第九十二話 消える烏
傭兵ギルドを後にしたティベリオは、教会に向かおうとした足を止め、ギルドを振り返った。
「まだ何か聞き足りないことでもあるのかな?」
ティベリオが足を止めたことに気づくと、ロメオは彼の元に歩みより、そう尋ねる。
「いえ、そういうわけでは」
「じゃぁ、何が気になるんだ?」
「こちらが調べたことについては何も聞かれなかったこと、でしょうか」
ティベリオは、傭兵ギルドもまた教会に関する調査依頼を受けていたのなら、彼が調査した情報の提供を要求するか、今後の協力体制を要望するか、そのいずれもか、何らかの見返りが求められるだろうと考えていた。
だが会談が終わるまでそれは一度も求められず、一方的に情報は提供され、早々にその場を去ることになった。
それはなぜか。ティベリオは気になったのだ。
「なぜだと思う?」
「……心当たりがあるんですか?」
ロメオの尋ね方が、まるで答えを知っているようで、ティベリオは聞き返したが、ロメオは「そんなことはない」、と即答した。
「純粋に君がどのように考えたのか、興味があるだけだ」
ティベリオはロメオの表情から、その心理を読み解こうとしたが、それは徒労に終わった。こちらをからかうような表情を見せたかと思えば、途端に真剣な眼差しで目を見返してくる。その後は、視線を逸らすことなく、ただ黙り込んでしまい、それはティベリオが根負けするまで続いた。
「考えられることは三つです。ヴェッティ殿はこちらが調査する内容は本質に関りがないと判断しているか、聞くまでもなく知っていたか、こちらの調査能力を低く見ているか」
「どれだと思う?」
「二つ目の、聞くまでもなく知っていた、であって欲しいですね」
「なぜだい?」
「少なくとも、調査した内容が無駄ではない、と思えるからです」
「なるほど」
ティベリオの答えを聞き、ロメオは顔を綻ばせる。ティベリオにとって、ロメオの態度は気に入らないことが多いのだが、それなのになぜか、好意を持ってしまうようなそんな笑みだった。
「まぁ、彼ならあり得そうだね。それどころか、それ以上の情報も持っていそうだ」
「……それは、調査報告の一部を国に対して隠ぺいしているということですか?」
それがもし本当なら傭兵ギルドの意図的な依頼不履行であり、下手をすると国家反逆罪と断じられる恐れのある行動でもあった。
「確証のない情報は混乱をもたらすこともある。知ったことを包み隠さず全て伝えることが正しいわけではない。と彼は言うだろうね」
ロメオがヴェッティの重苦しい雰囲気の声を真似て話すのを聞き、「上手いですね」と言うべきかと悩んだティベリオは、彼の声真似に気づかなかった振りをすることにした。
余計なことを言って疎まれるよりは、気の利かない奴と思われた方がまだましだ、というのが彼の経験上の判断だった。
それよりもティベリオはロメオの言動の中で気になったことがあった。
「ヴェッティ殿とは付き合いが長いのですか?」
「……いや、なんとなくそう思っただけだ」
ロメオの言動はまるでヴェッティの人となりを良く知るような言葉だったが、彼は曖昧な笑みを浮かると、ティベリオの疑問を否定した。
「それより、この後はどうする?教会に戻るか?」
それは突然の話題の転換のようにティベリオは思ったが、傭兵ギルドでの調査結果を聞いた上で、今後どうするかを判断したい、そう言い出したのはティベリオだ。ロメオがティベリオに今後の判断を委ねることはおかしなことではないと思い直す。
尋ねられた事について少し考えた後、ティベリオは教会に戻らないことに決めた。
今の段階で教会そのものを調査したところで新たな情報が得られる可能性は薄い、そう判断したのだ。
代わりにティベリオは王立図書館に戻る事を考える。
教会の建造に「神子」が関わっていたかもという事実が頭に引っかかっるのだ。
教会の建造に使われた素材は一般的な素材であると判断したのはティベリオであり、その考えは間違っていないと今も考えている。
しかし間違っていないと思いながらも、傭兵ギルドで「神子」の名を聞いたことで何かが引っかかった。
素材では無くても「神子」が居ることで教会に何かが起きているのではないか。
何の根拠もなかったが、過去の伝承の中に、神子と教会、それから今起きている事象についての手がかりが隠されているのではないか、とそう考えたのだった。
王立図書館の書庫に戻るならば、騎士の護衛は不要になる。
ティベリオはロメオにこの後の行動を伝え、ここまでの護衛について礼を伝えた。
「与えられた仕事をこなしただけで、礼を言われることではない。それよりも、王立図書館までは送らなくていいかな?」
「教会に立ち寄るわけではありませんから大丈夫です」
ここから王立図書館に戻るだけならば、大通りに出た後はいつもの通勤経路のため、道に迷う心配もない。その程度のことにこれ以上騎士様を拘束するわけにはいかないと、ティベリオは思ったが、そこでふと、ある事を思いつく。
「送っていただく必要はありませんが、一つお願いをしても良いでしょうか」
「俺で役に立てることなら」
「なんなりとお申し付けください、お姫様」とでも言い出しそうな素振りで、ロメオは恭しく手を差し伸べる。ティベリオはその姿に反射的に身を引いたが、彼が大げさな「振り」をしているのだと気づき、姿勢を正した。
「聖堂の調査許可と、治癒術士に話を聞く許可を取っていただきたいのです」
「聖堂の調査許可は分かるが、治癒術士に話を聞く必要があるのはなぜだい?」
「教会と聖堂の治癒術士にどれほど交流があったかは分かりませんが、ここ最近、教会で気になることはなかったのか、「神子」の噂を知っているか、といったことが聞ければ、と」
ロメオの脳裏に一人の少女の困り顔と、二人の壮年の男性のしかめ面が浮かぶ。
だが、その表情を浮かべさせるのは、今に始まったことではないと、自然と笑みが零れた。
騎士然としていたロメオの表情が突然崩れ不思議そうにしたティベリオに、「なんでもない」とロメオは断りを入れる。
「どちらも奴らにあまりいい顔はされないだろうが、願い事は承った。頼んでみよう」
「ありがとうございます」
聖堂は貴族御用達の教会だ。平民であるティベリオには近寄りがたい場所である。だが、今回の調査において、建造物に使われている物質の差や、教会周辺での出来事を抑えておくことは必須と言えた。近寄りがたいから、と避けているわけにはいかない。
それならば、同じ貴族であるロメオに話を通してもらえないか、と思い願い出てみたが、思った以上にあっさりと受入てもらえ、ティベリオはほっとしていた。
貴族の中には平民を同じ人と見做さない者もいる。それはそこに身分という名の見えない壁が存在しているからだ。ロメオと会話をしていると忘れそうになるが、彼が協力的であるからと言って、そのことを忘れてはいけないとティベリオは思っている。
「それだけか?」
「はい」
「翌陽も教会に向かう予定はあるか?今の頼みの回答は翌陽に間に合わないだろうが、教会への用事があるなら護衛のためにそちらに伺う」
「いえ、翌陽は王立図書館で調べ物をする予定です」
「分かった。では、翌陽は代わりに俺の従者を遣わせる。もしも教会の調査に向かいたくなったら、その者に言ってくれ。すぐに駆けつけよう。では、失礼する」
「……ありがとうございます」
どこか仰々しい態度であったり、ティベリオを試すような言動をしていたロメオだったが、一方で、次は何をするのか、どこにいけば事が運ぶのかをティベリオに示してくれていた。
それはティベリオを試しているとも取れるが、ティベリオをたててくれているとも取れる行動だった。
国は依頼した立場であり、調査の主導権は王立図書館、ひいてはその王立図書館が指名したティベリオにある、そう考えての行動であるのかもしれなかった。
――芝居がかった雰囲気や、貴族に対する無意識の嫌悪感があったのかもしれない。
彼は最初から好意的に接してくれていたのに。
ロメオが去っていくその背中を見送りながら、ティベリオはそんな自分の浅はかな感情を反省した。
傭兵ギルド本部のある西の大通りを横切り、北西街区の路地に差し掛かったところで、ロメオは歩みを止める。
未だ光星は空高くに輝いていたが、貴族街である北側では路地を歩く人は少なく、周囲にはロメオ以外に人影は見えない。だが、彼はある一点を見つめると、突然独り言のように話し始めた。
「彼はこの後、王立図書館に向かうらしい。監視を頼む」
すると声を掛けた場所から、黒の麻布の服の上から黒の外套を重ね着た長身の青年が姿を現した。
「先程の従者とは私のことでしょうか」
「お前だから拾えることもあろう。頼りにしている」
「お言葉は有り難く頂戴いたしますが、私が側を離れれば、お守りするものがおりません」
「今更お守りされる年でもないだろう」
「そういうことでは……」
「これから聖堂の堅物どもとルクレツィアに挨拶してくる。一度戻ってな。そして翌陽は大人しくしている」
言い募る青年の言葉を遮るように、ロメオは続ける。
「故に心配は不要だ」
「承知しました……。この後の監視の任も承りました。ですが、この後、そのままお戻りになるわけにはいかないでしょう。戻るまではご一緒いたしますす」
「そうだな。そのまま戻るわけにはいかないか。では頼んだ」
「はっ」
青年が一礼をしたかと思うと、彼の姿が薄れ、そのまま見えなくなる。そして、ロメオの姿もまた、その場から消えていた。




