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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第三十二話 風に散る

 ガイと彼の部下と思しき人物達との会話と、これまで酒場で見てきたガイの雰囲気に、それから先程襲った威圧感との落差にフアンは戸惑いと懐かしさを感じていた。


――ギルド長と同じ人種だ


 厄介だな、と胸の内で愚痴を言いながら、この場をどうやり過ごそうかと考え始めていたフアンは、不意に何かに惹かれるように遥か先の岩の上を見た。


 そこには、およそ三神節(九ヶ月)前の夜に見たあの黒い(もや)の姿があった。

 あの時と違い、今回は最初から人らしき姿として立っている。靄はまだ気づいていないのか、それとも脅威と感じていないのか、ただ揺らめきながら辺りを見渡しているようにも見えた。


 前回、フアンは『ウツロ』を直前まで認知することが出来なかった。操られていた人の動きが怪しく、何かしらの違和感を覚えてはいたが、それだけでしかなかった。その結果、『ウツロ』の奇襲に対してデイルを突き飛ばすことしか出来ず、自らは『ウツロ』にエーテルを呑まれ、早々に戦線を離脱してしまった。黒い靄がどのような動きをするのかを自分の目では確かめていない。


 だが、後日レツから話を聞き、格闘技に長けた「赤い牙」のアルでさえ、一手誤れば危うかった程の動きをするものがいたという。


 魔術士がもう一人いれば、という考えがよぎるが、それは贅沢な相談だった。

 エレノアはマナを扱えるが、それは自らの周囲にあるマナを集めて放つ程度だ。戦闘に使えるような複雑な魔術式は扱えないと聞いているし、もともと治癒術士なのだからそれは当然のことだろう。

 ではガイ達ならばどうか。傭兵ギルドでの扱いを聞く限り、一介の傭兵とは思えなかったが、アルのように魔術協会から活動の自由を許可された特別な魔術士を連れていることが期待できるかといえば、それは難しいだろう。傭兵ギルドの力が強い『アストリア』でも、アル以外にそんな特別な魔術士がいるとは聞いたことはなく、魔術協会が国と密接に結びついている『メルギニア』ならば尚更、傭兵ギルドに魔術士が出向を許されているとは考えられなかった。

 そもそもそれを確認するために会話する時間すら今は惜しい。


 『ウツロ』がこちらを認識する前に倒す。

 そしてこの場でそれができるのは自分しかいない。


 そう結論付けてしまえば、フアンの動きは迅速だった。


 指先に小さな風の矢を四本生み出すと、黒い靄、『ウツロ』目掛けて射出する。

 間髪を入れず、腰に差した投げナイフを抜くと、フアンに近いものから順にナイフを投射する。

 投射されたナイフには、先程の風の矢の術式を掛け合わせた。

 4本の風の矢と、それを追いかけるようにして風の流れで加速されたナイフが四体の『ウツロ』に迫る。


 フアンの採った戦術は次のようなものだった。


 速射性のある風の矢を一の矢として相手を射抜き、仕留めそこねても、動きが止まったところをより強力な二の矢で確実に狩る。


 初手となる一の矢は魔術核の周囲の空気を前方から後方へと流して押し出すだけの術式で、空気の矢をそのまま飛ばすよりも力が要らず、必要となる大気中に浮かぶ少量のマナだけで実現できる。また制御も容易かった。

 そして何より距離を置くほど、取り込む空気の量が増え、速度を増すのが利点だった。今現在、人数比ならこちらが八人に対して『ウツロ』は四体だが、実際の戦力比は一対四だ。

 アルのように遠近共に戦える術を持たないフアンが確実に勝つには不意打ちの初撃で決める以外に採る戦術はなく、回避が困難な速度で射抜ける事は重要だった。


 しかし、この術にも欠点はあった。

 制御を容易にするために核を小さくしたことで、物理的な殺傷力は殆どないこと。そして直線にしか飛ばせないことだった。


 だが今回その欠点は無視できると、フアンは考えている。

 『ウツロ』に物理的な壁はない。魔力(マナ)でしか傷つけられないが、言い換えれば魔力(マナ)さえ当てらればそれでいい。ならば、これでも十分な威力となるはずだった。


 そして、必殺の二射目。

 腰に差した投げナイフの投射に合わせて、同じ術式を掛け合わせる。

 投げたナイフが生み出す物理的な風の力と術式が生み出す風の流れで、術の核としては同程度でも、生み出される魔力(マナ)を含んだ風の量は遥かに増える。

 一射目からナイフを投射しなかったのは、フアンの持つ投射技術では一度に一つのナイフしか投げられず、四体まとめて攻撃することは不可能だったからだ。

 そのため、一射目の魔術で動きを止め、仕留められなくても二射目で止めを差す。

 これがフアンの立てた戦術だった。


 一の矢にて動きを止め、命を取る為の二の矢を用意することは狩人にとっては特別なことではなく、フアンにしてみれば狩りを生業とするレツの親から教えられたことを忠実に守ったに過ぎない。

 『ウツロ』がマナしか受け付けないものであっても、同じ獣ならば、同じ命あるものならば通じるはずだった。


 フアンの一射目とほぼ同時に、周囲の違和感に気づいたのがアギィだった。

 フアン同様、何かに惹かれるように振り向いたアギィは、岩肌に黒い靄を見てとっさにガイの前に立ち塞がろうとした。

 だがそれより早くガイとアギィの脇を抜けるように風の矢が吹き抜けると、残された余波に体勢を崩されそうになる。

 それを持ち前の反射と日頃から鍛え上げた体幹で耐えきると、風が吹き抜けた先、黒い靄の立っていた場所に視線をやった。


 四つの黒い靄、四体の『ウツロ』はフアンの放った一射目の風の矢で体の一部分を削がれたようにアギィには見えた。

 だが目を凝らすと、そのうちの一体は狙いが外れたのか、気づいて避けたのか、削がれたように見えた箇所は靄が揺れると共に元の形に戻り、削れた箇所が分からない程度の状態になってしまった。


 瞬く間もなく次いで五月雨のように放たれた二射目は、四体の内の三体までを射抜いていた。しかし一射目の傷が消えてなくなった四体目だけは二射目を完全に躱しているように見えた。

 その動きを見る限り一射目も躱されていたのかもしれない、とアギィは考える。

 そして、同時にこうも感じた。

 あれはこれまで自分が相手にしてきた『ウツロ』と明らかに格が違う、と。


 二射目を避けられたと知ったフアンは焦りを感じていた。

 二射目を体の中心部に受けた三体は、まるで雲が風に吹かれて散り散りになるようにして消えていった。

 だが四体目、残る最後の一体は無傷のような姿で岩の上に立ち尽くしている。

 仲間が討たれたことに茫然自失としているのか、こちらを敵と認識し、じっと見つめているのか。

 そもそもそんな感情をもっているのかすら、その靄の揺らめきだけでは判別することができない。

 フアンが分かることがあるとすればただ一つ。

 「赤い牙」のアルと対等に近い動きをした『ウツロ』。それと同程度の相手がそこにいるという事実であった。


 必殺の二射目が必中足り得ない事は分かっていた。その確率を上げるための一射目が、避けられた時点で想定できた結末だった。

 だからそれを悔いても仕方ない。問題は、弓矢より遥かに早い速度の風の矢を避けた『ウツロ』をどう仕留めるかと、自分以外に『ウツロ』との対抗手段を持たない周りの人たちをどう守り切るかだった。


――分からない。分からないけど!


 背後にレツ達を置いたこの場所では、望むとも望まざるとも巻き込むおそれがある。

 フアンは『ウツロ』を視界に捉えたまま、斜めに左右に、動きが単調にならないように駆けて『ウツロ』との距離を詰めにかかった。


 『ウツロ』の方が高所に位置し、移動速度は圧倒的にフアンの方が不利だった。

 その不利を誤魔化すかのように小さな風の矢を『ウツロ』に向けてばら撒いていく。

 『ウツロ』はその一つ一つを避けることはせず、射線が自分に向けられたものだけを避けていた。


 仲間を射抜いた攻撃を恐れるならば、本能として次々と放たれる風の矢に少しは翻弄されないかと期待しての行動だったが、『ウツロ』はそんなフアンの思考を読んでいるかのように必要最低限の動きしかとらない。それは『ウツロ』が本能ではなく理性で動いているようにも思えた。


 だったら、と風の矢を風の刃、攻撃の形を点から線に変えた三つの刃を五月雨に、相手の避ける動きを予測した位置に放つ。


 ただの空気の塊に過ぎない、視認できないはずの風の矢の射線を『ウツロ』はどうやってか見極めていた。

 おそらく自分たちと異なり、魔力(マナ)そのものを視認している、そう考えたフアンは、放った風の刃も軌道を読まれ避けられるかもしれない、とそう考えた。ならば、と避けた先を追撃するよう、風の刃の死角の位置から風の矢を飛ばす。


 だが『ウツロ』はフアンの予想に反して刃を避けることはなかった。

 しかし刃が命中することもなかった。

 『ウツロ』は前面に何らかの防壁を展開したのか、目前で風の刃が霧散したのだ。


 物理的な切断のためではなく、魔力(マナ)を当てるためだけの風の刃だ。そのことに『ウツロ』が気づいたのかもしれなかった。


 同時にフアンは己の迂闊さにも気づく。


 魔力(マナ)によってしか傷つかない『ウツロ』が、魔力(マナ)を扱えないとなぜ思い込んでいたのか。


 その後焦ってフアンが取った行動は、ただの臆病さからくる行動だった。


 『ウツロ』が身動きすることなく攻撃を防ぎきった。

 『ウツロ』とフアンの間を防ぐものは何もなく、そしてフアンは攻撃の手を一度止めてしまっていた。

 『ウツロ』の動きに合わせて術を編むつもりだったための空白の時間。

 それが悪手だったと気づいた時、フアンは咄嗟に前面に風の盾を展開していた。

 刹那、黒い靄がフアンの目前に現れたかと思うと、それと同時に胸の付近に強い衝撃を感じた。体内の息を全て吐き出したのではないかという程の息を吐き出し、目の前が一瞬真っ赤に染まる。胸に受けた衝撃を受け流す術はなく、フアンはそのまま後方に吹き飛ばされていた。

 坂道が災いし、フアンの身体は地面に叩きつけられると、まるで球のように、背中を岩に叩きつけられるまで転がり続けた。

 岩に叩きつけられ、出しきったはずの息を再び吐き出す。それと同時に喉の奥で僅かな血の味と粘り気を感じた。


 背中を中心に足の先、指の先まで波打つように痺れが伝わり、その波がフアンの意識を連れ去ろうとする。

 ここで意識を失えば、拾った命も僅かに長らえただけになってしまう。

 自らの身体から飛び出しそうな意識をフアンは必死で手繰り寄せるが、意識を取り戻せば全身に痛みが襲いかかり、今度は身体中の筋肉が強張ってしまい、身動きが取れなくなった。


 だが、フアンが恐れていた事態は、いつまでも襲いかかってこなかった。


 事態に脳と身体が追い付かず思わずとった先程のフアンの行動が、結果的にフアンの被害をそれだけに留めてくれていた。


 フアンを守ったものは二つ。

 一つはフアンが咄嗟に展開した風の盾。

 フアンを襲った衝撃は『ウツロ』が放った風の槍によって与えられたものだった。フアンが咄嗟に風の盾を展開していなければ槍はフアンの胸を貫き、その場で絶命していたであろう。


 そしてもう一つ。


「よくやった、アギィ」


「『ウツロ』の強さには個体差があるとは伺ってましたが、これ程とは……」


 フアンに襲いかかった『ウツロ』がフアンの風の盾によって動きを止められたのを見計らったかのように『ウツロ』の死角から放たれたアギィの風の槍、それがフアンを守った「もう一つ」だった。


 フアンが『ウツロ』と距離を詰める際に、レツ達を巻き込まないよう戦場ををずらしたことで、レツの正面に立っていたガイとアギィもまた、フアンと『ウツロ』を結ぶ直線上から離れた位置となっていた。

 『ウツロ』が標的をフアンに絞った動きを見せたことを悟ったアギィは、『ウツロ』がフアンに飛びかかるタイミングに合わせて死角から風の槍を投擲したのだ。

 槍は『ウツロ』を貫いた後、空中で風を起こしながら霧散した。

 遅れること数秒、『ウツロ』もまた風に散らされるようにして、紅く染まり始めた空に呑み込まれていった。


「フアンっ」


 『ウツロ』達との一連のやり取りの間、次々と起こる出来事に理解が追い付かず、エレノアは一歩も動くことが出来なかった。

 治癒術士は貴重な存在であるため、万が一の時に己の身が守れるよう、ある程度の護身術は学ばされるが、そんな経験はなんの役にも立ちはしなかった。

 ただ呆然と、見ていることしかできなかったエレノアは、ガイとアギィが言葉を交わしたことをきっかけにようやく我を取り戻し、倒れたフアンに駆け寄る。

 呻くような小さな声が聞こえ、命の無事を知り、すぐに目に見えない怪我はないか、とフアンの首筋に手を当てる。エーテルの流れに触れることで、その流れにほとんど異常が見られなかった事から、そうした怪我もないことを知り、そこでようやくほっと息を吐き出した。


 全身を強く打った事で若干の乱れや細かな断裂は見えたが、今のエレノアでも十分に治癒出来る範囲だった。

 

 その場に座り込むと、エレノアはフアンの頭を自分の(もも)の辺りにのせて、エーテルの痛みが酷い背中から順に一つ一つ癒していく。そうしている間に、フェリもフアンの元に歩み寄り、身体の各部位に問題がないかを確認し始めた。

 

 フアンを治癒するエレノアの表情に焦りがなかったことから、とにかく無事であることを悟ったレツは、フアンの様子を見つめていたアギィの前に立つ。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「……いや」

 

「助けられたのはこっちの方だ。ありがとう」

 

 いつの間に側に立っていたのだろうか。

 アギィに頭を下げたレツの肩を叩いたのはガイだった。

 ガイが一瞬アギィに向けて視線を向けると、気づいたアギィは無言で彼の後ろに一歩引いた。ガイはそれを見届けることなくレツに視線を戻し、改めて笑顔を浮かべる。

 レツが顔を上げたのは、二人のそうした一連の動きが終わった後のことだった。

 

「フアン君……だったか。彼が居なければ、あの得体の知れない何かにやられていたかもしれない。君たちはあれが何かを知っていたのか?」

 

「……あれを見るのは初めてなんですか?」

 

 先ほど『ウツロ』が現れる前にガイから感じた威圧から彼がそれなりに死線を潜ってきた戦士であろうことはレツにも予測が出来た。その彼があの場において一歩も動かなかったことに違和感を感じて、レツは安易に『ウツロ』の事を語ることを控えた。

 

「君たちもかい?」

 

「実物を見るのは」

 

 レツは慎重に言葉を選ぶ。こんな時、フアンがいればとは思うが、いたところでガイに対してまともに会話出来たかと言えば怪しかったかもしれないと思い直す。

 そう思うとなんだか緊張が解れた。

 

「……というと?」

 

「『ウツロ』と呼ばれる普通ではない獣がいる、という話をフアンから聞いたことがあります」

 

「普通ではない獣とは具体的にはどういうことだろうか」

 

「……アギィさんなら知ってるんじゃないですか?魔術士のようですし」

 

 ガイは少し目を見開くと、無言でアギィの方を振り向く。

 

――上手く躱されたかな。

 

 ガイは己の手管の未熟さを鼻で笑う。

 稚拙だからと侮っていたわけではなかったのだが。

 

「アギィ、知ってるか?」

 

「レツさんの情報以上の知識があるかはわかりませんが」

 

「ではフアンくんが目覚めるのを待とうか。光星も眠りについた。暗がりの山中であの黒い靄と遭遇するなど考えたくもない。今日はここで、周りを明るくしたまま夜を過ごしたほうが良さそうだ」

 

 ガイは両手でぱんっと音を鳴らすと、ブルートとマルクスに「野営の準備するぞ」と声を掛けた。そしてそれが、ガイがフアン達の追及を終える合図となった。

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