第十一話 先達からの結び
成人した男性が歩けば、端から端までおよそ百歩程あるだろうか。数多のレンガが円筒に積み上げられ、組み上げられたその建物は、テル達が所属する望星隊の拠点となる建物の一棟だった。
その円形状の部屋の中央で、ミナカを前に、テル、ミヤ、スサが並び直立不動の姿勢を取っている。
円の左右の両端には、それぞれ、宿舎に繋がる扉と、食堂や訓練棟に繋がる扉があり、テル達の背後には、この建物の入口となる大扉がある。
光星を空に頂く昼間帯であれば、扉は開け放たれておりこの地に訪れることが出来るものならば誰でも入ることが出来た。
大扉の両脇には、様々な武具が立てかけられており、いくつかのまとまり毎に仕切りとなる立て板が置かれていた。これらは彼ら望星隊の任務時に使用する武器であり、各隊隊長の許可を得た後、仕切りの扉を開いて武器を持ち出すことが出来るようになっている。
今回の訓練任務を終えたテル達は、既に背後の武器庫に武器の片づけを終え、この場に立っていた。
「本日の訓練はこれにて終了する。各自、本日の反省点を忘れず、自主訓練に励むように」
ミナカの言葉に合わせて、テル達はかかとを合わせると、右手を左胸に当てる。望星隊における敬礼にあたる仕草だった。
ミナカは三名を見渡すと頷き、声を張り上げて宣言した。
「以上、解散」
隊員たちを見送った後、ミナカは訓練結果の報告書を記述するために、まずは自室に戻ることにした。
その日の戦闘経過の報告、各隊員に対する期待値と結果、それに伴う評価。今回は異常事態が挟まってしまったため、その点についても触れる必要があった。
自室に戻ってからやるべきことを頭の中で列挙し、報告書なんて誰が考えたんだ、と心の中で悪態をつきながら廊下を歩いていると、不意に前方で彼の名を呼ぶ声がした。
はっとして名を呼んだ者の顔を見て、ミナカは顔をしかめる。
「ムスヒか」
「そんな分かりやすく嫌な顔をしないでよ」
背中まで伸びた黒髪は艶やかで、塔の壁に掛けられた蝋燭の薄明りであっても、煌めきを湛えている。切れ長の黒い瞳の周りには黒がより映えるように濃い蒼の線が引かれていた。隊服の黒が元々長身で細身に見える身体を更に細く見せている。
一見女性のようにも見えるこの男はムスヒと言い、ミナカと同じ望星隊の隊長職だ。
何を好んでかは分からないが、ムスヒはなぜかミナカに懐いていた。短髪の黒髪に濃い茶色の瞳、日ごろから足音も立てず歩く癖のあるミナカを猫のようとも、虎のようとも人は言う。そんな彼とムスヒが並ぶと、美男美女でお似合いだ、と茶化す者もいて、ミナカとしては、あまりムスヒと一緒に行動するのを好ましいとは思っていない。
それに、ムスヒには悪いが、彼と話しているとなぜか背中がむずむずするのだ。
「訓練終わったんだよね。この後、時間ある?」
「ない」
「つれないなぁ」
あからさまに落ち込んだ顔をするムスヒをおいて、ミナカは自室に戻ろうとする。実際、この後やるべきことを考えれば、暇ではない、というのは事実だ。
「次の遠征隊、ミナカの所も呼ばれるらしいよ」
通り過ぎようとした所で、ムスヒがそう声を掛け、ミナカは立ち止まらざるを得なかった。
「アイツらが遠征に出るにはまだ早い」
「そこは僕にはなんとも言えないけど、焦ってるってことじゃない、上も?」
このまま振り返らず立ち去りたい気持ちはあるが、一方で遠征隊の話を捨ておくことも出来なかった。
遠征ではどうしても『ウツロ』との遭遇確率が上がる。今回自分が相手取ったような格の獣と遭遇する可能性もある。
今の三人は、例え三人であったとしても、今日相対した獣を討伐することは出来ないだろう。そんな獣にあちらで複数体遭遇したなら、無事に連れ帰る自信などなかった。
隊員は貴重だ。そのため、遠征の時期も、選抜される隊員も、慎重に検討を重ね、決定される。
だからこそ、一度決まれば覆ることは難しい。だが、なぜ今回なのか、その理由も分からないまま彼らを遠征に向かわせる気にはなれなかった。
右手を顔に当て「あぁ」と呻くミナカを、ムスヒはじっと見つめる。
まっすぐなミナカが今心の内で何を考えているのかが、彼には手に取るように分かる。人を寄せ付けない粗野な態度を取りながらも、自分の内に入れてしまったものは、なんとしてでも守ろうとする。
そんな彼であるならば、遠征に連れていかざるを得ない隊員たちの事を思い、如何にすれば脅威から遠ざけることが出来るのか、そのために今、自分が何をすべきなのか、自分の望みと反していてもしなければならないならば、そう葛藤しているのだろう。
ムスヒは乾いた唇を舌で濡らし、ただ、ミナカが結論を出すのを待つ。
どれだけ彼が悩もうと、見えている結論が変わるわけはないと分かっているが、その過程も含めて、眺めていたいのだ。
ミナカは顔を覆うように当てていた右手で髪をぐしゃと握りしめた後、何かを振り切るように右手を振る。
「……今日の報告を終えるのが先だが、テメェがそれを待てるというなら、部屋まで来るか?」
「ん?いいの?」
「遠征の話、知っていること聞かせてくれ。さっき、次の遠征隊には「俺も」、って言ったな。ってことは、テメェのところも出んだろ」
さすが、と心の中で賞賛の声を上げながらムスヒは笑みを浮かべる。
これだから油断ならない。これだから面白い。
「聞いてきた範囲でいいなら、話せるよ」
「で、時間はあんのか?」
「僕から誘って、「時間ない」なんて言うわけないじゃない」
ムスヒはミナカの手を取って歩き出そうとして、ミナカから手を振り払われる、その一連の流れまで含めて、改めて心からの笑みを浮かべた。
ミナカがムスヒの伸ばした見えない糸に絡め取られている頃、テル達三人は食堂に繋がる渡り廊下を歩いていた。
「遠征、いつになったら行けんだろうな」
「今日みたいなのと遭遇することが当たり前のような場所なら、まだ力不足だとは思う」
「……悔しいな」
スサがぼやくように呟いた言葉を聞いて、テルは俯き立ち止まる。
「未熟なことが?」
「……そうかも。なんだか頭がぐちゃぐちゃで自分でも分かってないからうまく言えないけど。
神の封印が行われてから、世界に満ちた恩寵は少しずつ減少している。
いつかくる滅びの日を回避するために、俺たちは力を磨き、訓練を続けてる。
そして、ようやくその積み重ねが活かせるようになったという時に、俺たちは先達と比べて、どれほど強くなれたんだろう。
強力な魔獣は相当数討伐され、遭遇する機会は減った。
隊員たちが訓練を兼ねて行ってきた巡回での殉職率も昔に比べればほとんど無くなった。
技は磨きあげられてきたかもしれないけど、死戦を潜り抜ける経験は、きっと過去よりも少ない。
それは先達の積み上げてきた結果でもあるし、世界に満ちていたマナが減っているからでもある。
でも、それは同時に滅びに向かってる証でもある。
なのに、今日、俺達は何ができたんだろうな。そう思うと、悔しいなって思った」
無意識の内に強く握りしめられていたテルの拳を、ミヤは下から支えるようにして手に取った。
テルはその感触にはっと意識を引き戻されると、気づけば俯いていた頭をゆっくりと持ち上げる。
ミヤはいつもと変わらず、喜んでいるとも悲しんでいるともわからない表情を浮かべ、テルを見つめていた。敢えて当てはめるとするなら、その瞳の奥に慈しむような感情が揺れて見えた。
「まだ、何も出来てないけど、この手があるよ」
「……」
「まだ、なんだって出来るよ」
ミヤはもう片方の手で、テルの拳を今度は上から包むようにして触れると、テルの胸の近くまで持ち上げる。
「諦めたわけじゃない。傷ついたわけでもない。だから、出来るよ、なんだって」
テルに向けたように語るその言葉は、ミヤにとって自分自身にも向けた言葉だった。今はまだ至らないかもしれない。でも、「今はまだ」でしかない。
ミナカは自分たちに才能がないとも、諦めろとも言ったことはない。「お前たちにはまだ早い」、「自惚れるな」そんな言葉はかけられたことはあったとしても。それは、そういうことなのだ、とミヤは思う。
「……とりあえず、訓練棟行くか」
普段はあまり話さず、話したとしても事務的な会話がほとんどのミヤが、珍しく感情を込めて話してる、そんなことに驚きを覚えるスサだったが、さすがにそれを茶化す時ではないことぐらいは分かっていた。
代わりに、今の自分らしい言葉を口にすることにする。
「そうだな。まだ、何にも出来てないのに、何偉そうに悔しがってんだって話だよな」
テルが笑顔を浮かべるのを見て、スサがテルの背中を二度ほど叩いた。
「とりあえず、うちの口の悪い隊長に、「お前ら、適当にやっとけ」って言わせるようになんねーとな」
「なんか、分かるんだけど、嬉しいような、嬉しくないような」
「そうね」
三人は顔を見合わせると、自然と笑みが溢れていた。
テルは拳を握りしめていた力を緩め、開きながら、もう片方の手をミヤの手の上に重ねる。
「ありがとう、ミヤ」
「うん」
ミヤは重ねていた手を放すと、一歩退く。
二人のそのやりとりを見届け終え、スサは「行くか」と声をかけ、もう一度テルの背中を叩いた。
次のお話から、週二回の投稿になります。
月曜と木曜の8時に投稿予定です。
二章までは書き終えてますが、
一話あたりにかかる時間が
それなりに必要なので
申し訳ありませんが
宜しくお願い致します




