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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+薬花の章+

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五「銀翹散」

 薬屋は市場ではなく、北の商店通りにある。歩いて行けないこともない距離だ。歩きたくなければ牛車を出すと言うルーシュイに、レイレイは歩くと答えた。


 道行く人々を眺めながらレイレイは城市を行く。時折衛士がちらりとこちらを見るけれど、レイレイたちが何者なのかまで知ることはできないだろう。

 二人はそれなりに身なりも育ちもよさそうに見えるので、ごろつきに絡まれないかと心配されたのかもしれない。ルーシュイは一見柔和で、あまり強そうには感じられないのだ。怒らせると怖いけれど。


「ああ、ここですよ」


 柳のそばにその店は軒を連ねていた。薬屋は他にもあるけれど、一番創業に歴史があり、信頼度が高い店はここなのだと言う。黒ずんだ大きな屋根看板と格子戸が確かに歴史を感じさせた。綺麗に掃き清められた店先から中を覗くと、長い髭を蓄えた老人が帳面をめくっていた。その他にも数人の白衣の若者が忙しく動いている。


「お客様で?」


 若者の一人に訊ねられ、レイレイは上ずった声で答える。


「あ、はい、ギンギョウサンを扱ってますか?」

銀翹散ぎんぎょうさんですか……」


 すると、若者は困った顔をして主らしき老人を見遣った。彼が何故そんな顔をするのかがレイレイにはわからなかった。老人は立ち上がって音もなくレイレイたちの方へやってくる。


「銀翹散をお求めなのですか?」


 そのしわがれた優しげな声に、レイレイはうなずきかけて止めた。


「あ、いえ、わたしがほしいわけじゃないんですけど、扱ってるのかなって」


 おかしな返答になってしまった。冷やかしお断りと言われても仕方がない。

 けれど、老人は嘆息しただけだった。


「すみませんね、銀翹散は生憎切らしてしまっております」

「え?」

「主原料に約十もの生薬を必要とするのですが、そのうちのひとつ『金銀花きんぎんか』がどうしても足らぬのです」


 無言で聞いていたルーシュイが不意に口を挟む。


「足りないとは珍しいこともあるものですね」


 すると、老人は消え入りそうな声で言った。


「先の天子様が病みつかれた時、快癒のために様々な調薬を試しました。城市の薬屋から金銀花が集められたのですが、どの調薬も天子様をお救いするには至りませんでした」


 先の皇帝が崩御し、今の皇帝が即位して一ヶ月。金銀花がなくなって補充できるほどの歳月が経っていないということだ。


「それはいつになったら咲くんですか?」


 レイレイが訊ねると、老人はかぶりを振った。


「咲いたものではいけません。必要なのは金銀花の蕾です。蕾がつくのは春を迎える少し前の季節なのです」

「え……」


 今は春である。つまり、当分金銀花の蕾は手に入らないということである。


「そうでしたか。ご丁寧にありがとうございます」


 ルーシュイは礼儀正しく頭を下げると、レイレイを伴って薬屋を出た。


「これで気が済みましたか?」


 あっさりと言われた。


「気が済むって、そういう問題じゃないでしょ。銀翹散が作れないって……どうしよう?」


 愕然としたレイレイだったけれど、とっさにあることを思い出した。


「あ、ルーシュイの術で治せない?」


 巫術を使うルーシュイならばと思ったけれど、ルーシュイは歩きながらかぶりを振った。


「いえ、私の術はそこまで高度なものではありません。精々が傷を塞げる程度です」


 そうして、ぽつりと零す。


「しかし、何も病人がいると確定したわけではないでしょう?」

「でも、いたらどうするの? 銀翹散はないのに」

「ないわけではありませんよ。あるところにはあります。例えば禁中に」


 先の皇帝のために集めた生薬。けれどそのすべてを使ってしまえば、その息子である現皇帝や国の重臣がもし病みついた場合の薬がなくなる。最低限度の蓄えは残してあると考えるべきだろう。

 ルーシュイはけれど、と言った。


「その貴重な薬を農民のために施すかどうかは別問題ですが」

「っ……」


 ルーシュイはレイレイを労わるようにそっと微笑んだ。


「この件はやはり陛下にお伝えするべきではありませんね」

「でも!」


 レイレイはどう返していいのかわからなくなって戸惑った。そんな彼女にルーシュイの声は優しかった。


「お伝えして、それで対処がなされなかった場合、あなた様が傷つく。私はそれが嫌なのですよ」


 ルーシュイには、農民は見殺しにされるということがわかっているかのような口振りだった。レイレイにとっては農民も等しくひとつの命だと思う。けれど、皆がそう判断してくれるわけではない。命にはそれぞれの重みがあるのだと。


 ルーシュイの言い分にレイレイは納得ができなかった。そこから急に口数が少なくなったレイレイを、ルーシュイは腫れ物を扱うかのように連れ帰った。


 ――そうしてその夜、レイレイはまたしても夢を見た。


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