scene:162 アーヴィングの逆襲
雅也が捕らえたアーヴィングは、特別留置場で治療を受けていた。
特別留置場に勾留されていたアーヴィングは、留置場の壁に頭を打ち付けて自殺を図ったのである。意識不明になったアーヴィングは、警察病院に運ばれることなく留置場で治療を受けていた。
真名能力者用に建設された特別留置場は、北海道の僻地にある。建物から脱走しても生きて人里まで辿り着けるかどうかも怪しいという場所である。
「チッ、怪我をすれば病院に運ばれると思っていたが、日本の警察も馬鹿じゃないな」
自殺未遂は芝居だったようだ。
特別留置場の医務室で寝ているアーヴィングに警官が近付いた。
「超越者の御心のままに」
アーヴィングに小さなメモ書きが手渡された。それは一瞬の出来事であり、監視カメラの映像を見ていた者も何が起きたのか分からなかっただろう。
その夜、特別留置場が襲撃された。
襲撃したのは傭兵だった。チェガル会長が雇った者たちである。特別留置場の高い塀が破壊され、頑丈な建物の壁に大穴が開けられた。
傭兵に助けられたアーヴィングは、小さな港から漁船で日本海に乗り出し、沖合でチェガル会長のクルーザーに乗り移った。
「チェガル会長、感謝します」
アーヴィングが感謝の言葉を発した。
「しかし、君ほどの者が警察に捕まるとは……」
「日本の真名能力者に邪魔されました。いつか借りを返します」
「ほう、日本の真名能力者か。どんな奴なのか興味があるな」
アーヴィングとチェガル会長は、クルーザーのソファーに座って会話を楽しんだ。アーヴィングの目がテーブルの上に置かれた雑誌へ向けられた。
そこには、あの男の姿があった。
「こいつは誰なんです?」
チェガル会長が、雅也が映っている写真を指差した。
「ん、マナテクノの社長と重役じゃないか。誰を気にしている?」
「自分を倒したのは、こいつなんです」
「聖谷というマナテクノの重役だ」
チェガル会長の目に危ない光が宿った。
「君は、聖谷に借りを返すと言っていたね。チャンスを作ってやろうか?」
「会長も、こいつに恨みがあるんですか?」
「この若造が気に入らんだけだ。儂に向かって無礼な口を利きおった」
「チャンスが頂けるなら……」
アーヴィングの声に剣呑な響きが込められていた。
その頃、雅也は第一工場で開発していた試作機が完成し、自衛隊に納入したところだった。
短期間で開発した機体だけに、数多くの問題が潜んでいる。だが、その優れた機動性と航続距離に陸自と防衛装備庁も満足したようだ。
「無理なお願いに応えて頂き、ありがとうございます」
防衛装備庁の永野から礼を言われた。
「いえ、仕事として請け負ったことですから」
「次は、いよいよステルス型攻撃翔空機の試作機ですね」
雅也は眉間にシワを寄せた。
「武装翔空艇が試作機として目処が立ったのですから、もう必要ないのでは?」
永野が朗らかに笑った。
「それがですね。空自の連中が、乗り気なんですよ」
「空自には、イーグルとライトニングⅡがあるじゃないですか」
永野が渋い顔をする。一方の機体は古く、新しい機体は平時における主任務のスクランブルに向いていなかったからだ。
スクランブルとは、他国の戦闘機が領空侵犯しようとした時に、緊急発進して警告を与え追い払うことを意味する。この任務にはステルス機能は邪魔なのだ。警告を与える側は、存在を誇示して脅す必要があるからだ。
「それらの戦闘機は高価であり、機数を揃えられません。それにパイロットの養成に時間がかかり、防衛装備庁では安価で操縦の簡単な戦闘機を求めているんですよ」
「そんな都合のいい戦闘機なんて……まさか、ステルス型攻撃翔空機を」
「ええ、中々評判はいいようなんです」
「しかし、戦闘機としての性能が、物足りないと言われていましたけど」
「それが、空自も考えを変えたようなのです。スクランブル発進に対応できる機体ならば、性能が劣っていても構わないそうです」
「スクランブルに使うのなら、ステルス機能は要らないでしょう」
「そうです。最近ではステルス機能より速度をどうにかできないかと言い出しています」
この時点になって、要求仕様を変えようとしているのを知って、雅也は溜息しか出なかった。
「ところで、武装翔空艇ですが、発注は大丈夫でしょうか?」
永野は唐突に尋ねた。
「発注? 試作機を使って運用などの研究をして、量産型の開発が終わってからと聞いていますが」
「それが、現場で使ってみたいので、試作型でいいので来年度から発注したいということなんです」
「機体は何とかなりますが、武装は我々ではどうにもなりませんよ」
「その武装なんですが、ライセンス生産することになりそうです」
「そうですか」
仕事を終えた雅也は、特殊人材対策本部の黒部に会うためにドリーマーギルドへ向かった。電話では話せない事態が起こったというので会うことになったのだ。
ギルドの応接室で、黒部と顔を合わせた雅也は、用件が何かを訊いた。
「聖谷さんが確保してくれたアーヴィングなんですが、逃げました」
「真名能力者用の留置場に収監していると聞いていたが、違ったのか?」
「北海道にある特別留置場に送りました。ですが、その留置場が襲撃され逃げられたのです」
「仲間がいたということ?」
「ええ」
雅也は非難するような視線を黒部に向けた。
「これは警察の問題です。特殊人材対策本部に責任はありませんよ」
「黒部さんは、アーヴィングが俺に仕返しをするかもしれない、と思っているのかな?」
黒部が頷いた。
「アーヴィングを調べた結果、ホンガイ自動車のチェガル会長と関係があったことが判明したのです」
「はあっ、チェガル会長! 嫌な奴だったけど、そこまで胡散臭い男だったのか」
「どちらもマナテクノや聖谷さんに悪意を持っています。警戒すべきだと思います」
雅也は厄介なことになったと、愚痴をこぼした。
黒部は雅也の予定を尋ねた。雅也が予定を話す。
「……最も危険なのは、第三工場の起工式ですね。マナテクノの重役全員が参加するというのも、危険な要因です」
悩んだ末に、雅也が呟いた。
「いっそ、罠を仕掛けるか」
「起工式にですか? 面白いですね」
雅也の提案で、大掛かりな罠を仕掛けることになった。確実に罠に誘い込むために、いくつかの情報がチェガル会長に届くように流された。
起工式の当日、雅也は黒部と一緒に工場建設予定地に向かった。
予定地は、整地が終わり建設が始められる状態になっていた。広々とした土地の中にいくつかのテントと仮設事務所が建てられている。
「聖谷さんも、代役を立てて欲しかったですね」
「真名能力者である俺の代役を務められる人材が、特殊人材対策本部や警察にいるんですか?」
「……アーヴィングと戦って勝てる者か。難しいか」
特殊人材対策本部は人材不足なのである。そのために冬彦のところの真名能力者、仁木を借りることになった。
「それより、傭兵が出てくるかもしれないんですよね。その対策はできているんですか?」
黒部が頷いた。
「ええ、警察の特殊部隊を配置しました。アーヴィングを逃した件は、警察の失態だとなっていますから、全力で協力するそうです」
今回の起工式に参加する者は、ほとんどが警察官と入れ替わっていた。雅也は仁木と一緒に並んで、始まるのを待った。
「済まないな。こんなことに巻き込んで」
雅也が仁木に謝ると、仁木が笑った。
「構いませんよ。最近、ペットを探してばかりで退屈だったんです」
「そういえば、探偵事務所はペット探しで有名になっているようだな」
「ええ、日本一のペット探偵とか言われています」
「だったら、冬彦の奴は喜んでいるんじゃないか?」
仁木が苦笑した。あまり喜んでいないらしい。
「浮気調査の方が、やり甲斐があると言っていましたけど」
それはどうなんだろう、と雅也は思った。その調査結果で、離婚ということになった夫婦が増えることになるのだから。
上空からヘリコプターの音が聞こえた。仁木が舌打ちする。
「嘘だろ。上空から爆弾でも落とすんじゃないだろうな」
「心配するな。爆弾を落としたら、真名術で迎撃してやる」




