記憶について
今回『認知症』について少し書きます。
身内の方が認知症を患い今まさに介護している人を軽んじるつもりはありませんし、すごく大変だと思います。
介護するための体力的な疲れも、自分のことを相手に忘れられる精神的な疲れも。
そういうお話をするつもりはないのですが、誤解されたくなくて最初に説明させていただきます。
先日知人と会って話をしました。
その知人の親は認知症を患っていましたが、少し前に病で他界したそうです。
知人が認知症の親を介護していたときのエピソードをいくつか聞きました。
その中の一つに、知人がその親を連れてドライブしていた際、その親の実家付近に近づくと目つきが変わりキョロキョロソワソワしだしたことがあったそうです。
古い記憶が残る科学的根拠は知っていますがそれは置いておいて、私は思います。
──すごく愛おしいって。
他の人にとってはなんてことない風景や物事であっても、その人にとっては一番大事なこと。
その人が生きてきて、周囲から評価されなくても最後まで手放さずに心の奥底にしまっておいた"宝物"。
エゴかもしれませんが、それが周囲の気持ちではなく、周囲を意識した自分の気持ちでもなく、本当の『生きた証』ではないかと、そう思います。
私が母に聞いたことがあります。
「もし認知症になったら何を最後まで憶えてると思う?」
母の答えは、母方の実家の近くにあるお寺でした。
そのお寺は大きなイチョウの樹と湧水が有名。バス停が近くにあり、いつも身内とイチョウの樹に見送られながら通学していたそうです。
それを聞いたとき、私が絡むエピソードではないことを寂しいとは思いませんでした。
何となくですが母のことを『一人の女性』と捉えていて、私の知らない母のことを聞けたことが嬉しかったんです。
もし母が認知症になってしまったらその場所へ連れて行ってあげようと思っています。
私にも『最後まで残りそうな記憶』があります。
それは幼少期にほぼ毎日見た場所の記憶。記憶だけでなく私が亡くなったあとも魂がそこに残りそう。残りたい場所。
実家がある地域は人口が減っていて、『その場所』もそのうち通る人がいなくなるでしょう。
驚く人がいないならそこに出ても迷惑かからないはず!
ここまで書いておいてその時になったらアッサリ忘れるとか、あり得そうで怖いです。
サンマが美味しい季節。オメガ3脂肪酸を適度に摂ります。




