第十四話 征く先を識る
ミナカ隊の面々が、それぞれに遠征について知った翌陽、テル達三人は日課である早朝訓練のために、塔に集まり、ミナカを待っていた。
遠征隊に加わることへの期待と不安が入り混じった結果、心情を押し殺すために自然と無表情になり、ただ沈黙することになり、普段とは何か違う妙な緊張感を、三人は感じていた。
しばらくして、訓練棟に繋がる扉から出てきたミナカの評定平均は不機嫌さがあからさまであった。足早にテル達の前に立ち、三人を見渡す視線に、その表情の原因を軽々しく触れられる雰囲気ではないと感じた。
触れずとも、なんとなく原因は察していたものの、だからといって妙な緊張感が消えることはなく、三人は直立不動のまま、ミナカが言葉を発するのを待った。
「訓練に出る前に、テメェらに言っとくことがある」
集合の規定時間になると、その時を待っていたのか、ミナカが開口一番そう切り出す。不機嫌な表情とは裏腹に、落ち着いた声で会話は始まった。
「次の遠征にミナカ隊も参加することになった。業腹だがな」
想定通りの言葉に三人は安堵する。ミナカが不機嫌であることに変わりはないのだが、その原因が予測の範囲内であったことに安堵したのだ。
一方で、予測どおりであったということは、遠征隊として三人は未だ力不足であると思われている、そういうことでもあった。
「テル・アマチ、遠征隊への参加、拝命しました」
「ミヤ・クラキ、遠征隊への参加、拝命しました」
「スサ・コウノ、遠征隊への参加、拝命しました」
それでも、「自分たちに出来ることをする」と、そう決めていた三人は、自分たちが、未だミナカに認められるに至っていないことを申し訳ないと感じる、その気持ちを胸の奥底にしまい込み、ミナカから伝えられた命令を受け入れる。
遠征までに残された時間はわずかかもしれないが、それまでに少しでも力をつけること。自分たちに出来ることはそれぐらいだ、と、多少程度の差はあれど、三人はみなそれぞれに同じことを考えていた。
だが、ミナカからすれば、そんな三人の決意と態度は違和感でしかなかった。
本来、遠征隊に参加できるということは、一人前として認められたということだ。多かれ少なかれ何らかの喜びの反応を見せるだろうと予測していたのが、彼らは唯々諾々と命令を受け取るのみ。
それはミナカが知っている彼らの性格からはあり得ない反応だった。だから……。
「テメェら、何で知ってる」
ミナカにはそうとしか、考えられなかった。そして、彼の推測が外れていなかったことは、すぐに知れた。
「1つ陽前に、訓練場でお会いしたヒノ隊長から伺いました」
「あのっ……」
テルの言葉に対して悪態をつきかけ、ミナカは言い留まる。
思い返せば、遠征隊にはヒノ隊の名前もあった。ヒノ隊も今回が初の参加だ。同じ初参加同士、声を掛けられたとして、さほどおかしな話ではない。
そもそも公表された時点で、秘匿義務は解除されている。
「知らなかったとはいえ、先に伝えてすまないことをした、と仰ってました」
ミナカが何かを言い淀む表情を見て、テルはヒノが独り言のように言った言葉を、少し形を変えて伝える。実際には、ヒノからミナカに対して謝罪の意を伝えてほしいとまでは言われていない。それでも、こう伝えるほうが互いのためにいいだろう、テルはそう考えた。
「……まぁ、仕方ねえ。知ってんなら心構えは済んでんだろう。その言いっぷりだと、ヒノからは他には聞いてねぇな」
「はい」
ミナカは胸に溜めたものを吐き出すように息を大きく吐き出すと三人を見渡す。
「本遠征の作戦要項を伝える。オレたちは第二遠征部隊に入る。隊長はイザキ、副隊長はホノ。
第二遠征隊は全部で三つの小隊に分かれるが、うちが所属するのはその内の第二小隊だ。
第一小隊が転移陣の周辺地域を制圧。第二小隊の目的は楔の捜索と破壊だ。後詰めで第三小隊が続く。
小隊は更に十の分隊に分かれる。分隊は基本いつもの部隊単位だ。
第二小隊の当初任務は捜索で、分隊ごとの個別行動。つまりいつも通りってことだ。
第二遠征隊第一小隊の出発は三つ陽後、以降四つ陽毎に次の小隊が続く。行軍装備は通常、得物は各自保有のものを持参、以上だ。
何か質問は?」
テルが手をあげたので、ミナカは「言え」とだけ伝える。
「第二遠征隊だけで百名を超えるんですか?」
「聞いてなんになる。数えりゃ分かるだろ、んなの」
「そこまで転移陣が拡大したのかと」
さすがに気付くか、とミナカは心の中で呟く。転移陣の転送容量に限界があることは公にはなっていないが、事態の深刻さを考えれば、これまで一度の遠征で派遣される部隊は少なすぎた。
初の遠征ならば、遠征先の様子を確認するためという説明もつくが、それが何度も続けばさすがに疑問に思う者もいるだろう。
遠征に派遣する部隊数は、増やさないのではなく、増やせない、そう考えるのは自然の流れだ。
「まず転移陣はテルの推測どおり、一度に送還出来る容量に限界がある。詳しい仕組みは俺も知らん。
神の恩寵が減少を続ける事と関連してるっつうから、「拡大」という表現は、合ってんのかもな。
で、さっきも言ったが、今回は小隊単位で五月雨の転送だ。転移容量はそれでやりくりする。言い換えりゃ、戦線が厳しくても、安易に援軍は期待出来んから、そのつもりでいろ」
「これまでそうしなかったのは何故ですか?」
「転移陣の送還に限界があるっつったよな」
「それは……。今回は還ることを考慮しないということですか」
そうだ、とミナカは心の中で肯定するが、口にしたのは違う言葉だった。
「様子見は終わりってことだ。楔の位置のおおよその情報が手に入った、らしい」
「楔の位置が?」
「神の恩寵の減少が激しいって理由もある。俺たちには思ったより時間がないらしいな」
テル達三人が息を呑む。自分たちの至らなさが許される時は終わっていたということだった。
少しの沈黙のあと、ミヤが手を上げて質問を続けた。
「戦線、と呼べるほどの集団戦になるでしょうか」
「楔が見つかりゃ、そういうこともある。『ウツロ』は楔の近くに集まりやすいって話を聞くからな」
目的の達成には、激戦は免れないということだった。
『ウツロ』の強さは千差万別とはいえ、中には隊長格をも上回る個体もいると聞く。
数が多ければ、そうした特異体にあたる可能性も高くなるということだった。
「ビビったか?」
三人の気配を察し、ミナカが意地の悪い笑みを浮かべる。
だが、至らない事を自覚している者としては、自らの力が足りないことはただの事実だ。
恐れはない、といえば嘘になるが、だからといって、逃げ出したいとは、誰も思わなかった。
「無駄死にしないようにするだけです」
「はっ」
身の程を知らず粋がるだけの輩は見苦しいが、だからといって、覚悟を決めて思い詰めた輩も暑苦しい。
そのどちらでもない目をした三人に、「ヒノの野郎か」と、ミナカは思う。
己が身を守れという指導をミナカはしない。賢く立ち回れと伝えはする。
熱に溺れず、踏み込みすぎず、一歩引いて、次を見ろと言う。
誰を活かすか、誰を生かすか。
突き詰めていけば己が生きねば何もできない事に気付く。
死ねばそこで全てが終わる。
より良きを求め立ち回るなら、死は自然と縁遠くなる。
――しかし、そいつは結果論だ。
生に執着すれば死が近づくこともある。死の先に生を見出すこともあるのだ。
だから、ミナカは、何をおいても生き延びろなどと言うつもりはない。
代わりに言うのだ。「賢くなれ」と。
「およそヒノの言葉に感化されたんだろうが、いいか、テメェら。生きることに拘るな。ただ、賢くなれ。最良を選べなんて言わねぇ。その瞬間に出来る、よりましな選択をし続けろ。誰一人として失いたくなきゃな」
「無駄に死ぬのは賢くありませんから」
ミヤが返し、ミナカがもう一度鼻で笑う。
「言ったな。だが、それでいい」
闇星一つ潜る間に、一体何が変えたのか、子供の成長はあっという間と話に聞くが。
――やはりまだまだ子供らしいな
憎まれ口の心の声とは裏腹に、ミナカは三人を見て満足そうな笑みを浮かべた。
△▼△▼△
それから七つ陽後、テル達は、彼らが住む『キト』の街の外周部に位置する転移陣の前に居た。
転移陣は地面から数段ほどレンガが積み上げられた台座の中央部に大きく刻まれており、刻まれた紋様は、時と共に風化することを防ぐために、四方を同じく煉瓦造りの建物で覆われ、護られている。
空気が淀まぬよう、精霊が歪まぬよう、建物の高い位置には窓が備え付けられ、定期的に浄めの儀式が行われていた。
転移陣に乗れる人の数は五十名が精々だが、一小隊を送るだけならばそれで十分だった。
第二遠征隊の一番手となる第一小隊の出発時には、儀式として、第二小隊、第三小隊も建物の外で整列し、第一小隊を見送ったが、次陣となる第二小隊の出発は、第二小隊のみ転移陣の上に集合となっていた。
一分隊、原則五名からなり、その分隊が全部で十。およそ五十名の小隊が、分隊ごとに一列に並び、皆が彼らの前に立つ一人の男を見つめている。
その男は、幾ばくかの白い髪が混じった、黒髪の短髪に黒い瞳。顔には頬や額にこれまでの歴史を感じさせるような皺が刻み込まれた風貌をしていた。
体格は、黒の隊服で分かりづらいが、広い肩幅に服に張り付くような胸板、脚の肉付が、これまで歴戦を潜り抜けてきた勇士であることを物語っている。
男の名はイザキ。第二遠征隊の隊長だった。
第一小隊による周辺制圧の目処がたった為、第二小隊の出発に合わせ、一度こちらに戻ってきたのだ。
「諸君らには、第一小隊は出発の折、今回の遠征の意義、目的は語っている。故に、多くは語らぬ。我らの未来は諸君らの双肩にかかっている。恩寵を我らの手に!」
「「「恩寵を我らの手に!」」」
踵を揃え、右手を左胸に当て、イザキが隊員たちに向けて声を上げると、隊員たちもまた、それに倣い声を上げる。
音は転移陣を囲む壁を震わせ、音響となって幾重にも重なり部屋に満たされる。
その音響が消えない内に、転移陣から淡い光が立ち上がってくると、光に呑み込まれていくように、隊員たちは姿を消していく。
やがて、誰もいなくなった転移陣の上には、彼らが残した声と想いだけが残された。




