第三十四話 ガイ V.S. フアン 2
「悪いがそれは出来ない」
大上段に構え、一気に踏み込んだフアンの一撃を、ガイは受け止めることもなくあっさりと躱した。
「何故ですか」
「俺にはそれを約束できないからだ」
「では誰なら?」
経験の不足か、それとも焦りか、少し考えれば分かることが何故わからないのか、ガイは心の中でため息を漏らす。
いや、むしろ考えすぎたのか。魔術協会に所属するはずの魔術士が、魔術士でもない相手を隊長と呼び、敬われる。
……敬われる?
その点に僅かな引っ掛かりを覚えるものの、他者からはそう見えていて、それはそれなりの地位でなければあり得ないはず。
そう考えてしまうのは仕方のないことか。
――うかつなのは俺達だったかもしれんな。
ため息は自嘲に変わり、フアンの評価も保留としたが、ガイの結論は変わらなかった。
「傭兵ギルドのギルド長にでも掛け合うんだな」
一介の傭兵ギルドのギルド員が言えることはそれぐらいだ、とガイは肩を竦めてみせた。
フアン達が『メルギニア』の傭兵ギルドのギルド長と直接交渉出来る程の立場にあるなら、彼らを捕縛することは難しい。
だが一方で、水面下で蠢いている影が、もはや水面に映り込む程の状況において、不確定要素はなるべく排除するべきだった。
そう考えたとき、『アストリア』に帰国しようとする彼らを帰すことは後々問題になりはしないか。
捕縛することが難しいならば、亡きものにするという手もある。
生きて連れ帰るのは厄介でも、いなくなってしまえば、彼らを帰すことに対する危険性も、こちらが彼らを抱え込む危険性も無くなる。
憂慮すべきことがあるとするならば、彼ら自身が抱えている情報が、両国に有益であるにも関わらず、ここでそれが失われることで、結果的に国益を損ねる事だが。
そこまで重要な情報を持っているはずがない、と認めてしまえば、彼らを帰したところで、大した影響はない、と認めることになる。
思考が円環の内にはまり込み、抜け出せそうになくなった時、目の前の少年、フアンが一歩後ずさったことに気づいた。
「ギルド長には既に掛け合った後です。そこから国に届くまで、どの程度時間がかかるかは分かりません。
『ウツロ』と天地崩壊の関連性も、はっきりと記録があるわけでもありません。
ただ、少しでも犠牲を減らせるなら、その方がいいと思っただけです。
ガイさんならそこに届くかもしれないという考えが僕の勘違いであるなら、それまでです」
――どうして殺されなきゃならないんだ
意図して逸らされ続けていたフアンの瞳が、上擦った声とともにガイに真っ直ぐに向けられる。その視線に、ガイの脳裏には幼い頃の自分の声が過ぎった。
幼い頃にガイが住んでいたのは、『メルギニア』西部、旧『ポートガス』の東端に位置するロイス領だった。
その地を治める地主は古くから食物や役務などの納税が厳しいことで有名だった。それが、代替わりをして取り立てがより一層厳しくなった。
そんな中、今より20神期程前、日々の生活すら困難な程に不作が続いた時期があった。
どうにか村の惨状を救おうと、いくつかの村からそれぞれ代表者を立て、ロイス領の地主に意見を述べたが、代表者達は領地の安寧を乱したとして、反乱の罪で命を奪われた。そこに、ガイの父もいた。
父親を救おうと、声を上げてくれた村人たちも殺された。
意見を述べた村は罰という名目で耕作地を取り上げられた。村に残るのならそのまま小作農家として、地主に仕えろということだった。
一番の働き手を失った上に、辛い記憶しか残らないこの地で暮らすことに耐えられなかった母親は、ガイの手を引き、他領に住む血縁を頼るために領地を出た。
ロイス領の東隣にあるブラベ領で母は親類から畑を借り受け、小作農として働いた。
本来、国から与えられるはずの土地を失ったものが、この国で生きていくは難しかった。
ガイの戸籍はロイス領のままであったため、土地を得ることはできなかった。
これも地主の嫌がらせだ。
村からは耕作地を取り上げられただけで、住む場所がなくなったわけではない。国から与えられた土地と戸籍は、本来婚姻などで他の村に嫁ぐといった理由でもない限り、返すことも、変更することも許されていなかった。
実態は地主が取り上げた土地も、外見上は土地の持ち主が一人で管理することは困難であるため、地主に依頼して管理してもらい、その謝礼を納めている、という扱いになっていた。
耕作地を管理するための一つの管理手法であり、それ自体は違法でもなんでもない。
だが、それも過ぎれば領主や国から目をつけられる。そのため、ここの地主は所有権は元の持ち主にあるまま、それを所有者には隠し、あたかも地主が土地の持ち主であると村人たちに思わせ、働かせていた。
だが、それを知ったのはガイが今の仕事に携わるようになってからのこと。ごく最近の話だ。
そして、その事実を知った今、それを訴えたところで状況は変わりはしないだろうと思える程度に、己はこの国の仕組みを知るようになっていた。
変えたいならば、もっと力が必要だった。
一度力で捻じ伏せて、その上で変化させていく。言葉にすれば乱暴に聞こえるが、それが一番効率的なやり方だ。
今ならば地主の手管も、それに抗う方法も分かっている。だが、当時のガイはそんなことを知らない、そしてなんの力もないただの子供だった。
ブラベ領に住む親類は、小作とはいえ、ガイの母を受け入れてくれただけ慈悲深かった。
ロイス領の納税義務から逃れたガイと母親の戸籍がどうなったのかは知る由もないが、少なくともこの地に置いて、戸籍を持たないガイは人ですらなかった。
そんな厄介者にも関わらず、同じように、日々の生活で他人を養えるほどの余裕を持たないはずの親類は、ガイ達を受け入れてくれた。
しかし、当然それだけでは生活が立ち行くはずもない。
それを知ったガイは、傭兵ギルドに加入が許可される頃になると、村を出てギルドで生活費を稼ぐようになった。
ガイは父親が処罰された一件以来、国に属する人間を毛嫌いしていた。
『メルギニア』の傭兵ギルドには、そんな国から弾き出された連中が多く所属していた。
体制から弾き出されたのなら、ガイと志を共にできるのではないか、と思えば、彼らはただ同類同士の権力争いに破れただけで、ガイの毛嫌いする人間の同類がほとんどだった。
それでも、そうした弾き出された者たちばかりが加入できるような場所だからこそ、戸籍を持たないガイでも加入することができた。
国の権力争いとは関係のない者たちもいた。
ガイのように、何らかの理由で国の枠組みから弾き出されてしまった者たち。
今も一緒に行動しているブルートやマルクスとはこの頃からの付き合いだった。
違うのは、砦に配備されてから部下になった連中だった。
アグリッピーナ、キンナ、オラトル……。
「隊長!」
聞き慣れたよく通る高い声に呼び掛けられ、ガイは我に返る。
フアンの言葉に、彼の父親を重ね、子供だった頃の自分を重ね、思わず古い記憶が呼び起こされてしまっていたようだった。
――戦場なら死んでるな
自分がどれほどの間、言葉を失っていたのかは分からないが、目の前のフアンが不安と不審と心配と、そんな複雑な感情が混ざったかのような様子でこちらを見ているのに気づき、それなりの時間、立ち尽くしていたのだということは推測できた。
こちらの攻撃可能な範囲の外側に立ち、おそらくは魔術式の起動を準備し、しかし心配な表情もする。
その心情を理解できないとは言わないし、器用な事だ、と思った。
「彼は隊長の部下ではありません。いつもの調子で鍛え上げようとするのは止めてください。
うちの隊のものではない人からすれば、隊長のそれはただのいじめなんですから」
「すまない。楽しくて、つい、な」
歩み寄ってきた薄茶色の長い髪を持つ青年の肌は、すっかり光星が地平の底で眠りについたこの薄暗闇の中でも光を受けた雪のように白い。
良くも悪くも目立つ姿は、どこかガイの庇護欲をそそる。
「……からかわれてたんですか?」
もしもそうだとして、どこからどこまでが「からかい」だったのか。
白い肌に薄茶色の長髪の青年、アギィの登場と共に、ガイから感じていた圧は急に薄れ、フアンは思わず息を吐き出した。
そこで初めて、思っている以上の緊張を強いられていたことを自覚した。
先の『ウツロ』を上回るとまでは言わないが、それに匹敵する緊張。これがただからかわれていただけだとするなら、感じさせられた徒労に対して、怒りを覚えていいだろうか。
フアンの心の動きを知ってか知らずか、ガイは普段酒場で見掛けるときのような気軽さで、フアンの側に近寄ると、その両肩を軽く叩いた。
「部下を持つようになると、優秀な人材のありがたみってのがよく分かるぞ。
つい期待して、頑張らせてしまいたくなる気持ちってのもな」
「過ぎれば部下に嫌われますよ」
「え?俺、嫌われてる?」
「胸に手を当てて聞いてみてください」
アギィの言葉に素直に従い、胸に手を当てるガイを横目に、今度はアギィがフアンの目の前に立った。
ガイよりも一回り以上小柄で、背丈はフアンと同じか少し低い程度の体格は、魔術士としては鍛えられており、戦士としては少し華奢にも見える。
体格においては、遥かに大きいガイを引きずる程度の力を持っていることは、マレポルタで分かっているため、アギィもまた、アルのように何らかの体術を修めた魔術士である可能性もあった。
ただ、名が知られていないというだけで。
「うちの隊長が失礼しました。
ただ、隊長が言ったことは事実です。
私達には国の方針を決める権限はありません。
そこでお尋ねします。
もう一度、メラノに戻られる気はありませんか?」
透き通るような笑みに一瞬目を奪われそうになったフアンは、告げられた言葉の意味を理解することができなかった。
「え?」
「おい、アギィ」
胸に手を当てていたガイも、こんな形でアギィが話を切り出す事は予測の外にあったのか、慌てて声を上げたが、それも声を上げるまでだった。
「あなたの申し出を受けるか否か、隊長が決めることは適いませんが、働きかけることならば出来ると思います。
命を救われた礼となるか分かりませんが、隊長の能力を信じ、頼っていただいたのなら、その程度は応えるべきかと」
アギィの言葉の最後は、フアンではなくガイに向けられた言葉だった。
そこに隠された意図に気付き、ガイは苦笑いとも失笑とも取れるような曖昧な笑みを浮かべる。
まったく、優秀は部下は上司の扱いが上手い
「俺の言いたかった事、先に全部言っちまってよく言う」
「彼が協力を切り出したときに言うべきですね。
目的よりも遊びを優先しそうでしたので、割って入ることにしました」
「さすがはアギィ、俺の嫁だ。よく分かってる」
今度こそガイは苦笑いを浮かべた。
どうやらそれなりの時間、様子を見られていたらしい。
それに気づかずに夢中になっていた自分に呆れてしまった。
「……。隊長は偉そうですが、偉くないので期待に沿えるかは分かりかねますが、どうでしょうか」
アギィは急にまくしたてるような口調でフアンに詰め寄り、フアンは驚いて一歩引いてしまう。
それまでのアギィらしくない態度ではあったが、こちらに考える時間を与えないために緩急をつけたのだとしたら、「はい」と答えさせたい理由でもあるのだろうか。
フアン自身から申し出た協力要請ではあったが、アギィの反応に急に不安な気持ちがもたげてくる。
「さっきから貶されてる気がするが……。
どうするかは好きにするといい。ギルドからの帰還命令もあるのだろう」
ガイは先程までのやり取りを見ても、どちらに転んでもいいという態度で一貫していた、とフアンは思う。
最終的な落とし所は、アギィが申し出たことだったのかもしれないが、そうならずとも問題ない、というような。
だとすると、自分たちをメラノに連れていきたいためのやり取りと考えるのは、考え過ぎだろうか。
仮にこの地に捕えられたとして、それでも『ウツロ』の脅威が伝わるのなら、目的は達成できているのではないか。
天地崩壊を起こす『ウツロ』を迎え撃つ。その時、自分たちが囚われの身だとしても、『アストリア』の地にいなくても、天地崩壊が止められるなら、それでいいのではないか。
このまま帰国すれば『メルギニア』が国として『ウツロ』の脅威に対抗しようとするかは怪しい。
ギルドは協力を約束してくれたが、『アストリア』と比べ、権限が弱い『メルギニア』の傭兵ギルドでは、どこまで力になってもらえるか分からない。
「……メラノで、どなたに働きかけてもらえるのでしょうか」
アギィがガイを見る。
そこは流石に自分が勝手に話すわけにはいかない、ということなのだろう。
「帝都の防衛で一番偉い人……か?」
気の抜けた声で告げたガイの言葉に、フアンは数度瞬きをした後、その意味を呑み込んで目を見開いた。




