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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+兄弟の章+

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20/102

五「後日」

 それから二日後。レイレイは再び彼らの夢を見た。

 額を床に摩りつけて土下座をする弟と、複雑そうな面持ちの兄。けれど、吏部侍郎の顔には、幼子を見るようなあたたかみもどこかに隠れていたように思う。


 科挙の結果がどう出るのか、努力が報われるのかまでレイレイには判断できない。けれどあの時、不正を思い留まったことを二人が後悔しないでいてくれたならそでいいのではないだろうか。藁にもすがりたい心境だとしても、天に恥じるような行いが、彼らの心を豊かにしてくれるとは思えないから。


「ねえ、ルーシュイ」

「はい」


 庭先で茶をすすりながら、レイレイは隣のルーシュイに微笑む。


「吏部侍郎様のお家のこと、わたしの勘違いってことでいいかしら」

「……本気ですか?」


 ルーシュイは低くつぶやくと眉根を寄せた。レイレイの真意を探るようにして目を見つめてくる。


「うん。きっと大丈夫。そう信じてる」


 正直な気持ちを伝えたけれど、ルーシュイはうなずいてくれなかった。嘆息してもどかしそうな顔をするばかりだ。


「そう簡単に他人を信じてはいけませんよ。そうして傷つかれるのはご自分なのですから」


 ルーシュイはすぐにそういうことを言う。だからといってレイレイは自分の意見を曲げるつもりはなかった。


「でもね、自分を信じてくれる人がいないのは苦しいことじゃない? だから私は信じていようと思うの」


 ルーシュイはレイレイの隣から立ち上がった。レイレイの視界が見晴らしよく広がる。レイレイが彼を見上げると、ルーシュイの懸念がその顔に表れていた。


「そうやって、シャオメイの時のように裏切られるのではないですか?」

「あら、わたしシャオメイに裏切られたなんて少しも思ってないわ」


 笑って返すとルーシュイは絶句した。そうして、困ったように苦笑する。その表情は春の日差しほどに柔らかかった。――かと思えば、揶揄するような響きを声に滲ませる。


「この間の晩はあんなに震えていらしたのに、強気ですね」

「あれは……」

「あれはなんですか?」


 ぐ、とレイレイは言葉に詰まった。そんな様子をルーシュイは楽しげに眺めている。実は性格が歪んでいるのではないかと思ってしまうけれど、それでもルーシュイの雰囲気はどこか柔らかい。


「まあ、いいでしょう。ああしてあなたに頼られて、私も悪い気は致しませんので」


 え、とレイレイは零したけれど、ルーシュイは澄ました顔をして背を向けた。

 あの晩、とっさに、一も二もなくルーシュイのもとへ走った。他の行動は思いつかなかった。自分でもそれ程までにルーシュイを頼りにしているのだと改めて思い知った。他に誰もいないとしても、信頼できなければ足は向かなかったのだから。


 レイレイに背中を向けてどこかへ行ってしまったルーシュイは、程なくして戻ってきた。その手には平たい木皿が乗っている。ルーシュイはそれをレイレイのそばの机に置いた。なんだろうと思ってレイレイが覗き込むと、そこには優しい茶色をしたフカフカの物体がいくつかに切られて盛り合わさっていた。


「馬拉糕(蒸し菓子)です」


 黒糖の甘い匂いがふわりとする。レイレイはびっくりしてルーシュイを見上げた。すると、ルーシュイはバツが悪そうにぼそりと言った。


「……以前、甜点心おかしがお好きだと仰ったでしょう?」


 あの何気ない会話をどうやら覚えていてくれたらしい。


「これ、もしかしてルーシュイが作ったの?」

「そうですよ。だからこんな簡単なものしか作れません」


 簡単とは言うけれど、レイレイには作れない。それに、ふんわりと膨らんだ蒸し菓子は非の打ち所がないように見えた。いつの間に作ったのだろう。

 もしかすると、ルーシュイなりに怖い思いをしたレイレイを慰めようと、好物を用意してくれたのだろうか。そう思ったら、レイレイはどうしようもなく嬉しくて、ギュッと胸が苦しくなるほどだった。

 目を輝かせてルーシュイを見上げた。


「食べてもいい?」

「お召し上がり頂くために作ったのですが」


 素っ気なくそんなことを言う。ルーシュイとしては、男が甜点心を作ることをどこか恥ずかしく思ったのだろうか。なんとなく照れているような気がした。


 レイレイはいただきます、と手を合わせると、指の跡が残りそうなほどに柔らかな馬拉糕を注意深くつかみ、それを一口大にちぎって口に入れた。卵と小麦の素朴な香りが砂糖の甘さの邪魔をせずに調和している。あの口振りだとそれほど作ったことはなさそうなのに、文句なしに美味しかった。


 例え美味しくなかったとしても、レイレイにはルーシュイの気持ちが嬉しかったから、それだけで満足だった。けれど、馬拉糕は食べ出したら止まらないほどに美味しかったのだ。


「あまり急いで召し上がると喉が詰まってしまいますよ?」


 レイレイの勢いに、ルーシュイは苦笑して茶を注ぎ足してくれた。ん、と小さく答えてレイレイは茶を飲んだ。本当に喉につっかえた。茶を飲み干してふぅ、とひと息つく。


「見事な食べっぷりですね」


 ルーシュイはクスクスと笑った。レイレイは少し恥ずかしいような気持ちを感じながらつぶやく。


「だって、美味しかったんだもの」

「それはよかった。レイレイ様は本当に甜点心がお好きなようで、そんなにも喜んでいただけたのなら作り甲斐もございます」


 ルーシュイはその容姿を最大に生かせる甘い微笑をレイレイに向けた。それは、いつかとは違う、血の通った微笑みに感じられた。


「ありがとう、ルーシュイ」

「お役に立てて光栄です、我が君」


 その返事に皮肉な響きはない。今はただ、ルーシュイの言葉が嬉しかった。



 《 兄弟の章 ―了― 》


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