第二十話 選帝侯会議
【虚空の底の子どもたち】
第三章 『激動の大地』
『メルギニア』帝都メラノ。『メルギニア』皇帝の居城メラノがある帝国第一の都市である。
皇城メラノは都を見下ろすかの如き高台に立ち、臣民はすべからく皇帝を見上げるようになっている。
皇城は皇帝の住まう館を中心に方形を描くように回廊が二重に張り巡らされ、各回廊は角と辺を守るように施設が建築されている。
その二重の回廊の外周部、皇城の正門を後ろ手に進んだその場所に、帝国議会の議場がある。
『メルギニア』の国防大臣カファティウスは、これから行われる選帝侯会議、帝国全土の統治において決定すべき法、税の取り決め、領地を超えた問題への対処、各領地間の利害の調整を行うための会議に出席するため、内閣府から議場に向かっていた。
その途上で、一人の壮年の男の姿が目に入る。白銀の髪。中肉中背のすらりとした体格に黒の長上着を羽織る。上下黒で統一された服には、重ねて着ることにより一つの図柄として完成するような草花の刺繍があしらわれている。
『メルギニア』にある十一の地方領地の領主、選帝侯の一人、マグノリア侯ルクセンティアだった。
選帝侯はこの国においては、皇族に次ぐ権威を持つ。
挨拶もせず通りすぎることのできる相手ではなかった。
「これは、マグノリア侯。貴殿の領地から直接こちらに?」
「おぉ、アンスイーゼン侯か。貴殿は領地に帰らず帝都で働き詰めと聞くが」
アンスイーゼン侯カファティウス。国防大臣である彼のもう一つの肩書である。アンスイーゼン領は『メルギニア』の北西部に位置し、隣国『レジル』と河一つ隔てた場所にある、『メルギニア』にとっての北の砦ともいえる領地である。
一方、マグノリア領は、『メルギニア』の最西端に位置する領地であり、周辺は『西大海』と『スウォード内海』に囲まれた場所にある。陸地としては他国と接していないが『スウォード内海』と『西大海』を繋ぐ海峡の先には隣国『テクト』があり、気象条件が良ければ、海峡の向こう側にある『テクト』の陸地と港町を視界に捉えることが出来る。『メルギニア』にとっての海の砦といってもよい領地であった。
「ここ数神期は『キシリア』も『レジル』も落ち着かず、気を抜けない日々ゆえ。私としては、領地も気がかりではありますが、頼りになる配下がおり助かっております」
――国内の動きこそが一番厄介なんだがな
カファティウスはそう心の中で毒づくが、言葉には出さない。素直に言葉にしてよい場所でもなければ、相手でもなかった。
「教会も天地崩壊を持ち出し、『ウツロ』がやってくると騒いでおる。実際に目撃したものがいるかどうかも定かではない伝承の存在だが、奴らの声を無下にはできん」
「マグノリア侯のところにもそのような声があがっていますか。各地で声があがっているようであれば、会議ではその点についても触れる必要がありそうですな」
ルクセンティアは指で顎を撫でるようにすると、「ふむ」と呟く。
「そうですな。教会の声というのは、悲しいかな、臣民にとっては我々の声よりもはるかに重きもの。必要性が確かなものではない事柄であっても、教会の声に国として応える姿を見せることで、民も安堵を覚えるでしょうな」
カファティウスはルクセンティアの発言の意図を吟味する。彼の発言はすべて事実に基づくものだ。だが、しかし、その思惑がすべて語られているはずもない。とはいえ、彼一人の発言で結論づける必要もないだろう。これより行われる選帝侯会議では、全ての選帝侯が集う。その発言を踏まえてから、最終的な結論を出しても遅くはないだろう。
おそらく基本路線が変わることはないだろうが。
「昨今の穀物の収穫高の減少は神の恩寵の減少、ひいては天地崩壊の前兆だ、とは教会の言い分だが、神の恩寵については別の意見もあってな」
「と、申しますと?」
「前皇帝が戦陣にて病没された折、軍の士気を維持するためとはいえ、略式で現皇帝の即位を認めることとした件。国と女神に捧げる儀式を略式で済ませたことに、女神がお怒りゆえ、神の恩寵が減少したのではないか、と」
「なるほど。収穫高の減少が起きたのもその神期から。一応筋は通っていますな」
皇帝の即位は通常、三つの場所で行われる。
第一に帝都メラノの中央広場にて、臣民に即位を問う。臣民が即位を認めれば、祝いの品が配られる。儀式であり、民たちからすればお祭りでもあった。
第二に教会にて、女神に即位を報告する。女神の代理として、教会長が即位を認める。
第三に皇城にて、全ての選帝侯と宰相、各大臣を前に、即位を宣言する。
この三つの儀式を経て、初めて『メルギニア』皇帝が誕生する。
しかし、現皇帝シリウスは、戦時中に前皇帝ベテルギウスが倒れたことで、急遽この正式な即位の儀式を経ることなく即位している。
ルクセンティアが指摘しているのは、この略式の即位式のことだった。
「ではマグノリア侯は、帰国後、前皇帝の葬儀と共に行った現皇帝の正式な即位式では十分ではなかった、と仰るわけですか」
「そういう者もおる、というだけだ」
現皇帝の即位に対して反発を抱いているものは多い。
その最たるものは前皇帝の第二妃メイサ・ルクセンティアだ。現皇帝の弟、皇弟の母親であり、ルクセンティア侯の娘である。
現皇帝の母親は2代前の皇帝の折に、隣国『レジル』から奪ったばかりの新参者の娘であり、不満をもともと持っていた中で、絵に描いたような交代劇である。
現皇帝即位のために前皇帝が謀殺された、と言いたくなるのも分からないでもなかった。
だが、現皇帝からすれば、放っておいても自らが皇帝を継承する予定だったのだ。焦って前皇帝を暗殺してまで手に入れる必要性はない。
第二妃を除けば、次に不満を抱えているのは、帝国の中でも比較的歴史の新しい選帝侯だ。皇帝になったからといって、その母の出身地である領地が優遇されるということはない。建前上は。
その点では、選帝侯達の心情は、現皇帝への反発心というよりは、それにより利益を得ることになるヴィスタ領オルムステッドへの妬みと言った方がいいかもしれない。
一方で、古参の選帝侯から見ると、こうしたことは過去にも例のあることである。身内で争うよりも国そのものの体制を固め、より自らの領地を富ませたほうが余程建設的であることを彼らは経験で知っていた。
始めから旗色を明らかにして動くのではなく、流れを見ながら、自らの利益になりそうだと判断すれば、その時動けばよい、そう思っているだろう。
それは、カファティウス自身にも言えたことだった。
「では、各地の教会で女神を祀る儀式を行った上で、帝都にも選帝侯を集めて、教会で改めて現皇帝を認めて頂くことをお願いでもしますか。どれほどの祈りを捧げれば、お認めいただけるでしょうな」
女神がお怒りだ、というのなら、怒りを鎮めればいい。何も、現皇帝が代替わりをする必要などない。仮にそうする必要が本当にあるとしても、それより先にできることはあるだろう。
カファティウスの言外の意志が伝わったか、ルクセンティアは苦笑いを浮かべ、また、指先で顎を触った。
「確かに、真に女神がお怒りだというならば、まずは教会に伺いを立てるべきであろうな。いや、先に貴殿と話が出来て良かった」
「私もです。領地の声を直接聞く機会が減ってしまいましたので、侯にまでそのような声が届く状況となっていることが、会議の前に知れて幸いでした」
カファティウスは「では、後程」と付け加えると、その場を後にすることにした。これ以上の会話は互いに益はないように思えたし、彼はまた、選帝侯会議に出席するだけのルクセンティアとは違い、国防大臣を兼任する彼には会議の前に片づけるべき仕事が他にも残っていた。
選帝侯会議をはじめとした様々な議会が開かれる議場の外観は、外側に中央にやや膨らみを持たせた大きな石の柱が立ち、その石の柱の上には建物全体を覆うレンガ造りの平らな屋根が乗るような形となっていた。
そして、神の社のような造りをした外観を内側から支えるように、内側にはもう一つの建物が立てられている。正面の大扉を囲むように全体が白のレンガ造りの建物で、これが外周の建物を二回りほど小さくした大きさとなって収まっていた。
その建物の中央会議室、黒光りした石で作られた部屋、通称「黒曜の間」では、選帝侯会議を行うために、帝国の統治の要となる十三の人物、帝国皇帝、帝国議会の首相も兼ねる宰相、そして、帝国を守護する十一の自治領主である選帝侯、その全てが集っていた。
「近年の収穫高の減少は目を見張るものがある。我が方の調査によれば、三神期前と比較して3割は減少していると聞く。しかし、帝都が求める徴税量はここ三神期の間で僅かも変わっていない。この状況が続けば、臣民からの不満を抑えることなどできない!」
自身の目の前にある机を叩き、勢いよく立ち上がる際に揺らめいた赤茶色の髪は、彼の心情を表しているかのようにも見える。
メラヴィア領主シューブリン、メルギニアの西部の穀倉地帯を治める領主だった。
メラヴィアはその地理上、北には西大海、南にはスウォード内海を保有し、穀物以外にも魚介や交易による穀物の輸入が可能であることから、内陸に領地を持つ他の領主と比べれば、比較的食料には余裕があるはずの領地である。
だが、一方で穀倉地帯であるがゆえに、これまで穀物の輸出に頼って外貨を稼いできた一面を持つ。石高の減少は、「彼」にとっても死活問題であった。
「左様。しかも次の神期には更に減少することも予測される。減少量が増えれば、翌年の作付けに必要な種の不足にもなりかねん。現状は海上から取れる海産物で賄えているかもしれんが、神の恩寵の減少が原因であれば、海産物とてこの先無事という保証はないぞ」
続けて発言したのはマグノリア領主ルクセンティア。マグノリアはメルギニアの最も西の領地であり、三方を海に囲まれた領地だ。その分塩害の影響もあり、土地の広さに対して穀物の採れる量は先のメラヴィアと比較すると乏しい。いくつかの穀物は他の領地やスウォード内海を挟んだ隣国に頼ることもあり、食糧問題は切実な問題であった。
それらの意見に口を挟まぬまま、最も奥の席でただ選帝侯を眺めていたのは、現皇帝シリウス・クラウディウスだった。
流れるような金の髪に青い瞳を持つ彼は、他の選帝侯と比べて遥かに若く、また、細身の体つきをしていた。だが、その瞳は彼らの勢いに気圧されるでもなく、ただ、全てを受け止めるかのように静かに揺らめいている。
皇帝はこの神期にて二十一。神の恩寵の減少が囁かれ始めた三神期前、『キシリア』遠征の戦陣において、前皇帝が早くに病没したことにより若くしてその座についていた。
それぞれが意見を交わした頃合いを見計らうと、シリウスは右手を軽く挙げると、脇に控える宰相デキウスに視線を移す。
皇帝の三倍の齢を重ねているであろうデキウスは、皇帝の視線の意を汲むと、軽く一礼し、机に向かって一歩踏み出した。
「諸侯が臣民のことを憂い、様々な意見を交わすこと、皇帝陛下は大変嬉しく思う、とのこと。この度、皇帝陛下は諸侯の願いを汲み、帝国にて国庫に貯蔵された穀物の一部を民に無償で開放する、と仰せだ。
また税収については、今神期の状況について、各村の状況を調査の上、翌神期に納める量を考慮する、と仰せである。各村の調査については、帝国より調査員を派遣するものとし、各領主はこれによく協力するよう」
一礼して、一歩下がった宰相を会議に集まった各領主が見つめる。驚きを覚えるもの、感嘆を覚えるもの、その様子は様々であったが、そんな選帝侯の顔つきを無表情に眺めているものがいた。
アンスイーゼン領主カファティウス。そして、命を出した皇帝シリウスだった。
「次に、各地で発生しているという噂のある正体不明の獣への対策について、カファティウス侯」
カファティウスは、自らが皇帝の視線に気づいているのと同様に、皇帝もまた、自分を観察しているであろう視線に気づいているだろうことを面白く、また頼もしくも感じながら立ち上がった。
本作の2022年の更新は今回が最後になります。
本作をお読みいただき、ありがとうございました。
次回更新は2023年1月2日(木)朝8時です。
来年もまたよろしくお願いいたします。
少し早いですが、皆様、よいお年を。




