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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+恋慕の章+

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五「予兆」

 レイレイはようやく眠りから覚めた。うつ伏せの状態から体を起こすと、背中にはレイレイのものよりもひと回り大きな薄青い衣がかけられていた。レイレイの衣類を物色するのを憚り、ルーシュイが自分の衣を持ってきてくれたのだろう。


 ルーシュイは寝台のすぐ下に座り込んで眠っていた。レイレイは起き上がっても傷の痛みを感じなかった。背中に触れてみてもそこに傷口はない。

 ルーシュイが術で塞いだというけれど、こうも綺麗に治せるとは思わなかった。ルーシュイは優秀なのだと改めて思う。


 けれど、さすがに疲れた顔をしていた。術を使うと消耗が激しいのか、もしくはいなくなったレイレイを探すため、すでに力を使い果たしていたところに無理をしたのかもしれない。あの鈴は気の力で鳴らす、とユヤンは言っていた。


 それから、心労もあるのだろう。たくさん心配をかけた。そう付き合いが長いわけではないけれど、お互いに向き合って濃い日々を過ごした。ルーシュイの心配は、最初の頃のような気持ちの伴わないものではない。


 昨日のルーシュイは、まるで愛しい娘にするような仕草でレイレイを大切に扱ってくれた。レイレイは寝台から降りると、眠るルーシュイの傍らに膝をついた。こんな体勢では休まらないだろうに。


 伏せられたルーシュイの顔をレイレイはじっと見つめた。まず、ルーシュイが目を覚ましたらなんと言おうか。それを考える。

 すると、ルーシュイのまぶたが痙攣したように細かく動いた。そうして、首をもたげる。


「う……」

「首、痛くなった?」

「ええ、少し……」


 とぼやくように言って、それからルーシュイははっきりと目覚めた。


「レイレイ様!」


 隣に座るレイレイの顔を見てハッとする。


「うん、もう大丈夫。ありがとう」


 レイレイがそう返すと、ルーシュイはほっとするでもなく苦々しいような、そんな複雑な表情を作った。


「レイレイ様……まずはお召し物を整えて頂けますか?」

「え?」


 言われて初めてレイレイは自分の格好を見た。血に汚れた寝衣はズタズタで、襟が大きく開いていた。これは昨日、ルーシュイが治療のために広げたからだろう。レイレイの肌の露出にルーシュイが戸惑うのだ。


「あら」


 焦るでもなくレイレイは寝衣の襟を合わせた。けれど、背中は破れて剥き出しである。なので、そこにあったルーシュイの衣を羽織らせてもらう。


「昨日はごめんなさい」


 まずはそこから始めることにした。すると、ルーシュイはキッとレイレイを睨んだ。


「ごめんなさい、じゃありません! どうやったらあんなことになるのですか!」


 心配した分だけ今になって腹も立つのだろう。レイレイはしょんぼりと事情を説明する。


「その、ツェイユーが晩鐘が鳴っても帰らなくて、それで衛士に見つかりそうになってしまったの。それをとっさに庇ったら、わたしが笞刑になっちゃって……」


 けれど、ツェイユーが同じ目に遭っていたら、もっとひどいことになっていただろう。傷も残ったかもしれない。

 すると、ルーシュイは更に険しい顔つきになった。


「あなたが! レイレイ様がそこまでされる必要はありません!」


 ぐい、と顔を両手で挟み込むようにすくい上げられた。レイレイはルーシュイのその仕草に驚いたけれど、ルーシュイがあまりに苦しそうに見えたので何も言えなかった。

 ルーシュイはレイレイが驚いて固まったのを見て、すみませんとつぶやいて手を離した。レイレイはかぶりを振る。


「ごめんね、ルーシュイ。いつも心配をかけて」


 すると、ルーシュイは深々と嘆息した。本当に、生気のすべてを吐き出すようなため息だった。


「いえ……。レイレイ様、朝餉は召し上がれますか? すぐに支度致しますので」


 そう言って微笑んだルーシュイは、いつものルーシュイだった。怒りは冷めたのか、柔和に微笑んでいる。


「ルーシュイだって疲れてるんだから、急がなくていいわ。今日はゆっくりしましょう?」


 ルーシュイの袖を引っ張りながらレイレイが言うと、ルーシュイはそんなレイレイの手をやんわりと解いた。


「私ならご心配には及びません。すぐに支度致しますので、レイレイ様はお召し替えを。ああ、湯浴みをなされたいのでしたら先にそちらの支度をしますが」

「あ、うん……」

「では」


 と、ルーシュイは拝礼すると部屋を出て行った。

 ツェイユーのことを心配するのがいけないとは思わないけれど、その時同時に自分のことを疎かにしてはいけなかった。レイレイが自分を危険にさらしたせいでルーシュイを苦しめてしまった。

 こんなことではいけない。レイレイは自分の不甲斐なさに涙が出そうだった。


 ルーシュイが用意してくれた湯に浸かり、汚れを落しきると、朝餉の支度をしてくれていたルーシュイが椅子を引いて待っていてくれた。にこり、と穏やかに微笑む。


「さあ、どうぞ」


 ルーシュイに促され、レイレイは席に着いた。粥の湯気も香りもいつもと変わりないけれど、場を占める空気が何か違う。ルーシュイはなんとなく落ち着かないレイレイに粥をよそいながら言った。


「今日はこの後、ユヤン様にお会いしに行きましょう」

「え?」

「昨日の刑吏、事情もよく聞かずに刑を執行しましたよね。その点もちゃんと報告して改善してもらわないといけませんから、レイレイ様が直接ユヤン様にお話した方がよろしいかと思うのです」


 確かに、ルーシュイの言う通りである。あの男は危ない。


「そうね。わかったわ」

「はい」


 ツェイユーとシージエのことを今は考えないことにした。問題はひとつずつ片づけていかなければ。



 そうして、ルーシュイは牛車を用意した。牛車に乗ると、ルーシュイは妙に無口だった。眠っているのかと思うほどに静かに目を伏せていた。レイレイは思わずその頬に触れてみた。すると、ルーシュイはびっくりして目を開ける。


「すみません、疲れているとかそういうことではありませんので」

「本当に? 無理してない?」


 顔を覗き込むと、ルーシュイは苦笑した。


「無理は……していますね。だから、無理をしなくて済むようにしますから」

「そう? それならいいんだけれど」


 何か、ルーシュイの様子が気になった。ただ、それを言葉で上手く説明できる気がしない。ざわり、と胸の奥がざらつく。


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