第二十八話 ガイとアギィ
翌陽、フアン達は乗り合い馬車に乗り、港町マレポルタからケヴィイナ領の領都キルマを経由し、一路帝都メラノに向かった。
徒歩の旅であれば、七つ陽はかかる距離だが、馬車であれば、キルマまで二つ陽、そこからメラノまでさらに二つ陽程度の距離だった。
大きい街から大きい街への街道ということもあり、道も手段も整備されていればこその速さだ。
それでも、丸四つ陽ほどかかる距離で、メラノに着くころには光星がまもなく地平線の向こう側で眠りにつこうとしていた。
途中休憩を挟みながらとはいえ、長時間座ったままの一行は、メラノに着くと、大きく背伸びをした。
エレノアが全員に治癒術をかければこうした痛みはすぐに改善するのだが、もともと逃亡治癒術士だ。特に人の多いメラノでは不用心に治癒術を使うわけにはいかなかった。
「せっかく光星が出ている間にメラノに着いたんだから、このままギルドに行こうか」
一通り体を動かし、固まった筋肉をほぐし終わると、フアン達はそのまま帝都中央部にある傭兵ギルドに向かうことにした。
傭兵ギルドに限らないが、商業ギルドや工業ギルドといった、各種ギルド(組合)の建物は、街の中央付近、皇城付近に建っていた。
乗合馬車の終着駅が、街の中央部を十字に走る交差点付近であり、傭兵ギルドはそこから目と鼻の先の位置にある。
フアン達は早めに今夜の宿を確保したいこともあり、さっそく用事を済ませようとギルドの扉を開けようとすると、突然扉の方がフアン達を待っていたかのように勝手に開く。
扉が勝手に開いたのはフアン達が来たから、などということはなく、開いた扉の向こうから人影が姿を現した。
出てきたのは濃い茶色をした肩までの髪をした細身の青年で、簡易な胸当てと腰当てをつけ、腰には長剣を刷いていた、フアン達にとって見覚えのある姿であった。
「マレポルタでガイさんと一緒にいた人じゃないですか?」
「ん?」
フアン達が光星を背にするように立っていたためか、青年からはフアン達が影としてしか認識出来ていなかった。
だが、声を掛けられ、光に目が慣れるにつれて、見覚えのある姿であることに気付く。
「先日、酒場で隊長と話をしていた少年たちか」
「ガイさんのお嫁さんでしたか?」
フアン達と向かいの青年が目を見開いて、フェリを見る。
エレノアが何か声を掛けようとして、言葉にならなかったのか、開きかけた口を閉ざすと、手のひらで口を押さえた。
この状況で、エレノアの肩が微かに震えているように見えるのは、この後の反応が恐ろしいからだ。そう思いたい。フアンはそう思った。
「……隊長も私も独身だ」
僅かに震える声で青年が返した答えに、フェリは軽く首を傾げるが、とにかく自分は何かを誤っている、ということだけは理解した。
「それは失礼しました」
と、そう言って頭を下げた。
「いや……」
青年が自分の心情を押し殺すようにして俯くと、肩まである髪がさらりと流れ落ち、青年の顔を隠した。
その髪の流れに、はっと我に返ったレツが前に出ようとした時、扉の影から一本の腕が生えたかと思うと、青年の右肩を掴む。
「アギィ、どうした?」
「ひゃいっ」
声とともに姿を現したのは、浅黒の肌に黒髪の短髪をした、青年と呼ぶには少し年を感じさせる目尻をした男だった。
「ん、あれ?アンちゃんとシンちゃんじゃん。なんでこんなとこいんの?」
「ガイさんじゃん。なんで、はこっちが言いたいんだけど」
ガイの突然の登場に驚きながらも、レツはそのまま青年やガイの前に立った。
胸元で手をぎゅっと握りしめた青年を見て、前程の妙な叫び声は、驚きのあまりに咄嗟に出たものだろう、とレツは聞かなかったことにした。
「そりゃ、仕事だよ。お前らは?」
ガイは横の青年の肩を抱くようにして引き寄せ、その肩にあごを乗せ、青年にもたれかかるようにする。
青年が何か呻くような声を上げるが、ガイはそれはそれに気付かないのか、その体勢を崩さない。
「こっちも仕事。これからギルドに用事があんの」
「ギルドに?依頼だったら止めとけ。今。ちょっと殺気立ってる。アンちゃんやシンちゃんを、あんな危ないとこ……。あ、いいや、アンちゃんとシンちゃん、こっちで預かるから、お前らだけ行ってこいよ」
お互い利点しかないな、と人懐っこい笑みを浮かべる、ガイは姿勢を正し、レツ達をギルドの中に招き入れるように左手をギルドの入り口にまっすぐ伸ばした。
「利点があるのはガイさんだけだよ。預けるほうが余程危ない」
「そんなことないさ。預かり料として、アギィと四人、その辺の食堂で夕飯を楽しくいただくぐらいの報酬があれば十分。な、アギィ」
「……同意を求めないでください」
ガイから顔を反らすようにして、苦しそうにアギィと呼ばれた青年が答える。
ただの顔見知りに人を預ける危険性はなんにも変わってないんだけど、とフアンは苦笑いする。
ガイという男は一見粗雑に見えるが、よく見れば物腰は丁寧だった。先日の酒場でのやり取りを見ていても、女性好きを隠そうとせず、だが、深い仲を望んでいるようにも見えない。
常に笑顔を浮かべた愛嬌のある顔立ちが、どこか警戒心を解かせる。
普段は人見知りの激しいフアンも、ほとんど面識の無い彼の言動で笑みがこぼれてしまう程度には、警戒心が緩んでいた。
とは言え、話し掛ける事が出来るほどには警戒が解けないのか、フアンはレツの裾を引っ張った。
レツは正面の二人のやり取り、ガイがエレノアとフェリを夕食に誘うことをアギィに提案している、を見ながら少し考える。
「殺気立ってるって言ってたけど、何があったんですか?」
「もしも二人を誘う時に自分だけを誘うと、隊の他のメンバーが不公平だとうるさいので、全員を誘い、その上で食事が隊長の奢りなら考えてもいい」、そうアギィに返されて、情けない顔をしていたガイは、助け船を得たかのようにレツの方を振り向く。
「いや、さっき仕事の報告してきたんだが、訳有案件で別室呼び出しの特別扱いだったわけよ。
帝都のギルドにやってきて半神期ばかりしか在籍してない新米としては破格の扱いに見えたのか、ギルドにいる連中には気にいらなかったようでな。あぁ、あと、戻ってきた時に受付のレナちゃんと今度食事でもって誘ったのも良くなかったのかもなぁ」
「全部ガイさんのせいじゃん」
「隊長、あれは……」
「ん?それとも、ラウラちゃんにお茶誘われたのがまずかった?」
ガイが笑みを消し、アギィと目を合わせる。
アギィは言いかけた言葉を呑み込むと、代わりに大きく息を吐いた。
「……全面的に隊長のせいです」
「俺のせい、と言われると、俺、悪くなくない?って思うんだが、まぁ、妬まれるのには慣れてる。出来る男だからある程度は仕方ないと受け止めるべきだな。ってことで、ギルドの中は注意しなきゃならんから、アンちゃんとシンちゃんを俺に預けてだな」
「今の話聞く限り、ガイさんいなけりゃ問題なさそうだけどな」
「そうかぁ?」
「……心配……なら、来て……ください」
レツの袖を掴み、ガイとは顔を合わせることのないまま、フアンが消え入りそうな声で告げる。
後ろで見ていたエレノアは、そんなフアンの様子に苦笑いする。フアンとは3神節付き合っているが、「仲間」に対する態度とそれ以外との態度の差には未だに慣れない。ただ、フアンなりに自分たちを守ろうするために、頑張ってくれたのだろうと思うと、いじらしさに頭を撫でたくなる。
「食事をするにしても、用事が終わってからみんなで食事したほうが楽しいものね。それなら、ガイさんの食事付き合ってもいいわよ。もちろん、ガイさんの奢りで」
「シンちゃんまでそういうこと言う……」
エレノアからすれば、ガイのことを忌避して、というよりは、フアンの頑張りへの助け船のつもりだったが、ガイにとっては、アギィに続き、自分の敵が増えてしまったとしか思えなかったようだ。
「まぁ、忠告はありがたく聞いておくよ」
「アンちゃんとシンちゃんの頼み事を他の連中に任せるぐらいなら俺が力になってやるって言いたいところだが、ちょっと今は都合がなぁ。とにかく、あまり急ぎじゃないなら依頼事はやめたほうがいい」
「あぁ、それなら大丈夫。俺ら……」
「レツ!……行こう。遅くなる」
「……あぁ。ありがとな、ガイさん」
「じゃあね」
レツの言葉を遮るように、フアンがレツの袖を引きながら声を上げる。
レツは、フアンのその唐突な行動に慣れているのか、苦笑いを浮かべると、ガイに礼を言いながら、二人の横をすり抜けて、建物の中に入っていった。
エレノアもそれに続き、最後にフェリが二人に頭を下げて、三人の後を追った。
「珍しく振られましたね」
フアンたち四人の姿を見送ると、二人は仲間の元に戻るためにギルドを離れる。
その最中、アギィがからかうようにガイに話しかけた。
「俺、何か警戒されるようなことしたか?」
その雰囲気に乗るように、ガイは肩をすくめる。
「お互い様なんじゃないですか?」
「……違いない」
ガイは口の端をわずかに上げると、アギィの肩を一度だけ叩いた。




