三「惨い事実」
白い靄の中、彼女はさめざめと泣いていた。たおやかで、そんな姿も可愛らしい。けれど、笑顔はもっと可愛らしいはずだとレイレイはツェイユーのそばに座り込んで声をかけた。
『どうしてそんなにも泣くの?』
すると、ツェイユーは涙に濡れた顔を僅かに上げた。
『シージエ様にあれから一度もお会いできないのです。もう二度とお目にかかることができないのなら、私はこのまま目覚めずにいたい……』
そこまで思い詰めるなんて、とレイレイは心を痛めた。
『そんなにも恋焦がれているのね。その想いがきっと通じると信じて、もう少しだけがんばってみましょう。ね?』
そうすると、ツェイユーは花びらのような唇をキュッと結んでうなずいた。その様子はなんとも可憐だった。
やはり、恋をすることは素晴らしいことなのだろう。こんなにも誰かを強く想うことができたなら――
そういう感覚がまだよくわからないレイレイには、ツェイユーが大人に思えた。
● ● ●
そうして、レイレイは早朝からルーシュイに頼み込むのである。朝餉の席にも着かず、ルーシュイの深衣の袖にすがった。
「お願い! シージエを探して!」
「まだそのようなことを……」
呆れた声だった。けれど、レイレイは引かない。自分のための頼み事ではないのだから、簡単には引けない。
「だって、あんなにもシージエを想ってるんだもの。わたしも何かしてあげたい」
「……どうなっても知りませんよ」
ルーシュイは不穏なひと言をため息交じりに零した。レイレイはしょんぼりとうつむく。
「わたしにはまだ恋心がよくわからないけど、会えないだけであんなにも苦しそうなんだもの。恋が実ったら、きっとすごく嬉しそうに笑ってくれるんじゃないかしら?」
「実れば、ですね」
手厳しく言われた。レイレイはムッとしてルーシュイを見上げる。
「ルーシュイにも恋心はわからないんでしょ?」
「そうですね、わかりません」
投げやりに思える台詞にレイレイが膨れても、ルーシュイは協力的な姿勢は見せなかった。
けれど、レイレイが諦めないと悟ったのか、ルーシュイは朝餉を終えるとレイレイを伴って鸞和宮の外へ出た。
「彼女の恋の顛末を見届ければ、レイレイ様は納得されるのですよね」
「う、うん」
あまり機嫌がいいとは言えないルーシュイと共に往来を歩く。ルーシュイの面持ちが冷ややかだから、夏の城市の活気もどこか遠くに感じた。気まずくて、早くシージエに出会えないものかとレイレイは心底願った。
シージエとの最初の出会いは商店の辺りだった。次の出会いは住宅。そう考えると、どこに出没するのか見当がつかない。どうしたものかと考えていると、案外あっさりと会えたりする。
「レイレイ!」
往来の只中、背後から声をかけられた。レイレイは思わず指をさして叫びたくなったくらいだ。
「シージエ!」
レイレイが満面の笑みを向けたせいか、シージエは少し戸惑った風だった。つり目がちな眼を瞬かせている。
「シージエ、よかった。あなたを探してたの」
「へ? ああ、フェオンのことで?」
小首を傾げた彼を、ルーシュイは睨んでいるわけではないのだろうけれど、どこか険しい表情で見ていた。そのせいか、シージエもなるべくルーシュイに目を向けないようにしていた気がする。
それでも、シージエは優しく言った。
「フェオン、ちゃんと帰れたんだろう? レイレイの顔を見たらそれがわかったよ」
「うん。フェオンのことはもう大丈夫なんだけど……」
と、レイレイは勢いよくうなずくと、シージエの腕を引っ張って道の脇へと移動した。通行の邪魔である。ルーシュイもついてきたけれど、表情は厳しい。
「あのね、シージエって、恋人とか許婚とか奥さんとかいる?」
レイレイの質問がかなり唐突に思えたのだろう。シージエは驚いて口を開けた。そんな彼にレイレイは畳みかける。
「どうなの?」
すると、シージエは苦笑しながらつぶやいた。
「うん、いる」
「ええっ!」
レイレイは思わず絶叫してしまった。こう言ってはなんだけれど、シージエは女っ気がなさそうに思われたのだ。それが――
「俺が望んでのことじゃないんだけど、まあ仕方がないというか……」
どうやら、親が決めた許婚というところのようだ。当の本人はあまり乗り気ではない様子で。
ツェイユーにこのことを告げたら卒倒してしまいそうだ。しかし、シージエに許婚への気持ちがないことはせめてもの救いだろうか。
しかし、だからといってツェイユーをけしかけ、二人が相愛になったらその許婚に恥をかかせてしまう。レイレイはどうしたものかと目が回りそうだった。そんなレイレイにルーシュイはささやく。
「これでスッキリしますね。よかった」
何もよくない。なんてことを言うのだろうか。
レイレイが呆然としていると、シージエから、
「なんでいきなりそんなことを訊くんだ?」
と、もっともな質問を返された。
「あ、や、ちょっと色々あって。じゃあね、元気で!」
と、レイレイは曖昧にごまかして逃げるという選択をした。シージエには申し訳ないけれど。
小走りになるレイレイに、ルーシュイは悠々とついてくる。
「だから言ったでしょう?」
その笑顔に腹が立つ。
「大丈夫ですよ。ああいう恋に恋している乙女はすぐに立ち直りますから」
「そういう適当なこと言わないでよ!」
レイレイが睨んでも、ルーシュイはどこか機嫌がよく見えた。そら見たことかと言いたいのだろう。
こうなってくると、いかにしてツェイユーを傷つけないようにして待ちぼうけをやめさせるかが問題だ。
事実は惨い。やんわりと伝えられないものだろうか。
レイレイは深くため息をついた。




