第101話~餌付けは楽しい~
短いけど大晦日だから許してください!_(:3」∠)_
その晩、再びエレンが俺が休んでいる部屋を訪れた。今日は忙しかったのか、朝に訪れてからは顔を見せていなかった。何かあったのだろうか?
「大丈夫か? 何かあったのか?」
「そうですね、少し厄介なことが」
無表情だが、どこか疲れているというか不安そうな雰囲気がエレンから滲み出ている気がする。
「厄介……? そう言えば、南の方がきな臭いって話だったな」
「ええ、それ関連です」
詳細を話す気は無いようだが、どうやら解放軍に何か動きがあったらしい。俺が姿を消してからもう既に半月以上経っている。まだ南部の平定は完了していないと思うが、南部の各地で使役されていた亜人奴隷達が解放されたなら、解放軍の総戦力はかなり向上しているはずだ。
装備の配布が間に合うかどうかは微妙だが、聖王国軍から鹵獲した装備もあるだろうし後方の生産拠点ではゴーツフットクロスボウの量産も開始していたはずだ。俺がインベントリから出しておいた資材や試作武器の類も利用しているだろう。研究開発部の人達は俺の作り出した武器を元に独自の武器の開発もしていた。
だが、いくら戦力が増えたとしてもメリネスブルグまで攻め上がってくるのはまだ不可能だと思うんだが……戦には勝てるかもしれないが、制圧した町や村の支配が覚束ないはずだ。南部を平定して支配するのもカツカツの人員しかいないはずだからな。
それに、合流したばかりの亜人奴隷達は厳しい生活が長く続いたせいで体力が相当落ちている。一週間やそこらの休養では戦闘や行軍はおろか、訓練すらもままならないはずだ。
つまり、何が言いたいかというと、解放軍が次のアクションを起こすには早すぎるってことだ。
俺を救出するつもりなら少数精鋭で潜入してくるとか、そういう手を使うと思っていたんだが。
「考え込んでいますね」
「俺にも色々あるのさ」
「色々ですか」
「色々です」
首を傾げるエレンに頷いてみせる。彼女に嘘は通じないという噂だからな。嘘をつくくらいなら話さないのが良いだろう。
「エレン、俺が神の使徒なのかどうかとか言ってたよな」
「はい。話してくれる気になりましたか?」
「そうだな……」
エレンに全てを話すかどうかを考える。
エレンの立場からすれば、俺は完全に彼女の敵である。多くの聖王国軍兵士を爆発で殺傷し、解放軍に多くの武器と食料を提供したのだから当たり前だな。ストレートに全てを話せば、彼女と俺の関係には決定的な亀裂が入るだろう。何も考えずに全てをぶっちゃけたい衝動に駆られるが、ここはグッと我慢する。
「二人きりで話したい」
「二人きり、ですか……二人きりになって私を手篭めにするつもりですね。このケダモノ」
「今、真面目な話してるからね? 真実の聖女様がそういう事言うと洒落にならないからやめてね?」
ほら、人聞きの悪い事を言うからアマーリエさんとベルタさんの視線が険しいじゃないか! 違います、違いますよ? そんなこと考えてないから! というか、そんな元気ないから! アマーリエさんだって知ってるでしょ!
「必死ですね」
「いい加減張り倒していいかな?」
「か弱い女性に暴力を振るうのはいかがなものかと」
「弱った病人をからかうのもいかがなものかと思いますよ、俺は」
「確かに、一理ありますね。やめませんけれど」
「やめてね?」
俺の必死の訴えが通じたのか、それとも俺をからかうことに満足したのかエレンはアマーリエさんとベルタさんに目配せをして二人を部屋から退出させた。
「これで良いですか」
「うん、これで良い。盗み聞きしているやつはいないよな?」
「いないと思いますよ。この部屋の壁は厚いですし、扉は一つだけですから。扉も厚いですから、余程大声を出さない限りは外には聞こえません」
「なるほど」
「なので、野獣のように襲いかかってきても大声を出さなければ大丈夫ということです」
「襲いかからないから。まずは……そうだな。俺が神の使徒かどうかという話について話そうか」
「はい」
エレンが姿勢を正し、聞く態勢に入った。相変わらず無表情だが、彼女なりに緊張しているのだろう。緊迫した雰囲気が伝わってくる。
「正直に言うと、わからない。俺は神に会ったことがないし、お前は神の使徒だぞと神に言われたわけでもないからな。ただ、この世界の人間ではないことは確かだ」
「この世界の人間ではない、ですか」
「そうだ。俺の住んでいた世界には空を覆うあんなにデカい惑星はなかった。魔法もなかったし、魔物なんてものもいなかった。亜人もいなかった。人間しかいない世界だったよ」
「つまり、貴方はここではない別の世界の住人だと、そう言うのですね?」
「そうだ。俺はこの世界の人間じゃない」
エレンの質問に答え、まっすぐにこちらの目を見据えてくる紅玉の瞳に目を合わせる。
「なるほど……稀人というやつですね」
「知っているのか、ライデン」
「エレンです。勿論知っています。稀人の伝承は各地にありますから。実物を見たのは初めてですが」
「そうか」
シルフィも稀人に関する伝承は色々なところにあると言っていた。エレンもそのうちのどれかを知っているのだろう。
「それで、俺はちょっと特別な力を持っている。その力をつぶさに観察した魔道士の見解によると、俺の能力が起こす現象は魔法的なものではなく、神聖魔法で起こす奇跡に近い性質をもっているそうだ」
「貴方の能力……貴方も奇跡を嘆願できるのですか?」
「いいや。でも、こういう事はできる」
俺はインベントリからホットケーキの載った皿を取り出して見せた。小麦粉と卵とミルク、花の蜜で作り出した一品だ。卵と乳が何の卵とミルクなのかは黙秘する。黙秘するったら黙秘する。
「これは……? 何か甘い香りがしますが」
「ホットケーキという食べ物だ。甘くてふわふわで美味しいぞ。はい、あーん」
同じくインベントリから取り出したフォークでホットケーキを一口大に切り分け、エレンの口許に運んでやると、彼女は少し戸惑った後に小さな口を目一杯開いた。そのままフォークに刺さったホットケーキをそっと口の中に押し込み、食べさせる。
「……あまくておいしい」
「そうだろうそうだろう。はい、あーん」
「……あーん」
雛鳥のように口を開けるエレンの口に切り分けたホットケーキを運んでやる。なにこれ楽しい。
「ミルクもあるぞ」
「いただきます」
木製のコップに入ったミルクをエレンに渡してやると、彼女は両手でコップを受け取ってコクコクと喉を鳴らした。
「おいしいミルクですね。ヤギのものではないようですが……何のミルクですか?」
「牛、かな」
「嘘ですね」
「だいたい牛だよ、だいたい」
概ね牛だよ。多分半分くらいは。定期的に絞らないと痛くなったり病気になったりするらしいよ。何故か子供がいなくても出るから結構困るらしい。
「……まぁいいです。それで、これは一体?」
「はい、あーん」
「もぐもぐ……」
覚悟を決めよう。もう、後戻りはできない。
「無から有を作り出しているわけじゃないんだ。元から入っているものを取り出しているだけでな。まぁ、目に見えないカバンとか倉庫みたいなものだな」
「んむ……空間魔法のようなものですか」
「空間魔法というものがどういうものか知らんが、多分そうなのかもな。いつでもどこでも自由に色々なものを収納して、取り出せる。対価なしにね」
「地味な能力ですね」
「真実を見通す目に比べればそうかもな」
皿をエレンに渡そうとしたが、彼女は受け取らずに口を開けた。仕方がないのでホットケーキをそのまま食べさせてやる。
「こんなお菓子は食べたことがありません」
「そうか? 似たようなものはありそうだが」
小麦粉を卵とミルク、砂糖で練ってふんわり焼き上げるだけなんだけどな。あ、いや、それだけじゃなくてベーキングパウダーとかもいるのかな? でもガレットとかもある意味でホットケーキの一種だって聞いたことがあるような……まぁ細かいことは良いか。
「とにかく、俺は稀人だってことだ。神の使徒かと問われると正直わからん。でも稀人だということは間違いない」
「一説として、稀人は神に導かれてこの世界に現れるといいます。他ならぬ神が私に貴方のことを『運命』と仰られたのですから、貴方は神の使徒だということで問題ないでしょう」
「そうか。信心なんて欠片もないけどな」
「今から育んでいけば良いのです。あーん」
「はいはい」
エレンの口にホットケーキを運びながら考える。エレンとしては俺は神の使徒だということで問題ないらしい。さて、ここから話をどう持っていくかな。
「名前」
「うん?」
「そういえば、貴方の名前を聞いていません」
「名前ね」
ここでコースケと名乗ったら決定的だろうな。いや、もうとっくにバレているのかもしれない。
エレンは俺の能力に関してキュービから聞いている可能性がかなり高い。もし聞いているのなら、インベントリの能力を見ただけで俺が何者なのか看破しているはずだ。キュービは俺が稀人だということも知っていた筈だしな。
というか、エレンは最初から知っていた可能性もある。俺の人相をキュービから聞いていてもおかしくない。
「コースケだ」
「そうですか……ん」
エレンが口を開いたので、最後の一欠片をエレンの口に運んでやる。エレンは無表情のままホットケーキをゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。
「やはりそうですか」
「そうなのです」
「そうですか」
会話が止まった。エレンは俺から視線を外し、手元のカップの中をじっと見つめている。
「神は言いました。運命に寄り添い、生きろと」
「そうか。神の与える試練はなかなかハードだな」
「……そうですね」
再びの沈黙が部屋の中を支配する。さて、どう切り出したものかな。




