第二十一話 皇妹
2023年1回目の更新です。
本年もよろしくお願いいたします。
選帝侯会議を終えたカファティウスは、行政府に戻ると、自身の部屋の前に立つサビヌスの姿を認める。
最初の黒い靄の報告をこの男から受けて以来、たびたび会話をするようになったが、未だどこか底の見えぬ深さがあり、そこに面白味を感じ、対等な話し相手として食事に誘うこともあった。
「帝都防衛長官ともあろうお方を立ったまま待たせるとは、近習のものは何をしているのか」
「人払いをさせましたゆえ」
カファティウスが笑顔を浮かべて告げた言葉に、表情を変えることのないままサビヌスが返す。
――冗談だよ
もちろん、サビヌスもその程度のことは分かっているだろうが、とそう思いながら、カファティウスは彼を部屋の中に招き入れようと扉を開けたところで、手が止まった。
「皇妹……」
「久しぶりね、クスト」
そこは確かにカファティウスの執務室であったはずだが、彼が座るはずの椅子に腰掛けていたのは、皇妹(皇帝の妹)メテオラ・クラウディウスだった。
兄である皇帝シリウスとは腹違いの妹となるが、流れる金の髪も、透き通るような青い瞳も、皇帝とは瓜二つであり、その美しい容姿も含めて彼らが確かに兄弟であることを思わせる。
その彼女が、カファティウスを、彼の名を愛称で呼ぶ。
クストディオ・カファティウス、それが『メルギニア』防衛大臣であり、アンスイーゼン領主でもある彼の名だった。
「……お止めください」
皇妹である彼女の母は、カファティウスにとっての姉であった。カファティウスの姉であり、皇帝の第三妃。皇妹の母親。その姉の存在が今の彼の立場に関係していないか、と言えば、まったく関係ないとは言えないだろう。
そのような関係性であるから、皇妹が幼いころには交流する機会も多く、彼女はなぜかカファティウスを慕っていた。誰とでも親しくなれる、朗らかな性格からはほど遠いカファティウスのどこが良いのかについては、未だに謎だ。
皇妹が幼き頃、カファティウスの名を何度も呼ぶのだが、「クストディオ」という音は長く呼びづらいことから、「クスト」と呼ぶようになった。彼をその名で呼ぶのは、彼女だけだ。だからなのか、それとも別の理由なのか、その名を久しぶりに呼ばれたカファティウスは、照れとも言えない不思議な気持ちになりながら、執務室に足を踏み入れた。
「なぜ、こちらに」
「説明しなければならない?」
「私は皇妹ほど優れた知能は持ちませぬので」
「つまらないのね」
彼女はそう言いながらも、笑顔を浮かべて立ち上がる。この会話すらも想定の内なのか、それともそうではないからなのか、いずれにしても、カファティウスの反応そのものを楽しんでいるように見えた。
「申し訳ありません」
実際、カファティウスが告げた「優れた知能」という言葉はお世辞でもなんでもない、と彼は思っている。彼女は優秀だった。彼女が女性であることが残念だと心の底から思えるほどに。
『メルギニア』においては皇位継承権は男児にしか与えられない。それは帝国建国時に定められた法であった。その法を破ることが出来たなら、などと馬鹿なことを考えたこともある。
だが、それを思いとどまらせたのは現皇帝だった。彼が何かをしたわけではない。むしろ、彼はこれまでに特筆すべき実績を何一つ挙げていない。それでも、皇帝は皇妹とはまた違った意味で特別な人物である、とカファティウスは考える。
彼の能力は至って凡人だ。だが、彼の差配は凡人には無し得ないものがある。彼は人の心が読めるのではないか、そう思いたくなるほど、全てにおいて適材適所の配置を行い、また、各所の不満を掬い上げてきている。
その実績の積み重ねが、カファティウスに、皇妹の頭に冠を乗せることを思いとどまらせていた。
「サビヌス」
彼女が扉の外にいるサビヌスに声を掛け、そこでカファティウスもその場にもう一人いたことを思い出した。
彼女が執務室にいたあまりの衝撃に、サビヌスの存在を忘れてしまっていたのだ。
そうだ、サビヌスは待っていた。この執務室の前で。
彼ほどのものが、役職としては同格である自分の執務室の前で「待たされている」というのは外聞が良くない。カファティウスもそう考えたからこそ、「冗談」混じりに、問うたのだ。
「帝都防衛長官ともあろうお方を立ったまま待たせるとは」、と。
その理由は中で聞けばいい、そう思っていたのだ。そして、彼女がいた。
サビヌスが外で待っていた理由は、つまりそういうことなのだ。
ならば、彼女がここにいる理由も……。
サビヌスが皇妹メテオラの座る執務卓の横に立つ。その彼の後を追うようにカファティウスは執務卓の前、メテオラの正面に立った後、跪く。
「選帝侯会議で各領地、兵の巡回強化を申し出た、とか」
カファティウスの上から降るように声が聞こえる。
抑揚なく、静かに、囁かれるように告げられるそれは、神からの宣託を思わせる。
カファティウスは言葉には出さず、ただ、より深く頭を垂れた。
「珍しく失策だったかもしれないわね」
カファティウスは思わず顔を上げそうになるのを押しとどめる。
「彼らに理由を与えてしまった。気を付けることね」
「全ての領地からの情報が得られたわけではありませんが、各領地で、昨今の治安悪化を理由に臨時徴兵が行われている、という情報が流れてきております。もちろん、目的は異なるでしょうが、これを国からの施策によるものと喧伝出来る要素を与えてしまったようです」
皇妹の言葉を補足するようにサビヌスが報告をする。おそらく、彼はこのことを伝えにこの場に急ぎ駆けつけたのだろう。
「いえ、ありがとうございます。私は誤っていなかった、と確信を得られましたので」
カファティウスは顔を上げる。見上げた先にある彼女の表情からは、驚きを感じている様子が微塵も感じられない。演技なのか、これすら彼女の予測の範囲内なのか。
――いや、むしろ、そうでなくては、と面白がっているのだろうな
カファティウスは自然と口の端が吊り上がる。
「収穫高の減少が予測される現状、臣民への負担をこれ以上増やすことは認められないため、常設部隊の兵力を維持したまま、巡回を強化せよ、と提案いたしました。
また、陛下は次神期の税収を適正化するため、各領地に調査員を派遣することと、これに各領地は協力することを求められております。
選帝侯会議において、税収に対する国の無策をあげつらった後のお言葉でしたので、返す言葉を持たず。現在、臨時で徴兵されたという兵は早々に解散されるでしょう」
「知ってたんじゃない」
「いえ、私ならば嫌がるだろうことをしたまでです」
「陛下のお言葉はあなたの発案?」
「いいえ。考えにはありましたが、私は何も。お陰で手間が省けました」
だからこそ、あの方もまた面白いのだ、とカファティウスは思う。皇帝陛下が見ている景色がどのようなものであるのかについては、一度話してみたい、と心から思っている。
その景色が見たいとは思わない。おそらく、見ても理解は出来ぬものだろう。だが、知りたい、という欲求はあった。それは、理解したいという欲とはまた別の、カファティウスの本能とも呼ぶべきものであったかもしれない。
「それで……」
カファティウスはその欲を心の内にしまい込むと、立ち上がり、執務卓に手を添えた。
「なぜこちらに?」
前菜はなかなかの味だったと思うが、彼女の表情を見る限り、主食の開示はこれからだという確信が、彼の中にあった。




