくれるからな」


「それは……」


「そうだろう、シューブリン」


 ルクセンティアの瞳の奥に火を見たシューブリンは、無言で頷きを返したのだった。


 △▼△▼△


 マグノリア領都の名をランという。この地は、元は旧『ポートガス』王都ハーゼと言い、『メルギニア』に敗北した後、国と名は失ったが、それ以外のもの、例えば土地や建物などは、失うことなくそのまま存続することが許容されていた。

 領都ランの都庁もまた、旧『ポートガス』の王宮をそのまま転用されたものとなっている。


『相対するものは国を守ろうとする志であり、正義でも悪でもない』


 女神の盾であることを認められ再興したと自らを呼称する国『メルギニア』は、天地崩壊によって失われた『ベトゥセクラ』の版図と力を取り戻すことを目的として他国への侵略行為を続けている。だが、そこに私欲はないとでも言うように、敵対する国を打ち負かした後は、王家を滅ぼすことも、政治体制を大きく崩すこともなく、国を取り込む形で成長を続けてきた。


 『ポートガス』もまた、そうして取り込まれた国の一つだった。


 『ポートガス』は、国の成り立ちを遡ると『マグノリア』、『メラヴィア』、『ロイス』という三つの小国に端を発する。

 これらの国は天地崩壊後、いくつかの国の興亡を経て成立した国であり、いずれも『べトゥセクラ』とは異なる民族によって建国された。これら三国は、大国化の道を歩み始めていた『メルギニア』に対抗するため、『ポートガス』連邦として一つにまとまることを選択した。

 その後、しかし、それぞれが異なる民族、異なる主義主張を持つ集団であった三国は、しばらくの後に利害調整に端を発した内乱が起こり、勝者となったマグノリア国を主家とした『ポートガス』王国に姿を変える。

 マグノリア侯とメラヴィア侯、ロイス侯は、『メルギニア』の制度上は対等だが、その実が対等ではない理由にはこうした歴史的な背景を抱えた『ポートガス』をそのまま取り込んだことからきている。


 取り込んだ国にも等しく権利を与え、それが元あった国よりも優れている姿を見せることで『メルギニア』の一員である利点を分からせ、反乱の芽を摘む。


『相対するものは国を守ろうとする志であり、正義でも悪でもない』


 取り込んだ国を滅ぼすのではなく、手を取り合う仲間として迎え入れるという融和政策は、偽善ではなく実利的な狙いもあったのだ。


 それを否と言うつもりはない


 執務室への廊下を歩きながら、ルクセンティアは帝都を落として後のことを考える。


 『メルギニア』の在り方も、融和政策にもさしたる不満は無い。

 この戦とて、『メルギニア』に不満を持ってのことではない。

 言うなれば、ただ己の欲を満たすためだけのものだ。

 自らの血を引くものが、再び国の最上に返り咲く、その姿をこの目で見たいという、ただそれだけの欲に過ぎない。


 だからこそ、全面戦争になることは避けたかった。

 弱った国が欲しいわけではない。

 強い『メルギニア』をそのまま手に入れたかった。

 もっと穏便にことを運ぶつもりが、すべての計画は4神期()前の前皇帝崩御によって狂ってしまった。


 当時のカファティウスが採った行動を責めるつもりはない。

 あの時点ではルクセンティアの孫であり、現皇帝の弟でもあるプロキオンを力技で皇帝につかせることは出来なかった。そして、皇帝不在のまま、『キシリア』戦役を無事に終結させることも出来なかった。

 もしあの時あの場所で、ルクセンティアがカファティウスの立場に立たされたならば、血の涙を流しながら同じ決断をしただろう。

 その場合、この戦は起きなかったかもしれない。

 自らがつかせた皇帝を自ら引きずり下ろす。

 無いではないが、目立った失策のない皇帝を引きずり下ろすことに対する周囲の理解は得られなかったに違いない。

 だが、それをカファティウスが行ったからこそ、そして旧『ポートガス』に連なる選帝侯不在の場所で行われたからこそ、今回の計画は成り立っている。

 勝った後、五大選帝侯をどう扱うかは出方次第だが、彼らも現皇帝シリウスでなければならないとまでは思っていないはずだった。

 兵力で脅し、退位させる。

 互いの戦力に傷がつかず、皇帝が交代するだけならば、恐らくは……。


「お父様」


 間もなく執務室に着こうというところで、ルクセンティアに声を掛けるものがいた。

 彼を公私において「お父様」などと呼べる相手は一人しかいなかった。

 前皇帝の側妃であり、ルクセンティアの孫プロキオンの母親であり、そして、ルクセンティアの一人娘であるメイサ・ルクセンティア。

 真珠色の長い薄布は、首から胸元にかけて広く開いており、その襟元には金色のようにも見える糸で細かく刺繍が施されていた。

 漏斗のように広がった袖と腰紐で締められた腰から下には細かなひだが幾重にも重なり、メイサが歩を進めるたびに豪奢な金の髪と共に、複雑な模様を描くように波打つ。

 足早に歩み寄るその表情には喜色が満面に浮かんでいる。

 それだけで彼女が何を知り、何のために現れたのか知れようものだった。

 これも『ポートガス』の王家に連なる子としての矜持をと育ててきたが故。親の期待に応えようとした一つの形であり、望むものを手に入れるには強く意思を持たねばならぬことを考えれば、皇帝の妃として正しい在り方であり、また彼女が前にしている相手が自分と同じ思いを持つ親であるならば、素直な感情が表れることも致し方ないことではある。

 それでも、僅かな苛立ちを覚えるのは、これからのことを前に気が立っているからだろうか。ルクセンティアはそう、自らの心を評した。


「遂に立たれると聞きました。

 ようやくお父様の夢が叶うのですね。

 あの女とその息子が居なくなれば、皇帝の座も、お父様の地位も……」


 そんなルクセンティアの胸の内を知る由もなく、喜々として話し始めようとしたメイサは、自身に向けられた手のひらに気付き、浮かべていた笑みを消し口を(つぐ)んだ。


「我が娘のことだ。これまで何を悩み、何を望んでいたかは分かっておる。お前が帝都でどのような想いで過ごし、何を思ってこの地におるのかもな。だが、今は時が惜しい。全ては私が帰ってからでよいな」


 メイサは、ようやくルクセンティアの望みが叶う、そのことをただ喜び、祝うために来たのだろう。

 だが、今はまだその時ではない。

 戦は水もの、どれほど備えたところで、終わってみるまではわからないのだ。

 時が惜しい、という言葉も事実だ。

 この後、兵の編成状況の報告を受け、大隊長を集め、激と指示を飛ばし、翌陽(翌日)の出立までに全ての準備を整わせておく必要があった。


「お前はこの地で朗報を待っているがいい。祝いの言葉はその後だ」


 メイサは表情を消すと、両手で腰紐の下で波打つひだを摘み、軽く持ち上げると、会釈をする。


「ご武運を」


「吉報を待て」


 幼い頃から、ルクセンティアが置かれていた「不遇」を聞かされていたメイサにとって、自らが皇帝の妻になり、次期皇帝を産むことこそが、父の力になれる唯一の方法だと信じていた。

 だが、正妃の座も、第一王子の栄誉も、新参者のヴィスタ領の娘とその息子が掠めとっていってしまった。

 それならば、誰もが後継者と認める人物となるように息子を育てようとしたが、それすら、アンスイーゼン侯を始めとした五大選帝侯が奪い去ってしまった。

 そうまでして既得権益を失いたくないのか、そうまでして旧『ポートガス』に連なる血筋を貶めたいのか。


 偽帝シリウスのいる帝都に身を置けば、いつかは危険因子と見做され、その命までも取られかねない、と考えたメイサは、シリウスの即位式を待たずして、プロキオンと共に帝都を離れた。

 帰郷した彼女に対し、父ルクセンティアは、喜びをもって迎えてくれはしなかった。

 代わりに告げた言葉は「仕方あるまい」という一言だけ。

 叱責があったわけではない。文字通り、「仕方がない」と考えたのかもしれなかった。

 以来、メイサは誰の期待にも応えることができなかった事を悔いていた。

 帝都に残れば、もしかしたら自分に何ができることがあったのかもしれない。

 だが、戻ってきてしまった。そのことを叱責しなかったのは、メイサの気持ちを慮ってのことなのだと、彼女は考える。

 だからこその「仕方がない」なのだと。


 振り返ることなく、廊下の向こうに姿を消す父ルクセンティアの背中を眺めながら、何もできない自らの無力に対する歯がゆさと、待ち望んでいた未来が訪れることへの期待とで、メイサは胸のあたりに言葉にはできない奇妙な何かが渦巻いているのを感じていた。

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