第十五話 遠征地
もうここも見慣れたものだね、と淡い白の光が建物の壁面に満ちた光景を見つめ、ムスヒは心の中で呟く。
望星隊の中央広場である円筒型の建物をさらに広くした長方形上の建物は、中央に赤黒い布地がまっすぐ引かれ、それが正面の祭壇まで続く。その両脇には何列もの木で作られた長椅子が配置されおり、いくつかの長椅子には、両手を胸の前に組んで、何かを願うように祭壇を見つめている人々が座っていた。
彼らを包む淡く白い光もまた、彼らを癒すために包み込んでいるのだろうか、興味は尽きないが、今はそれが自分の仕事ではない、とムスヒは祭壇脇の扉を開き、更に奥に進む。
先ほどの広場とは雰囲気が異なり、レンガ積みで作られた、人が二人ほど並んで少し余裕を持ってすれ違える程度の広さの薄暗い廊下が、まっすぐと奥に続いている。
両脇にはかろうじて足元を照らし出す程度の灯が、等間隔に並べられているが、廊下の奥の暗がりを明らかにしてくれるほどの輝きはない。
むしろ、そうすることで、この廊下の奥にあるものに神秘性を持たせているつもりなのだろうか、そんなことを考える。
廊下を進むと、地下に降りる階段があるが、その手前には乳白色の長衣を羽織った人が二人立っていた。
廊下の左右に掛けられた灯を反射するように、長衣を包むように白い光がぼんやりと浮いている。そこに本当に存在しているのだろうか、そう思わせるように輪郭がはっきりとしない様子は着用している長衣がそう見せているのか。
見た目においても人なのか、人ではないのか定かではないぼんやりとした様子を見せる二人は、薄暗い廊下の中で頭巾を目深に被っているために表情を読み取ることは難しく、ますます人でなきものの様相を感じさせる。だが、だからといってそれをムスヒが気にすることはなかった。
二人はただの案内係でしかない。それが何に見えようとも気にするものではない。
仮にムスヒを害するつもりであるとしても、彼は手練れの者に対しても遅れをとるとは考えていなかったし、なにより、この場所において彼に害を為そうとするものは、自らの命を賭す必要がある。であれば、その覚悟は自然と伝わってくるものだ。
少なくとも、ムスヒはそれを読み取れるだけの力量があるという、その自負を持っていた。
二人はムスヒの姿に気づくと、そのうちの一人が階段脇の壁に手を添えて、押し込むように力を入れた。
すると、壁を形作るレンガの一つが内側に入り込んだかと思うと、すぐ側にあった壁がひとりでに動き、そこから光が漏れ出してくる。
「どうぞ、こちらへ」
少年とも少女ともとれる幼い声に促され、光が漏れ出た入口から奥を覗き込むと、そこは小さな部屋のようになっていた。
部屋の中央には木の机が置かれ、その周りには簡素な丸椅子が四つほど配置されている。
そのうち、部屋の奥側にある1つに一人、左手側にある一つに一人、それぞれ椅子の横に立ち、ムスヒを見つめていた。
「よくお越しくださいました。神子様」
部屋の中にいた一人がムスヒに声を掛けると、ムスヒは人懐こい笑顔を浮かべ、部屋の中に足を踏み入れる。
「畏まらないでください。『アストリア』の教会長殿。私も、あなたたちも同じ人であり、そして、神より力をいただく信奉者なのですから」
ムスヒが部屋に足を踏み入れるのを見届けると、部屋の外に立っていた一人がもう一度壁に触れる。
すると、壁がまたひとりでに動き、部屋はムスヒを呑み込むようにして、廊下に完全に溶け込んだ。
ムスヒが一人、『アストリア』の教会長と会話を始めたころ、テル達は遠征先の転移陣の上に立っていた。
彼らの住む街 『キト』の北に配置されていた転移陣を抜けた先にあったのは、辺り一面白い雪に覆われたかのような景色だった。
テルは、なんとなくぼんやりとする頭をはっきりさせるために頭を振るが、それでもどこか意識が曖昧に感じる状況は変わらない。
転移中、意識を失っていたのか、転移前から転移後の記憶もはっきりしなかった。
周囲を見渡すと、ミナカ、ミヤ、スサの姿は見えるが、第二小隊全員がこの場に全て揃っているかと言えば、そうは見えない。どこかに散開しているのか、と見てみても、白い雪のようなものしか見えない。
その雪のように見えたものは、淡く白い輝きを放つ無数の小さな光の粒だった。それらは積み重なるように大地に浮き上がっており、周囲一面に広がっている。
辺りを見渡すと、転移陣を囲うように、大きな半円上の壁が周囲を包んでおり、そのうちの一角が欠けていて穴のようになっており、どこかに繋がっているようだった。その穴の先が真っ白い空間に見えるのは、それがこの洞窟のような場所の出口、外なのだろう。
半円上の壁にも、至る所に小さな光の粒が浮いていて、外からの風に吹かれて揺れているのか、それぞれが不規則に揺れ動いていた。
テルはこの光景を見て、以前話に聞いたことのある精霊が集う地のようだ、と思った。
だが、ここは遠征地だった。精霊が集う地は、その精霊が司るマナに溢れていると聞く。遠征地はその逆で、マナが極端に少ない場所だと聞いている。異界へのマナの流出を防ぎながら、神の恩寵を取り入れるための制御装置こそが楔であり、楔から異界にマナが流れ込むことから、楔の周辺ではマナが極端に薄いのだと聞いている。
神の恩寵を主食とする『ウツロ』が、楔に集うのも、そこから神の恩寵が流れてくることを知っているからだ、とも。
こんな場所で、精霊が集う地のような幻想的な景色を見ることになるとは思わず、テルは気づけば、その光景に心を奪われていた。
「ここはもう敵地だ。気を抜くんじゃねぇ」
そんなテルの心を見透かしたように、ミナカがテルの後頭部を叩く。
テルもそれにはっと意識を取り戻し、「すみません」と謝った。
未だぼんやりとする感覚を研ぎ澄ますためにもう一度頭を振る。そうして、改めて辺りの人の「気配」の少なさに気づいた。
本来ならば、見とれるほどの美しい景色が辺りに広がっている場所には、自分たちの仲間である第二小隊の面々が立っているはずだった。だが、ただ視界に映る範囲内に居ないだけでなく、周囲にいる気配すら感じなかった。
「他の分隊はもう出発してしまったのでしょうか。数が極端に少ないのですが」
「転移陣が一度に送り届けられる数には限りがある話はしたな」
「はい」
「転移陣から一度に送ることが出来る数と、転移陣と転移陣を繋ぐ道の広さには差があるらしい。転移陣でまとめて五十名送っても、途中の道が狭いせいで混雑して、こっちに一度に辿り着けるのはせいぜい十名程度。あとは時間差で到着することになる。一度に大量の人員を送れないのは、こうした途中の送還路の狭さが一番の原因らしいな」
転移陣に呑み込まれるのは同時なのに、こちらに送り出されるまで時間差がある、というのは不思議な感じがしたが、ミナカが淀みなく答えていることから、既に検証された事実なのだろう。今ここで聞いたところで仕方のないことだから確認はしないが、転移陣から送られてくる隊員がいる間は、きっとこちらから還ることが出来ないのではないか、とテルは思う。
出立前に確認した時には誤魔化されたが、一度に転送する人数が制限されるのは、いつでも「還る」ことが出来るように転移陣の容量を使い切らないためであり、数を制限しない今回の遠征においては、やはり「還る」ことは考慮されていないのだ、とそう思った。
そして、それだけ自分たちの住む世界は切羽詰まった状態なのだと。
「だが、事前に伝えていた通り、第二小隊は、楔捜索のために分隊単位での行動が基本だ。後続を待つ必要はねぇ。転移陣の護衛は第一小隊の連中が、周辺制圧と一緒に任務として受け持っているから任せておけばいぃ」
ミナカはそう言うと、ミヤ、スサにもそれぞれ目線を配る。
「さっきも言ったが、ここはもう敵地だ。どこで何と出会ってもおかしくねぇ。気ぃ抜くなよ」
「「「はい」」」
「楔には『ウツロ』が集まると聞く。まずは『ウツロ』の集団を探す。『ウツロ』を殲滅しつつ、楔を探す、ここまではいいか」
三人が頷く。
「一点注意しとく。遠征地はマナが薄い。魔術を使いすぎると、すぐ倒れるからな」
「どうすんすか?」
「辺りに浮いている光の玉があるのは分かんな。こいつは楔から流れ出た神の恩寵が気に溶ける前の状態。つまり神の恩寵の粒だ。普段俺たちはこの光が溶けた気の中から自然に恩寵を取り込んで、マナを回復してる。おんなじ感じで取り込めばいい」
「取り込めって言うけど、どうやるんすか?食べればいいんすか?」
言って、スサは壁に浮かんだ光の粒子を摘まんでみる。そうして口の中に粒子を放り込もうとするが、その前に粒子がふっと消えた。
「わっ、消えた」
「そういうこった。食べる必要はねぇ、っつうか、食べる暇すらねぇ」
突然光の粒子が消えた指先を見つめるスサを見て、愉快そうにミナカが笑う。
スサの視線がミナカの顔とスサ自身の指先を何度か往復する。そして意を決したようにもう一度壁についた粒子を摘まむと、やはりすぐに、光の粒子は溶けるようにして消えた。
「ほえぇ」と気の抜けた声を出しながら、スサが指先をじっと見つめる。
「え?これで取り込んでるんすか?」
「あんま小さいと足しにならんらしいから、でかい塊見つけたら取り込む、とかそれぐらいの気持ちでいりゃいい。とにかく生身で触れりゃぁ取り込めっからな。
あぁ、忘れてた。こっちもやばいから言っておく。遠征地は楔が近いせいか、マナは自然に回復しない。気づけばマナが切れてることもあんから気ぃつけろよ」
「了解」
「っし。じゃぁ、ミナカ隊、行くぞ」
ミナカが振り返り、洞窟の先に見える真っ白い空間に向けて歩き出した。




