第九十話「全校集会」
学園へとやってきた咲耶はいつも通りに、うっすら微笑んでいるように見える顔で静かに自らの席に着いた。その所作は美しく一切の隙がない。これだけの扱いを受けていてもまるで効いていないかのように平然とした顔で、まったく取り乱すことなく毎日学園へとやってくる。
クラスメイト達も、いや、今回の件で九条咲耶という者を初めて知った者も、誰も理解出来ない。何故これほどの扱いを受けても平然としていられるのか。
もし自分が同じ立場だったならばとっくに逃げ出しているだろう。学園を辞めるか、少なくとも謝罪してもう許して欲しいと泣きを入れるだろう。それなのに……、この九条咲耶はそんなことは一切しない。悪びれる様子もなく、堂々と、むしろ少し微笑んで余裕の表情で歩いている。
それが余計に恐ろしい。人は自分の理解出来ないものに恐怖を感じる。このような状態になっても平然としている九条咲耶がまるで化物のように映っていた。それがますます九条咲耶から人を遠ざける。
もうすぐいつもの始業時間だというのにポツポツといくつかの席が空いている。咲耶はその席が誰の席であるのかよく知っていた。
いつも朝早くから来ているはずの西園寺皐月、元気に入ってきて大勢のクラスメイト達に挨拶を返される徳大寺薊、他にも東坊城茜、北小路椿、河鰭譲葉、武者小路蓮華。咲耶の良く知る者達の席が全て空いている。それでも時間は進み物事は滞りなく流れる。
「え~……、連絡していませんでしたが今日はこれから集会があります。皆さん講堂へ移動してください」
六人がいないまま担任教師がそう言ってゾロゾロと講堂へと向かう。全校集会くらいなら驚くことはない。しかし講堂に入った生徒達は驚いた。真ん中の、生徒達が並ぶ場所以外、周囲や後ろや二階部分などあちこちに保護者達もこれでもかと詰め掛けていたからだ。
これはどう考えてもただの全校集会とは違う。可能な限り保護者達まで集めた何かだ。その異様な雰囲気を感じ取って子供達はうろたえていた。
そして壇上に出て来た人物を見てさらにその動揺は広がる。教師や校長、理事長ではなく近衛家のご夫人が出てきたからだ。この学園に通う者で近衛家の顔を知らない者はまずいない。その近衛夫人が出てきて簡単な挨拶をしてから早速話し始めた。
「……と簡単な挨拶はこれくらいにさせてもらうわ。それで、皆さんはどうしていきなり私が出て来たのかと思っていることでしょう。それはこれから説明させてもらいます。でもその前にこの子達を紹介させてもらうわ」
そう言って壇上に出て来たのは正親町三条茅を先頭に、皐月、薊、茜、椿、譲葉、蓮華の七人だった。
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特別教室が並ぶ一画で、皆で抱き合って泣き続けた。教師達に保護という名の下にバラバラにされて、家に連絡されて無理やり帰らされる。帰りの車の中で薊は自分のとんだ思い違いに今更ながらに気付いた。
九条咲耶は強く、気高く、美しい。
どんなことにも動じることなく、どんなことに巻き込まれても、どんなことが起こっても、いつも余裕をもって微笑んで簡単に解決してしまう。
決して怒ることなく、決して慌てることなく、決して泣くことがない。全てが完璧で何の欠点もない完全なる理想のご令嬢。
実にくだらない。自分は一体何を見ていたというのか。そんな人間などいるはずがない。誰だって悩む。誰だって腹を立てる。誰だって泣く。当たり前だ。大人だって悩むし間違えるし泣くこともある。それが、自分達と同い年の小学校一年生の女の子が、そんな人間を超越したかのような化物であるはずがない。
そして……、そんな幻のどこが素晴らしいというのか。
怒らず、慌てず、失敗しない。全てにおいて完璧なる人間……。もしそんなものが実在したとしたら何と面白味のない存在だろうか。そんな存在は空想の中だけであり、そして実在したならばつまらない存在だ。
九条咲耶はそんな者ではない。いつもの表面を取り繕ったような微笑ではなく、心の底から本当に笑う。おっちょこちょいで人とは完全に感性のズレた天然だ。ムッ!と怒る時もあるし、ちょっと拗ねているのかなと思う時だってあった。
自分は一体何を見ていたというのか。咲耶は心もない理想を固めて作り上げられた幻ではなく、現実にこの世に生きている普通の女の子だ。笑いも、怒りも、そして泣きだってする。
そう……、咲耶様だって泣く。そんな当たり前のことを忘れていた。理想を、幻想を重ね合わせて本当の咲耶様を見ていなかったのは自分も同じではないか。それでは他のクラスメイト達に何も言えない。
だから……、ただ咲耶様一人に全てを任せて傍観しているわけにはいかない。
今までならばそうしていただろう。全てに完璧である咲耶様ならばこちらから何か余計なことをする必要はないと全てを任せていた。命令があればその通りにすれば良い。命令がないのならば黙って任せておけばいい。そう思っていた。
でもそうではない。薊はもう気付いた。そんな幻想の咲耶はいない。自分が……、本当に咲耶の友達であるのならば、ただ黙って全てを任せておくのではなく、自分達が咲耶を救うために行動しなければならない。それが……、友達というものだ。
「近衛様のお屋敷に向かって!」
「は?自宅へお連れするようにと申し付かっておりますが……。それにアポイントメントは……」
「いいから!近衛様のお家に向かいなさい!」
「はっ、はいっ!」
パーテーションの向こうの運転席側への通話ボタンを押した薊が叫ぶ。徳大寺家の家人なのだから、薊にそう言われようとも両親に迎えに行って連れて帰ってこいと言われたらそうするのが普通だ。しかし薊のあまりの迫力と『近衛家』という言葉に気圧された運転手はすぐに車の進路を変えた。
アポもなく突然の訪問になる。もしかしたら目的の人物はいないかもしれない。それでも薊は覚悟を決めて近衛家の屋敷へと向かっていったのだった。
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アポもなく近衛家の屋敷に来た。それでも薊は臆することなく家を訪ね奥へと案内された。
幸運にも目的の相手である近衛家のご夫人は在宅のようだった。本来であれば忙しい近衛家の面々ではあるが、今日アポもなく会えたのは本当に偶然と幸運だったという他はない。通された屋敷の中で近衛夫人と向かい合う。
「あら……。貴女は……、徳大寺薊ちゃんだったわね」
「はい。突然のご訪問申し訳ありません。ですがどうしてもお話を聞いていただきたいのです」
色々言わなければならないことがある。前のパーティーのお礼を言うのも忘れて、礼儀作法もぶっ飛ばし、それでも薊は真っ直ぐ近衛家のご夫人を見詰めてお願いをする。
「ふ~ん……。貴女『も』なのね」
「私『も』?」
近衛夫人がそう言うと後ろからゾロゾロと何人かの女の子達が出て来た。
「西園寺皐月!それに椿と蓮華も?」
後ろから出て来たのは……、自分よりも先に迎えが来て帰らされた者達だった。そしてまた……。
「奥様、河鰭譲葉様という方が訪ねてこられていますがいかがいたしましょうか?」
「譲葉まで……」
「ふふっ、いいわ。通してちょうだい」
ほとんど間を置くことなく、譲葉に続いて茜もやってきて全員が揃うことになったのだった。
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近衛夫人の前に六人が並んで座る。そしてこれまでのことが当事者たる六人によって近衛夫人に伝えられた。
「ふ~ん……。なるほどね……。確かに断片的には私の耳にも届いていたわ。でも中々全容が伝わらなくてね。そういうことだったのね」
確かに近衛夫人も運動会での出来事はその場で見ていた。しかし近衛夫人は最初から他の者達とは違う印象を抱いていた。
咲耶は転んだ錦織柳を叱咤激励していたのであって叱責しているのではないと近衛夫人は最初から理解していた。だから他の者達とその時点で考えがズレていることに中々理解が及ばなかったのだ。
近衛夫人からすれば、あの時の、運動会での咲耶の行いは素晴らしいものだと思った。近衛門流の者に近衛家を倒せなどと言うとはけしからん、などとは微塵も思っていない。むしろスポーツで正々堂々と戦うその精神を高く評価していた。
だから他の者達が転んだ者に冷たくあのような態度を取ったり、責めたりしていると感じていることが理解出来なかった。また近衛門流に近衛家を倒せというのがけしからんというのも伝わっていなかった。
それに壁新聞は現物を見たわけではなく人伝に話を聞いただけだ。その内容を全てきちんと把握出来ていたわけではなく、また話してくれた相手も情報を適当に端折ったり改竄して伝えていたのでうまく全容がわからなかった。
近衛家にその話をするのに、全てを馬鹿正直に伝えるものはなかなかいない。自分の言い難いことは言わなかったり、ついでに九条家を貶めてやろうと適当に話を盛って伝えたり、色々と伝わる過程で話が食い違ってきていたのだ。それを当事者達である薊達に詳しく聞けたのは良かった。
咲耶が桑原桂に襲われて返り討ちにしたことも詳しく聞けた。それを近衛夫人は日頃の鍛錬の成果であり素晴らしいと思いこそすれ、咲耶が暴力を揮っただの、ご令嬢らしくないだのとは微塵も思わない。
「貴女達の口から詳しい事情が聞けてよかったわ。それで……」
「奥様、正親町三条茅様がお見えです」
「あらあら……」
まだ学園の授業中だというのに、またしてもアポイントメントもなく人が訪ねてきた。近衛夫人は苦笑しつつも茅も迎え入れる。
「近衛様!無茶を承知でお願いします!咲耶ちゃんを助けるためにお力をお貸しください!」
お昼に咲耶達が帰されたことを知った茅は途中で学園を早退し近衛家へとやってきた。これまで家でも両親に色々と伝えてはいたが両親は中々動こうとしなかった。このままでは埒が明かず手遅れになりかねない。そう思った茅は今日咲耶達が昼で帰されたのを聞いて、学園を飛び出し近衛家にやってきたのだ。
「頭を上げて頂戴茅ちゃん。ほら、皆も驚いているわよ」
いきなり床に這い蹲って頭を下げた茅が『皆』と聞いて顔を上げると……、そこにいたのは……。
「貴女達……、帰らされたんじゃなかったのかしら?」
「そういう正親町三条様こそ、まだ学園の授業時間ではないですか?」
お互いに半眼になりながら突っ込みを入れる。
「ぷっ!」
「あはっ!」
「「「「「「「あははっ!」」」」」」」
皆……、結局咲耶が心配だったのだ。そして自分のことも省みず行動に出た。派閥も門流も何も関係ない。ここにいる者は全て咲耶を救いたい。その一心で集った仲間だ。
「役者も揃ったようね。それじゃお話の続きといきましょうか」
「はい!」
茅も加わって皆で話をする。お互いに知っている情報を交換して、これからの対策について考える。
「大体わかったわ。……それで、辛いとは思うけど……、貴女達、これから咲耶ちゃんとの接触は絶ちなさい」
「え!?」
「どっ、どうしてですか!?」
近衛夫人の言葉に皆が驚く。これからは皆で咲耶を支えていこう、そう思った矢先のことだ。それなのにまるで咲耶を見捨てろと言わんばかりの近衛夫人の言葉に全員が気色ばむ。
「相手は強大で、狡猾で、用意周到よ。表立って貴女達が咲耶ちゃんを庇おうとすればそれもまた利用されるわ。それにこれからこちらで証拠を集めて、この事態を打開しなければならない。相手の油断を誘うためにも、向こうの策がうまくいっていると思わせなければならないわ」
「そんな……」
「でも……」
皆が不安そうな表情を浮かべる。何よりそんなことをしては自分達以上に咲耶を苦しめてしまうだろう。自分達はもう知っている。咲耶は完璧などではない。心を持たない想像上の理想とは違う。泣きも悲しみもする人間だ。その咲耶をますます追い詰めるような真似は……。
「聞き分けなさい!これは……、この先のためのことよ……。例え……、例え咲耶ちゃんに嫌われても、怒られても、この事態を何とかするにはこうするしかないの!」
「正親町三条様……」
茅は……、涙を流しながら、拳を握り締めて、唇の端が切れるほど噛み締めてそう言った。その茅の覚悟が、想いが理解出来ない者はここにはいない。
自分達は許されないだろう。例えそれが咲耶のためであったとしても、裏切り者だと罵られるかもしれない。もう友達じゃないと言われるかもしれない。それでも……、咲耶を救うためには、近衛夫人の言う通りにするしかない。
「こちらでも早急に証拠は集めるわ。貴女達は……、そうね。まずは咲耶ちゃんと接触せず、両親や周囲に言われる通りにしているフリをしなさい。それから……、クラスの男子達や萩原紫苑という子を説得して証言してもらえるようにするの。いいわね?」
「「「「「「「はいっ!」」」」」」」
こうして……、茅や薊達は帰っていった。辛い決断を下して……。
「あの子達も辛いでしょうねぇ~」
薊達が帰ったあと、奥から少しおっとりとしたこの場に似合わない声が聞こえてきた。
「そうね……。私も言うのが辛かったわ」
「まぁ!近衛様ほどの方が?」
「あら?どういう意味かしら?鷹司様?」
奥から姿を現したのは鷹司夫人だった。そしてもう一人……。
「咲耶ちゃんはとても素晴らしいお友達に囲まれているようですね。咲耶ちゃん自身が素晴らしいからこそあのようなお友達が出来るのでしょう。羨ましい限りです九条様」
「咲耶自身はまだまだですが……、確かに人物には恵まれているようです……。私も後ほど彼女達には報いてあげなければなりませんね」
鷹司夫人に続いて現れたのは九条夫人だった。この場には最初から、七人がやってくる前から鷹司と九条のご夫人がやってきていたのだ。そこへ子供達が来たので鷹司、九条の両夫人は奥で様子を窺い、近衛夫人だけで対応していた。
「あの子達には辛いでしょうけれど……、相手は一筋縄ではいきません……。今しばらく辛抱してもらうしかありませんね……」
近衛、鷹司、九条は今回の件で連携することに決めて今まさに秘密会談が行なわれていた。この三家が揃っても慎重に行動しなければならない事態だ。それを子供達が安易に引っ掻き回しては相手の思う壺になりかねない。
咲耶との接触を絶てとは子供達にとって酷なことを言った。それでも……、この件をどうにかするためには止むを得ない。どうにか……、少しでも早くこの件を片付ける。それが大人達に出来る精一杯のことだった。




