第四十四話「成功?」
薊は困り果てていた。ただ咲耶お姉様の家に遊びに行って部屋を見せてもらったり、使っている小物をチェックしたり、出来ればこっそりベッドに潜り込んでみたりしたいなと思っていただけなのに……、何故こんなことになってしまったのか。
皆は楽しそうに茶会の話をしているが到底浮かれる気分にはなれない。薊も一応習ってはいるがいつも先生に怒られてばかりだ。先生にもよく注意されるし自分でも思うが絶対に茶道なんて向いてないと思っている。
それが何の因果か皆がいる前でそれを見せなければならないのだ。そういうお誘いは全て断ってきていたがとうとう出なければならなくなってしまった。それも一番最悪のタイミングで……。
憧れの咲耶お姉様に無様な姿を見せるわけにはいかない。しかしもう二週間もない時間で何が出来るというのか。こんなことならばもっときちんと練習しておけばよかった。
それに見られるのは咲耶お姉様だけではない。取り巻き達にも自分の作法が見られてしまう。今までアザミ様、アザミちゃん、と寄ってきてくれていた子達も自分の無様な姿を見たら呆れ果ててどこかへ行ってしまうのではないか。そんな不安が湧いてきた。
ただ唯一の救いは……、チラリと見てみれば明らかに茜も挙動不審になっている。どうやら茜も茶道や作法は苦手らしいと気付いて少しだけ心が落ち着いた。自分だけが出来ていなければ大変な恥となってしまうが仲間がいればまだ救いはある。
そうは言っても茜もそこそこ出来る可能性はある。本人が自信がないだけで出来ないという根拠にはなり得ない。やっぱり今から付け焼刃でもいいから練習しなければ……、そう思っていると椿を中心に話題が弾んでいた。
「今度の茶会で新しい訪問着を着て行きます」
「そうなの?」
「私は以前と同じものかなぁ……」
椿が新しい着物のお披露目をしたいと言っていたからそれに釣られて皆が着物の話をしていた。薊はそこでもゲンナリした。薊は着物も苦手なのだ。着付けなんて出来ないのは皆そうだろうと思うがそれに加えて薊は着物が苦しくて動き難いのも苦手だった。皆が訪問着で行くと言っているのに自分だけ洋服というのも憚られる。
洋服でも別に悪くはない、が、皆が着物で行く話をしているしそれを知っているのに自分だけ洋服で行きますというのは無理だ。こうして打ち合わせもして話を聞いてしまっている以上自分だけ着ていかないという選択肢はない。
「正客はもちろんアザミ様ですよね?」
「え゛っ……」
さも当然とばかりにそういう椿に薊は固まる。正客というのは客の中心、代表であり主賓だ。茶道では正客は主催である亭主と掛け合いをしなければならない。その時にたくさんの知識や気づきや気配りが必要になる。茶会とは亭主が客を持て成すだけではなく客も一緒になって作り上げるものだ。その客側の代表が正客であり非常に難しい役割である。
「それは当然ですよね」
「アザミちゃんを差し置いて正客なんて出来ないよ」
皆はすぐに椿の言葉に同意する。椿は派閥の長である薊を立てたつもりでさらなる窮地に追い込んだだけだった。しかし皆がもうそのつもりでいるのに今更自分が正客が出来るほどの知識や経験がないから代わってくださいとは言えない。
「お詰めはどうしましょう……」
「う~ん……」
そして正客と同じように大変な役回りであるお詰めを誰にするかという話になって全員が黙る。正客は派閥の長である薊だとして次客やお詰めという他の大役を誰が務めるのか。誰も自分で面倒な所に座りたくはない。自信があるのならともかく他の者達も別に茶会に自信があるわけではないのだ。
どうせ自分には大役は回ってこないだろうと思って賛同していただけにすぎない。だから自分がそういった役をしなければならないとなると少々腰が引ける。
「それではお詰めは私にやらせてください」
「椿ちゃんが?」
「じゃあ是非どうぞ!」
そこへお詰めに椿が立候補したことで他の者達はどうぞどうぞとお詰めを譲った。お詰めは茶器や道具の拝見のあとに亭主に返したりする役目があるのである程度の知識がないと務まらない。面倒な役を椿が買って出てくれるというのなら誰も否やはなかった。
「次客はもちろん茜ちゃんだよね」
「そうですね」
「え゛っ!」
今まで自分に話が来ておらず正客、お詰めと自分以外が決まったので気楽に構えていた茜も自分が次客にさせられて焦っていた。しかし今更逃げられようはずもない。結局次客は茜ということになった。
次客も正客に準ずる席なのでそれなりに経験や知識がある方が良い。しかし正客ほどしっかりしている必要はないのでまだしもマシと言える。それくらいならば止むを得ないと茜は諦めた。
しかし一人諦められない者がいる。いや、諦めるのは良いとしても大変なことになってしまった。今日帰ってからすぐに正客の練習をしなければ……。薊はそのことだけで頭が一杯になっていたのだった。
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茶会当日、学園が終わってから一度帰った薊はすぐに着付けてもらって九条家へと向かう。母には行き先は言っていない。今日茶会に行くことは伝えて今日まで正客の立場での練習を繰り返してきた。着付けも頼んで車も出してもらうのだから事情を説明しないわけにはいかない。
しかしあの母は駄目だ。あの母に九条家に行くなどと言えば何を言われるかわからない。自分が怒られるのならまだしも九条家に何かしてこいと言われかねない。だから母には絶対に行き先は秘密なのだ。
行き先を知っている関わった者や運転手は薊や父に近い者で口が堅く母にはそんなことを言わない者を選んでいる。ほとんど誰にも話していないし母に漏れる心配はない。
到着した九条家で皆と落ち合い、少し待ってから露地を歩きつくばいで手を清めていよいよ茶室へと向かう。
「うわぁ……、さすがは九条家ですねぇ……」
「そっ……、そうね……」
椿の言葉に薊は心ここにあらずという感じで答える。あまりに立派すぎて緊張するなという方が無理だった。
九条家とはいっても家格でいえばいくつかしか変わらない。七清家と五北家ならそう大きな差はないだろうと思っていた。侮っていた。しかしどうだ。実際に訪ねてみた九条家は徳大寺家とは雲泥の差だった。これで圧倒されるなというのは無理な話だ。もう見ただけで飲まれてしまっている。
カチコチになったまま茶室に入りお軸と花の前で頭を下げる。もう薊は頭が停止しておりただ今まで練習してきたことを無心に行なっていた。全員が席に着き亭主である咲耶が挨拶をする。その振る舞いはあまりに美しく全員が溜息を漏らしながら見惚れていた。
「本日は遠い所からお越しいただきありがとうございます」
「「「…………」」」
咲耶の挨拶に薊達も頭を下げる。ここからは亭主と正客、咲耶と薊の掛け合いだ。
「あっ、ああああの……、お軸は~~……」
完全にカチンコチンになっている薊はもうどうしていいかわからなかった。自分でも何を言ってるんだと思いながらも頭がうまく働かずどうしたらいいのかわからない。
「くすっ……。薊ちゃん、今日は練習なのです。そう硬くならずにリラックスしましょう。皆さんも今日はただの練習です。いつも教室で先生に習っていることを披露するだけですから堅苦しくならずいつも通りにしてください。流派の違いもあると思いますが誰のどの流派に合わせるかなど考える必要はありません。それぞれご自身で習われているもので構いません」
「あ~……、よかった……。そう言っていただけたら助かります……」
「アザミちゃん立ち直るの早過ぎ」
「「「あははっ!」」」
ドッと場が和む。皆大なり小なり緊張していたのだ。その緊張が一気に解けた。そう硬くならずいつも通りにすれば良いと言われて多少は気が楽になった。
「お軸はですね。今日は練習ですのでわかりやすいように『喫茶去』にしております」
亭主と正客は飾られている掛け軸や花、道具や茶器について話してそれを参加者達に知らしめる。正客は自分が知っているからと黙っているのではなく、知っていても意味や道具を尋ねて他の参加者達にそれを聞かせるのだ。またその会の目的や意味、亭主の趣向や気遣いをさりげなく聞き出すのも正客の役目となっている。
亭主が自らベラベラとその日の趣向や気遣いを話しては押し付けがましくなってしまう。そこで正客がさりげなく聞いてその趣旨や趣向、気遣いを参加者達に知らせるのだ。だから正客はそういう点に気付き話を振れる者でなければならない。
今日のお軸……、掛け軸には『喫茶去』と書かれている。喫茶去とは禅語では『お茶でも飲んでこい』『茶を飲んで去れ』という意味だ。しかし茶道では『お茶でもどうですか』『お茶を一杯めしあがれ』という意味で使われる。
そういった話をしてからお菓子を出しお茶を飲む。今日は簡単な茶会なので薄茶に干菓子だ。
本来の茶事というのは何時間もかけて食事を食べながら行なわれる。それは大変なものだ。それに比べて茶会とは茶事の中の一部分だけを抜き出して練習したり気軽に楽しんだりすることを言う。
お茶は濃茶と薄茶があり濃茶の方が畏まっている。それに比べて薄茶はカジュアルな感じだ。濃茶には生菓子が、薄茶には干菓子が出されることが多い。干菓子とは落雁などのようなお菓子のことであり子供が食べてもあまりおいしいとは思わないかもしれない。いや、大人になってもただ硬くてボソボソでほんのり甘いだけでおいしいとは思わないかもしれない。
干菓子を取り終えて皆が食べ始める。咲耶もお茶を点て始めた。
「んっ!おいしいっ!?」
「ほんとう……」
経験上あまりおいしくないだろうと思っていた干菓子は良い意味で裏切った。ほどよい甘味と食感でとても食べやすい。お菓子はお茶の前に食べきるのが良いとされている。干菓子を全て食べきった薊の前にお茶がきた。
「お先頂戴致します」
薊は次客達の方を向いて頭を下げる。茜達も薊に会釈を返しいざ……。
「お点前頂戴致します」
茶碗を手に取り時計回りに二回まわす。これは茶碗には正面があり自分に出された時は正面が自分に向いている。その正面から口をつけて飲まないために茶碗を回すのだ。
その理由は色々な言い方が出来る。一言で言えば茶碗の正面から口をつけて飲まないのは亭主への敬意を表していると説明される。しかしそれで何故正面に口をつけてはいけないのかという話になるだろう。
例えば亭主はその茶会のために茶碗を選んでいる。その茶碗の正面を汚すようなことがないようにするのが敬意だ、というようなニュアンスで説明する人もいるだろう。
あるいは正面はその茶碗の一番見栄えの良い向きということだ。飲む時は茶を飲むことに集中するために正面を外し、茶碗を見る時は正面に戻して見ることに集中する。だから飲む時に見る方に気が行かないようにするのだ、という人もいるだろう。
もしかしたらただ単純にそういう作法だからそれでいい、という人もいるかもしれない。それは教える人、教えられる人、流派、ありとあらゆるものによって様々に変化する。ただ一つ共通していることはそれはあくまで亭主への敬意を表すためである、ということだ。
三口で飲み干した薊は最後に『ズッ』と音をさせる。これは無作法なわけではない。飲み干したという合図だ。指で飲み口を拭き取り懐紙で指を拭く。茶碗を回して戻して返す。薊は『ふ~……』と少し息を吐いた。肩の荷が下りたのだ。あまり油断しすぎてはよくないが少し気が抜けるくらいは止むを得ない。
茜や他の参加者達が次々にお茶を飲んでいく。薊は『そういえば……』と思った。お茶も苦手なはずなのに今日のお茶はすんなり飲めた。皆も平気そうだ。
本当ならば……、お茶やお菓子について尋ねるのは正客である薊の役だ。そのお茶やお菓子が気になったのならば尋ねて話題を提供すると共に、他の人が知りたいであろう情報も、亭主の気遣いも、そういったことをさりげなく引き出すのが正客の役目だ。
しかしまだあまり経験もない薊にそこまで求めるのは酷というものだろう。それに案外誰も気にしていないかもしれない。何故ならば……。
「咲耶様すごい……」
「本当に……、咲耶ちゃん様になっています……」
皆は咲耶の所作の美しさに見惚れていたのだ。干菓子が食べやすかったことやお茶が飲みやすかったことなどもう頭の片隅にも残っていないかもしれない。どうせ練習でありそれはそれでいいとも言える。本人達がお茶を楽しめたのならばそれで良いのだ。かくいう薊も涎を垂らしそうになりながら咲耶のその姿を脳裏に焼き付けて、いや、脳に刻んでいた。
こうしてあっという間に時間は過ぎ去り、咲耶や薊の初めての茶会は幕を閉じたのだった。




