第二十七話 調査終了
ガイに置いていかれた女性の愚痴にエレノアが付き合っている内にフアンたちは食事の注文を終えると、注文した料理が来るまでの間に、と机の上に一枚の紙を広げていた。それは手書きの『メルギニア』の地図だった。地形の正確さを求めていないことから、町は点、街道は線、それ以外の地形的な特徴、河や山、内海、外海などは、とにかく、「そこにある」ことが分かる程度に記述されている。
その紙面の上には、町を示す黒塗りの丸い点以外にも、白抜きの丸い点とレ点がいくつか記述されていた。
更にその上に、情報を聞いた場所に重ねるように、覚書を記載した紙を置いていく。
そうやってこれまでに得た情報の整理をしている間に、注文した食事が机に運ばれ始めた。
気付けばエレノアも席に座っている。
地図を避けるように食事の皿を並べると、じゃぁ食事しながら、とフアンが切り出し、整理した情報を語り始める。
「この三神節で確認出来た情報はこれだけ。白抜きの丸い点を付けたのが、原因不明の行方不明者が最後に見かけられた場所。レ点が黒い靄の目撃情報があった場所。
靄の目撃情報は二件で、人影の見誤りかもしれない、というぐらい信憑性の低いものだけ。
原因不明の行方不明者の情報も数は少ない。全部で七件。『キシリア』との国境近く、ヴィスタ領が一番多くて四件。次が『アストリア』国境近くのバトロイト領の村で一件、『スウォード内海』の港町で二件。メラヴィア領とロイス領で一件ずつだね。
ただ、本当の意味での「原因不明」の事例は少なくて、そういうのはバトロイト領の村の一件だけ。
『キシリア』国境近くは近頃治安が良くないこともあって、判断がつかない。メラヴィア領とロイス領の港町の方は元々黒い噂がある場所での行方不明だから、人の手によるものって可能性が高そう。
傾向と分析が出来るだけの情報は得られず。でもこれが事実なら、何もない、という情報が手に入ったともいえる」
「『ウツロ』は居なかった、って意味で言ってるんじゃないよね?」
「うん。正しくは人々の暮らしに影響を及ぼすほどの数の『ウツロ』が確認されなかった、かな。『ウツロ』は実は居ませんでした、ということだけは、絶対にないから」
それは四人にとって共通の認識であり、今更確認するまでもない「事実」だった。
『メルギニア』国境で遭遇した黒い靄。実体の攻撃手段では傷つけることが出来ず、ただマナを含んだ力によってのみ傷つけることが出来るという、明らかに彼らが知る生態と異なる「何か」は、確かに彼らの目の前に現れた。フアンはその「何か」に命を脅かされた経験も持つ。
その上、名の知らない四人の人々が、その黒い靄のために命を失ったという事実も目の当たりにしていた。
「元々すごく数が少なかったってこと?それとも、見つからないように賢くなったってこと?」
「どちらでもないかもしれない。もしかしたら、どちらでもあるのかもしれない。
それとも、僕たちが知らないだけで、『メルギニア』軍が見つけ次第駆除している、ということも考えられるよね」
「そっか。軍が見つけて討伐してたら、普通の人は見かけなくても当然よね」
「だとしても、兵役が終わった人たちは、家に帰ってくるわけだから、まったく話を聞かないっていうのも不思議なんだけどね」
「徹底的に情報を隠している可能性は?」
「もちろんその可能性もある。本当にそれが出来ているならぜひどうやっているか聞いてみたいところだけど」
「教えてくれねぇよ」
「そうだろうね」
フアンが笑い、緊張していた雰囲気が緩む。
「それじゃぁ、この情報を持って、フアン達は『アストリア』に帰るってこと?」
エレノアは口にした食事を飲み下すと、フアンに尋ねた。
ギルドからの帰還命令が出たのだから、無視するわけにはいかないだろう。
国を出ることだけしか考えず、その後もフェリが言いだしてくれたおかげで一緒に行動することになった。
この三神節の間は、「調査員」という偽装のおかげで、これまでと変わらない生活を送りながら暮らすことも出来た。その間、この生活が終わったら、次はどうしようか、という漠然とした不安は抱えていたが、明確な回答を持つことのないまま、今を迎えている。
この旅の間に、フェリに教わりながら薬剤の調合の仕方等は学んできた。
治癒術士としての力は使えなくても、治癒術士として学んできた知識は、そのまま人々の為に使えるものも多い。そうした知識とフェリの行商人の頃の経験を使えば、小規模でも、薬剤師として生きていけるかもしれない、そんなことを漠然と考えていた。
「一応『メルギニア』帝都の傭兵ギルドに寄って、これまでの報告をしてからだけど」
「そうしたら、そのまま『アストリア』?」
「かなぁ?『メルギニア』内がちょっと不穏だから」
フアンはそう言うと、小さな袋を机に出してそこから硬貨を何枚か取り出すと、地図の上に一枚、一枚と硬貨を置いていく。
ケヴィイナ領、ロイス領、メラヴィア領に一枚ずつ。
「ここが徴兵の話を聞いた領地」
それから別の硬貨を取り出し、更に一枚、一枚と置いていく。
それらは全て先の置いた硬貨に重ねられるように置かれていった。
「これが徴税が増えたって聞いた領地」
そして更に別の硬貨を取り出し、同じように一枚、一枚と置いていく。
ケヴィイナ領、ロイス領、メラヴィア領、マグノリア領。
「これが、さっきの手紙で分かった、弟さんの息がかかってるって噂の場所」
「弟さん?」
エレノアの声にフアンは手の平を唇に当てる。「内緒にしておいてね」という印だが、この場においては、「静かにしておいてね」という意味になる。
皆がフアンの意図を汲んだように見えたことを確認した上で、フアンは少し机に身体を乗り出した。
「皇帝の、弟さん」
告げて、フアンは再び席につく。
三人ともがフアンを見つめていたが、誰も声を発することはなかった。
「今この時期に何考えてるんだろうねって思うよ」
フアンはなんでもないように笑う。
実際、それを知って何が出来るわけではない。
出来ることがあるとすれば、さっさと『メルギニア』を去ることだろう。
この地で知り合った人々に対して何もできないことに、思うところがないわけではない。思うことで、考えることで、救うことが出来るのならば、限界まで考えるかもしれない。
だけど、ギルドの一調査員が出来ることなどたかが知れている。
自分にできることがあるとするなら、この情報をギルドに届けることで、少しでも犠牲が減るようギルドに動いてもらうことぐらいだった。
「ということで、調査はこれで終わり。傭兵ギルドに報告したら、僕たちは『メルギニア』を出る。もしも反対意見があったら言ってね」
「明日には出るのか?」
「そのつもりだよ」
「足は?」
「乗合馬車使おうかと思ってるけど?」
「んじゃぁ、この後、翌陽の便、確認してくるわ」
「ん、ありがと」
「ねぇ」
その声にフアンは振り向き、いつの間にかエレノアが俯いていたことに気付く。
先ほどの賑やかさはどこにいったのか、食事の手を止め、しかし、その手からフォークもナイフも放されないままだった。
フェリもそこでエレノアの様子に気付いたのか、「どうかしましたか?」とエレノアに声を掛ける。
「メラノに寄った後は、まっすぐ『アストリア』だよね」
俯いたままのエレノアの声は、辺りの喧騒にかき消されそうなほどの声量だったが、かろうじてフアンはその声を聞き取ることが出来た。
「そうだね」
「寄ってほしいところがあるんだけど」
「……どこ?」
「『ゲラルーシ山脈』で野営したとこ。ちゃんと場所わかんなくてもいいからさ」
フアンの脳裏に黒い靄の記憶が蘇る。なぜ、と聞こうとしたが、その答えはフェリが先に語ってくれた。
「弔った場所に寄りたいのですね」
「何もしてあげられないままになっちゃいそうだから、せめて、ね」
あの野営地での『ウツロ』との戦闘では、フアンは早々に戦線離脱してしまった。
突然姿を現した『ウツロ』を前にして、大勢の前で野良の魔術士であることを知られるわけにはいかないこと、自分より遥かに格上のアルがいたことから力を使うかどうかを逡巡する内に『ウツロ』に襲われた。その逡巡で危うく命を落とすところだったのだから、次は躊躇ってはいけないと思っている。死ねばそれで終わりなのだから。
早々に意識を失ったフアンは、あの時の出来事を全て後から聞いた話としてしか知らない。その中には、近隣の住人とは思えない男性四名が『ウツロ』の犠牲となっていて、その場に葬ったという話もあった。
エレノアとフェリの話はそのことなのだと思い当たる。
「僕たちが彼らと出会ったときにはもう手遅れだったと聞いたけど、どうしてそこまで?」
「……私には何にも出来ないんだってことを忘れないため、かな」
エレノアは顔を上げると、寂しそうに笑みを浮かべていた。




