第十七話 跡地
テル達が遠征地に到着してから、光星と闇星が四つほど巡っていた。
例え遠く離れた地だとしても、空を巡る光星と闇星は、変わらず自分たちを見守っているのだ、とテル達三人は夜空を見上げて話し合った。
だが、テル達の住んでいた場所と遠征地では明らかな違いがあった。
昼と夜の差がほとんど感じられないことだ。
神の恩寵が放つ光は、光星が世界の果てに眠りについても変わらず輝き続けている。周りが常に明るいため、闇星が空に浮かんでいるから、今は夜だ、とようやく認識できる。時間感覚がどこかおかしくなっている三人だった。
転移陣が利用できるようになり、遠征隊が組まれるようになってからまだ数神期。
最初の頃は、何が起きるかわからない、と隊長格だけで調査が行われており、ミナカもその時に一度だけ派遣されたことがあると話していた。
その時の経験からか、こうした景色には慣れた様子ではあったが、それでも
「まだ四つ陽しか経ってねぇが、遠征地で夜を越す経験は初めてだから、なんか慣れなくて気持ちわりぃな」
ということだった。
洞窟を出て夜を一つ越える頃には、高地を過ぎ、一行は、高台から見下ろしたあの平野に辿り着いていた。それからさらに三つ陽歩き続けている。
「こっからはおおよその方角しか分かんねぇが」
洞窟からここまでの道のりは、第一小隊が周辺一帯を調査、制圧し、目印となる杭のようなものを等間隔に打ち込んで居ることで、およその位置を把握する事が出来ていた。
しかし、ある程度方角が定まっている目標を目指して、まっすぐ進むミナカたち第二小隊とは異なり、洞窟から半円を描くように周辺の調査、制圧を進めている第一小隊の歩みは遅い。テル達は、遠征地に到達して四つ陽にして、彼ら第一小隊の制圧した境界線に到達していた。
最初は岩場と踝程度の高さの草ばかりだった地面も、平野を進むにつれて、時には実のなった木々を目にするようになっていった。今は腰辺りの高さの草の葉が一面に広がり風に揺れている。まるでそれ自体が生き物のように綺麗な波の線を描いていた。
神の恩寵は植物の表面に集まりやすいのか、草の葉、というのも光の形から辛うじてそうではないかと推測できるだけで、彼らから見れば、草の葉が描く海、というよりは神の恩寵が描く光の海のように見えた。
最初はその美しさに、つい触れてしまったが、手を触れると神の恩寵を取り込むのに合わせて植物の命も取り込んでしまうのか、触れた草がしおれるようになってしまい、それからは進路以外の植物には触れないでいる。
人の気配の感じられない遠征地において、こうした気遣いにどれほどの意味があるかはわからない。それでも、むやみに命を奪っていいとまで、テルは思えずにいた。
『ウツロ』という獣の命を奪うことを躊躇ってはいけない。それはわかっている。だが、それは自分たちの命の源である神の恩寵を奪う獣だからだ。
生きるための狩りは、『ウツロ』に限らず必要であることぐらいはわかっている。そして、死なないための狩りもまた。
「第二小隊の中では俺たちが先頭なんでしょうか」
「ある程度方角が分かってるって言ったところで、距離が離れるほど正確性は悪くなる。なんで、面で調査出来るように事前に進路は分散されてる。
そういう意味じゃぁ、この先誰かいんのかって意味なら誰もいねぇ、が答えだな」
ミナカはそう答えながら、今回の作戦方針を再度思い返していた。
作戦要項として第二小隊は、楔と思われる都市の跡の発見または七つ陽の間に成果が出なければ、一度撤退となっている。
第二小隊の最初の分隊到着から、最後の分隊の到着までの時間差を考えたとしても、遅くとも十七つ陽ほど後には、何かを見つけたか、何も見つからなかったか、帰ることの出来ない何かがその方向にあったのか、という結果が分かる。
その間にも第一小隊の制圧領域は増え、第三小隊は全てこちらに展開されているはずだった。
十七つ陽の間に消費した物資を洞窟で補給の後、遠征隊としてどう行動するかは、ある程度の想定はされているものの、結果次第となっている。
「今回、二つの遠征地で、楔のおおよその位置と在処が分かってる」
今回の遠征に自分たちミナカ隊も参加することをムスヒから告げられたあの日、ムスヒはそう言っていた。後日行われた隊長格への作戦会議では、明確に語られなかった話だ。
作戦会議では遠征隊の方針としては楔の居場所は分かっているように振る舞うこと、と指示され、楔の場所がある程度特定された、とは伝えられていない。
代わりに、我々に残された時間は少ない、とは聞かされた。要は、隊長たちは次はないつもりでやれ、隊員たちにはそれを悟らせずに、今回は大丈夫だと信じさせろ、という事を暗に伝えられたようなものだ。
念を押すかのように、不退転の覚悟を持って臨むよう、というのが会議の締めだった。
一方で楔の話について
「このことはミナカには話していいって許可は貰ってる」
と言ったムスヒ。誰に、と聞けば、「イザキ隊長」と返ってきた。
少なくとも、この遠征隊を仕切る隊長の「イザキ」までは、楔の位置がある程度特定されていることが事実として認識されているということだ。
そして、こんな回りくどいことをしている以上、何故楔の位置が分かっているのかについては、下に話せないような方法で手に入れている、ということも分かる。
ムスヒもそれは教えてもらえなかった、そう言っていた。
ムスヒが本当に知らないのかどうかは疑ったところで仕方がない。
切られている期限はおそらくそれまでに何らかの結果が出ると踏んでいるのだ。
その期限を半分ほど過ぎていた。
そろそろ何らかの変化があるはず。
ミナカは歩きながらそう考えを巡らせていると、彼に呼びかけるスサの声を聞いた。
「なんだ」
自身の意識が思考の沼の奥に沈みかけていたことを微塵も見せることなく、ミナカはその場に立ち止まりスサを振り返る。
「右手前方、恩寵の光のせいで分かりづらいっすけど、柵みたいなものが見えるっす」
遠征地に着いてから行動をする上で不便なのはこの恩寵の光だった。
地面や木々、ありとあらゆるものがこの光を発していて、形をはっきりと捉えることが難しくなっていた。
遠方の景色など、大地が放つ恩寵の光が揺らめいていて、どこが地平線なのかを判別することも難しい。
また、あまり凝視していると、光で目がおかしくなり、一時的な視力の劣化が起きるという弊害まであった。
そのため、目を凝らして遠方を確認する行為は最低限にするよう伝えていたが、スサは丁度、遠方を凝視するように切り替えた状態だったのだろう。
スサが指さした方角を見ると、確かに微かにだが光が盛り上がって見える箇所があり、更によく見ると、それは柵のようにも見える。
もう少し目を細めて光量を絞ると、建物のらしきものも見えた。
「村か?」
これまで遠征地において、自分たちと同じ人の存在は確認されていない。
これほどの距離を踏破した事自体初めてのため、絶対に無いとは言えないが、おそらくは無いだろう。
仮にもしそんなことがあるなら、ここでの暮らしとはどんなものなのか、ぜひ聞いてみたいもんだ、と、そんな益体もないことを考える。
「『ウツロ』が棲家にしてる可能性もある。寄らずに迂回する方が安全か?」
誰にも言うでもなく、ミナカはそう口ごもる声で呟く。
だが、もし本当に棲家にしているのなら、通り抜けたあとに背後から襲われる可能性もある。ならば、調査の上、『ウツロ』を見付ければ殲滅するほうが望ましいのではないか。
ミナカは自問する。おそらく自分一人ならば、調査することを選ぶだろう。
だが、ここには隊員たちがいた。
自分の手で制御可能な敵の数ならいい。自分の手で制御可能な力量の敵ならいい。だが、それを上回る数や力の敵がいたら、テルや、ミヤ、スサを守りきれるだろうか、その懸念がどうしてもつきまとう。
「後で捕捉されるような相手なら、ここで迂回してもどっかで補足されるっす。後で捕捉されない程度の相手なら、ここでぶつかっても大したことはないっす」
ミナカが逡巡していたのは時間にして十数秒程度のはずだった。だが、彼が答えを出すより早く、スサがそう告げていた。
「……捕捉能力の低い、強力な個体の可能性もある」
「あ、そっすね。やっぱ隊長はすごいっす」
スサが朗らかに笑うが、ミナカはそれに何かを返すことはできなかった。
テルとミヤも何も言わず、ミナカの言葉をじっと待っているが、その手を見ると、ぎゅっと強く握りしめられていることが分かる。
――コイツらは、オレが信じきれていないことを分かっている。
分かっていて、それに文句一つ漏らさない。聞き分けが良いと言えばそれまでだが、そんな単純で、ミナカにとって都合のいい話では無いだろう。
従順なふりをしている、ただそれだけのことだ。
――よく出来た部下だことで。
隊長と違って。
ミナカはそう自嘲するように笑みを浮かべる。
もう一度前方を眺める。判断するならここだった。
近付けば近付いただけ、迂回する意味がなくなっていく。
「このまま進む。万が一『ウツロ』が潜伏してることが確認できた場合、相手がこちらを捕捉していないようなら、一旦距離を取り迂回する。相手がこちらに気付いてるなら、その場で殲滅だ。
その場合、遠距離からの竜巻で一掃する。発動までの時間差で逃げ出す個体が出た場合、オレの周囲の防御はテメェらに任せる。最悪、時間が稼ぎりゃいい。任せたぞ」
「……っす」
「「はい」」
にやりとするスサと無表情のままのテルとミヤ。だが、その誰もが、ミナカを見上げるように見つめていた。
彼らのこういう様子を見るたびに、なぜ自分が隊長職に就いているのか、常に疑問に思う。
自分は独りが楽なのだ。誰にも気兼ねせず好き勝手にやる。
それが一番の理想なのに、こうして部下を持ち、信じられている。
信じられるからには期待に応えなければならない、そういう気持ちになる自分がいる。
まったく、一番厄介なのはそうした自分の感情だった。
距離を詰めると、それは想定通り柵であった。そして、その先にはいくつもの建物が建っている。
未だ距離はかなり離れているが、自分たちと同じ姿をした人の姿は見当たらない。代わりに、白く輝く靄のような塊が、いくつかゆっくりと動いていた。
それは『ウツロ』のようにも見えるが、あまりにも獣らしくない姿と無防備さだった。
「光の精霊……ってわけじゃないっすよね」
敵か味方かもはっきりしない状況だけに、相手に気取られぬよう小声でスサが呟く。
柵まではまだかなりの距離がある。聞こえるぐらいなら先に視認されるだろうが、『ウツロ』の能力には個体差があると言うからには、用心に越したはない。
「あれが、事前に聞いていた、神の恩寵の塊ってやつですか?」
テルの言葉に、ミナカも、そういえばそんなのもあったな、と思い出す。
ここに辿り着くまでの間に、神の恩寵の光に見慣れてしまい、マナが枯渇するようなことがあれば、神の恩寵の塊を取り込むように、なんて話があったことをすっかり忘れてしまっていた。
ここまで一度も戦闘は行っていないが、居るだけでマナが減少していくという遠征地に既に滞在して4つ陽になる。
その間でどの程度自身のマナが減少しているのかは分からないが、取り込めるのなら取り込むのがいいのだろうか、と考える。
「もしもあれがその塊だというのなら、必要ない限り、そっとしておきたいですね」
「なんでだ?」
ミナカのそれは咎めるつもりではなく、単なる興味だった。
テルもそれを感じ取ったのか、臆する事なく答える。
「あの塊が、マナの結晶として生まれた妖精のような存在かもしれない、とそう思ったので」
「妖精も精霊も、結晶化する際に生物の姿をとるのは、そこに残された思念を読み取ってそうなってるに過ぎねぇ。意志があるわけじゃねぇ、って言われてる」
「それは、植物に命がないというのと対して変わらないと思うんです」
「だが、植物に宿る恩寵は「いただく」だろうがよ」
「必要なければ、ってだけです。隊長も、戦闘中、可能な限り辺りに与える損害に気を付けてるじゃないですか。
森を燃やさないよう、火の魔術を控えたり、草原では土を荒らすからと土の魔術を……」
「あぁ……、分かった、分かった。別にテルの考えを否定するわけじゃねぇよ。ただ、なんでそう考えたのか聞いときたかっただけだ」
「……照れてる?」
「……うるせぇ」
ぼそっと呟いたミヤの言葉に、唸るようにミナカが返す。
だが、テルの言葉で方針は決まった。
「テメェら、体調におかしなところはねぇな。四つ陽も行動してるんで気になったが、今のところオレの方は問題ねぇ。
テメェらもマナの枯渇がないってんなら、ここは迂回する」
「『ウツロ』じゃないなら、気にしなくていいんじゃないっすか?」
「そうかもしんねぇけどな。だからってわざわざ突っ切ることもねぇ。
そもそも迂回とは言ったが、本来向かう方向はこっちじゃねぇ。柵が見えるっつうから、こっちに来てみたってだけだ。
向かう方角から考えりゃ、あの村の跡地は横を素通りすりゃいい。
警戒はするが、なんもなきゃそのまま行く、それだけだ」
ミナカの説明にそれもそうか、とスサは納得する。
確かに最初に自分が進行方向右手側前方に柵のようなものが見えると報告したから、確認を兼ねて方向転換したのだ。
ミナカの話はおかしな話ではない。
「分かりゃぁ、行くぞ。『ウツロ』への警戒は変わらず。ここまで警戒のために進行速度落としたからな。少し速度を上げてくぞ」
「「「了解」」」
結局、彼らが通り過ぎる間も、その後も、村跡で大きな動きはなかった。
そうして、彼らが村跡を横目に進んでいると柵の切れ目のその先に一際輝く景色が見えてきた。
風と共に光が揺れ、風に乗って光の粒子が空を舞う。
それらは彼らの腰ほどの高さの植物だった。その植物が風に揺れるたび、光の粒子が揺れ、穂先の何かが飛び出すたびに、光の粒子が空を舞っている、そんなふうに見えた。
人の営みは絶えても、草木は新たに命を芽吹かせて、こうして一面に咲き誇っている。
その様子が、テルは不思議に思えた。
神の恩寵を喰らう『ウツロ』とは何者なのか。
こうして、自然に溢れている神の恩寵を身に「いただき」、生きているのは自分たちも同じであるなら、『ウツロ』の脅威とはなんなのだろうか。
彼らは自分たちの世界から奪うのみで何も生み出さないという。
だから、脅威なのだろうか。
彼らがもし、この世界に寄与する何らかのものを生み出しているのなら、彼らは脅威ではないのだろうか。
滅ぼすべき敵『ウツロ』。
取り戻すべきもの『神の恩寵』。
それが自分たちの使命であり、それこそが自分のすべきことである。それは分かっている。だが、それでも、思わずにはいられなかった。
自分が倒すべきものとはなんなのか、と。
この陽、光星が地平の彼方に眠りにつこうとする頃、テル達は地平の彼方にレンガで出来た巨大な二層の壁で囲まれた街の跡を目にすることになる。
△▼△▼△
時と場所を変え、テル達が巨大な二層の壁を発見し、本体への報告に向かおうとする頃、ヒノ隊はまったく異なる場所で、巨大な石造りの壁に囲まれた都市を見つめていた。
都市を更に囲むようにして辺りに一面に広がっていた、神の恩寵の光に溢れた穀物の畑の殆どは、望星隊の第一遠征隊によって踏み荒らされ、今は、文字通り見る影もなくなっている。
正面の壁の上には、内側に黒い靄を抱え込んだ、神の恩寵の光の塊が、望星隊を眺めるようにして横一列に並んでいる。
発光現象の為に一体一体の境目が定かではなく、果たしてどれほどの数がいるのか、一体の大きさはどの程度のものなのか、それとも全ては繋がっていて、非常に巨大な、蛇のような姿の獣が壁の上に横たわっているのか、それすらもはっきりとしなかった。
数少ない手掛かりとして、発光する神の恩寵に包まれた黒い靄が、等間隔のように分かれているように見えるところから、あれが巨大な一体ではなくおそらく多数の個体なのであろうという予測がつけられる。
それが分かったところで、なんの救いにもならないのだが。
『ウツロ』が集団となって待ち構えている、そんな状況が想定されていなかったわけではなかった。
群れで行動を行う獣であれば、隊列を組み、集団で獲物に襲い掛かる、という行動は珍しいことではない。ただ、その規模が、普段生きていくために必要なそれとは、遥かに規模の異なる数の集団として、目の前に存在しているだけ、それだけが異様であった。
だが、小さな生き物たちであれば、例えば虫のようなものであれば、ここまでの集団となり、1つの獲物に襲い掛かる事例もある。ここにいる『ウツロ』はたまたまそういう特性のものであった、という可能性も高い。
ヒノ隊を始めとした第1遠征隊は、手練の揃った第一小隊を先頭に、第二、第三の順に一列に並び八列縦隊の編成を取っていた。
面の相手に面でぶつけるのではなく、面の相手に点でぶつかり、面を食い破る。その後、各集団を各個撃破の形に追い込むように包囲殲滅する作戦だ。
相手の能力が分からない以上、集団でぶつかる危険はあるが、この数相手に威力偵察として個別に当たるのはもっと愚策だった。
互いに見合うように布陣してから一時間足らず。
光星が天頂に至ろうとする頃、遠征隊隊長のタケヅチが手を振り上げるのを、ヒノは見た。
「撃て!」
手が振り下ろされると同時に、都市の跡地を占拠する『ウツロ』たちとの戦闘開始を告げる号令が、辺りに響き渡った。
第二章 『冥き星は望む』 了
ここまでで一旦2章は終わりです。
3章の始まりは少し変わった視点から始まります。
変わった視点から始まるから、というわけではありませんが、
次回更新のみ2022年12月25日(日)朝8時、
そして次々回の更新は2022年12月26日(月)朝8時の予定です。
クリスマスプレゼントにもならないかもしれませんが、
せっかくなので、12月25日に1つ投稿することにしました。
今後とも宜しくお願いします




