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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+薬花の章+

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15/102

八「慈帝」

 その翌朝、今日は体を休めて明日にしようと言うルーシュイに、レイレイは断固として今日だと言い張って鸞和宮の外へ出た。あの金銀花を持って。

 ただ、レイレイの体がなんとか動くようになったのは昼を随分回ってからだった。


 最初は薬屋へと思ったけれど、まずユヤンに会って手配してもらった方がいいとルーシュイに言われたのだ。ルーシュイは事情をしたためた文を先に送り、それから二人はユヤンのいる宮城へと向かった。

 レイレイが疲れているからと、ルーシュイは牛車を手配した。どこかルーシュイの雰囲気が変わったような、そんな気がしたのは気のせいだろうか。

 表向きは何も変わらない。以前から大事にしてくれていた。けれど、それに少しばかりは心が伴うようになったと、レイレイはそう感じたのだ。それがとても嬉しかった。


 宮城に着いてすぐユヤンに面会を希望する。鸞君を名乗れば、忙しいユヤンであれど後に回されることはなかった。通された部屋はそう広くはない。書物がうずたかく積み上げられ、それらが部屋を狭く見せているのかもしれない。それでも、机の艶やかさが高級品であると見て取れる。


 蹄鉄椅子に二人が腰かけて待つと、ユヤンは思ったよりも早くやってきてくれた。次官の童子たちはいなかった。

 今日も美しく微笑を浮かべ、ユヤンは二人の正面に座った。


「陛下にお伝えしたところ、典医に薬を用意させるように仰せつかった。病を蔓延させてからでは遅いのだから、心配せずとも迅速に対応する。後に城市の薬屋の方にも不正がなかったか調べておこう」


 貴重な薬を農民に振舞うと。皇帝がそう言った。

 レイレイは雲の上の存在である皇帝が、民の命を重く感じてくれていたことに安堵した。じんわりと胸の奥があたたかい。


「ありがとうございます。陛下はとてもお優しい方なのですね」


 すると、ユヤンは微笑みつつも妙な間があった。


「……そうだね、とても。けれど、困ったところもおありでね」

「え?」


 ユヤンは皇帝を主君というよりもまるで我が子のようにでも感じているのか、慈しみ深い目をして言った。


「いや、即位されて間もない。民にとって過ごしやすい国にしなければと意気込むのはよろしいのだが、やはりお若いせいかお勤めに偏りがあってね」

「はあ……」


 なんと言っていいのやら。顔も見たことのない皇帝なので、援護のしようがなかった。ユヤンは更に嘆息する。


「お渡りも立派な皇帝のお勤めだと申しても、即位して一度も後宮に足を運ばれようとされなくてね。後宮は縮小しろとそればかり。世継ぎが途絶えたらどうなさるおつもりなのだか」


 ユヤンのぼやきに、やはりレイレイはどう答えていいのかわからない。後宮にはたくさんの美女がいるのだから、少し落ち着いたら足を向けたくもなるのではないだろうか。他の男性からしたら羨ましい話だとは思う。

 ルーシュイも、それはレイレイにする話なのかと思うのか、少々顔が引きつっていた。


「ま、まあ、陛下にも何かお考えがあってのことかもしれません」


 レイレイは当たり障りなく答えると、話を変える。


「あの、これ、金銀花が不足しているとお聞きしたので採取してきました。使ってください」


 すると、ユヤンは急に表情を引き締めた。


「この時季に? どこで採取したのだ?」


 そこでレイレイはことの顛末をユヤンに語った。ユヤンは静かに聞き入ると、なるほど、とつぶやいた。


「実体を動かすとは、君の力は随分強いようだね。けれど、大事に至らなくて何よりだ」

「はい。鈴の音がして、ルーシュイが助けてくれました」


 鈴の音色がレイレイの耳に届き、レイレイは救われた。ユヤンはそっと微笑む。


「あの鈴はただの鈴ではない。鸞鳥の鳴き声を模し、鸞君の中の鸞の力に働きかけることのできる代物だ。あれは振るって鳴らすのではなく、気の力で鳴らすのだ。鸞君が力を制御できなくなって目を覚ませなかった時などに、その鈴の音が鸞君を助ける」


 ちらりとルーシュイを見遣ると、ルーシュイは軽く目を伏せた。


「鸞君護、ご苦労だったね」

「いえ……」


 ルーシュイは緩くかぶりを振る。ユヤンはそれを優しく見守るとうなずいた。まるですべてを見通すような深い瞳だ。


「それでは、私もそろそろ職務に戻る。これからもお役目に励んでくれ」


 ただでさえ忙しいユヤンだ。こうして長話をしている場合ではない。

 レイレイとルーシュイも宮城を後にする。


「ほら、急ぎませんと晩鐘が鳴ってしまいますよ」


 例外がない限り、城市の市民たちは晩の時を知らせる鐘が鳴った後は家の外を出歩かない。それは法で定められた決まりごとである。破れば罰が下るのだ。


 その法は、もしかすると鸞君のための決まりごとだったりするのだろうか。夢で務めを果たす鸞君の眠りを妨げないように。

 だとするなら、鸞君であるレイレイにはあまり関係のない決まりのようであるけれど、決まりは決まりなので守った方がいいだろう。


「うん、帰りましょう」


 そうして二人は牛車に揺られながら鸞和宮に戻った。二人しかいない広い宮。先に降りたルーシュイがレイレイに手を差し出してくれた。それに頼りながらレイレイは牛車を降りる。


「すぐに食事の支度をします」


 レイレイは鸞和宮の門前にて、そんなことを言うルーシュイを見上げながら願い出た。


「手伝ってもいい?」


 ルーシュイは苦笑して、それからうなずく。


「お望みでしたら」


 微笑が柔らかく返った。レイレイはようやくルーシュイを身近に感じた。



 《 薬花の章 ―了― 》


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