scene:23 サンジュの実
翌日、アメリアたちを連れて迷宮へ向かった。
「昨日、文字の勉強はしたのか?」
「はい、アメリアに一〇個の文字を教えてもらいました」
ヤスミンはアメリアに『様』を付けるのはやめたようだ。アメリア自身がやめさせたのだろう。ヤスミンの答えを聞いてデニスは頷いた。
「真名術の練習は?」
「ちゃんとしたよ。駆けるのが速くなった」
「よし、今日は二階層に下りて、毒コウモリを倒すぞ」
アメリアたちが嬉しそうに返事を返した。
この娘たちを一人前の迷宮探索者へ育て上げられれば、領民の誰でも迷宮探索者にできるだろう。その迷宮探索者が将来ベネショフ領を潤すことになる。
ただ六階層から利益が上がるようになるのは、時間がかかりそうだ。その前にサンジュの実から油が取れるか確かめなかればならない。
「アメリアたちはサンジュの実を知っているか?」
「知っているよ」
「去年、実を取りに行った」
フィーネが元気よく答えた。
「へえ、その実はどうした?」
「まだ家にあると思う」
「その実をもらえないか?」
「いいよ」
本当にサンジュ油の抽出が可能か、事前に調べたいと思っていたのだが、どうやってサンジュの実を集めようかと悩んでいた。今年のサンジュの実が収穫できるのは、一ヶ月ほど先になる。その前に確かめておきたいと考えていた。
迷宮に到着。一階層は素通りして二階層へと向かう。
「この階層の毒コウモリは、素早く飛び回る。『魔勁素』を使って身体能力を上げて仕留めるんだ」
アメリアたちが力強く返事をして、ネイルロッドを構えた。
その後、魔勁素制御の訓練も含めて、毒コウモリとの戦闘が開始された。毒コウモリは防御力が低いので簡単に仕留められる。ただ素早いので、正確に命中させるには瞬発力と敵の動きを観察する目が必要である。
毒コウモリとの戦いは、敵の動きを見る動体視力を鍛えるのに有効だった。時々引っ掻かれたり噛まれたりするが、デニスがサポートしているので大きなダメージを負うことはなかった。
「いやーっ!」「ほりゃっ!」「しゃーっ!」
騒がしく戦っている三人の少女たちを見守りながら、どういう風に育てるか、デニスは考えた。フィーネは力が強く素早いので、前衛に向いている。
アメリアも意外と力が強い。威力のある武器で止めを刺す中衛がいいだろう。ヤスミンは視力に優れ、精神力も強い。後衛で真名術または弓による攻撃がいいかもしれない。
しばらくの間、アメリアたちは毒コウモリとの戦闘を繰り返した。戦っては休憩し、戦っては休憩という繰り返しだ。それを一日置きに三回繰り返すと、アメリアたちが『超音波』の真名を手に入れた。
但し、魔源素を制御できないアメリアたちには、震粒刃を形成することはできない。
アメリアたちの迷宮探索が休みの日。デニスはフィーネから手に入れたサンジュの実を持って庭に出た。麻袋に入ったサンジュの実は、一キロほどだろうか。
十分に乾燥している実を桶を改造して作った蒸し器で蒸し上げ始める。それを目にしたアメリアたちが寄ってきた。
「デニス兄さん、何をしているの?」
「フィーネからもらったサンジュの実から油を作ろうと試しているんだ」
「ええっ、それから油が取れるの?」
フィーネが驚いている。
「ああ、種子の中に油が入っているんだ」
蒸し上がった実を本当なら一昼夜寝かせるのだが、今回は省略し冷えるまで待ってから、石臼の上に載せ棒で細かく砕く。
それを麻布で包み、小さな桶に入れた。そして、平たい石を入れ、その上に大きな石を積み重ねる。石を積み重ねるたびに、麻布から油が滲み出て桶に溜まっていく。
アメリアたちは、桶の周りでジッと見ていた。
「布から出てきたのは油?」
アメリアの質問に、デニスが頷いた。
「本当に?」
フィーネは疑っているようだ。デニスは桶に溜まった油をスプーンですくい上げ、陶器の小瓶に入れた。使い古しの紙を捻ってこよりを作り、小瓶に入れる。中の液体を吸い込んだのを確かめてから火を点けた。
水だったら燃えないはずのこよりが、油を吸い上げ燃え始める。
「本当に油です。燃えてます」
ヤスミンが声を上げ、燃えあがる炎を見詰めている。
「ねえ、デニス兄さん。油を作るのは簡単だったのに、何で他の人は作らないの?」
「知らなかったからじゃないか」
そう言ったが、サンジュの林は人間が植林したものだとデニスは考えている。ベネショフ領をブリオネス家が継承する以前、オルベネショフ家がベネショフの支配者だった。
八〇年ほど前に、オルベネショフ家が謀反の罪で取り潰され、ブリオネス家が王命により継承したと記録に残っている。
オルベネショフ家の時代に、サンジュの樹が植えられたようだ。当然、オルベネショフ家はサンジュ油の製造方法を知っていただろう。
その製造方法はブリオネス家には伝わらず、サンジュの林は放置され、その実は野ネズミの餌となっているということのようだ。
デニスはこよりを小瓶から取り出し、地面に投げ捨て火を消した。桶に残っている油もすべて小瓶に入れてから片付けた。
取り出した油には不純物が混じっているようだ。この後処理として、加熱殺菌と濾過が必要なのだが、道具が揃っていないので、今日はここまで。
デニスはサンジュの実から油が搾油できると分かっただけで満足だった。
その日の昼頃、中核都市クリュフから知らせが届いた。母エリーゼの父親であるイェルクが危篤状態になったという連絡である。
エグモントは旅支度を急がせ、クリュフへと旅立った。一行はエグモントとデニス、アメリア、エルマである。
ユサラ川を渡し船で渡り、クリュフとバラスを結ぶ街道へと出る。その街道は、クリュフバルド侯爵により整備されていた。
侯爵が王都へ向かう道であり、王都とクリュフを結ぶ輸送路でもある。往復する荷馬車は多く、旅人の往来も多い。アメリアは初めての旅なので興奮していた。
キョロキョロと周りを見回し、荷馬車が通ると何が積んであるのかと騒ぐ。
「あまり騒いじゃダメだぞ。お祖父様が危篤なんだ」
「ごめんなさい」
途中の小さな村で一泊し、翌日の昼過ぎにクリュフに到着した。イェルクの屋敷は都市の中心部にあった。レンガ造りの二階建てで、ブリオネス家の屋敷より立派だ。
門の呼び鈴を鳴らすと、中から使用人らしい男が現れ中に入れてくれた。
「ジョゼ、久しぶりだな」
「エグモント様も、お元気そうで何よりです」
中年の使用人ジョゼが、エリーゼの部屋に案内してくれた。部屋にはデニスと同じ琥珀色の瞳をした女性が、三歳ほどの幼女をあやしていた。
「あなた、いらっしゃったのね。お父様が危ないらしいの」
アメリアがエグモントの後ろから、ひょこっと顔を出しエリーゼの顔を見ると、その胸に飛び込んだ。
「まあ、アメリア。少し大きくなったんじゃない」
エリーゼがアメリアを抱きかかえる。デニスはもう一人の妹マルガレーテを抱き上げた。
「にぃにぃだ」
マルガレーテの愛称はマーゴ、家族の間ではマーゴと呼ばれている。そのマーゴが小さな手でデニスの頬を叩きながら嬉しそうに笑う。
「そうだ。デニス兄さんだよ、マーゴ」
エグモントは義父イェルクの容体を尋ねた。
「手紙にも書いたように、お父様の体力が尽きかけているわ」
「治療法はないのか?」
「お父様の病気は、シルビック虫という寄生虫が腸に巣食うことで起きる病なの。医師が調べてくれたのだけど、この病は、影の森迷宮の魔物ドライアドがドロップするドライアドの実が薬になると分かったの」
「ならば、そのドライアドの実を購入して……」
「ダメよ。今年採れたドライアドの実は、すべて売れてしまったようなの」
「迷宮探索者に頼んでみたのか?」
「三組のパーティを雇って、取りに行かせたのだけど……ダメだったわ」
話を聞いていたデニスは、
「僕が影の森迷宮へ行くよ」
「ダメ、危険なのよ」
エリーゼは反対した。デニスはドライアドのいる区画を確認した。影の森迷宮は階層ではなく区画で分けられており、区画別に難易度が違う。
「七区画だと言っていたわ」




