91.群害
「浅知恵はお前のほうだ」
ややぎこちないが大陸共通語が聞こえてきた。
それと同時に都市の内部から赤い兜をかぶり、青い鎧を着て武骨な両手剣を片手で軽々と持った黒い肌のオークが出てくる。
背丈は二メートル近くあり、他のオークのようなだらしのないものではなく、鍛え上げられた筋肉が隆々としていた。
「ほう、オークジェネラルか」
通常のオークとは一線を画す肉体を持ち、人間の言葉をしゃべる知能を備えているのはオークロード、オークジェネラル、もしくはオークメイジ、オークプリーストといったレアな上位モンスターにかぎられている。
目の前のオークは明らかに戦士であることから容易に特定することができた。
オークジェネラルはただのオークとは一線を画す存在で、一体で四級冒険者パーティーと互角だろうか。
「そうだ。栄えあるキング・ミルヒにお仕えする将軍のひとり、クリッフだ」
クリッフの名乗りを聞いたギーゼルヘールは表情をゆがめる。
「名前持ちにキング……群害まで誕生していたとは……聖国の奴らめ、どれだけ放置していたのだ? あるいは失態に失態を重ねたのか……」
名前持ちとは魔物が一定数増えて組織化され、個体を識別する必要が出てくるほど成長した結果誕生するものだ。
あくまでも自分たちで名前をつけ合うにすぎないため、人間がつける「異名持ち」と比べて個々の脅威度は下がる。
しかし、総合的な脅威度ははるかに上だ。
知能だけでなく組織としても人間に近づいている証だからである。
ちなみにこの群害の脅威度には三段階用意されていて、下から「軍」「都市」「国家」だ。
軍は軍勢を築き上げるレベルだが、都市と国家は文字通り魔物の都市と国家を築き上げる。
都市は対処を間違うと一国の存亡危機になり、国家は文字通り滅ぼされてしまった後に魔物の国ができるというわけだ。
「こいつら、どう考えても【都市】クラスだぞ……」
ギーゼルヘールのけわしい表情を、自分のうかつさに今気づいたと誤解したクリッフは勝ち誇る。
「今さら己の馬鹿さに気づいても遅い。人間は死ね!」
クリッフはたくましい左腕を上にあげ、勢いよく振り下ろす。
同時にゴブリンとオークが一斉にギーゼルヘールをめがけて駆け出した。
無秩序な突撃ではなく、訓練された軍隊のような秩序ある進撃を見せられた彼はため息をつく。
「どれくらいの被害が出たのか……」
彼が考えたのは魔物たちが「都市」クラスに成長するまでに出た、犠牲者の数だった。
クリッフが勝手に勝手に勘違いしたように、大群にすくんでしまったわけではない。
数が多かろうが、秩序があろうが、押し寄せる大群などギーゼルヘールにとってはただの的に過ぎなかった。
「まずは準備運動かな」
彼は弓をかまえ、魔力を矢に転換して放つ。
数本の矢が同時に放たれたかと思えば、一気に千以上に分裂して突っ込んでくるゴブリンとオークの頭を粉砕する。
魔力で作った矢が優れているのはこのような点だ。
どれだけいい矢でも、一度に千を超す数を放つのは無理だからである。
「な、何だと……」
一瞬で味方の半数を失ったクリッフは絶句してしまった。
オークジェネラルにとってたったひとりの人間など、泣きながら逃げまどい、命乞いをし、飽きるまで嬲って殺す生きた玩具に過ぎないはずだったのである。
ところが、目の前の弓兵は常識を超えた強さを見せた。
クリッフがただのオークなら戦意喪失して逃げ出すところなのだが、彼は知恵を持ったオークジェネラルである。
自分たちにとって恐るべき強敵が出現したと判断し、都市に救援を求めた。
「救援要請を出せ! 俺たちの手には負えない」
クリッフの近くにいたゴブリンたちが五十匹ほど、これ幸いと都市の中に駆け込む。
ギーゼルヘールはそれを黙って見送り、クリッフに疑念を抱かせた。
「なぜ何もしない?」
クリッフの声は恐怖で震えていたが、ギーゼルヘールは笑わない。
自分の常識を超えた強さを持った相手と対面しながらも、理性を保っているのは魔物ながらあっぱれだった。
好き嫌いの感情とは別の点で評価したのである。
「なぜって? どうせ貴様らは殲滅するからな。都市から逃げ出すのならともかく、都市へ救援を求めるならば止める理由などない」
「お、思い上がるなよ……確かに貴様は俺たちより強い。だが、俺たちのキングは俺たちより圧倒的に強いんだぞ!」
クリッフは自分の恐怖を鎮めようと強がった。
それでも声の震えは止まらない。
「だろうな」
ギーゼルヘールは興味なさそうに反応する。
強さに序列をつけるならオーガキング、オーガロード、オーガジェネラルとなるだろう。
オーガキングを倒せるのはおそらく二級冒険者パーティーよりも上くらいだし、オーガロードやオーガジェネラルは三級冒険者パーティーでなければ心もとない。
厄介なのは彼らは統率されていて知恵もある点だから、状況次第では一級冒険者たちを呼ぶ必要さえある。
その一級冒険者たちでも数万のオーガ、オーク、ゴブリンの軍勢と戦いつつ、オーガキングを撃破できるのかと言うと非常に苦しい。
皇帝がいきなり八神輝を投入したのは、結果論的にではあるが大正解だった。
ギーゼルヘールはそれを理解しているからこそ、今ここでオーガキングの都市を叩き潰すつもりでいる。
「来たか」
殺気立った万を超す集団が彼の方向に接近していると、八神輝らしき超人的な感覚で察知した。
鉄の鎧をまとい、剣や槍を持ったオーガジェネラル、杖を持って法衣のような服を着たオーガロードたちの先頭に立っているのはクリッフよりもさらに頭ひとつ分高い、巨躯の真っ白な皮膚と闇のような黒い瞳を持ち、銀色の鎧をまとったオーガである。
その白いオーガを見るや否やクリッフはその場に跪いて頭を地面にこすりつけた。
「キング・ミルヒとやらか」
ギーゼルヘールのつぶやきにキング・ミルヒは重々しくうなずき、厳めしい言葉を放つ。
「そうだ。偉大なる吾輩にたてつく、哀れなる小虫よ。貴様の墓標に刻む墓標を告げるがいい。慈悲をもって刻んでやろう」
キング・ミルヒの言葉に彼は必死で笑いをこらえる。
「人間のまねごとか、オーガが?」
彼の発言を聞いてキング・ミルヒの取り巻きたちが殺気を飛ばしたが、当のキングは平然としていた。
そのせいか、ギーゼルヘールは名乗る気になる。
「帝国の八神輝がひとり、ギーゼルヘールだ」
彼の名を聞いたキング・ミルヒはにたりと不気味な笑いを浮かべた。
「知っておるぞ。八神輝最弱の弓使いとやらだな」
「へえ、情報収集していたのか」
ギーゼルヘールは少しだけ警戒度を引き上げる。
帝国の八神輝は人間国家では有名だが、魔物たちが知っているというのは不自然だ。
ただ人間の集落を攻めて蹂躙するだけではなく、情報収集もおこなっているとなればあなどれない。
「弓使いは肉壁がいてこそだろう。クリッフが相手にならないのであればそこそこやるのだろうが、所詮はそこそこよ」
ミルヒはにたりと笑って宣言する。
「たったひとりでのこのこやってきた思い上がり、このミルヒが後悔させてやろう。そしてゆくゆくは帝国とやらも併呑してやるわ」
「バルトロメウスがいるかぎり、絶対に無理だぞ」
ギーゼルヘールは何も知らない幼児に物を教える心境で答えた。
魔界の元帥ですらバルには勝てないのに、地上のオーガ如きがかなうはずもない。
「無理かどうか、貴様が身をもって知れ!」
ミルヒは吠えたてた。




