第七十八話「運動会」
十月初旬の土曜日……、今日は藤花学園初等科の運動会の日だ。天候にも恵まれ延期されることもなく予定日に開かれる。
これまで皆一生懸命準備してきた。万国旗を用意したり、飾り付けたり、そういった大会の準備だけじゃなくて、入場行進の練習をしたり、団体行動の練習をしたり……。予行で一度外で全学年が参加して全体の流れを確認したり練習したりもした。
運動会というのは当日にちょっと競技をして終わりじゃない。事前の準備、後片付け、そういったものも含めてとても時間と労力をかけて行なわれるのが運動会だ。
「パパ達も後で行くが、良実も咲耶も頑張りなさい」
「まぁ咲耶はほどほどにね……」
「はい!お父様!お母様!いってまいります!」
「いってきます」
父と母に見送られて兄と並んで家を出る。藤花学園の運動会を観に行くというのは親にとっても重要なイベントだ。それは何も子供の活躍を観るとかそういう話じゃない。
たくさんの家の両親が運動会の観戦にやってくる。そしてそれを目当てに、そこで挨拶しようとさらに多くの親達が集まる。
運動会は子供にとっての戦いであると同時に、親達にとっては他の家と交流を持つための場でもある。それはある種の大人達の戦場でもあるわけで……、父が張り切るのも無理からぬことだった。
かくいう俺もそれなりに気持ちも盛り上がっているし気合も入っている。やるからには負けたくない。それは誰しも思うことだろう。
「今日は良実お兄様とも敵同士ですね」
「そうだね」
車に揺られながらお互いに不敵に笑い合う。俺は三組、兄は二組……。今日は良実君といえども敵だ。容赦はしない。
「ふっふっふっ……。今日勝つのは三組ですよ」
「一組も侮れないと思うけどね?」
あえて自分の二組のことは言わずに一組を引き合いに出す。さすがは良実君だ。しかし!相手が一組だろうと二組だろうと勝つのは三組なのだよ。
そんな会話をしているうちに決戦の地へと到着していたのだった。
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一度教室に集合してから椅子を持って外に出る。自分達のクラスの位置に番号順に椅子を並べて座る。
「とうとうこの日ですね!絶対に勝ちましょうね咲耶様!」
「そうですね。やるからには勝つことを目指さなければ意味がありませんものね」
一番じゃなくてもいい?そんなわけがない。やるのなら勝ちを、一番を目指さなければ意味はない。
勘違いしてはいけないのは結果的に負けたから、一番じゃなかったら意味がないと言ってるわけじゃない。やるのなら一番を目指して、最善を尽くしてやれという意味だ。
もちろん時には絶対に勝たなければならない時というものはある。二番だろうが最下位だろうが負けたら無意味で無価値、とにかく絶対何があっても勝たなければならない。そういう時は確かにある。
でもほとんどのことはそうじゃない。結果的に負けてしまってもそこに到るまでの道のりは決して無駄じゃない。ただだからって負けてもいいとか一番じゃなくてもいいというつもりでやっているのならやめるべきだろう。
全力で、勝ちに行くつもりで、最善を尽くして、その結果負けてしまったのなら止むを得ない。ただ遊びや趣味だからと適当にチンタラやってるくらいなら何かに参加すべきじゃない。
別に何かの趣味や競技をやめろというわけじゃない。ただ例えば全国大会を目指しているような部活動で、一人だけ『自分は趣味でやってるだけだから一番じゃなくてもいいんです』なんて者が入っていれば全体に迷惑がかかる。その趣味や競技をやめる必要はないけど、そういう者はそういう本気で参加しようとしている団体に入るべきじゃない。
まぁ運動会は学校が強制して全員参加させてるんだから、不本意ながら嫌々参加している者もいるかもしれないけど……。それでも他の者の足を引っ張ったり、手を抜いて負けてもいいやというのは違うだろう。皆で一つの目標に向かって努力しているのなら、自分もそこに入らなければならないのなら、やるべきことはしなければならない。
少なくとも学校教育では結果的に運動会で一位だったか二位だったか三位だったかは関係ない。ただチーム全員で一位を目指そうというのが重要だ。最初から二番でいいなんていうのは間違いだ。
「咲耶ちゃん、並びに行きましょう」
「はい。それでは皆さんで向かいましょう」
入場門に向かって全員で並ぶ。親達もすでにかなり入っているのがわかる。入場や開会式から観ても何も面白くはないような気もするけど……、あちこちでカメラが回ってるし、学園が用意した撮影スタッフも多数いる。
藤花学園は私立だからかそういうことにも力を入れているようだ。専門の撮影スタッフがついていて、運動会だけじゃなくて、修学旅行とか、色々な学校行事でも本格的な撮影や編集がされている。
ただそれは無料じゃなくて編集されたものはDVDやブルーレイで販売される。それも結構なお値段だ。それでも大半の保護者はそういったイベントの映像記録を買う。自分の家でも撮影しているけどそういうのを買うのも一種の寄付というわけだ。
学校行事や活動に賛同して支援していますよ、という一環で普通に考えたらかなり割高な映像記録を買っている。自分の子供が映っているとも限らないのに……。まぁだからこそ自分の家でも撮影しているんだろうけどな。
そんなことを考えているうちに入場が始まり皆で行進していく。グラウンドをぐるっと歩いて回り、最後に整列して校長や理事長やPTAなんかの偉いさんの話が続く。生徒会長の選手宣誓が行なわれて、開会式が終わり退場となる。
一度自分達の席に戻った俺達は自分の出場する競技になるまでは割と自由だ。この席だって椅子だって全部生徒達が用意する。
藤花学園のようなお坊ちゃん学校なら業者とかがやってくれるのかと思いきや、ここではそんなことは一切なかった。教室の掃除だって生徒達がするし、テントや入場門、飾りつけの準備も生徒達が中心となって行なった。
もちろん危険なことは教師や大人達が手伝ったり、むしろ大人達がしたりしていたけど、それでも生徒達が出来ることは全て生徒達自身で行なっている。
他の学校だったら『そんなの当たり前だろ』と思うかもしれないけど……、俺のイメージでは藤花学園ほどの学校なら生徒達にそんなことはさせられないとか、怪我をしたらどうするんだというクレームでもあるかと思ったけど、ここではそんなことはないようだ。
まぁ両親のほとんどもここの卒業生だろうし、連綿と受け継がれている伝統なら自分達もそうしてきたから反対もしないんだろう。
それはともかく自分の出る競技なんてちょっとしかないからほとんどは待機時間ばかりだ。友達が出てる競技なら応援も出来るけど、それほど親しい相手も出ていない競技に関しては応援するのも難しい。
そう思うのは俺だけじゃないから皆あちこちでほとんどおしゃべりしているだけとなっている。こういう所は他の普通の小学生と大差ないなと思う。
「咲耶様、そろそろ入場門に整列しなければならないんじゃないですか?」
「そうですね。もうすぐ放送がかかるでしょうから……」
薊ちゃんが声をかけてきたからそう答える。開会式が終わってから最初の競技はもう並んでいる。前の競技の参加者が出て行ったら次の競技の参加者が放送で呼ばれて入場門の後ろに整列だ。そういう流れはどこの学校でも同じだと思う。
短距離走は午前中の目玉競技でかなり早い順番だ。そして組対抗男女混合リレーは午後のクライマックスとなっている。まぁ花形競技というのもあるのかもしれないけど、準備や後片付けが簡単だからというのが実際の理由じゃないだろうか。
玉ころがしとか、大玉おくりとか、玉入れ、綱引き、ムカデ競争、二人三脚などは道具や準備に時間がかかる。片付けるのもそう手間じゃないものもあるけど、それでも最初や最後に持ってくると準備や片付けで無駄な空き時間が出来てしまう。だから最初や最後にそういった道具を使う競技は避けているんじゃないだろうか。
俺は午前の競技の中で一番の目玉競技である短距離走に出ることになっている。今入場門で待機している者達が入場したら短距離走の選手が呼ばれるだろう。
『短距離走に参加する選手は入場門にお集まりください』
「きましたね。それではいってまいります」
「咲耶様頑張ってください!」
「咲耶ちゃんが負けるはずないけどね~」
皆の応援を受けながら入場門へと向かう。普通の学校だったら低学年の子が揃ってないとか、何度も呼び出しされたりというのがあると思うけど、藤花学園に通うようなお行儀が良い子達はそんなことはないようだ。すぐに点呼で全員揃っていることが確認されて整列して待つ。
前の競技が終わって退場してくると入れ替わりで俺達が入場する。
ワーワーと観客席が騒がしい気がするけど原因は伊吹だろうな……。どうやら伊吹も短距離走とリレーに出るらしい。そして伊吹に向けた声援がとにかくすごい。その声援の大半は大人だろうか。子供も声援を送っている子はいるけどそれは一部に感じる。
ゲーム『恋に咲く花』の時は伊吹が動くだけで大声援、大歓声だったと思うけど、こちらの伊吹はまだそこまでカリスマ性や人気がないのか、それとも世界が変わってしまったために残念王子だから誰も声援を送らないのか……。子供はちょっと冷ややかな対応のような気がする。
それに比べて大人達は近衛財閥との付き合いもあるからかなり熱狂的に応援しているようだ。近衛門流の家だけじゃなくて他にも近衛家と付き合いがあるらしい家の声援も盛んだった。
まぁ俺には関係ない。俺は隅の方で大人しくしていよう。競技だけ適当に勝てばいい。あまりぶっちぎりすぎても目立つからほどほどでいいだろう。小学校一年生の女の子にかけっこで負けるなんてことはない。
短距離走は男子、女子は別々で同じ学年の各クラス代表が並んでスタートする。タイムとかも関係なく着順で点数が加算されるから、ぶっちぎりで勝とうが、鼻差で勝とうが点数は変わらない。あまりギリギリにしすぎたら判定とかで揉めるかもしれないから、ある程度離して明らかなタイム差で勝てば十分だろう。
一年生の女子からスタートで代表はタイム順だから俺は三番目だ。女子が三人走って、男子が三人走って、次は二年生、その次は三年生と続いていく。
前の二人が走り終わり俺の番となった。クラウチングスタートでも何でも自由にしていいみたいだけど、俺はそこまでする理由もないし、一年生くらいだったらかえってタイムも下がるんじゃないだろうか。スターティングブロックは用意されているけど、一年生達は誰も使っていない。
「位置について……、よーい……」
パーンとスターターピストルが鳴り響く。合図と同時に飛び出すと他の足音はもう遥か後ろだった。やっぱり一年生くらいが相手だったら勝負にならないな……。あまりぶっちぎりすぎたら悪目立ちするから途中から流してゴールする。
「ああっ!咲耶ちゃん!私が咲耶ちゃんの所に行くの!離しなさい!」
「正親町三条さん!持ち場を離れちゃ駄目ですよ!」
俺がゴールすると高学年の運動会実行委員の人に着順に座らさせられた。でもその相手は茅さんじゃない。茅さんは何か向こうの方にいる。声が聞こえたけど聞こえなかったフリをしておこう……。
そりゃそうだよね……。実行委員だって仕事は色々あるわけで、そんな都合良く俺の担当になるはずもない。薊ちゃんと話していた時に危惧した通りの結果になった。普通に考えたら茅さんだってわかってたはずだろうに……。まぁ……、その……、お仕事頑張って、としか言えない。
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短距離走が終わってみれば……、三組で一位は少ない。恐らく短距離走の代表がほとんどリレーに入ってるだろうから、この中で面子を選ぶならリレーもあまり期待出来そうにないな。
リレーは全学年男女混合だし、運動会のクライマックスだからかかなり得点が高く設定されている。最後に逆転という『め』も残すためだろう。逆に言えばリレーで勝てないと最後にあっさり負けることも考えられる。今年の三組は短距離走であまり芳しくなかった。リレーで勝つのは難しそうかな……。
「咲耶様お疲れ様でした!」
「咲耶ちゃんすごかったね!」
「ありがとう」
皆に迎えられてタオルだの飲み物だのと差し出される。確かに至れり尽くせりでいいんだけど……。これ撮影もされてるんだよな?
もし……、もし何も知らない人がこれを見たらどう思うだろう?他の生徒達を手足のようにこき使って、タオルや飲み物を持ってこさせて偉そうに椅子で踏ん反り返っているクソガキに見えないだろうか?心配しすぎか?
「途中からほとんど流していましたし、咲耶ちゃんがいればリレーも安泰のようですね」
「それはどうでしょうね……。リレーはチーム戦ですから……、一人ではどうにもなりませんよ」
皐月ちゃんに突っ込まれて口篭る。まさか俺がほとんど流して走ってるのはバレバレなのか?俺としては一生懸命走っているフリはしているつもりなんだけどな……。
とりあえず俺の午前の出番は終わったからあとは皆の応援でもして時間を潰そうか。




