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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+比翼の章+

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一「防衛戦線」

 シージエこと皇帝フーシエはユヤンにレイレイを託した。ユヤンの邸宅には女官もたくさんいる。身の回りの世話をする人材には事欠かない。


 ユヤンの邸宅は宮城の西に位置する。いざという時に急いでシージエのもとへ駆けつけられるようにか、すぐそばと言えるほどの距離であった。

 その邸宅は鸞和宮とどこか似た雰囲気を持っていた。設計者が同じだとかそういうことかもしれない。

 けれど、決定的に何かが違う。空気というべきか、何かが。


 とはいえ、平屋の鸞和宮とは違い、ユヤンの邸宅は宮城に次いで高い楼閣がある。これならば城市を一望できることだろう。

 国の重職に就くユヤンの下にはたくさんの使用人がいて、皆が動き回っている。その人々の忙しなさが鸞和宮との決定的な違いだろうか。あそこは二人、最大でも三人しかいなかったのだから。


 レイレイのために用意された客間は見るからに華やかで洒落ていた。大きめの寝台に香花三元――蘭に茉莉花、桂花の柄の入った敷物が美しい。流行に疎いレイレイが見てもそう思えた。


「何か不自由があれば女官に言いつけるといい。ここにいる間に気持ちの整理をつけることだ」


 ユヤンは穏やかにそう言った。レイレイは心もとなく、孤独を抱えながらつぶやいた。


「ありがとうございます……」


 気持ちの整理とは、後宮に入る心構えをしろということだろう。もともとそのはずだったと聞くけれど、過去の記憶のないレイレイにはピンと来ない。シージエのことが嫌なわけではないけれど、ツェイユーのように恋焦がれる気持ちは湧かないのだ。


 それをレイレイははっきりと感じていた。

 そうしたものは後からついてくるのかもしれないけれど、今はシージエのことよりもルーシュイのことばかり考えてしまう。


 悄然としたレイレイを部屋に残し、ユヤンは女官を三名つけて去った。日が暮れ出すと、食事も部屋まで運んでくれて、女官が控える中で味気なく食べた。

 何を食べても砂を食んでいるような気分になってしまう。細やかな細工の施された野菜も下味がしっかりとついた肉も味わってはいられなかった。

 それからも女官たちは湯浴みを手伝い、衣を着替えさせ、髪を梳き、まめまめしくレイレイの世話を焼いてくれた。


 けれど、一人部屋に取り残され、寝台の上に横になったレイレイは、気づけば涙を流していた。

 眠って、目が覚めてももうルーシュイはいないのだ。怖い夢を見ても受け止めてくれることはない。

 これからルーシュイは他の誰かのためにそれをする。二度と会わないレイレイのことなど忘れてしまうのだ。


 呆れられて、嫌われて、お払い箱になった今となっても、共に過ごした日々はレイレイにとって特別に感じられた。


 ひく、としゃくり上げる。そうして、レイレイは夢でルーシュイに会えないものかと考えた。もう一度傷つくだけのことかもしれないけれど、それでも会いたいと思ったのだ。


 気が昂ってなかなか眠れなかった。けれど、問題はそればかりでもない。いつもなら特別意識しなくてもできていたことができない。夢に飛べないのだ。レイレイは愕然として浅い眠りから覚めた。



 翌朝になってすぐ、門前でユヤンを捕まえる。忙しいユヤンは登城するところだったようだ。神々しい微笑をレイレイに向け、そうしてすべてを見通すようなことを言った。


「君はまだ鸞君ではあるけれど、鸞君の力は条件がそろわねば使うことができないのだよ。鸞和宮の整った環境がなければいけない」


 そう言われてみると、レイレイが夢を渡った時はすべて鸞和宮の寝台の上であった。宿の寝台などで夢は見なかった。あそこには意味があるとルーシュイが言っていたけれど、そういうことだったのだ。


「……あの、もう一度だけルーシュイに会ってもいいですか? どうしても納得が行きません」


 意を決して言葉にすると、ユヤンは眉尻を下げて困った顔をした。レイレイが望むのはとてもわがままなことなのだろう。ユヤンがそんな顔になってしまったわけを、レイレイはすぐに知ることになる。


「彼はもうこの城市にはいない。昨日のうちに旅立ったよ」

「え?」

「彼自身も鸞君護の職を辞すとのことだ。それで希望したのは兵部への所属――城市から離れた、我が国へ侵略を試みる北の異民族との防衛戦線だ」


 自ら希望して戦線に赴いたと言うのか。いつもどこか冷めていたルーシュイとそうした任務とがレイレイの中で結びつかない。それも、フェオンの縁者かもしれないような異民族と戦うという。

 上手く頭を整理できないでいるレイレイに、ユヤンは苦笑した。


「彼は優しげな見てくれをしているけれど、あれで武科挙ぶかきょの首席、武状元ぶじょうげんだ。兵部にとっては貴重な人材だよ。だからこそ、鸞君護に任命したのだがね」


 優秀なルーシュイ。悪いのは、彼を振り回したレイレイの方だ。


「わ、わたしが悪いんです。わたしが迷惑ばかりかけたから、ルーシュイが疲れてしまったんだと思います」


 シャオメイのこともそうだ。シャオメイのためだと、ルーシュイの負担になることばかりをレイレイは選んできたのだ。


「……悔やむのなら、彼の心を知る勇気はあるかい?」


 ユヤンがそんなことを言った。


「ルーシュイの……?」


 ルーシュイの心。

 彼が何を思うのかを知りたい。ためらいなくうなずける。そのはずが、それを問うユヤンの面持ちが厳しくて、生半な覚悟でそれをしてはいけないと物語る。

 けれど、向き合える時は今しかない。今ここで回避したなら、レイレイは二度とルーシュイの心に触れる機会はないのだろう。


「知りたいです」


 レイレイがそう答えると、ユヤンは更に問う。


「彼は君が思うような人間ではないのかもしれない。それでも?」

「はい」


 強くうなずいた。ルーシュイがレイレイに向けた顔など、彼が見せたほんの一部、仮面に過ぎないのかもしれない。だとしても、そのすべてが嘘ではなかった。レイレイはそう信じている。

 ユヤンは複雑そうに、それでも僅かに表情を和らげた。


「わかった。では私の次官、左僕射、右僕射をつけよう。期限は三晩とする。その間だけ鸞和宮へ滞在する許可を陛下に頂いておこう」


 ユヤンの権力は相当に強いようだ。シージエも太師でもある彼には頭が上がらないのだろう。


「よろしいのですか?」


 おずおずと訊ねると、ユヤンはうなずく。


「ある意味、君にしかできないことでもある。力のある者の夢へ渡るのは胆力のいることだ。特に彼のように壁を築く人間の抵抗は凄まじいものだろう。よく覚悟することだ」

「……はい」


 レイレイは力強く答えた。

 ルーシュイは嘘つきだ。だから、本心をさらすのを何よりも嫌がるだろう。それに触れようとするレイレイをひどく厭うかもしれない。


 けれど、レイレイも全身全霊でぶつかると決めたのだ。このまま会わずに終わるくらいなら、罵られたとしても再び会いたい。それがレイレイの気持ちである。


 こんなにも会いたい。

 この気持ちは、一体どこから湧くのか。何に起因するのか。これをなんと呼べばいいのか。その答えをすべてルーシュイが握っている。


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