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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第二十三話 先触れ

 皇妹が扉の向こうに去ると、外に立っていたカファティウスの付き人が扉の向こう側で一礼し、そのまま無言で扉を閉めた。


 カファティウスは、先ほどまで皇妹が座っていた座席を見つめ、そこに座ることに僅かなためらいを覚える。皇族が座っていたその席にそのまま腰を掛けるのはどうかと、そう考えたのだ。そうして彼は僅かに悩んだ後、執務卓の前に立つことを選んだ。

 百合の花の残り香が、どこか皇妹の存在をカファティウスに意識づけさせるが、それを頭の片隅に追いやりながら、改めて部屋に残ったサビヌスと向かい合う。


「残った、ということは皇妹の遣いというわけではなかったのだな」


「いいように利用されただけでございます」


 その利用とはどこまでを指すのか。

 それを問うたところでその答えを信じることはあるまいとカファティウスは一人自問自答する。

 サビヌスはカファティウスの依頼を受けその仕事を手伝っているが、彼はカファティウスの部下ではない。そもそも彼の依頼を無条件に引き受ける立場でもない。サビヌスはカファティウスにとって単なる好意的な協力者に過ぎなかった。

 都合の良い好意的な協力者など存在しない、とカファティウスは考えている。

 そのような者が今の立場まで上がってくることはない。それよりも前に使い潰されるか、利用し利用される世界に耐えきれず去るか。いずれにしてもカファティウスとこうして対等に話ができる立場になることはないだろう。

 もしそんな者がいるとしたら、最初からその立場であることを許されたものぐらいだろう。

 そう、現皇帝シリウスのような。


――いや、あの方もまた、そう見えるだけなのかもしれぬ。


 選帝侯会議での皇帝の視線を思い出しカファティウスは胸の内で呟く。


「では、用を聞こうか」


「各地の調査を任せていたガイウスですが、全領地の調査を終え改めて報告を行いたい、と申し出ております」


 ガイウスの名を聞き、黒髪の短髪に黒い瞳、麻黒の肌色をした底抜けに明るい男の顔を思い出す。国境砦の働きを聞いている限り、寡黙でよく人のことを「視る」男なのかと思っていたが、顔を合わせた時の印象の違いに驚き、その風貌も人柄もよく覚えている。


 見た目に惑わされてはいかぬな、とその時改めて自らを戒めたものだ。


「直接話すべき内容を含む、ということか」


「『ウツロ』の調査を命じはしましたが、おそらくそれ以外のことも合わせて調べているでしょう。報告書もどう調べたのか、各領地が得た税収、推測される税率、総兵数、兵配置、各地の練度、目立った動きをした人物等が、他者に漏れても問題のない範囲で記録されておりました。

 文書では報告が行えない、しかし緊急性の低い事例なども抱えていることでしょう」


 カファティウスは防衛大臣という肩書を持つが、自分の扱える兵は実質存在しない。国の兵はあくまでも皇帝の所有物だ。仮に彼が動かせるとするなら自領の兵だが、そちらも安易に動かすことはできない。自領にいる常備兵は自領の警護を行うためのみを目的に配備が認められており、仮に自領を越えて動かすことが出来るとするなら戦時のみだ。それとて然るべき許可を要する。


 ガイウスらもその点では本来勝手に動かすことの出来ない兵である。

 しかし国境砦からの任務を終え、任期を終えて自領に戻るよりも前にサビヌスがこれを秘密裏に個人的に雇ったのだ。しかも私兵ではなく一傭兵として。


 ただの傭兵に帝都防衛長官が帝都近辺の治安維持を目的とした周辺領地の調査を依頼したのだ。

 依頼内容もただ各地で怪しげな事件が起きていないかを調べるというだけである。その報告内容になぜかそれ以外の情報がついてきているのは、彼が命じて調べさせているわけではない。

 なぜ帝都防衛長官が一傭兵に対してそのような依頼をするのか、という疑問を除けば、国の法律上はなんら問題はない。秘密裏にというのも、ガイウスに傭兵に就くよう依頼することと、その後サビヌスが彼を雇うため配慮するようギルドに伝えておいた程度だ。

 仮にそれが発覚したところで痛手ではない。

 だが、だからこそ各領地の情報を報告書に書かせるわけにはいかなかった。書けないと思っていたからこそ、サビヌスも依頼をしていなかった。しかしガイウスはこれを日記のように記述した手紙として、報告書とは別に送り付けてきたのだ。

 その地その地で起きた出来事や人々との会話の中に各領地で仕入れた情報を混ぜ込ませて報告する。

 初めてその手紙を見せられたサビヌスは、ただの旅行記と言っても良い内容の手紙に「自分は一体何を見せられているのか」と眉をひそめたが、読み進めるほどにその内容の重要さに気づいた。

 以降、彼はこの手紙を隠すように別室で開くようになった。そんな事情を知らぬサビヌスの付き人は、サビヌスにもようやく恋文をやり取りするような相手が現れたと勘違いしているのだが、サビヌスは当然そんなことを知る由もなかった。


「肝心の『ウツロ』の目撃情報についてはどうなっている」


「やはりあれ以降姿は見られない、とのことです」


 カファティウスは唇に手の平を重ねるように添わせると、その言葉の意味を考え込む。


 皇妹が語った神子の話が真実であるとするのなら『ウツロ』は今もどこかで活動を続けているはずだった。

 この状況を置いておいていいとは思えない。見つけることの出来ない、どこから現れるか分からない相手というのは実に厄介であった。

 置いてはおけないが、現状打つ手はない。ならばまずは目に見える相手を片づけるべきか。


「ところで、皇妹の話はどう思う?」


「……どうとは?」


「来ると思うか」


「分かりませぬ。出来ることがあるとするならば、想定される街道に兵の巡回をさせることしか」


「そなたが出来るとしたらそこまでか。しかし、それでは手遅れとなる。ロイス領以西はブラべ侯ザーリア殿に頼むしかないか。直轄領の北側はこの時期に兵を起こしたいと考える者はいないと考えているが、南側だな」


「南ですか?南と言えば、クレーべ侯とケヴィイナ侯。クレーべ侯は古来よりの忠臣として知れた方ですし、ケヴィイナ侯はそのクレーべ侯とは血縁。『キシリア』内で前皇帝が身罷られた折にもこのお二方は、皇帝の即位を異論なく認められた方」


「ケヴィイナ侯が皇弟派となる利点など知らんよ。私が推測出来る程度の事でケヴィイナ侯が旗を変えるなら、既に手は打てている。私が考えるのは、その手を打たれたら対処が難しい事態とは何か、だ」


 現在分かっている皇弟派は全てロイス領以西の旧『ポートガス』の国に端を発する国の領主だった。

 皇弟派の盟主は皇弟の祖父マグノリア侯ルクセンティア。『ポートガス』の旧王族がそのまま選帝侯となった家系だ。

 かつての敵国の王族をそのまま取り込むなど異常だ、という国もあるようだが、敵国であろうとそのまま取り込む。制圧し、支配するのではなく、取り込み、合併する。それが『メルギニア』だった。

 彼らの目的は女神を守る力の再興であり、他国の侵略ではないのだ。同じように女神を信仰するというのなら、それは敵ではなく、手を取り合う仲間だった。

 ただ、分かり合うために一度は争いが必要になることがある、それだけのことだ。

 その旧『ポートガス』領地であるロイス領と、『ポートガス』併合前の『メルギニア』の西端であったブラべ領の間にはエクマ山地が横たわり、隠れて大軍を動かすことは不可能に近い。

 だから皇弟派の動きを見張るなら、ブラべ領を見ていればいいはずだった。挙兵されたところで、その動きが読めれば、対策は採れる。


 北と東が裏切ることによる挙兵は考えない。北に領地を持つオレアニア侯、バトロイト侯、東のクレーべ侯が裏切れば『メルギニア』は国として終わりだ。

 北は『キシリア』、東は『ルース』に対して無防備になる。

 内乱を防いだ所で、その後がない。弱ったところを彼らにつかれて終わりだった。

 それぐらいの想定はオレアニア侯やバトロイト侯、クレーべ侯ならば想像がつくはずだ、とカファティウスは思っている。


 一方、南は『スウォード内海』が国を隔てている。

 こちらの内乱に気付くまでも、隣国が大軍を動かすにも、時間がかかる。

 短期決戦の段取りがつくなら、裏切ってから国内を平定するまでの時間が稼げてしまう。

 特にケヴィイナ領。ここは『スウォード内海』沿岸がロイス領と地続きだ。

 容易に兵を運べる可能性があった。

 ケヴィイナ侯が裏切るか、ではない。その手を打たれたら負けるかどうか。カファティウスが考えるのはそれだった。


「そちらは一度クレーべ侯と話すか。ケヴィイナ侯と会話するにしても、クレーべ侯を通した方が通りはよかろう。それ以上の「最悪」は考えても仕方ないな」


 独り言のように呟くカファティウスをサビヌスは無言で見つめていた。

 どこまで考えているのか、と底知れぬものを思いながら、なぜ自分はここにいるのかとも思う。

 カファティウスに従っているつもりはなかった。時折彼の部下のように使われることもあったが、あくまで役職上は対等だ。


 なぜ自分がここに居るかと振り返れば成り行きに過ぎないと言わざるを得なかった。


 『ウツロ』の件は国防に関わるものであるためカファティウスに声を掛けた。

 『ウツロ』の調査に国境砦の兵を利用することを考えたことから、そのままカファティウスと付き合いが続いている。

 彼の信念に心酔して従っている、といった格好をつけた理由はない。


 だがおそらく自分はこのまま彼と行動を共にするだろうという予感あった。

 仮にも帝都防衛を任された身だ。

 この国を思う気持ちもあれば、この職を任じた皇帝への恩もある。

 それらの思いに応えるとするなら、きっとこのままカファティウスと共にあるのだろう、そう思った。


「……ガイウスはどこにいる?」


「今はケヴィイナ領です」


 サビヌスの答えにカファティウスは苦笑いを浮かべる。


「間が良いのか、悪いのか」


 先を読んで行動しているとは思えないが、なぜかこちらの望む場所、望むことを行っている。こういうことは信じない質だが、女神の導きというやつかもしれない、とカファティウスは思う。


「帝都に戻してくれ。話を聞こう。その際、帝都に向かいながらで構わぬ。ケヴィイナ領の最新の様子も把握してこい、と言ってくれ」


「承知しました」


「私はこの後、クレーべ侯に面会を申し出るが、貴殿はどうする?」


「……と言いますと?」


「選帝侯と顔を繋ぐ機会など、そうはなかろう。同席するなら構わんぞ」


「しかし、私などが」


「今の貴殿なら『ウツロ』の件で、と言えば、対外的には筋も通るだろう。事実だしな」


「……では、ご一緒させていただきます」


 サビヌスは深く一礼すると、そのまま更に言葉を続ける。


「もしも侯のご都合さえ宜しければ、チェイン侯、バトロイト侯ともお繋ぎ頂きたく」


「『ウツロ』か?」


「ご推察の通りで」


 選帝侯会議にて『ウツロ』の件を公にした以上、調査を秘密裏に進める必要もなくなった。行方知れずとなった神子の件についても、出来るならばカファティウス自身の手中に収めておきたいところだが、皇弟派に抑えられるぐらいなら、五大選帝侯で抑える方がまだ良いと言える。

 サビヌスを顔つなぎしておくのはいい手のように思えた。


「いいだろう。未だ自領に戻らず帝都に残っているなら、願い出てみよう」


「ありがとうございます」


「まったく、いつまでも落ち着かないことだ」


 お陰で退屈しなくていい、カファティウスは執務室で待つ付き人に声を掛けると、扉を開けさせ、サビヌスを連れて部屋を出た。


 △▼△▼△


 光星が西の彼方に見えるゲラルーシ山脈に姿を隠そうとしている頃、帝都メラノを8名の騎馬兵と4頭立ての馬車が出立した。

 一行は光星を背に自らの細長く伸びる影を先導として、ひたすら西へとひた走っていた。

 その一行を追いかけるように、帝都を囲むように広がる緑色が波を描いていく。


 一行はマグノリア侯ルクセンティアとその従者であった。

 選帝侯会議を終えた後、帝都で身体を休めることなく一路領地を目指していた。従者のみを先行させるでなく彼自身が帰路を急ぐ。そうするには当然理由があった。


「獣の巡回に新たな兵は要らぬ、と言うか」


 揺れる車内に不快さを感じながらも、急がせているのは己である。そのことに不満をこぼすつもりはなかった。こぼしたのは別のこと。


 選帝侯会議での発言を聞く限り、カファティウスはルクセンティアらの動きを分かっているように感じられた。


「未だこうして自由に動けるところを見ると、決定的な証拠を掴んでいるわけではないが、それも時間の問題だろう。

 あの方さえ居てくだされば躊躇うことなどないものを」


 突然現れ突然姿を消した神子と名乗る青年。

 目の前で見せられた奇跡は確かに神の力と呼べるものであり、青年が「騙り」であるとは考えていない。

 しかしその力を目にしたのはごく一部のものだけだ。

 民衆は神子が現れた事実を知りはしない。

 (きた)るべき時、皇弟と共に神子の力を披露し、自分たちこそが正しくこの国を導くものである、とそう示すつもりが裏目に出ていた。

 せめて、先に民衆に神子の力を見せていれば、ルクセンティアの下に神子がいることを騙る程度は大したことではないものを。

 だが、大々的に喧伝すれば、国に知られる。結果としての後悔はあれども、自分の選択が誤っていた、などとルクセンティアは思わなかった。


「五大選帝侯が国政を握る時代を変えるとするなら、血縁に皇位継承者を抱える今しかない。

 ここでヴィスタ領が力を付け、我らの上に立つようなことがあれば、次にこのような機会が巡るのはいつになるか」


 少なくとも、自分の生きている間にその機会が巡ることはないだろう。

 時が経つほどに旧『ポートガス』の繋がりも薄くなる。五大選帝侯に取込まれる者も出てくる可能性もある。

 かつては国政を意のままにした血族として、他者に従う今の立場は到底容認できるものではなかった。


「誰もが認める大義さえあれば良い。戦になれば負けはしない」


 現皇帝は父親に似ず覇気がない。兵たちも現皇帝に心酔しているとは言い難い。厄介なのはアンスイーゼン侯カファティウスだが、彼一人ならどうとでも出来る自信はあった。


 皇帝に対する反感を領民に植え付けていく策は順調に進んでいる。

 選帝侯会議で現状を慮った政策を打つことを決めたようだが、こちらからすれば最早手遅れだ。そもそも領民がそれを知らなければ……。


――知らなければ作れば良い。神子も、大義も。


「誰か、ロイス侯とメラヴィア侯に先触れを送れ。このルクセンティアがロイス侯の居城イーティーにて待つ、とな」


 ルクセンティアの声に、御者は振り返り頷いたのを見ると、ルクセンティアは座席に深く座り、目を閉じた。

 ロイス領まではまだ長い。それまでに考えておくべきことはまだまだあった

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― 新着の感想 ―
[一言]  色々な方の心の内がちらほらと。  ガイウスさんも優秀なのですね。目立つことを除けば諜報に向いていそうです。  このお父様が後悔する事態……。恐ろしい…。
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