第一話 斥候二人
【虚空の底の子どもたち】
第一章 『始まりの火』
白いローブをまとい、頭からフードを被った少年は、土を均して舗装された街道にしゃがみ込むと、轍や蹄の跡に指で触れた。
少年の名はフアン。大陸西部の大国『アストリア』に住む傭兵ギルドの事務員だ。
白く細い指先は、中流階級の少女のそれを思わせるが、よく見ると筆記具で付いた跡と思われるタコが1つついているのが分かる。
街道脇ではフアンの膝丈ぐらいまで伸びた草が風に揺られ、時折彼にもたれるように身体を預ける。
草と草の隙間には、街道を彩るようにして、小さな白い花々が踊るようにして咲いていた。
風に煽られてフードが外れそうになるのを、フアンは慌てて手で押さえた。フードからくすみと煌めきを合わせ持った白銀の髪が零れ、煩わしそうにフードにしまう。
今度は飛ばないようにと、片手でフードの裾を引っ張りながら、フアンは再度轍に視線を落とした。
フアンが進む街道は『アストリア』王国の首都から、西の隣国『メルギニア』帝国の帝都までを繋ぐ、古くからある街道だった。
経済活動の大動脈とも言える街道のため、馬車の轍や馬の蹄跡が残ることは当然ではあったが、フアンはそこに気になるものを感じ、じっとそれらを見つめていた。
「今度は何が気になるんだ?」
しゃがんでいた少年を上から覗き込むように、もう一人、同じ白いローブを着た少年が声をかけた。ローブからわずかにのぞく黒みを帯びた金色の髪と藍色の瞳が、不思議と彼の人柄そのものを表しているように見える。
フアンを覗き込む少年の名はレツといった。彼もまた、フアンと同じギルドの事務員である。
「あんま立ち止まってると、商隊に追いつかれて、先見役の意味なくなるぞ。うちの『アストリア』から、目的地の『メルギニア』までまだまだあるんだから」
二人に与えられた役割は、『アストリア』と隣国『メルギニア』で取引を行うための物資を輸送する商隊の先導だった。
国家間の取引にも関わらず、国の騎士団が護衛しない理由は、現在の国の情勢にある。
北の隣国『キシリア』の動きがきな臭く、国境付近では度々揉め事が起きている状態であり、国内でも、辺境の村で村人の不審な死を遂げる、といった事案が複数件報告されており、騎士団は治安維持の為に国内に留めておく必要がある、と判断されたからだ。
そのため、今回の取引には騎士団から派遣されたのは、騎士数名のみで、残りは国内に拠点を持つ傭兵団が商隊を護衛することとなった。
先導役に傭兵ギルドの事務員が派遣されているのも、こうした事情からだ。
そんな二人の仕事は、この先続く隣国まで商隊を恙無く送り届けることにある。そのため、途中の街道が天候や事故などで悪路となっていないかを、商隊に先立ち確認しに来ていたのだった。
だが、フアンが見ているものは道の状態ではなかった。
「何が気になるって言われても?色々?」
「なんで答えてるお前が疑問形なんだよ。ってか、お前がいつだって色々考え込む質だってのは知ってるっての」
レツが手を腰に当てると、ため息を吐き出す。
「そんで?」
フアンは立ち上がると、ローブの埃を払い、何か思案顔で指を一本ずつ立てていく。そして、それは四本目で終わりを告げた。
「とりあえず四つ。
一つ。ここ数日、僕たち以外でこの街道を使った大規模な商隊らしき集団がいるけど、それはどこに向かったのか
二つ。国内の反王国派の派閥は、この取引をどう見てるのか
三つ。近頃、『ウツロ』が国内で見つかったって噂のせいで、国内の警備が強化されてる分、国境付近の治安が悪化してきてるけど、何事もなく国境を越えられるのか
四つ。どうして僕たちはこんな重大な任務に就いてるのか」
フアンの最後の言葉を聞いて、レツは笑みを零した。
「笑い事じゃないんだけど……」
「ギルド長命令だから仕方ないだろ」
「だから、どうして僕たちなんだよ!僕ら下っ端だよ」
下っ端で大した情報も渡されてないのに、それだけ頭が回るからギルド長に目をつけられんだろ、とレツは思ったが、それを口にすることはなかった。
言ったところで、フアンの気持ちは救われないからだ。
「それで、街道を見て、気になることは少しでもわかったのか?」
レツの問いかけにフアンは首を振った。
「とりあえず一つ目の気になる点だけね。
街道は、轍による溝が深くなりすぎると馬車や荷台の底が擦れてしまうから、国は軍隊の工作作業の習熟訓練兼ねて、定期的に街道を整備してるよね。
近頃だと、この辺りの降水量が増える火の昇神節(一月、二月のような月を表す言葉で夏の始め頃)の前に均したばかりだからおよそ七つ陽前。
それからまだ雨は降っていないのに、浅いけれどしっかりとした轍と多くの蹄跡が出来てる。で、さっきも言ったけど、轍が残るぐらいに多くの馬車が通ったのか、と思った。
それとも、これだけの跡を残す重量を搭載した馬車が通ったか、ってところかな」
「つまり?」
「まだそれだけ」
レツの質問にフアンはため息を吐いた。
そのまま視線を溝の方に戻すと、その場にしゃがみ込み、溝に手を沿わせる。指関節で轍の深さをおおよそ測り、手にしていた紙片に記録していく。
「商隊なのか部隊なのか分からない集団の動きは、ギルドに聞いてみるまではまだなんとも言えない」
「ふーん。で、まだあるのか?」
レツの言葉にフアンは首を竦めた。
「五つ目になっちゃうんだけど。『メルギニア』はこの取引、歓迎してるんだよね?」
「そりゃそうだろ」
「そうだよね……」
「お前の考えすぎって、時折悪い方も当たってるからなぁ。何が気になるんだ?」
歯に物が詰まったような物言いに、多分突拍子もないことを考えてるんだろうな、とレツは思う。
「この取引を失敗させておくことで、後で侵攻する際の大義名分というか難癖つけるのに使おうとか思ってないよね……とか」
「それはいくらなんでも……」
レツの顔が少し引き攣る。
フアンも、自分の悪い癖が出ている、そう思う。だが、それで考えることを止められるかといえば別だった。
「ここ二、三神期(季節が巡る一周期。一神期は一年のこと。)、神の恩寵が減っているのか、作物は不作だって聞くよね。特に北側。
『リリスの内海』に面してるうちと東の『エルシュ』、南の『ルース』は、まだ海産物のお蔭で国内の食糧不足は深刻ではないし、『スウォード海』に面してる西の『メルギニア』も平気だけど、北の『キシリア』は内陸国だから、最近食糧事情が厳しいって聞く。
前回の神期あたりから北側の治安が悪化してるのは、そうした食料難民が北で山賊に身をやつして暴れてるからだ、なんて言ってるけど、それを装った『キシリア』軍なんじゃないかな、って思ってる」
「そんなのバレたら即戦争だろ。……でも、それと西の『メルギニア』になんの関係があるんだ?」
「北の『キシリア』と『アストリア』が戦争状態に入ると、今は同盟を結んでる東の『エルシュ』、南の『ルース』もいつ掌を返すか分からない。
この二国と『アストリア』の間を阻むのは国境にある二本の大河と『リリスの内海』しかない。
それに対して『メルギニア』は、世界を突く屋根と呼ばれる『ゲラルーシ山脈』を挟んでる。
初動が遅れて、『エルシュ』、『ルース』、『キシリア』の三国のいずれか、またはその全部で『アストリア』を落とされたら、『メルギニア』としては強大な敵国を周りに作るだけじゃなく、大陸中央への出口を塞がれてしまう、と『メルギニア』が考えてたとしたら……」
「……『メルギニア』がうちを支援するって方向はないのか?」
「うちとしてはそうあってほしいからこその今回の取引なんでしょ。『メルギニア』と北の『キシリア』との間は河一本。
『キシリア』がうちに喧嘩を仕掛けたときには、『メルギニア』とうちの二正面から『キシリア』を攻められるように、より仲を深めておきましょうって狙いだと思ってた。
うちは今、東の『エルシュ』と南の『ルース』とは同盟関係にあって、表向き、後背を心配する必要がないから」
「なら、安心だろ」
「だから不安なんじゃん」
レツの言葉に否定的な言葉を投げかけながらもフアンは笑った。
直ぐに物事を悪い方に考えるフアンとしては、前向きな捉え方をして、いつも笑顔を見せるレツの言葉には救われているのだ。
彼がいるから自分は不安に押し潰されずに済んでいる、改めて、そう思った。
神の恩寵が薄れ、この世界の裏側に存在する世界『異界』から『ウツロ』が這い出してきている、そんな噂話が前神期頃から囁かれ始めていた。
世界に存在する命をすべて喰らうとされる『ウツロ』。それが現れた時、世界が崩壊するほどの大災害に見舞われると、古い伝承で伝えられているが、それはもはやはるか昔、歴史書にすら載っていない、神話の時代の話だ。
世間一般的には、それはただの伝承で、大規模な自然災害が形を変えて伝えられているだけだと言うものも多い。
実際、『ウツロ』が現れて、世界が崩壊する、と騒いでいるのは教会だけだ。
フアンの脳裏を何かが過るが、それは霞がかった膜に包まれたようにはっきりとしない。
周りで不穏な出来事が続いていることから感じる閉塞感が、終末思想を煽るのか、と
フアンの思考は再び黒い沼の奥深くに沈み始めそうになる。
「さっきも言ったけど、立ち止まってると追いつかれるぜ」
そんな思考の沼からフアンを片手で軽々と引き上げたのはレツだった。
レツがぽんとフアンの肩を叩くと、唇に指先をあて、考え込んでいたフアンは、ハッとして顔を見上げる。
「気になったことはギルドに連絡するんだろ。考え込んでも分からないことは、置いておくのも必要だぜ」
「レツはそれで大体何考えてたか忘れるけどね」
「それは言うなって……」
レツは言いながら、何かに気付き言葉を止めると、フアンの肩を指すように、自分の顎を軽く上げる。
「……お前、昔から動物に好かれるよな」
気付けば、フアンの肩に、手のひら程度の大きさの鳥が止まっていた。淡い水色の身体の鳥は、フアンを見ると、不思議そうに首を傾げて、ぴる、と鳴く。
フアンは足首についた黒い筒を開けて、中の紙片を取り出す。
「僕が何もできない臆病者だって分かるんじゃない?」
言いながら、フアンは小鳥の首筋に指先を当てて撫でた。小鳥は目を瞑り、チチッと囀る。
「それを『優しい』っていうんだぜ。知らないのか?」
レツが笑みを浮かべ、フアンもそれにつられるようにして笑った。
「さっきの気になる点ってやつだけど、どこまで報告するつもりだ?」
フアンが首を横に振る。
「五つ目だけはどうしようかなって悩んでる」
今回は依頼主が国であることもあり、国内の調査に関して言えばギルドも動きやすいだろう、とフアンは思う。
だが、国外のことともなればそうもいかない。
先程書き記していた紙片をくるくると丸めると足首の黒い筒に収めて筒のフタを閉めた。
そうして、肩に止まっていた小鳥に小さく丸い塊を差し出す。
小鳥はそれをくちばしでつまむと、嬉しそうにそれを一呑みした後、そのまま空へと飛び立った。
「まだ何か気になるのか?」
レツは声を掛けながら、進行方向を指差した。
「とにかく先に進もう」、という無言の合図に、フアンは頷くと、二人は指さした方向に小走りするような速度で進み始めると、そのまま会話を続ける。
「さっきの、五つ目のこと。さすがに西の『メルギニア』が何考えてるか、なんてわからないだろうなって」
「傭兵ギルド経由なら情報、入らないのか?」
「あそこって、国防大臣が傭兵嫌いって聞いたよ。制御の効かない武装勢力なんてリスクにしかならん、とかなんとか」
「……なんでそんな情報知ってんだよ」
「事務局長がこの間、事務室でぼやいてた。『うちはお前んとこほど荒れてねえんだよっ!』って」
「……あぁ、なんか局長が荒れてた日があったとかは聞いたわ。「荒れてねえ」って荒れながら言っても説得力皆無だよな」
レツの言葉に、フアンは「それそれ」と、事態を苦々しく思いながらも笑みを浮かべる。
「とりあえず、どこかの傭兵団経由で、騎士団の人に話し通してもらえるかな?もしかしたらそこで何か情報もらえるかもしれないし」
「どこかの傭兵団なぁ。赤か、緑か、あたりか?緑よりは赤のほうが「大人」な人は多そうだった気がする」
「レツの人を見る目は信じてる」
「じゃあ、俺が信じてるお前のこと、もう少し信じろよ」
「それは……ムリかな」
思わぬことを言われた、とフアンは笑う。
「どこまで話すのか、ちゃんと教えてくれよ。これ、口滑らせたらヤバいやつだろ」
レツの神妙な顔つきに、フアンが吹き出すように笑った。
「頼りにしてる……けど」
「レツに神妙な顔、似合わないよ」、続けたフアンの言葉に、レツも同じように吹き出した。




