第六十話「次の約束」
先日の茅さんとのお出かけは結構あぶなかった……。何というか……。茅さんってあんな人だったっけ?という思いが拭えない。
遊び自体は別に何もおかしくはなかった。正親町三条家の別荘に呼ばれて、バーベキューしたり、その後でおしゃべりしたり、普通に遊んだだけだ。でも……。
いや……、やめよう……。何もなかったんだ。もう気にしないことにしよう。人のことをとやかく言っても仕方がない。
そもそも俺は茅さんのことが嫌いか?違うだろう?俺は茅さんのことが好きだ。たぶん茅さんも俺のことが好きだ。だったらそれだけでいいじゃないか。それ以外に何が必要だというのか。
それよりも今日は薊ちゃんが遊びに来る日だ。その準備をしておかなければ……。って言っても何をどう準備すればいいんだ?部屋の片付け……、ってしようと思ってもうちのメイドさん達がしてくれているから片付けも掃除もしようがない。
着替え……、も準備されていて済んでいるし……。飲み物……、は俺が出すわけじゃない。家族や家人達には今日薊ちゃんが遊びに来ると伝えているから、必要な物や段取りは全て整えられている。今更俺が何かすることはない。ただ待っていることしか出来ない状況だ。
そんなことを考えて悶々と無駄な時間を過ごしているうちに誰かが訪ねて来た。今日この時間に訪ねてくるということは恐らく薊ちゃんだろう。椛が迎えに出て行ったようだけど俺も玄関に向かおう。
玄関で待っていると椛に連れられた薊ちゃんがやってきた。やっぱり薊ちゃんが訪ねて来たようだ。今日は俺の部屋に入りたいと言っていたから部屋まで案内する。
何故かずっと監視するかのように付いてきている椛も伴って、三人で部屋に入ったのは良いけど薊ちゃんの様子がおかしい。
「薊ちゃん?どうしたのですか?どこか具合が悪いのですか?」
さっきまでは別に普通そうだったのに急に固まったり、大きな声を出したり、何か変だ。どこか具合でも悪いんだろうか?それとも俺の部屋を見てあまりの酷さに呆れてしまったんだろうか?
「大丈夫ですか?薊ちゃん?休みますか?こちらへ……。さぁ、私のベッドで申し訳ないですけど横になって……」
とにかくこのまま放っておくというわけにはいかない。薊ちゃんの肩を抱いて俺のベッドに連れて行く。俺がいつも使ってるベッドで申し訳ないけど、気分が悪いのなら少し横になった方が良いだろう。
「ふわぁ!咲耶お姉様のベッド!咲耶お姉様のかをり!すー!はー!すー!はー!う~んっ!」
…………。薊ちゃん……?どうした?俺は夢でも見ているのか?
そうか。そうだよな。薊ちゃんはまだ到着していなくて、俺は自分の部屋で考え事をしながら変な想像をしているんだ。だからこれは俺の妄想であってこんなことが現実であるはずがない。
まさか薊ちゃんが俺のベッドに入るなり枕に顔を埋めて、掛け布団を抱き締めながらゴロゴロ転げ回るなんてことがあるはずがない。そんなことをするのは男が女の子のベッドや布団に入った時だろう。しかもあれは空想の産物であって、実際にそんなことをする男は見たことがない。聞いたこともない。あれは空想の産物だ。だから目の前のこれも空想に違いない……。
「咲耶お嬢様、徳大寺様の具合が悪いのでしたら私が介抱いたしましょう。連れて行きます」
「あ~……」
椛までそんなことを言う。そして薊ちゃんはピタリと動きを止めた。どうやらこれは俺の空想でも妄想でもなかったようだ。
「咲耶お姉様!先ほどのことはなかったことに!なかったことにしてください!」
「え~っと……」
俺の布団に包まった薊ちゃんが少しだけ顔を出しながらそんなことを言った。何というか……、仕草や表情はとても可愛い。でもさっきのはちょっと……。まぁいいか……。薊ちゃんは可愛い。そして俺は薊ちゃんが好き。薊ちゃんも俺が好き。何も問題ないじゃないか。ちょっと変な性癖があったとしても平気さ。
「…………」
「え?え?さっ、咲耶お姉様?」
どうしたらいいかわからない俺はとりあえず薊ちゃんと一緒になってベッドに入ってみた。布団は薊ちゃんが包まっているから俺の分の掛け布団はないけど……。とりあえず一緒に寝転がってみる。うん。悪くない。
「少し落ち着くまでこうしていましょうか」
「はっ、はいっ!ですがこれでは落ち着くどころかますます興奮してしまいます!」
薊ちゃん素直すぎやしませんかね?自分で興奮するとか普通言うか?まぁいい。男が言ったらぶん殴る所だけど可愛い女の子が言ってるんだ。気にすることはない。それにな……。
薊ちゃんが今俺の布団に包まれているということは、今夜俺は薊ちゃんが包まっていた布団で眠れるということだ。知っているか?自分が相手の布団に包まっている時、相手もまた自分が包まった布団に包まれるのだ、とエロイ、ドイツの哲学者も言っていたかもしれない。
「どうですか?少しは落ち着きましたか?」
「はい!まさかもう当初の目的の一つが達成されるとは思ってもみませんでした!」
……当初の目的って何だ?まさか本当に最初から俺のベッドや布団に入ることを狙っていたとでもいうのか?この展開は偶然だ。狙っていたとかそんなことはないはずだ……。
「ベッドにはまた後でお邪魔させていただくとして、一度出ますね!」
また後でお邪魔するんだ……。何でそんなにベッドに入りたいんですか?一緒に寝たいんですか……?
「え、え~っと……。どうしますか?お話でもしますか?」
とりあえずのそのそと二人でベッドから降りてから聞いてみる。薊ちゃんが訪ねてきたのは良いけど何をすればいいのかわからない。
「咲耶お姉様の机を見せてもらってもいいですか?」
「え?ええ、どうぞ?」
何で机なんか見たいんだろうか……。今生はエロ本とか置いてないから別に見られても困ることはない……、はずだ。……大丈夫だよな?変な物とか置いてないよな?
「やっぱり何もないですね……」
「え?」
何もない?筆記用具とかメモ帳とか置いてるけど……?
「あれ?でもこれは……」
そう言いながら薊ちゃんは机の上に置いていたガラスの小物を見つけて触っていた。あれは皐月ちゃんとお揃いで買ったものだ。脱走してショッピングモールで買った思い出のお揃いの小物だな。
「それは皐月ちゃんとショッピングに出掛けた際にお揃いで買ったのですよ。高い品ではないですが皐月ちゃんとお揃いなのです」
「これだわ……」
「薊ちゃん?」
俺の話を聞いているのか聞いていないのか。薊ちゃんは何やらブツブツ言い出した。
「西園寺皐月……、妙に浮かれてると思ったらこれが理由ね……。でもネタがわかればどうってことないわ……」
「あの……?」
暫く薊ちゃんはトリップしたまま戻ってこなかった。少しばかりどうしたらいいのか考えていると……。
「咲耶お姉様!私ともお揃いの物を買いに行きましょう!」
「えっ!?今からですか?」
チラリとベッドを片付けている椛の方を見てみればジロリと睨まれた。ここ最近色々とあったから俺が出掛けるにも椛がうるさい。皐月ちゃんの時は俺が原因だけど茅さんの時は俺のせいじゃないと思うんだけど……。それでも椛が神経質になっているから今から出掛けるとか無理だろう。
「はい!今すぐ出掛けましょう!今から買いに行きましょう!さぁ!今すぐ!」
「ちょっ、ちょっ……」
グイグイ迫ってくる薊ちゃんに押される。でもそうもいかない。椛の表情がやばいことになっている。あれは絶対に許さないという顔だ。
「今日、今すぐというのはさすがにちょっと……」
「どうしてですか?今私と遊べるということはお時間があるということですよね?ならば何も問題はないではありませんか」
薊ちゃんの言うこともわかる。今一緒に遊べているんだからこのままちょっと小物を買いに行こうというだけのことだ。普通に考えたら遊ぶのは良いけど出掛けるのは駄目という理由はない。
時間が遅いわけでもないし、お金がないわけでもない。今遊べているんだから用事があるから時間がないということもない。お付きの者がついてくるんだから子供だけで夜出歩く云々という話にもならない。
上流階級では夜でも子供がうろつくのは普通だ。学園や習い事が終わった後に買い物にも出掛けるだろうし、パーティーや何やと呼ばれて出席することもある。普通の子供みたいに『五時までに帰ってきなさい』とかそういうことはない。
「申し訳ありませんが咲耶お嬢様は夜の外出は事前に予定がない限り出来ないことになっております。また後日お約束の上で出掛けることになさっていただきますようお願いいたします」
「椛……」
「…………」
やっぱり椛はまだ怒っているらしい。母にも別にそんなことは言われていない。でも椛がそう言ったことで俺にはそういう制約があることになってしまった。今ここで椛がでっち上げたのか、前々から母とそういう話になっていたのかはわからないけど……、どうやら俺は夜に勝手に出歩いてはいけないことになったようだ。
「そうですか。わかりました。それでは咲耶お姉様、今度私とお揃いで小物を買いに行きましょう?いつなら空いておられますか?明日ですか?明後日ですか?」
「いえ、あの……」
明日、明後日というのならいっそ今から出掛けた方がマシだ。明日再び買い物に出掛けるためにまた全て段取りすることを考えたら、今から母に許可を貰って出掛ける方がずっと楽だろう。
「ここの所咲耶お嬢様は遊び呆けておられます。その分の遅れを取り戻すためにも当分の間はそのような時間は取れないかと存じます」
「主のそのような恥を簡単にしゃべってしまうなんてメイドとして失格じゃないかしら?咲耶お姉様、お付きのメイドは替えられた方がよろしいのではないでしょうか?」
うわぁ……。今日は薊ちゃんと椛が火花を散らしている……。勘弁してください……。何でこんなにあちこちで火花が散ってるのか知らないけど、女の子同士の争いなんてどうすればいいのかわからない。
放っておいても大変なことになりそうだけど、俺が間を取り持つとかそんなことも出来そうにない。一体どうしたらいいんだ……。
「それでは咲耶お姉様、夏休みに午前中から一日使って一緒にお買い物に行きましょう?それなら良いですよね?その時にお揃いを買いましょう?」
「そっ、そうですね……」
ここまで言われたら俺も断れない。そもそも別に断る理由もない。問題はちゃんと都合が合う日が空いているかどうかの問題だけだ。
「これなら良いですよね?椛さん?」
「…………咲耶お嬢様のご都合が空けば問題はございません。ですが奥様が、遊び呆けていることをお許しになるかどうかは私の関知する所ではありませんので、お答えは出来ません」
なるほど……。うまい返しだ。ここで下手なことは言わずにあくまで母が決めるのだと……。薊ちゃんも椛に対してなら多少強引に話を進められるとしても、母が相手ならそうはいかない。
「くっ!」
母を持ち出されて少々怯んだ顔をしていた薊ちゃんだけどすぐに持ち直していた。本当に薊ちゃんのそういう所は尊敬する。小学校一年生とは思えない胆力と判断力だ。
「わかりました。私が直々にお話させていただきます」
「あっ!薊ちゃん……」
そう言うと薊ちゃんは椛を連れて母の所へ向かって行った。俺だけポツンと部屋に取り残される。これは一体何なんだろうか……。
しかもそのあとちゃっかり薊ちゃんは、母に許可を貰って俺と夏休みに買い物に出掛ける約束を取り付けた。俺が居ない所で勝手に俺の都合が決められていく。
まぁ椛が俺の予定を確認しながら空いている日を選んだようだけど、それにしても本人である俺を置き去りにして決まるとは……。
そして薊ちゃんは満足して帰り、その日の夕食の席で……。
「徳大寺薊という子は中々見所がありますね。私相手にもあそこまではっきり意見を言うだなんて……。前の件で徳大寺家にはあまり良い気持ちはしていませんでしたが、咲耶がそれでも薊という子とお付き合いを続けている理由がわかった気がします」
「そうですか……」
母は随分と薊ちゃんを気に入ったらしい。今日薊ちゃんが来るまでは、前のパーティーの件の因縁の相手である徳大寺家を毛嫌いしていたようだけど、今日の夕食の席では薊ちゃんの話ばかりしていた。この母に気に入られるなんて薊ちゃんも大したものだ。
「買い物に行くのは良いですがあまり無駄遣いするのではありませんよ?」
「はい」
また母に同じことを言われた。こういう台詞だけ聞いてると前世でも覚えがあるような、普通の家の母親とそう変わらない気もする。
ともかく夏休みの予定として薊ちゃんと買い物に行く予定が決まってしまった。近衛家のパーティーはうまく断れたし、家族旅行はあるし、薊ちゃんとも約束したし、何だかんだで夏休みが楽しみになってきた。




