Case.3 ティラノサウルス頭骨化石盗難事件 4
大原がイデアリス・レックスと名付けたその恐竜は、現代において唯一その姿を直接観測できる恐竜であると言える。
イデアリス・レックスは大原の理想の恐竜であると同時に、この世界で唯一の恐竜の姿の真実となったのだ。
「恐竜というより、最早怪獣ですね……」
イデアリス・レックスの巨躯を見上げ、道人は気圧されながら呟いた。
「おっ、おい姫宮!?これは大丈夫なのか!?」
氷室はというと、イデアリス・レックスを目の当たりにして完全に動転していた。
だが氷室の反応も無理はない。これだけ巨大な陸上生物は、現代には本来存在していないのだから。
「氷室。あなたは捷路を使って逃げなさい」
琴星が冷静な口調で氷室に指示を出す。
「なっ、何だと!?」
「あの怪物はかなり危険です。私がいる以上万に一つもあなたに危害は及ばせませんが、それでもこの場を離れてもらった方が安心できます」
「ふっ、ふざけるな!警察官が一般市民を置いて逃げる訳が無いだろう!」
氷室は足をガクガクと震わせながらも、決して逃げ出そうとはしなかった。
氷室は警察内部の情報を平然と琴星達に横流しする悪徳警官だが、それでも自らの職業には矜持を持っているのだ。
「氷室さんのそういうところは俺も尊敬していますが……」
「なっ、おい、鴻上、何をする!?」
頑としてその場を動かない構えの氷室を、道人が軽々と持ち上げる。
「怪物退治は俺達に任せてください」
「やめっ、やめろ鴻上!やめろぉ~っ!?」
抵抗虚しく、道人によって捷路へと放り込まれる氷室。
氷室のスタイルのいい体は、あっさりと捷路の向こう側に消えていった。
「おや、君達は逃げないのか?」
大原が琴星と道人に問い掛ける。
「イデアリス・レックスは凶暴だ。命が惜しくばさっさと逃げたほうがいい」
「1つお尋ねしますが、あなたはこの恐竜をどうするつもりですか?」
「どうもしないさ。恐竜は何物にも縛られず自由に生きるべきだ」
「凶暴な恐竜を野放しにすれば、多くの被害者が出てしまうのではありませんか?」
「そうかもしれん。だがイデアリス・レックスは生態系の王だ。頂点捕食者に命を奪われるのは、自然の摂理だとは思わんかね?」
「お前、いい加減にっ……!」
大原に詰め寄ろうとした道人を、琴星が肩に手を置いて制した。
「確かに被捕食者が捕食者に命を奪われることは自然の摂理でしょう。ですがイデアリス・レックスは、魔術によって摂理に抗い生み出された怪物。その怪物に無辜の人々の命が脅かされることを、私は正しいこととは思えません」
「見解の相違だな。それならば君はどうするんだ?」
「決まっているでしょう。イデアリス・レックスを討伐します」
「……はは、はっはっは!!これは良い!最強の魔術師と聞く万象の魔術師が相手ならば、イデアリス・レックスの力を示す試金石としてこれ以上は無いだろう!」
興奮する大原とは対照的に、琴星は至極冷静に道人へと囁きかける。
「道人、あなたは大原の制圧をお願いします。イデアリス・レックスを討伐する間に、妙なことをされては面倒ですから」
「了解」
「相手は魔術師です。くれぐれも気を付けてください」
「心得ています」
琴星は道人と頷き合い、それから改めて大原を真っ直ぐに見据える。
「大原吉洋、そしてイデアリス・レックス。私刑の時間ですよ」
「ギャオオオオオッ!!」
琴星の宣戦布告に応えるように、イデアリス・レックスが空気の震えるような咆哮を上げる。
「最強の魔術師とやらの力がどれほどのものか、拝見させていただこう」
「暢気に見物している余裕はないぞ」
「……何?」
「お前の相手は俺だ、大原」
体からバチッと黒いプラズマを迸らせながら、道人が大原と対峙する。
「……そう言えば、君だけはまだ何者か聞いていなかったか」
「別にわざわざ聞かれるほど大したものじゃない。俺はただの探偵だ」
「ただの探偵……そうは見えないがね。いずれにせよ、私の相手は君が思うほど容易くはないぞ」
大原が道人に向かって右手を伸ばす。
それから大原は、拗音と濁音が多く混ざった未知の言語を諳んじ始めた。
それが魔術の発動に必要な詠唱であることを、道人は経験的に知っている。
「……<神秘の弾丸>」
大原の詠唱が終わると同時、大原が伸ばした右手の先に魔法陣のようなものが出現する。
そして魔法陣から、ソフトボール大の光球が道人に向かって高速で射出された。
道人は光球を避ける素振りを見せず、光球はそのまま道人の左胸を貫いた。
「呆気ないものだな……」
拍子抜けしたように呟き、道人に背を向ける大原。
「何が呆気ないんだ?」
「……何?」
しかし直後に背後から聞こえた道人の声に、大原は驚愕と共に振り返る。
道人の胸に空いていたはずの穴は、跡形もなく塞がっていた。
「……君は一体何者だ?」
「だから言っただろ、俺はただの探偵だ。まあ、他人より頑丈ではあるけどな」
「胸を貫かれて生きているのは頑丈どころの話ではない。さては君は、人間ではないな?」
「ご名答。正解したあんたには、俺から私刑のプレゼントだ」
先程大原がしたのと同じように、道人が大原に向かって右手を伸ばす。
すると道人の右手首から、脊椎の様な形状の触手が高速で射出された。
「がふっ!?」
鋭く尖った触手の先端が大原の胸を貫く。大原は触手の速度に反応することすらできなかった。
道人が触手を引き抜くと、大原はそのまま崩れ落ちるようにして地面に倒れる。
「安心しろ、死にはしない場所を刺した。まあもう動けないだろうけどな」
「ぐっ、はっ……だが、私を無力化する行為に意味はない……」
大原は口から血を流しながら、引き攣った笑みを形作る。
「私の望みは、理想にして真実の恐竜たるイデアリス・レックスを、この世界に知らしめることなのだから……」
「だったら、その望みが叶うことはもう無いな」
「何だと……?」
「見てみろ」
道人に促され、大原がイデアリス・レックスの方へと視線を向ける。
イデアリス・レックスが鋭い牙の生え揃った顎を大きく広げ、琴星を噛み砕かんとする。
それに対し琴星はその場から微動だにすることなく、ただ伸ばした人差し指を魔法の杖のように軽く振るった。
「<妖星>」
すると琴星の側の空中に虹色の魔法陣が出現し、そこから放たれた眩い閃光がイデアリス・レックスの上顎を貫いた。
イデアリス・レックスの悲鳴が空気をビリビリを震わせる。
「<昴星>」
再び琴星が指を振るうと、今度は琴星の背後に数十もの魔法陣が出現した。
無数の魔法陣を背負った琴星の姿は、さながら飾り羽を広げた孔雀のようだ。
琴星が人差し指をイデアリス・レックスに向けると同時に、背後の魔法陣から一斉に閃光が放たれる。
閃光は1つ残らずイデアリス・レックスの巨体を貫く。蜂の巣となったイデアリス・レックスはその場にぐしゃりと倒れ込むと、そのまま2度と動かなくなった。
「バッ……バカな……!?」
血を吐きながら愕然と言葉を失う大原。
「イデアリス・レックス、だったか?うちの所長が相手じゃ、まるで歯が立たなかったな」
「有り得ない……頂点捕食者が……理想にして真実の恐竜が……」
大原は理解を拒むように力無く首を横に振る。だがイデアリス・レックスが息絶えた事実が覆ることは無い。
「あら。道人の方も終わっていましたか」
「ええ。所長、仕上げをお願いします」
「そうですね、そうしましょう」
琴星は倒れ伏している大原の側へやって来ると、その場に屈んで大原の頭に右手を触れた。
未だに現実を受け入れることのできない大原は、琴星に抵抗する様子を見せない。
「大原吉洋。私刑は道人が与えたもので充分でしょうから、私からはこれ以上の私刑は行いません。ですがあなたが2度と同じ過ちを繰り返すことの無いよう、魔術にまつわる全ての知識を没収します」
琴星の右手の甲に、淡い色の魔法陣が浮かび上がる。
「<記憶の簒奪>」
そして大原の脳内からは、全ての魔術の知識が失われた。
「はあああああ……」
姫宮最強探偵事務所の応接用のソファで、氷室は深い溜息を吐いた。
「何ですか氷室。アポイントも無くやって来るなり、これ見よがしに溜息など吐いて。事務所が辛気臭くなるのでやめてください」
琴星からの苦情を受けても、氷室は頭を抱えた体勢のまま動かない。
「何をそんなに気落ちすることがあるのですか?頭骨化石盗難事件を無事に解決できたばかりだというのに」
「あれのどこが『無事に解決』だ!?」
ようやく顔を上げた氷室は、目の下にくっきりとした隈を拵えていた。
その隈の色の濃さが、氷室の心労を物語っている。
「そもそも今回俺がお前達に協力を依頼したのは、一刻も早く異常犯罪者を突き止めた上で、警察の捜査を打ち切ることができる落としどころを用意するためだったんだ!」
「ああ、氷室さんよく言ってますもんね。異常犯罪の捜査に大事なことは、一刻も早く犯人を見つけ出すことじゃなくて、一刻も早く捜査を打ち切らせることだって」
道人が氷室に緑茶を出しながら相槌を打つ。
大原のような異常犯罪者は、警察には逮捕することができない。ほとんどの場合、異常犯罪者は法的に有効な証拠を残さないからだ。
そのような事情から、警察による異常犯罪の捜査は本質的には意味がない。だからこそ氷室は、異常犯罪捜査に割かれる人員や予算を少しでも減らすために、一刻も早い異常犯罪の捜査の打ち切りを信条としている。
「盗まれた頭骨化石さえ見つかれば、後は諸々を有耶無耶にして捜査を打ち切らせる算段は付いてたんだ。それなのに……」
「あら。頭骨化石ならきちんと見つけたではありませんか。ね、道人」
「そうですよ。氷室さんだって見たでしょ?」
「見つけたところで博物館に返って来なければ意味が無いだろうが!」
暢気な琴星と道人に、気炎を上げる氷室。
「折角頭骨化石の所在を突き止めたというのに、それがイデアリス・レックスとかいう訳の分からん怪物の材料にされてしまったんだぞ!?どうやって回収しろと言うんだ!?」
「イデアリス・レックスの死体は残ってましたから、その頭から骨を剥ぎ取ればいいんじゃないですか?」
「ダメですよ、道人。イデアリス・レックスの頭骨は最早化石ではなく普通の骨です」
「ああ、言われてみればそうですね」
「それにイデアリス・レックスは、氷室の言葉を借りるなら特異生態を持つ生物、いわゆる神秘生物です。その頭骨も当然異常な物品ですから、博物館に展示することはできません」
「ああその通りだ!つまり博物館に返還されるべき頭骨化石は、完全に失われた!」
氷室はそう言って、再び頭を抱えてしまった。
「更に言うと、私達が頭骨化石を発見した時点で、頭骨化石には魔術的な加工が施されていました。頭骨化石の奪還という点においては、私達は既に手遅れだったと言えます」
「所長、それ以上言うと氷室さんが自分で自分の頭を潰してしまいそうです」
「クソッ……頭骨化石無しに、どうやって捜査を打ち切らせればいいんだ……」
「犯人の自白は望めませんしね」
大原は琴星に記憶を奪われて以降、外部からの呼び掛けにほとんど反応を示さなくなった。
現在は時生大学附属病院の精神科に入院しており、とても自白ができるような状態ではなかった。
まあ仮に大原が自白したとしても、どのみち警察が大原を逮捕することは不可能だが。
「このままでは確実に頭骨化石盗難事件の捜査は継続される……予算も人員も時間も浪費され続ける……どうする?どうすれば捜査を打ち切らせることができる……!?」
「道人、何かお茶請けが欲しいです」
「それなら頂き物のちょっといいクッキーがありますよ」
「あら、素敵ですね」
「……おいお前達。俺が悩んでる側で、何他人事みたいな顔して暢気な話をしている」
氷室がじろりと琴星と道人を睨み付ける。
「あら、実際に私達にとっては他人事ですもの」
「何!?」
「私達はあなたから頭骨化石盗難事件の犯人を突き止めてほしいという依頼を受け、そして犯人を明らかにして見せました。私達探偵の仕事はここまで、これより先はあなたの領分です」
「……薄情な連中だな、お前達は!」
悪態を吐きつつも琴星に理を認め、氷室はそれ以上2人に突っかかろうとはしなかった。
「どうする……どうすればいい……頭を使え、俺……活路は絶対にあるはずだ……!」
「悩むしかすることが無いのなら、そろそろ帰ってほしいのですが」
「いいじゃないですか所長。悩む場所くらいは貸してあげましょうよ」
「……あなたがそう言うならいいでしょう。眺めている分にはそこそこ面白いですし」
身悶えしながらうんうん唸り声を上げる氷室を、琴星と道人は可笑しそうに見守っていた。
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