第十三話 何の為に戦うのか
「さて、振り返りを行おうと思うが、その前に、テル、ミヤ」
「「はい」」
「最後は、刺し違えを狙ったな?」
「はい」
「そうか」
ヒノは目を閉じると数秒ほど押し黙る。
テルはヒノの背後に見える、他の訓練をしていたはずの隊員たちが、いつの間にか手を止め、こちらを、正確にはヒノを見つめていることに気付いた。辺りを見渡してみれば、訓練場にいた多くの隊員も皆、動きを止めてヒノたちを見ている。
「皆も聞け!」
ヒノは目を開くと、ゆっくりと周囲を見渡した後、声を張り上げる。
それは周りが自分たちに注目していたことなど当然のような振る舞いだった。
いや、実際にヒノは訓練中から気づいていたのかもしれない。周囲を見る余裕のなかったテルたちとの、それが明確な実力の差であると感じた。
「まもなく次の遠征隊が組まれる。遠征には様々な危険も伴うだろう。
……だが、思い出すがいい。
お前たちはなぜ戦うのか!何の為に戦うのか!
『ウツロ』を討つためか?神の恩寵を取り戻すためか?」
その声は、ヒノたちに興味を持たないようにしていた隊員たちの手を止めていた。
その様子はまるで隊員たちを観客としたヒノの独演場にも見える。
「それらはただの手段に過ぎない。
お前たちはなぜ戦うのか?
それは、明日を生きるためだ!
汗を流し、血を流し、技を磨くのはなぜか。
生と死の狭間を縫うような、時には命を掛けるかのような訓練に臨むのはなぜか?
皆で明日を迎えるためだ!
いいか!
安易に命を賭すな!
生きろ!
生き足掻け!
命を賭して何かを為す訓練をするのではない。
命を賭さずとも為せるように技を磨け。
誰一人として、賭けてよい命など、欠けても良い命などない。
……もう一度言う。
生き足掻け!
以上だ!」
しん、と静まり返った訓練場に、ヒノの声だけが城内の壁を反射し、音の波となって響く。
その残響が消えるより早く、誰が最初にそうしたのかは分からなかったが、まるで音の波が引くのに合わせて、その波を返すかのように、隊員たちがかかとを揃える。
軍靴にあしらわれた鐵が打ち鳴らされ、かんっ、と鐘のような音が響く。次いで揃えた靴底が床を叩く地鳴りのような音が響き、最後には、右手を左胸に当てる際の、衣の擦れと胸を叩く音。
それはまるで、人々の決意を奏でる短い音楽のようでもあった。
ヒノはそれらの様子を見渡すと、突然険しい表情をへにゃりと表情を崩し、笑みを浮かべた。そうして、おもむろに両手を挙げると、手のひらをひらひらとさせる。
「ほら、分かったら、全員さっさと訓練に戻れ。見世物じゃないぞ!」
再び、一瞬の静寂が部屋を覆う。だが次の瞬間には、多くの隊員の笑い声が辺りを満たした。
「いやいや、そりゃないでしょ」
「皆聞けっつったの、ヒノ隊長じゃん」
「見世物じゃねえ、とか、どの口が言うんですか。あ、可愛らしい小柄な身体に似た、ちっちゃくすぼめた口ですか」
「何やらしても目立つよね、隊長」
「おいっ、誰か今、さりげなくアタシのこと馬鹿にしたろ」
「ひゃあっ」と、いいながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく隊員たちと、そんな様子を笑って眺めながら、思い思いの言葉を口にして、訓練の続きに戻る隊員たち。誰が言い出すわけでもなかったが、そうした振る舞いが彼女なりの気遣いであることぐらい、この場にいる誰もが察していた。
それを満足げな表情で見送ると、ヒノは改めてテルたちに向き直る。
「……さて、始めるか」
先程までのあれは何だったのか、そう思わずにはいられない程、今から始めるぞ、という雰囲気で切り出したヒノに、テル達は思わず笑みを零す。
「まずは、アタシが組み立てた戦術から話すか。
方針は二つ。思考の間隙を作る。数を減らす。これだけだ。
一つ目だが、最初と最後にそれぞれ種類の異なる目くらましを使ったが、そのどちらも、うまく嵌ってくれたな。
魔獣がこうした目くらましを使うことは考えづらいが、奇をてらった行動と考えると、ありえない話じゃない。その時、如何に動じずに対処法や回避法を迅速に考えつくのかが重要だ。生死を分けかねないからな。よく身体に覚えさせておけ。
それと、視覚に頼らない戦い方は持っておくといいぞ。もしくは、視覚に頼れなくなったときの対処法だな。考えておくように。
二つ目だが、この点についてはスサに悪いことをした。訓練にも関わらず、早々に落としてしまった。まあ、でも、お前ら三人全員が相手となるとアタシにも余裕がなかったからな。許せ。
二人なら常に視界に捉える動きもできるが、三人ともなるとそれが難しい。仕方なく、数を減らさせてもらった。言い換えれば、お前たちは数の優位性を絶対落とさず保て、ということだな。
ちなみに、仮にアタシの初手が防がれた場合、次の手は、途中で使った風の盾だった。数を減らしたにも関わらず、ミヤがうまく仕掛けてきたので結局使わされてしまったよ。あれはいい時機だった。
風の盾は使いどころが難しいが、背後からの奇襲や、防ぐ手が足りないときの追加の防御として役に立つ。使えるようになれ、とは言わないが、魔術は工夫次第でどのようにも化けることだけ覚えておけ。
ここまではいいか?」
ヒノがそう言って見渡すと、スサが遠慮がちに手を挙げた。
「なんだ?」
「理屈は分かるんすけど、今回、最初と最後の目くらましと、その後のヒノ隊長の攻撃はどうすれば防げたんすか」
「……勘、だな」
「それは、不可能ってことっすか」
「いや、当てずっぽう、という意味ではないぞ。経験と知識に基づく直感だ。相手の動きへの違和感。動きの流れの中で、次に相手がどう動くのかという推測。そうした様々な要素から、気付いて対処する」
「うーん……。それは、経験を積めってことっすね」
「端的に言えばそうだな。少なくともお前たちは今回の事で、一つの経験を得た。こういう戦闘の流れがあるという経験が重要だな。スサの求める答えそのものではないだろうが」
「いえ、分かりました。知識としての経験と、それを活かせるための鍛錬を重ねるっす」
「うん、それでいい。さて、では、お前たちはどういう戦術で進めるつもりだったのだ」
「攻撃系の魔術は禁止事項ですので、三方から距離を詰め、波状攻撃による手数の差で抑え込む予定でした」
ヒノの質問にテルが答える。
「ふむ。相手の攻撃範囲がわからない中で、どう距離を詰めるつもりだったのだ」
「隊長の正面に立つものが牽制をしながら、他の二名が死角から詰める、これを繰り返し、包囲の輪を縮めます」
「なるほど。アタシが「人」である前提の戦術だな。そのため、初手の奇襲に反応が遅れるわけだ。敵の攻撃範囲を見た目で反応するなよ。突然腕が伸びるようなものもいる。今回は放出系の攻撃魔術を禁じるとは言ったが、それが即ち見た目の攻撃範囲とならない。そのことを分からせるための目くらましでもあった。
しかし、お前は反応したな、テル。なぜだ」
「目くらましが来る直前に、隊長から何か膨れ上がるものが「視えた」気がしました。それで、何かがくると考え距離を取りました。隊長はあの暗闇の中でも見えていたのですか?」
「……テルの「視た」というものは、人の放つ気配のようなものだろう。先程の勘同様、言葉にはしづらいが、大事な感覚だ。磨けよ。
アタシが見えていたか、という質問については、テルと同じようなものだ。
目くらましをする直前に、アタシに向けられていた圧が薄れた。それで、気付いたか、と思った」
「なるほど」
「その後は、ミヤにやられたな」
「テルが隊長の意識を引きつけていたので、当初の作戦通り距離を詰めました。こちらに気づかれていないようでしたので、そのまま、と思いましたが、隊長の風の盾に防がれました」
「ミヤの見立ては合っている。あの時にアタシはミヤに気付いていなかった。だが、テルに集中する間、後方が疎かになるからな。死角になる背中に風の盾を一時的に仕掛けておいた。狙いは悪くなかったと思うぞ」
にこりと笑顔を浮かべるヒノに、ミヤは頭を下げる。
「ありがとうございます。ですが、弱点に見える部分は誘いの可能性もあるのですね」
「誘い。うん、まぁ、そうだな。敢えて狙いやすい箇所を作ってそこだけ守るんだから、誘いと言ってもいいな」
「俺は隊長のその魔術を見て、自分が攻撃魔術にこだわっていたことに気づきました。そこで、風の魔術で隊長の足を絡めて、動きを止めようかと思いましたが、隊長に察知されて避けられてしまいました。後はとにかく、隊長に攻撃させる隙を与えてはいけないと畳みかけようとしましたが、二度目の目くらましにやられておしまいです」
「狙いは悪くなかった。しかし、最初に言ったが、自分の命を賭すことを前提とするような戦術は最後の選択にしておけよ。訓練だからと思っているかもしれないが、いざという判断が必要になったとき、咄嗟に選択するのは、普段やり慣れた動きだ。普段から、生き残ることを前提に動くことだな。生きていれば次がある。死ねばそこまでなのだから」
「はい」
「そうだ。テル、最後、速度に緩急をつけたな。あれは相手の意表を突く上では良かったぞ。ここぞというときにしか使えないが、相手の意識の裏をかくって考え方はいい」
「ありがとうございます。でも、避けられました」
テルの言葉にヒノは少し胸を反らした。
「ま、そういうのが得意なのがアタシだからな。自分の得意分野でなら、まだまだ負けてはあげられないね。でも、アタシじゃなきゃ、テルかミヤのどちらかの攻撃を避けきるのは難しかっただろうよ。
よし、ここまでにしようか。引き続き励めよ」
「「「はい」」」
「状況はここまで酷いか」
テルたちがヒノと戦闘訓練とその振り返りを行っているその時、ミナカは自室でムスヒから今回の遠征計画の内容を聞いていた。
小さな部屋。南側に窓が一つ。北側に扉が一つ。それ以外はレンガで仕切られた壁で囲まれている。扉の右手奥に寝床が、左手奥には机が配置され、左手前には隊服をかける衣紋掛けが置かれている、それだけの部屋だった。
寝床に腰掛けたムスヒは、肘を膝の上に乗せた姿勢でミナカの背中を見つめる。
「他国がどうかは知らないけど、神の恩寵の減少は確実に影響を及ぼし始めてるね。イスイ地域では妖精の数が激減したって報告もある」
「オレたちに影響が出んのも時間の問題ってことか」
「そんな状況にも関わらず、遠征先の調査が遅々として進まず、楔の破壊も捗らない。転移陣の発動すら出来なくなったら詰みだからね。焦りもするよ」
「そんで派遣部隊数を増やすってか。だが、大量に部隊送り込めるほど、穴は拡がってねぇんじゃねぇのか?」
「まぁ、拡がらないからこそ、今の神の恩寵の枯渇が酷いとも言えるんだけどね。
元々今回は、派遣されたら楔見つけるまで帰ってくるな、ってことだよ。それで戻れなくて時間切れになるって部隊があっても、すぐ次を派遣できるようにね」
「上はオレたちを単なる駒とでも思ってんのか!」
ミナカは立ち上がると椅子を蹴り上げる。だが、それが浮き上がるよりも早く、ムスヒが椅子を上から抑えつけた。
椅子の背に手を乗せると、それを杖代わりにするようにムスヒは立ち上がり、ミナカの肩に手を乗せる。
「怒んないでって。上も焦ってる。でも、それは皆を死なせたくないからだ。分かるだろ?
上だって大量に送れば、撤退にも支障が出るのは分かってる。出来る限り対策は打ってるけど、いくらかの危険が伴うのは仕方がないと判断したんだよ」
ぎり、と音が聞こえるぐらい、ミナカは強く歯ぎしりをすると、机に思いきり手を振り下ろそうとして、直前でその手を止めた。
自分は何を憤っているのか。
「文句垂れるだけなら誰だって出来る……。上の出した作戦案に代わる何かを思い付かねぇテメェ自身に一番腹が立つっ」
なんでこんな分かりやすくて素直なのが、隊長職、しかも、幹部候補なのかなぁ、と、ムスヒの心に、哀れみと、興味と、愛しさと、それらが撚り合わさった不思議な感情が湧き上がり、胸が熱くなるのを感じる。
それでも諦めるつもりのないところが、惹かれるよね、と。
「誰も零さねぇ」
放って置けばただ死にゆくだけのこの世界の仕組みをぶっ壊す、そのために戦うのだ。だが、その先に人が生きていなければ、仲間が生きていなければ、なんのために戦っているのか。
だから、誰も零しはしない。
ミナカは改めてそう誓う。
この世は全て大いなる神が暇つぶしのために仕組んだ壮大な遊戯なのだとムスヒは考える。
そう考えなければ、なぜ世界は救われない有り様をしているのか説明がつかないではないか。
大いなる神は遥か彼方から眺めて楽しんでいるのだ。滅びに向けて進む世界という遊戯盤の上で、人々と神々、大いなる神にとっての駒たちが、足掻く様を、予想外出来事が起きる様を、それとも、思い通りに滑稽に動く様を。
自らが飽きぬよう、様々な条件をつけて。
だから、駒である自分もまた、愉しむのだ。
大いなる神が楽しむように。盤面上で駒を動かし、時には思い通りにいかないもどかしさもまた、愉しみであると、その魅力に惹かれて。
ただ、盤面の駒が、盤上を飛び出せたなら、それもまた面白いだろう、とそんな妄想もまた、楽しみの一つだった。
だから、ムスヒもまた戦うのだ。
ここにいることが、最も自分の愉しみが詰まった場所だと、そう思うから。
「僕も、誰かに操られる人生はごめんだね。だから、手伝えることは手伝うよ」
その申し出を「意外だ」という目でミナカはムスヒを見る。ムスヒは、その予想通りの反応がまた愛おしい。
「大事なミナカが大変な時には手伝うのは当然でしょ」
「言ってろ」
苦々しげに言葉を吐き捨てる、生意気で可愛げのあるこの顔が、笑顔で満ち足りた未来を見たいと思うのか、絶望に満ちた未来を見たいと思うのか、それはムスヒ自身にもまだ分からないことだった。




