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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第三章 激動の大地
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第十八話 ゼカリアス大陸西部 天地崩壊前史

ここから第3章に相当するお話です。

今回と次回は、第3章に入るための前準備として、

少しこの物語世界の歴史と、舞台となる国の物語のお話になります。


引き続きお付き合いのほどよろしくお願いします。


2023/01/02 10:20 世界地図を追加しました。

 ゼカリアス大陸。

 この世界に存在する三つの大陸の一つであり、『アストリア』や『メルギニア』はこの大陸の西部に位置する国である。


 ゼカリアス大陸西部に位置する各国は、記録に残る神話、伝承に依ると、およそ八百神期()程の昔に起きた天地崩壊以降に(おこ)った国であり、天地崩壊以前より残る国は『アストリア』ただ一国のみと伝わっている。


 だが、未曽有の災害を乗り越えた『アストリア』もまた、天地崩壊以前の歴史は定かではなかった。

 その歴史の多くは天地崩壊の直前に起きた侵略戦争の中で、炎の中に消えてしまったからだ。


 天地崩壊が起きる十数神期()前より、世界的に大地に根付く穀物の実りが減少の一途を辿った。

 その期間は十神期()程度とも、三十神期()以上であるとも言われるが、未だ明らかではない。

 期間については明らかではないが、その結果各国で食糧難が起き、食料を巡って国同士の激しい争いが発生した事は史実として記録が残っている。現在ではこの戦争をただ「大戦」と呼んでいる。

 その戦火は、記録で分かるだけでもゼカリアス大陸全土に及び、多くの国が歴史と共に炎の海に沈んだ。


「生きたければ、打ち払い、奪い、滅ぼせよ。出来ぬならただ朽ち果てよ」


 当時ゼカリアス大陸の東部、中央部のほとんどの国が『グェン』の支配下にあった。

『グェン』の滅ぼした国土には何も残らなかったとも言われ、そのあまりの苛烈さから、彼らこそが『ウツロ』の正体ではないか、という歴史家もいる。

 一方、彼らの滅ぼした国土に何も残らなかったのは、『ウツロ』により次々と異界に沈められたからではないか、という説もある。

 彼らは、生きるためにひたすらに西を目指すしかなかった、という説だ。

 当時の『グェン』の皇帝が残したとされる言葉も、それを窺わせる部分があった。いずれの説も、それを裏付ける確たる証拠は存在しない。


挿絵(By みてみん)


 大戦において『アストリア』も、東の大国『グェン』により首都を含めた国土の半分を奪われ、滅亡の危機にあった。

『グェン』が本当に人であったのか、それとも『ウツロ』であったのか、そのいずれかは明らかではない。

 しかし、『アストリア』はこの『グェン』の侵攻によって、歴史的建造物、書物の大半を失った、という史実は残っている。

 そして、皮肉なことに、国が滅亡寸前まで追い込まれたことこそが『アストリア』という国を救うこととなった。


 劣勢に追い込まれた『アストリア』は現在の『メルギニア』の前身国である『ベトゥセクラ』の支援の下、『ゲラルーシ山脈』一帯を最後の砦として抵抗を続けていた。


「国土も、数多の民をも犠牲にして、生き足掻いているのだ。犠牲になった者たちのためにも、負けるわけにはいかぬ」


 当時の『アストリア』国王ヴラドは、負けて焦土になる国土なら、と、自ら穀物地帯を焼き払ったとされる。

 国民の多くは、『べトゥセクラ』に避難させたが、動けぬもの、間に合わなかったものすべてを救うことはできず、自身の良心ともども焼き払ったとされるが、それも全て戦争に勝つための彼の戦術であった。


 必要な犠牲と割り切れずとも、より人を活かすためにはそうするしか手がなかった、と彼が考えていたか、残された歴史書は語ってくれない。


 彼の心情は語ってくれずとも、彼が何を狙っていたかは、歴史が語ってくれている。

 彼が狙っていたのは、言うなれば兵糧攻めであった。


 補給基地となり得る街や村の大半は彼自らの命令で焼いてきた。

 途中の補給基地がなくなれば、自然と前線と本陣の距離は長くなる。

 戦線を伸ばせば、補給線にかかる負荷も大きくなる。

 その補給路をゲリラ戦で襲いながら、本隊は『グェン』軍の攻撃を凌ぎ切り、敵の食糧を枯渇させる守り切る、これが彼の取った戦術であった。


 この作戦は後背で支える『べトゥセクラ』への絶対的信頼がなければ成り立たない作戦であった。

『アストリア』と『べトゥセクラ』の当時の関係は、同盟関係のような利害に基づくものではない。

 親と子の関係よりもさらに深く、王と臣下と言っても良い関係性であった。

 なぜそのような関係性が築かれたのかは分かっていない。しかし、後の『メルギニア』の建国記からは、『べトゥセクラ』が『アストリア』を神の国の如き扱いをしていたことを窺わせる記述が残っている。


 『アストリア』そのものを犠牲にするような持久戦は功を奏し、半神期()に及ぶ攻勢を凌ぎきった『アストリア』は『グェン』の勢いの弱体化に合わせてついに反転攻勢か、と考えていた。その矢先、天地崩壊が発生した。


 『アストリア』で起きた天地崩壊に関する詳細な記録は残っていない。

 『アストリア』の天地崩壊は、当時の状況から『アストリア』の首都近郊を中心に発生したとされている。この当時、首都は『グェン』の占領下にあった。数々の都市を自ら破壊した『アストリア』であったが、首都そのものを破壊し尽くすことは時間的にも困難であったことから、建物の多くは残されたままとなり、『グェン』はここを『アストリア』攻略の本拠地としていた。しかし、首都を中心に異界への穴が発生し、この地に駐屯していた『グェン』軍は、全て跡形もなく異界に吞まれた、とされている。

 『グェン』軍の崩壊が異界に呑まれた故であることを知るのは唯一人。その力によって異界に踏み入り、そして封印を施した神子ミラのみであったとされている。

 一方で、『グェン』の兵と思われる多数の兵士の遺骸が王都で見つかっていることは史実として遺っている。

 異界の再封印の後、再び王都に踏み入れた多くの人々がその姿を目にしており、遥か異郷の地で命を落とすことになった兵士らの遺体は王都の郊外に葬られた。

 自分達を滅ぼそうとした軍勢の遺骸を、同胞と共に手厚く葬った理由については様々な説があるが、その正しさを立証するものはなくとも、神子ミラが人々にこう願ったからだ、という説を推すものは多い。


「一つ何かが異なれば、私達が『グェン』となって東を襲っていたかもしれません。

 その多くは愛する者たちを遠くに置いてでも前に進むしことを強要された、あなた達と同じ力ない人々です。

 共に悼んであげてください」


 王都の北西にある巨大な墳墓が、この時葬られた人々の墓である、とされている。


 異界発生の中心点にいた人々は、異界に生命を呑まれるという伝承は他の国でも残されている。

 発生の中心点の多くが、国の王都、帝都など、国の中心であったため、大戦を生き延びていた国も、天地崩壊によってほとんどが消えていった。

 なぜ国の中心に異界が多く発生したのか、その原因については、今も天地崩壊における謎の1つとなっている。


 こうして、『グェン』により国土を奪われた『アストリア』は、天地崩壊によって国土を回復することができたただ一つの国となった。

 今でも『アストリア』を神の国と考えるものがいるのはこうした逸話のためである。

次回更新は明日2022年12月26日(月)朝8時

次々回更新は2022年12月29日(木)朝8時

となります。

本年の更新は次々回更新が最後となる予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言]  過去の指導者が何を思って事を起こしたのか。  記録が残っていてさえもわからないことですよね。  結果論で語られるからこそ、本当のことを知ることは難しそうです。  べトゥセクラですが、この…
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