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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+恋慕の章+

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27/102

一「待ち人」

 フェオンのことがあってから半月ほど経った。

 またしても、外出したいと言うレイレイにルーシュイはあまりいい顔をしない。以前にも増してルーシュイが過保護になった気がする。


 それから――

 レイレイが退屈していても、ルーシュイは何かと忙しいのだ。式を使うとはいえ、宮の管理がルーシュイ一人の仕事となっているのだから無理もない。


 そうして、そればかりではなく、ルーシュイは自身の鍛錬も欠かさずに行っている。柔和な風貌は書物を手にしている方が似合うと思うのに、ルーシュイは自分の背丈ほどもあるげきを庭先で振るっていた。ひと呼吸で繰り出される、瞬く隙すらないほどの武技。風を斬る音が耳鳴りのようにして、戟の先についた刃が陽光を激しく反射する。


 うっすらと額に汗を浮かべたルーシュイは、季節に合わせて薄めの生地を使った深衣姿。肌の露出はほとんどないけれど、衣の上からでも動きに合わせて筋肉がしなる様子が見て取れた。とても綺麗だと、レイレイはぼんやりと思う。


 ひと通りの型が終了したのか、ルーシュイは動きをぴたりと止め、回廊から眺めていたレイレイに目を向ける。なんとなく、レイレイは拍手を送った。そんな彼女にルーシュイは苦笑しながら、手にしていた戟を消し去る。本当に消し去ったのだ。光に溶けたかのようにあの長い戟が消えた。

 以前見た時と同じ、戟は房のついた鈴になる。そこでふとレイレイは気づいた。


「あれ? 前に見た時と刃の形が違った気がするわ」


 助けにきてくれた時は三日月形の刃がふたつついた方天戟であったのだ。ルーシュイはそんなレイレイににこやかに答える。


「ああ、私の気の力で具現化したものですから、形状は私の思いのままです」

「そんな使い方もできるのね」

「ええ。戟の先も三叉さんさや方天、状況に合わせて変えられます」


 普段は鈴ならば、長い戟を持ち歩かなくても済む。なんとも便利なものだ。ルーシュイがこうしたものを振るう機会はない方が嬉しいけれど。

 ルーシュイが汗を拭い、ひと息ついたのを見計らうと、レイレイは思いきって言った。


「ねえ、気晴らしに散歩に行きましょう?」


 すると、やはりルーシュイは嫌な顔をした。けれど、ここでじっとしているだけではなんの役にも立たない。そんな鸞君では今に解任されるのではないだろうか。


「ルーシュイが一緒なら大丈夫でしょう?」


 そう言ってみると、ルーシュイは渋々、本当に渋々、ため息交じりにつぶやいた。


「わかりました……」


 心配してくれるのは嬉しいけれど、時折窮屈にもなる。それが贅沢だと言えなくはないけれど。


 道を行けば、衛士の街鋪(詰め所)があり、街の治安は守られている。そう思って来たけれど、細かな悪事にまでは目が行き届かないのが現状だ。フェオンのことでレイレイはそれを痛感した。だからこそ、レイレイの力が国の役にも立つのだと。

 夏の暑さが厳しい。けれど人々は日々の生活に追われるのだ。


 レイレイは忙しく動き回る城市の人々を眺めながら、ふと動きを止めている人物を見つけた。

 歳若い娘である。レイレイとそう変わらない年頃だろう。衣類や装飾品を見れば良家の箱入り娘といった風に見える。よく見れば後ろに乳母らしき女性も控えていた。


 娘は虚ろな瞳を道行く人々に向けていた。誰かを待つのか、探しているのか。

 ほんのりと赤い目元に白い肌。愛らしい娘であるからこそ、ああしてぼんやりしているのは危険なような気がした。


「ねえ、ルーシュイ」

「はい?」

「あそこの木の下の娘さん、何をしているんだと思う?」


 すると、ルーシュイは小首をかしげた。


「さあ、歩き疲れて休んでいるのではないですか?」

「娘さんとお供も女性で危なくないかしら」

「危ないかもしれませんね」


 まるで気のない返事である。フェオンの時とは随分違う。ただ、これが本来のルーシュイではあるのかもしれない。レイレイが軽く睨むと、ルーシュイは小さく嘆息した。


「街鋪も近いですから、大事には至らないでしょう。まあ、確かに彼女の様子は少しだけ気になりますね」

「え?」

「あの目、まるで夢見るようじゃないですか。愛しい男を待っているのだとしたら、何を言っても聞きはしませんよ」


 夢見るようだと。レイレイは改めて娘を見遣った。確かに、物憂げにため息を繰り返している。ルーシュイは彼女が愛しい男を待っているのだと思うらしい。

 レイレイは過去の記憶がない。だから、そういう気持ちを誰かに対して自分が感じたことがあるのかどうかがわからなかった。

 けれどもし、ルーシュイの見立て通りなのだとしたら、彼女の恋が実るといい。そう思った。


「あんな可愛い娘さんに想われるなんて、幸せな人ね」


 レイレイは弾む心でそう言った。他人の色恋を応援するのは楽しい。こちらにまで幸せな気持ちになれる。そう思うのは楽天的な証拠だとルーシュイは思うのか、賛同する代わりに一笑した。


「甘い憧れを抱く、夢見る乙女は案外厄介なものなのですよ」

「何それ?」


 ルーシュイはいえ、とつぶやいてそれ以上答えてくれなかった。ルーシュイは黙っているか愛想を振り撒くつもりがあれば、女性にもてそうな雰囲気はある。言い寄られることもあって、その結果の言葉だろうか。

 思えば、フェオンも淡いながらにルーシュイに恋していたのだと思う。


「ルーシュイ、その人にはなんて答えたの?」

「え?」


 動揺した。それを次の瞬間には繕い直してみせる辺りがルーシュイらしいけれど。


「いえ、一般論ですよ。持論ではありません」


 にこりとそんなことを言うけれど、レイレイは冷ややかにルーシュイを見上げた。


「一般論ってそんなの聞いたことないし」

「これからいくらでも聞きますから。さあ、そろそろ帰りましょうか」


 思いきりはぐらかされた気がしないでもなかったけれど、レイレイは渋々帰路に着く。育ちのよさげなルーシュイの過去の素行をいつか暴いてやりたいような気分だった。

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