第二十六話 港町「マレポルタ」
『スウォード内海』に面する港町の一つ「マレポルタ」は交易港と漁港の二つの顔を持つ。
『スウォード内海』の西側が外海は繋がっており、外海を出入りする交易船の利便性から、町の西側は交易港の機能を持っている。
一方で、町の東側が漁港となっている。一部を除き、大がかりな漁船を保有することが出来ない漁師は、簡素な船でも漁が可能な穏やかな内海を漁場とするため、港を利用する漁船は内海を目指すものが多い。
港の設備の二面性はそのまま町の造りにも表れている。
交易港側はその特性上、国外からの希少品、美術品、骨董品など単価の高い商品を扱う行商人が多く集まり、自然と周辺は高級住宅街の様相を呈する。
漁港側は交易港側と比較すると庶民の町だ。しかし扱う商品が食料品である以上、交易港の住人にも必要とされることから、品質の良い商品を扱う商店などは自然と交易港側に近い場所に店を構える。
そのため、町は交易港と漁港そしてその中間の三層で町が出来上がっていた。
東西の港から町までの間には防波堤を兼ねた三十段程度の階段があり、そこから町の間までは、港帰りの働き手を客とした軽食の屋台が立ち並ぶ。
屋台に混じりながら、徐々に商業目的の店舗が立ち並び始め、港から、酒場、宿屋、食堂と並ぶのは、東西どちらも共通の特徴を持つ。
東西の差があるとするなら、扱う商品の差だった。
交易港側の区画は、他国から輸入された装飾具や交易品、酒類、料理を取り扱った店が多いのに対し、漁港側の区画は、地元で採れた魚介類や穀物、日用雑貨を扱う店が多く並ぶ。
東西の港を繋ぐ町の中間部は、町を繋ぐ通りの役目も果たしており、日用雑貨の並ぶ通り、食料品の並ぶ通り、といった感じで、店の種類毎の通りが存在している。それらは建物の立地と共に店舗の扱う商品の種類が段階的に変わり、その通りの端にたどり着くころには「そちら側」の特徴を持つ店とほぼ同等という構造を取っていた。
そんな三層の色彩を持つ港町の中間層に位置する宿に、フアンたちは滞在していた。
この領地に拠点を移してからはまだ十つ陽も経過していなかったが、『アストリア』から『メルギニア』に渡ってからで言えば既に約三神節が経過している。
『メルギニア』にある十一の領地を順に巡り、一つ一つの領地で『ウツロ』の目撃情報について収集を続けてきた作業もようやく終盤、ここが最後の領地であった。
「あ、レイナーさん、ギルドからお手紙預かってますよ」
宿に戻ったフアンたちは、部屋に荷を置くために受付を横切ろうとしたところで、受付の女性に声をかけられた。
港の東西を結ぶ通りの中でも、酒場や食堂が集まる、通称「居酒屋通り」の中で唯一の宿屋であるこの店には、東西双方に買い付けを行う必要がある行商人が泊まっていることが多い。稀に、居酒屋で酔いつぶれた結果、家に帰ることなくここに宿泊にくる客もいるらしいが、そんな客は本当に稀だ。そこまで「呑む」ような性格なら、宿に金を使うより、食事や呑みに回したい、と思うだろう。
フアンが受付は手紙を受け取ると、差出人の名前を確認し、受付の女性に小刀を借りるとそのまま手紙の封を切った。
そうして、小刀を女性に返すと、中身を取り出すことなく、フアンを待つレツたちの元にやってくる。
「誰から?」
「ギルド長。それだけで中身予測つくけど、もし予測外の事が書いてあったら急ぎの案件だと思うから、みんなのいる場で確認する」
そう言いながら、全員を壁際に寄るように指先で促し、歩きながら封筒から手紙を抜き出す。
封筒に入っていた手紙はわずかに一枚だけ。
文章もさほど長くない。フアンはその内容にざっと目を通すと、手紙を再び封筒にしまい、レツたちを見た。
「ギルド長はなんて?」
「多少の面倒ごとは持ち帰ってきてもいいから、さっさと帰ってこいって」
「面倒ごととは?」
「この物言いだと、どうとでも受け取れるけど」
フェリの疑問にフアンは肩をすくめて答える。
「帰国を促す理由は、やっぱり「あれ」か?」
「だろうね」
この陽フアンたちが訪れた村でも聞いた話ではあったが、巡回中、いくつかの領地で徴兵が行われているという話を聞いていた。徴兵の話が出始めたのは一神節前、水の神節(冬頃。十二月~二月)辺りからだった。
指示は風の降神節になる少し前から出ていたようだが、各村への通達などの時間差もあって、実際に人々の暮らしに影響が出始めたのは土の神節頃のようだった。
一部の地域のみで「帝国」からの徴兵規定の抜け穴を用いる形で行われる徴兵。
理由はもっともらしいが、そうして集められた兵たちが実際に巡回している様子をほとんど見ていない。だとしたら、目的は別にあると見たほうがいいだろう。
そんな話を『アストリア』側のギルドに伝えると、それらしい「別の目的」についてある程度の裏取りが出来た、という返答がこの手紙に記述されていた。
「今後のこと相談したいけど、少し長くなりそうだから、一旦着替えた後、食事に出ようか」
外向けには国と教会から派遣された調査員だ。特に、エレノアとフェリの乳白色の長衣は目立つ。
「今日、何食う?」
「そろそろ魚じゃないのにしようかな……」
「シン、お酒はいけませんからね」
「まるで私が酒好きみたいに言わないでくれるっ!?」
それは多分、二つ陽前に食べた食事で、味付け程度につけるはずだったお酒の分量が少し多かった時のことなんだろうな、とフアンは当時のことを思い出す。
食事に含まれたそのお酒でエレノアが酔ってしまったらしく、少しずつ饒舌になっていったかと思うと、陽気になってフェリを抱きしめたり、普段から他人との会話を人任せにしてるフアンに絡み始めたり、そういうのを許してるのはレツがフアンを甘やかしすぎてるからだ、と説教を始めたり。
フェリとしてはきっと大変だったんだな、と、フアンは思い出し笑いをしながら、部屋の扉を開けた。
通称「居酒屋通り」の名の通り、宿屋を出ると周辺は酒場や食堂が所狭しと並んでいる。光星が地平に横たわり、代わりに闇星が反対側の地平から顔を少し覗かせている、そんな時間帯だからか、仕事を早々と終えた人々が、店頭に並べられた椅子に座って、酒を呑み交わしている姿も見られた。
港側の酒場に向かえば、もう少し活気に溢れているが、この辺りは買い付けの商人が多いことから、商談を終えてそのまま、といった行商人達が多く、和やかに食事をしている人々が多い。
この町についてから十つ陽も経つと、ある程度、好みの店が見つかるもので、フアン達はこれで三度目の訪問となる食堂の扉を開いた。
食堂に入ると、一階は円形の机に丸椅子が並ぶ造りの食事場所が五つほど並んでいて、店の奥には食事を並べるための台があり、そこから更に奥、仕切りの先には厨房があり、店の料理人たちが作り終えた料理を台の上に並べ、店員はそこから料理を各机に運んでいた。
店の右手には階段がある。店の天井は吹き抜けになっているが、階段を登った先から店の奥半分程度も食事どころになっていて、こちらは「会食」など少し落ち着いた雰囲気で食事を楽しみたい客向けの場所となっているらしい。
この辺りの食堂はおおよそ似たような造りになっていて、あとは内装や提供する料理の種類などがそれぞれの店の特徴となっていた。
「お、アンちゃんとシンちゃんじゃねぇか」
フアン達が店に入ってすぐのところで、一階の円形の机で食事をしていた一人の男が声をかけてきた。
黒髪の短髪に黒い瞳、麻黒の肌色にがっしりとした体格をした男は「ガイ」と名乗っていた気がする、とフアンは思い出す。
彼もこの店の常連客なのか、この店を訪れる度に顔を合わせていた。
「どうよ、これから食事ってんなら、一緒に」
「ちょっと、あたしが一緒にいるのに、他の女の子誘うってどういうつもり?」
波打つ金色の長髪に薄手の服の胸元に煌めく石の首飾りを付けた女性がガイの耳を引っ張る。
片目を閉じ、痛そうな表情を浮かべながら、彼は女性の方を振り向くと、鼻先に人指し指を当て、その指をすっとエレノア達の方に伸ばした。
「よく見ろって。連れがいるから」
「そういうことじゃないでしょ」
「好きな女と食事をする楽しみと、綺麗な女の子に囲まれて食事する幸せを同時に味わいたいだけなんだけどねぇ」
「そこは好きな女だけにしておきなさいよっ。あと、人を指でささないっ」
横でエレノアが声をあげるが、そのエレノア自身が目の前の「ガイ」に対して指を突きつけていた。フェリはエレノアの差し出した手を両手で包むと、無言でそっと下ろす。
「あ……ごめんね」
二人のやり取りを親のようなまなざしで見守るガイを見て、フアンは、本当にただ誘ってるだけかもな、と思う。一緒にいる女性の気持ちは置いておいて。
「あなたもそう思うわよね。折角のデートなんだから、二人きりが当然よねっ」
「もちろんです!雰囲気も含めて食事なんですから。他の人がいたら台無しじゃないですか」
なぜか意気投合を始め、固く手を握りあうエレノアと女性を横目に、レツは店員を呼んで、自分たちの席を確保し始める。
三神節も一緒に居れば、この手のやりとりも慣れたものだった。
「隊長っ」
とりあえずエレノアを放っておいて食事の注文を始めようか、とレツとフアンが視線で会話を交わしていると、背後で、突然食堂の扉が開くと共に大声が響き渡った。
その声の主はフアンを押しのけるようにしてガイが座るテーブルに歩み寄る。
よろめいたフアンをレツが抱きとめると、突然現れた青年に声をかけようとして、その表情に言葉を引っ込める。
「ちょっと面倒ごとが起きてるんで来てくださいっ」
「えっ?いや、俺、食事中」
「食事と職務、どっちが大事なんですかっ!」
「……食事?」
「職務です。隊長の自覚あるんですか?あ、無かったですね。じゃあ、今から持ってください。ほら、行きますよ。あ、そちらのお嬢さん。そういうわけで、お楽しみのところ申し訳ありませんが、隊長、連れていきます。このお詫びは必ず隊長にさせますので」
「……え、なんかおかしくない?お詫びするのお前じゃない?」
「おかしくありません。私がお詫びするより隊長がお詫びする方が望ましいです。では、みなさん、お騒がせしましたっ」
「あ、ごめんね、うちの嫁、強引だ……」
声の主はガイの脇に腕を入れると、慣れた様子で席を立ち上がらせる。
青年は軽く女性に頭を下げると、机に数枚の硬貨を置いて、そのまま周りにも頭を下げながら、ガイを引きずるようにして立ち去った。
最後に何かガイが言いかけていたが、扉が閉まりその言葉もかき消される。
「……何、今の?」
エレノアが呆然とした様子で店の入口に視線をやる。
それは周りの食事客も同じだったのか、店の中はしばらく、音が無くなったかのようにしん、となった。
まるで一陣の風が吹き抜けていったかのような、そんな出来事だった。
――簡易な胸当てをして腰に剣を刷いていた。
フアンはガイを連れ去った青年の格好を思い返す。
見た感じはそこまで体格の良い感じには見えなかったが、それががっしりとした体格のガイをあっという間に連れ去っていた。
重心移動に長けているのか、外から分からないだけで鍛えられてるのか。
――もしも体の動かし方が上手いのなら、アルさんあたりが喜んで組み手に誘いそうな感じだったな。
『メルギニア』に訪れる時に世話になった傭兵団「赤い牙」の魔術師にして格闘家の男のことを思い出し、笑みがこぼれる。
今頃、どの辺りで仕事をしているだろうか。
これほど長期間『アストリア』を離れたのは初めてだったからか、ほんの少し故郷のことを懐かしく感じていた。
「嫁?」
その横で、フェリはガイが去り際に述べた部分に引っかかり、首を傾げていた。




