Case.4 ストーカー事件 2
翌朝。琴星は亜恋の住むアパートにやって来ると、亜恋の部屋のインターホンを鳴らした。
数秒もしない内に玄関のドアが開き、中から亜恋が顔を覗かせる。
「おはよ、亜恋ちゃん」
琴星は笑顔を浮かべると、まるで友達のような口調で亜恋に話しかける。
「ああ、えっと……おはよう?」
「大学に行く前に、少しお邪魔してもいいかな?」
「う、うん……」
琴星が首尾よく亜恋の部屋に潜り込み、亜恋がドアの鍵を閉める。
「改めて確認させていただきます」
扉が締め切られた途端、琴星の振る舞いは探偵としてのものへと変化した。
「事前にお知らせいたしましたが、阿内さんの警護とストーカーの調査を兼ねて、しばらく私が阿内さんの友人を演じます。主に大学への往来に同行させていただくことになりますが、よろしいですか?」
「はい、大丈夫です。けど……」
「何か気になる点がおありですか?」
「その、大したことじゃないんですけど……男性の探偵さんは、今日はいらっしゃらないんですか?」
亜恋のその質問に、琴星は僅かに目を見開いた。
「鴻上のことですか。彼がどうかいたしましたか?」
「いえ……今日はいらっしゃらないのかなって、気になっただけで……」
そう言いつつも、琴星の目には亜恋がどこか残念がっているように見えた。
「彼は私達の周囲の不審人物を発見するため、少し離れた場所から私達に同行します。それと大学内での阿内さんの警護も、彼が担当することになっています」
亜恋の警護は大学内では道人、それ以外の場所では琴星、というのが基本的な分担になっている。
琴星が大学内の警護を担当しないのは、琴星の人目を引く容姿では講義への潜入が難しいためだ。
ただ琴星が大学の構内にいるだけなら「派手な人がいるなぁ」と思われるだけで済むが、基本的に同じ顔触れしかいないはずの講義に琴星が潜入すると「あんな人いたっけ?」と思われてしまいかねない。
それを避けるため、学内の警護は道人の領分ということになった。
では大学以外の場所でも道人が警護すればいいのでは、という話かというとそうでもない。
理由は単純、道人よりも琴星の方が強いからだ。琴星が警護にあたれるのであれば、それに越したことは無い。
「という訳なので、大学内では私ではなく鴻上があなたに同行します。と言っても彼は変装の達人なので、彼がいることに気付くのは難しいかもしれませんが……」
「そ、そうなんですね……」
「他に何か気になることは?」
「いえ、大丈夫です」
「では、そろそろ出発しましょうか」
亜恋の疑問に答え終わったところで、2人は友人を装いながら再び部屋を出る。
「亜恋ちゃん、課題のレポートもう終わった?」
「う、うん」
「本当?亜恋ちゃん早いね、私まだ全然手つけてないよ~」
主に琴星主導の会話で友人同士を装いつつ、大学への道を歩く2人。
と言っても亜恋のアパートは大学から程近く、10分も歩かない内に琴星と亜恋は時生大学の正門をくぐった。
辟易するほど広いキャンパス内を移動し、教育学部棟が見えてきた辺りで琴星が足を止める。
「それじゃあ私、購買で買わなきゃいけないものあるから」
「あ、うん……」
「また帰る時にね。バイバイ」
琴星は亜恋に手を振ると、それまで歩いてきた道を引き返す。
すると琴星の前方から、黒とピンクのファッションに身を包んだツインテールの女性が歩いてきた。
「首尾はどうでした?」
「怪しい人物が1人いました。写真を送ってあります」
擦れ違う刹那、琴星はツインテールの女性と短く言葉を交わす。
ツインテールの女性は琴星を一切振り返ることなく、そのまま教育学部棟へと消えていく。
「……張り切っていますね、道人」
言うまでもなく、ツインテールの女性の正体は変身した道人である。
琴星は少し移動して適当なところで立ち止まると、スマートフォンを取り出して道人から送られてきた写真を確認した。
写真に写っていたのは、電柱の陰に身を潜める細身な男。男の視線の先には、離れた場所を歩く琴星と亜恋の背中がある。
更によく見ると、男は亜恋に向けてスマートフォンのカメラを向けていた。亜恋の姿を撮影している様子だが、亜恋の許可を得ているとは到底思えない。
「これはまた……分かりやすいのがいましたね」
琴星は苦笑を浮かべながら、写真の男の身元を確かめるべく動き出した。
この日亜恋は2限から4限まで、途中に昼食を挟みながら大学で講義を受けていた。
その間道人は時折姿を変えながら、一時も視線を逸らすことなく亜恋を見守り続けた。最早道人がストーカーと言われても反論が難しい状態である。
勿論道人もただ亜恋を眺めていただけではない。ストーカーと思しき人物や悪意を持った人物が亜恋に近付くことの無いよう、常に周囲に気を張り巡らせていた。
その甲斐もあってか、この日は特に亜恋の周囲で変わったことは起こっていない。
全ての講義を終えた亜恋は、今は学内の購買のお菓子コーナーを彷徨っている。購買はほぼ全面ガラス張りのため、店内に入らずとも亜恋を視認することができた。
道人は今は前髪を伸ばした地味な女子大生の姿に変身し、購買の近くにあるベンチでスマホを弄る振りをしながら亜恋を見守っていた。
5分ほどお菓子コーナーで迷っていた亜恋は、最終的にバウムクーヘンを2つ手に取ってレジに向かった。
「……変わらないな」
道人は思わず呟いた。
道人の記憶の中にいる幼い頃の亜恋は、バウムクーヘンが大好物だった。
3時のおやつにバウムクーヘンが出ると、亜恋は踊り出さんばかりに喜び、それからバウムクーヘンを2つに割って片方を道人に分けてくれた。
「ヒーロのお兄ちゃんと一緒に食べるともっとおいしいね!」と、バウムクーヘンの欠片を口に付けて笑う亜恋の顔は、今でも道人の脳裏に焼き付いている。
今の道人が甘い物を好むのは、間違いなく亜恋の影響だった。
道人が柄にもなく昔を懐かしんでいる間に、亜恋は会計を済ませて購買を出た。
そして亜恋は購入したばかりのバウムクーヘン2個を手に持ったまま、真っ直ぐに道人の下へとやってくる。
「あの……」
「……何ですか?」
亜恋に声を掛けられた驚愕を押し殺しながら、道人は敢えて不愛想に対応する。
「間違ってたらごめんなさい。でも……鴻上さんですか?」
「っ!?」
だが続く亜恋の言葉に、道人は驚きを隠しきれずに目を見開いてしまった。
「どう、して……」
誤魔化すという選択肢すら思いつかず、道人は呆然と正体に気付いた理由を亜恋に尋ねる。
「あの、大学では鴻上さんが私を守ってくれるって姫宮さんに教えてもらってて。そしたら私のことを優しく見守ってくれている人がいたので、もしかしたら鴻上さんかも、って……」
「……は、はは。視線に勘付かれてしまうようでは、俺も探偵としてまだまだですね」
道人は反省しつつも、数年ぶりになる亜恋との会話に、頬が緩むのを抑えることができなかった。
目の前の亜恋は道人の記憶よりもかなり成長していたが、それでも言葉や仕草にはかつての面影が見られた。
「あの、鴻上さん。よかったらこれ、どうぞ」
亜恋が2つある内のバウムクーヘンの片方を、道人に差し出した。
「今日1日私のことを見守ってくださったので……そのお礼です」
「……あくまでも仕事でやっていることです。依頼が終了すれば阿内さんには正当な報酬をいただきますから、このようなお礼をしていただく必要は……」
「……ご迷惑でしたか?」
亜恋が悲し気に眉尻を下げる。その表情を目にした瞬間、道人はほとんど無意識で亜恋からバウムクーヘンを受け取っていた。
「迷惑だなんてとんでもない。ありがとうございます、いただきます」
「ふふっ、良かった」
亜恋の顔に笑顔が戻る。昔と変わらないその笑顔に、道人はどうしようもなく安心してしまった。
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
亜恋が道人のすぐ隣に腰を下ろす。
「私、昔からバウムクーヘン好きなんです。購買とかコンビニでも、見かけるとつい買っちゃって」
恥ずかしそうに笑いながら、亜恋がビニールの包装を破いてバウムクーヘンを取り出した。
バウムクーヘンは外側が砂糖で白くコーティングされている。昔道人が亜恋と半分ずつ食べたバウムクーヘンも、砂糖でコーティングされたものだった。
「……うん、美味しい」
バウムクーヘンを一口頬張った亜恋が微笑む。
「鴻上さんは、バウムクーヘンはお好きですか?」
「ええ、甘い物に目が無いので」
道人もビニールからバウムクーヘンを取り出して一口齧る。
口の中に広がる懐かしいその味に、道人は何だか涙が出そうになった。
その日の夜。
道人はいつも通りの姿で、亜恋が住むアパートを見張っていた。
時々部屋の外からドアスコープを覗き込むような気配がすると、亜恋は話していた。
それが事実だとすれば、亜恋の部屋を張っていればストーカーが姿を現す可能性がある。そう考えた道人は、夜通し亜恋の部屋を見守ることにしたのだ。
とはいえ女性が住む部屋を路上で一晩中見張っていたら、下手をすれば近隣住民に不審者として通報されかねない。
だが幸いなことに亜恋の住むアパートは外廊下で、近くの小さな公園から亜恋の部屋の様子を観察することができた。
「まあ、路上だろうが公園だろうが、俺が不審者ってことに変わりはないんだけどな……」
公園のベンチに腰掛けた道人は、自虐的な独り言を呟いた。
現在時刻は22時過ぎ。亜恋が帰宅した18時頃から道人はこの公園に腰を据えているので、そろそろ4時間が経過したことになる。
4時間もの間アパートの一室(しかも扉)を見張り続けるのは、言うまでもなく退屈極まりない。
しかしこれも、亜恋をストーカーの恐怖から守るため。道人にとっては何ら苦にならない。
「ん?」
道人はポケットの中に振動を感じ、スマートフォンを取り出す。
画面を見ると、琴星からの着信だった。
「もしもし」
「もしもし、道人。少し話しても大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
「道人から送られてきた写真の男性の身元が分かりましたので、一応連絡をと思いまして」
「写真の男……ああ、今朝のやつですね」
道人は今朝、大学に向かう亜恋を盗撮する不審な男を発見した。
その男の写真を琴星に送り、身元の特定を依頼していたのだ。
「彼の名前は本田隆一。時生大学教育学部の1年生です」
「教育学部の1年生ってことは、亜恋の同期ですね」
「ええ。ですが同期と言っても接点はほぼ無かったようです。ただ本田さんと親しい友人から、本田さんが阿内さんに好意を抱いているようだという証言は得られました」
「ストーカー行為に及ぶ最低限の動機は備えている、ということですね」
「好意を抱いている」というだけで「ストーカーの動機がある」という結論を導くのは、はっきり言ってかなり最低である。
普段からそんな思考回路であればいつか冤罪を生みかねないが、今回の道人は普段とは比べ物にならないほど視野が狭くなっているのだ。
「それともう1つ。本田さんの住むアパートは、阿内さんのアパートからはかなり離れた場所にあります。彼がたまたま阿内さんのアパートの近くにやって来るということは考えにくいでしょう」
「じゃあ本田は最初から亜恋を盗撮するつもりで、今朝あの場所にいたってことですか」
「そのようにも考えられますね。何かあの辺りに他の用事があったことも充分に考えられますが……」
道人は腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってくるのを自覚した。
「……道人。一応言っておきますが、現時点では本田さんは、単に容疑者の1人に過ぎません。あなたにとって彼がどれだけ怪しく見えても、彼がストーカーであると断定するだけの根拠はまだ揃っていませんん」
「はい、分かっています。先走るつもりはありません。俺も人違いで殺人を犯したくはありませんから」
「ストーカーを確実に殺めるつもりであることにも苦言を呈したいところですが……とりあえず逸るつもりが無いのであれば良しとしましょう」
その言葉を最後に、琴星との通話は終了する。
それと同時に道人の視線の先にある亜恋の部屋の扉が開き、中から亜恋が姿を現した。
「ん?」
こんな時間から外出か、と首を傾げる道人。
部屋を出た亜恋は周囲をキョロキョロと見渡し、そして道人と確かに目が合った。
亜恋は瀬谷に鍵をかけると小走りで外廊下を走り出し、すぐに道人のいる公園までやって来る。
「阿内さん、どうしました?」
「あの、鴻上さん……これ」
亜恋が胸に抱えていた緑茶のペットボトルとコンビニのシュークリームを道人に差し出す。
「これ、差し入れです」
「差し入れ……?」
「鴻上さん、ずっと私の部屋を見張っててくれているんですよね?こんなものしか持って来れなくて申し訳ないんですけど……」
亜恋からの差し入れを、道人は戸惑いながら受け取った。
「阿内さん、そのお気持ちは嬉しいですが……あなたはストーカーに狙われているかもしれない立場です。家の近所とはいえ、こんな暗い時間に大したことの無い用事で外出するのは……」
昔を知っているだけに、無意識に亜恋を叱るような口調になってしまう道人。
「大したことの無い用事なんかじゃないです」
しかし亜恋ははっきりとそう言って首を横に振った。
「鴻上さんは私のために何時間も頑張ってくれています。そんな人にありがとうの気持ちを伝えることは、私にとっては大したことなくなんて無いです」
「阿内さん……」
不意討ちで伝えられた純粋な感謝に、道人は心配も忘れて思わず泣きそうになった。
「……あっ、ご、ごめんなさい。鴻上さんは私のことを思って言ってくれているのに……」
申し訳なさそうに体を竦める亜恋に、道人の口元が無意識に緩む。
「いえ、俺もきつく言い過ぎました。差し入れありがとうございます、とても嬉しいです。ただ今度からは、俺のために暗い中外に出るのはやめてください。依頼人を危険に晒すのは探偵失格ですし、阿内さんに何かあれば俺も悲しいです」
「ふふっ、分かりました。次からは気を付けますね」
亜恋が気恥ずかしそうに笑い、つられて道人も笑い声を零す。
「そうだ鴻上さん。連絡先を教えてくれませんか?」
「連絡先、ですか?」
「はい。姫宮さんのは教えてもらったんですけど、鴻上さんのも知りたいなって」
調査に当たって琴星は亜恋と連絡先を交換しているが、そもそも亜恋と直接接触する予定の無かった道人は交換していなかったのだ。
「スマホの中に鴻上さんの連絡先があると思うと、何だか安心できる気がして。ダメですか?」
「それは……」
道人は逡巡した。
亜恋とは直接関わらない予定だったというのに、道人は今日だけで何度も亜恋と会話を交わしてしまっている。
この上で連絡先まで交換してしまうのは、あまりにも分を弁えていないように思えたのだ。
「……ダメ……ですか?」
「勿論、構いませんよ」
だがかつては妹のように思っていた亜恋からお願いされて、道人が断れるはずもなかった。
「ふふっ、ありがとうございます」
道人と連絡先を交換したスマートフォンを、亜恋は大事そうに胸に抱える。
「それじゃあ私、部屋に戻りますね」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい。ふふっ」
亜恋が喜びを抑えきれないというように笑いながら、自分の部屋へと戻っていく。
その後道人は、夜が明けて琴星がやって来るまで、ずっと亜恋の部屋を見守り続けた。
この作品を気に入っていただけましたら、いいねやブックマーク等よろしくお願いいたします
次回は明日更新する予定です




