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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第三十話 想いの眠る場所

 フアン達が『メルギニア』傭兵ギルドを訪れた翌陽(翌日)には、フアン達は帝都メラノを離れ、『アストリア』を目指していた。


 ギルド長からは、フアン達から得た情報を(かんが)みれば『メルギニア』の情勢はかなり危うく、早ければ近々内乱が起こる可能性が高い、という情報が届いていた。


 各領地の村々を訪れた時にはそうした緊迫感を感じられなかったが、それは領主がうまく情報を隠しているためだろう。

 各地で聞く話を繋ぎ合わせていけば、ギルド長の見立ては正しいようにフアンは感じていた。

 現場を知らないものが現場でその空気に触れたものよりも現場を知っている。

 それは過去の経験からくるものかもしれないが、フアンはそこにギルド長の底知れなさを感じてしまう。自分が若造だからと言われればそれまで。

 調査員として多くの情報に触れてきているだけに、自分もある程度は分かってきていると思っていても、それがほんの一端に過ぎない、とそう思わされた。


 内乱の勃発について、『メルギニア』のいくつかの領地で国からの指示とは異なる短期的な徴兵を行っているのは、挙兵を考えているからとしか思えなかった。

 別の建前は用意されていたが、『メルギニア』の西端であるマグノリア領やメラヴィア領などは、その建前で兵を用意するには理由が弱い。『メルギニア』本国から指摘されれば、解散せざるを得ない理由だ。つまり、本国が気付くより早く事を起こす必要がある。フアン達が各領地で情報収集を行っている間にも挙兵が起きたとしておかしくない状態だった。

 内乱が起きれば、『メルギニア』内におけるいずれの確固たる組織に属していないフアンやレツの身は非常に危険だった。『アストリア』に籍があるから尚の事。

 軍に囚われ、他国からの偵察を疑われれば、まず楽には死ねないだろう。

 それでも、ギルドから与えられた任務は『メルギニア』の調査だ。ギルドからの正式な指令を前に勝手に持ち場を離れるわけにはいかなかった。

 勝手に持ち場を離れるわけにはいかない、と考えた理由はもう一つある。

 フアンは隣を歩いているエレノアとフェリを見る。


「何?」


「ううん、何でもない。風が気持ちいいな、と思って」


 視線を感じたエレノアが不思議そうにするのを見て、フアンは咄嗟にそう返した。

 実際、光星から降り注ぐ柔らかな光と『ゲラルーシ』山脈から吹き下ろす風に、気持ちよさを感じるのは事実だった。

 だが、考えていたことは異なる。

 フアン達が『アストリア』に戻るにあたっての最大の懸念点はエレノアとフェリだった。『アストリア』の教会から逃亡しているエレノアとフェリは、『アストリア』に戻るわけにはいかなかった。

 だが、まもなく内戦が起こる可能性がある土地に、何の後ろ盾もない二人を置いていくことは出来なかった。

 三神節(九ヶ月)前は見ず知らずの二人でも、三神節(九ヶ月)もいれば知らない仲とは言えない。これほどの時間一緒に居れば、二人が教会から逃亡しなければならないような罪を犯すとも思えなかった。

 身体的に、精神的に傷ついた人を見れば、少しでも何か力になれないか、と手を差し伸べるエレノア。そのエレノアを支えるフェリは、エレノアを第一に考えているように見えて、ごく自然な流れで周りにも手を差し伸べることを(いと)わない。

 そんな二人が逃亡しなければならない状況になるとしたら、罪ではない何かで逃亡せざるを得なかった、と考えたほうがよかった。

 この三神節(九ヶ月)、ギルドへの報告とは別に、ギルドにはエレノアとフェリの事に関する調査を依頼していた。

 だが、結局分かったことといえば、逃亡する直前までは普通に奉仕活動を行っていて、ある日突然姿を消したという事実だけ。

 逃亡した後に隠されていた罪が出てきたかと言えば、そんなこともなく。

 周囲の村々の評判を聞いてもらう限り、今隣にいる二人と何ら変わらない姿しか見えてこない。

 ギルド長も、お得意様である商隊ガレル・クラムの頼みだからと、二人の逃亡に手を貸したものの、その理由は知らないと言う。

 ギルド長には散々良いように手のひらの上で転がされているフアンなので、その言葉を素直に受け止めたくはないがが、エレノアとフェリに三神節(九ヶ月)もの間、最も近くに居て何も知ることの出来なかった自分では、その事実を受け入れるしかなかった。

 


 メラノを出立してから九つ陽の後(九日後)、エレノアが『アストリア』への帰国を前に立ち寄りたいと言っていた場所に、フアンたちは立っていた。


 ゲラルーシ山脈の中腹、周囲に岩肌が多く見られる高原地帯の中でも比較的広いその場所に、踏み(なら)された道を遠く避けるようにして、盛り上がった土と深く差し込まれた枝が4つ並べられていた。

 山頂から吹き下ろす強風に煽られても枝が飛ばないように、と深々と刺された枝は、一見目立たないが、場所を知っているものからすればすぐに分かるようになっていた。

 その枝の前で、エレノアは両手の平を合わせ、指を絡めるように胸の前で組んで片膝をつくと、目を閉じたまましばらく黙り込んでいた。

 その隣では、フアンたち3人もまた、両手の平を合わせるように胸の前で組み、立ったまま目を閉じた。


 名も知らぬ誰かであり、救いの手を届かせるための距離はあまりにも遠かったが、それでも目の前で失ってしまった命。待っていた誰かがいたかもしれない、その誰かに伝える術もない今は、こうして自分たちが忘れないようにすることだけが、彼らの死を(いた)むことだと、フアンは思う。

 エレノアはきっと、そうした気持ちとは異なる想いを持って、彼らの命と対峙しているのだろう。


『私には何もできないんだってことを忘れないため』


 マレポルタで、エレノアがこの場所に立ち寄りたいと希望した時、彼女はそう告げた。彼女はどう在りたいのか。この三神期(九ヶ月)、苦楽を共にしたはずなのに、そうした未来の話は、お互いどこか避けていた気がした。

 フアンもエレノアも、この旅が終わればもう逢うことはないと、どこかでそう思っていたからこそ、互いの未来を知ろうとも、語ろうともしなかった。そして、どこかで相手もまた同じ思いであることに気付いていた。

 だが、それは未来の話だ。


「僕はここでエレノアに命を救われた」


 目を開け、組んでいた手の平を解くと、フアンはエレノアを見た。

 エレノアも、そして、フェリとレツも、突然話始めたフアンを見つめる。


「少なくとも、エレノアは一人の命を救ったんだよ、ここで」


 救えなかった命もあったけれど、救った命もあった。それだって事実だ、とフアンは思う。そうして、出来ない事より、出来たことを見たほうが、きっと「在りたい自分」に近づける、とも。

 そんな想いをもしも吐露(とろ)しようものならば、レツに、「まずは、お前からな」と、笑われそうだと思うから、決して口にすることはないけれど。


「これからだって届かない命はあるかもしれない。けれど、エレノアが居なければ救われなかった命は、確かにある。だったら、手を伸ばし続けるしかないよ、これからも」


「……フアン」


「……エレノア様は私の命を二度も救ってくださいました。他にも、エレノア様が自覚されていないだけで、エレノア様に救われた方はたくさんいらっしゃいます。エレノア様が無力だというなら、私もまた無力です」


「フェリ……、そんなこと」


「ないと仰るのなら、そう仰っていただけるのなら、エレノア様もまた、「そんなことはない」と、私は思います」


 3人を見上げるエレノアの前に、フェリが膝をつき、組まれたままの手を包み込むように握りしめる。

 薄茶の瞳とアッシュブロンドの髪が、傾き始めた光星の輝きを取込むようにして煌き、その姿はまるで神話に聞く光の女神ラナにも見えた。


「んで、フェリが無力ってんなら、俺もフアンも無能なんだろうな。あ、いや、フアンは魔術があるから、無力でいいのか?」


「なによ、それ」


 エレノアが、笑おうとしたのか、呆れようとしたのか、眉間に皺を寄せながら、口の端を上げる、という不思議な表情を浮かべた。


「技術はあっても、それを存分に奮う「力」がないから、無力なんだろ?じゃぁ、その技術すらない、俺は無能だなってこと」


「レツの弓の技術を無能って言ったら、有能な人ってどれだけ優れてるのよ」


「ティオさん?」


 それは『アストリア』の傭兵団「赤い牙」の弓士の名だった。可愛らしい容姿で、同じ傭兵団の戦士セリカにいつも構われていたが、そんな姿に反して強弓をも扱い、遥か先の目標を軽々と射抜く姿は、まさに弓士の見本とも言うべき存在だった。


「……あぁ、無能かも」


「肯定すんのかよっ」


 どんと足を踏み込むレツに、エレノアは今度こそ笑みを浮かべた。

 『アストリア』で「お勤め」のために巡回していた時にも、救えない命がたくさんあった。自分の手に届かないところで亡くなってしまった命は、自分の力ではどうしようもなかった。それは理解していた。でも、それを「仕方がない」と言って済ませたくはなかった。

 手が届かなかったのなら、届くようになればいい。

 エレノアはそう思う。


 幼いころ、全身の筋肉が石のように硬直し、やがて生きるために必要な身体の機能も動かなくなってしまう病、石化病に母親が罹患(りかん)したことがあった。

 それは薬さえあれば治る病だったが、その薬は高価で、容易に手に入るものではなかった。

 それを救ってくれたのがフェリだった。

 行商人の娘であるフェリは、その石化病の特効となる薬の場所を把握しており、採集するということにおいても、その場所を教えるということにおいても、自らの命が危険に(さら)されることを理解していながら、知り合って間もないエレノアのためにその場所を教え、エレノアと共に薬を採りに行ってくれたのだ。

 その結果、フェリは命を落としかけ、それがきっかけで、エレノアは治癒術に目覚めた。

 フェリが言う「エレノアに救われた命」とはこの時の事だが、この時本当に救われたのは自分の方だ、とエレノアは思っている。


 手が届かなくても、届くかもしれないのなら……


 フェリのその姿が、エレノアにとっての理想、在りたい姿であった。

 それは今も変わらない。


 そのフェリは、自らを無力だと言うが、治癒術もなく、治癒術士のように人々を癒し続けている。彼女は今でもエレノアの前で、エレノアの理想として振舞い続けている。そうエレノアは思っていた。


「今日はここで一泊かな。今回は歩き旅だから、商隊よりは早く国境砦に着けると思うけど、それでもここからはもう一つ陽()は必要……」


 エレノアの笑顔に少し心の晴れたフアンは、既に紺色に染まり始めた東の空を見上げようとして、そこで言葉を止めた。

 登り坂の続く山道の先の岩陰から、四つの人影が現れるのを認めたからだった。


 フアンの脳裏に思わずあの日の記憶が過るが、頭を振り、その考えを振り払う。

 あの時と同じ男たちであるはずはない。

 彼らは今、目の前に、その土の下で眠っているのだ。


 フアンの様子に違和感を感じたレツが、フアンの視線の先を追い、同様に固まる。

 だが、レツは狩人特有の視力の良さで、それが件の男たちでないことはすぐにわかった。しかし、その口から漏れ出た言葉は、「意外」を表す言葉である、という意味では同じだった。


「なんで……」


 岩場に足をとられないようにやや足早に降りてきたため人影は全員が簡素な武具を身にまとっていた。そして、そのうちの二人の顔に、レツは見覚えがあったのだ。

 正面から光星の光を受けているせいでやや白く見える浅黒い肌の男と、それとは対照的に雪のような白肌の長髪の青年。青年の髪はもともと薄い茶色だったはずだが、光星の光を受け、まるで黄金色に輝いているようにも見える。


「ん?アンちゃんとシンちゃん?」


「……ガイさん、どうして」


 それは、帝都メラノで顔を合わせたガイとアギィだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  フェリがすっかりつれなくなくなっていますね。 [一言]  誰もが何もできないわけじゃないけれど、誰もがなんでもできるわけでもない。  現状に納得できないからこそ立ち止まらずに歩いていけ…
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