第十六話 三者三様
その洞窟は、まるで転移陣を隠し、護るためにあるかのようだった。転移陣のあった空洞の天井は高く、広かったが、洞窟全体としての深さはほとんどなく、すぐに出口にたどり着いた。
洞窟の外に出た瞬間、目の前に広がった景色は、一面真っ白に見えて、新雪の上を歩いているようだった。一歩一歩、地面を踏みしめる度に、雪が舞うように光の粒子がふわりふわりと浮き上がる。ミヤはその光景に不思議な気持ちにさせられた。
歩きなれた大地、踏みしめなれた草むらのはずが、まったく見知らぬもの、例えば空に浮かぶ雲の上を歩いているかのような、そんな錯覚を覚える。
『ウツロ』といつ遭遇するか分からない遠征地にも関わらず、ふわりふわりと浮き上がる白い輝きのように、ふわりふわりと気持ちが浮き上がりそうになるのを、ミヤは胸の前に手を当ててぐっと抑える。
ここに何をしに来ているのか、何のために来たのか、と改めて気持ちを引き締める。
望星隊に入り、殺伐とした毎日を過ごしてきた。
訓練に次ぐ訓練、獣を討ち、腸を裂き、血にまみれ、時には自らの血に濡れて。
それでも、それが自らの未来を、自分の家族の未来を切り拓くためならと、心を殺してきた。
命を奪う度に心を痛めていては耐えられないから、何も感じない振りをしてきた。
そのうち、それが本当の自分のようになって、どんな物事にも心が動かないようになってきた、そんなことを思ったこともある。
だけど、それは所詮ただの仮面過ぎず、その仮面の隙間をすり抜けて直接肌に触れる感情があれば、簡単に仮面を剥がされることがあることを、今は知っている。
ミヤは、自分のつけている仮面が、ガラスの仮面に過ぎないことを理解していた。
テルはテルなりに、スサはスサなりに、自分の心の御し方を模索していることも、ミヤは知っている。だからだろうか、彼らがミヤの仮面が剥がれたことに気付いたとしても、そのことについて深く触れる事はなく、時には見ないふりをして、時には何も言わずに側にいてくれた。
皆が皆、誰もが明日を生きるためにもがいているのだ。ヒノに言われるまでもなく、生き足掻いているのだ。
至らない自分を変えるために。
仲間たちの足を引っ張らないために。
敵を討つために。
生き残るために。
俯き、胸に手を当てているミヤの様子にテルは気付いていたが、それを見ても何も言わず、ただ前を見て歩を進めた。
テルもまた、この新雪の上を歩いているような不思議な光景に心を奪われていた一人だ。ただ、ミヤとはまた違った感情を抱いていた。
遠征地とは何なのか。
自分たちと同じ世界なのに、楔に近い、ただそれだけでここまで世界は姿を変えるのか、そう思ってしまうのだ。
転移陣を使って移動しなければ到達出来ないほどの距離だから、そういうこともあるかもしれない。
この景色とはまた異なるが、精霊の集う地もまた、自分たちが住む場所では決して見ることのできない、幻想的な景色が広がるという。その地もまた、この遠征地のように別世界のようだというのだから、それほど不思議なことではないのかもしれない。
もしそうだとすれば……
精霊の集う地が精霊の住まう地ならば、遠征地とは、そもそも『ウツロ』の住まう地であるのではないだろうか。
そんなことを思った。
ならば、自分たちは何なのか。
彼らの住まいを荒らす部外者なのだろうか。
そうだとして、それが分かったとして、遠征を止められるのか。
遠征を止めれば、楔は活性化せず、結果、自分たちの世界の神の恩寵の減少は止められない。
神の恩寵がなくなれば、自分たちは生きていくことが出来なくなる。神の恩寵は自分たちの命の源と言ってもいいものだ。それがなくなれば、死が訪れるのは必然だった。
ならば、止めるわけにはいかない。
例え、自分たちが『ウツロ』にとっての侵略者であっても。
ここで止まれば、自分たちには滅びしかないのだから。
ミナカの背中を眺めながら、口をぎゅっと噛みしめ、眉間に皺を寄せる。そんなテルの表情を見て、スサは苦笑いをする。
また難しいことを考えていやがる。そんなことを思って。
無感動を装っていて、一番傷つきやすいミヤ、いつも自分がやらなければ、と一人で抱え込みがちなテル。どちらもすぐに自分の感情に囚われて、思考の沼に囚われがちで、簡単なことでハマっていることもしばしば。だからせめて自分だけは、深く考えないようにと、そう思う。
思考を放棄するのとは違う。ただ、深く思い悩まない。
先のことは考える。そこに感情も挟むだろう。むしろ感情だけで動くこともあるかもしれない。だがそうやって考えないことがいいときだってある。
思い悩んでいるうちに死んじまったら何にもなんねぇしな。
そういう意味では、ミナカはすごい、とスサは素直にそう思う。
全部自分で抱え込んで、全部自分であっという間に解決してしまう。
ま、部下を育てたいなら、なんでも抱え込んでほしくないもんだけど。
ちっとは自分たちも頼って欲しいんすよ。
こんなこと言ったら、だったらもっと頼りたくなるような行動と結果を見せてみやがれ、って叱られそうっすけどね。
そう思いながら、二人して難しい顔をしている、テルとミヤの背中をぽんと叩いて、スサは前に進むことにした。
洞窟は山の斜面の中腹か、高原の更に高台となっている斜面に出来ていたのか、しばらく草原を歩いた先には、見渡す限りの平野が眼下に広がっていた。
その全てに白い光の粒子が浮かんでいるせいか、はっきりとした地平線を確認することは出来ず、その平原がどこまで広がっているのか想像もつかない。
山岳地域での訓練で高山に登った経験もある三人だったが、こんなにも広大な平野を見たのは生まれて初めてのことだった。
彼らが住む場所はいくら大きいとは言っても、海に浮かぶ島であるのに対し、ここはそういう場所ではないのかもしれなかった。
大陸と呼ばれる、自分たちが住む土地よりも遥かに広い土地が広がる場所がある、ということは、世界を学ぶ授業として聞いたことはあった。しかし、聞くだけと、実際に目にするのとでは、受ける衝撃は遥かに違った。自分たちの住む場所はなんて狭かったのか、と思ってしまった。
眼下に広がる平野には、森や河も見えるが、なにより気になったのは集落のようなものが見えたことだった。
「多数の『ウツロ』が居るような場所にも、人が住んでいるんですね。遠征地はもしかしたら『ウツロ』の住まう地なんじゃないか、って、そう思っていたんですが」
それに気づいたテルがそう呟くのを聞き、ミナカは苦々しい表情を浮かべる。
「住んでいた、だな」
その言葉が意味するものは1つしかない。それゆえに、テルはそれ以上の言葉を告げることが出来なかった。
「神によって楔が打たれたんは、それこそ神話って呼ばれるほど昔だ。そん時から神と一緒に暮らしてた奴らがいたかどうかは、何も伝えられてねぇ。だが、何者かが暮らしてたって跡はある。それは事実だ」
「過去にも、こうして遠征地の楔の力を取り戻す戦いがあったと聞いています。その時の事も残っていないんですか?」
「それすらもはや神話みたいなもんじゃねぇか。少なくともオレは知らねぇ」
ミナカは余計なことを考えるな、とでも言いたいのか、吐き出すように答えた。
「楔はこの辺りで最も大きな都市の跡地、その中の大きな建物の中にあるらしい。『ウツロ』が集まっているとするなら、建物の物陰からの急襲もあり得る。何度も言うが、気ぃ抜くなよ」
平野に向かう緩やかな下り斜面を、駆けるような速さで進みながら、ミナカが言う。未だ大きな都市の影も形もない。まだしばらくはひたすら進む必要があるだろう。
その間に、『ウツロ』と何度遭遇するのか。出逢わない方がいいに決まっているが、それは事態を軽く考えすぎていると言っていいだろう。
それにしても。
――『ウツロ』の住まう地ね
よくもそんなことを考えるもんだ。




