四「慈悲の受け皿」
ただ、その日の夜。レイレイは夢を見た。
その夢の中には今日のやせ細った男の子がいた。
肉饅頭を大事そうに抱え、道を駆ける。彼は親についてこの城市までやって来ていたのだ。商店の前で荷駄を解いていた父親のそばまで戻ると、男の子は父親を見上げた。
『ヤー、それ、どうしたんだ?』
継ぎのある衣を着た、農民風の男性だ。ひっつめた髪もほつれているけれど直す気もなさそうである。彼もまた痩せて頬がひどくこけていた。
『うん、もらった』
そう答えた男の子、ヤーに対し、父親は怪訝そうに顔を歪ませた。
『もらった? 盗ってきたってことだろ?』
平然とそう言う。ヤーは父親を見上げながらかぶりを振った。
『本当にもらったんだよ。おれ、ヘマしてつかまっちまったんだけど、知らないにぃちゃんが金払ってくれたんだ』
すると、ヤーの父親はカカカッと笑った。
『つかまっただぁ? 馬鹿だなぁ、お前。ま、世の中にはいいカッコしぃの輩がいるからな、運がよかったんだよお前は』
息子の窃盗を咎めるでもなく、父親は軽くそんなことを言う。ヤーは心外だとでも言いたげに膨れた。
『次はもっとうまくやるよ』
『ああ、そうしろ』
『早くギンギョウサンを手に入れなきゃ』
『そうだな。子供のお前が盗りに行く方が成功しそうだからな』
そうして二人は城市から去り、家のある農村へと戻っていった。
そこでレイレイは目覚めた。
あまりの夢見の悪さに、レイレイは寝台の上で愕然とするしかなかった。
昨日、シージエが庇った男の子は少しも懲りていなかった。それどころか、父親まで彼の窃盗を咎めずに推奨している。
あの時、店主やルーシュイが冷たいと思った。けれど、彼らの方がレイレイやシージエよりも世間を知っていた。そういうことなのだ。
なけなしの銭をヤーのために支払ったシージエの善意が踏みにじられたようで、レイレイはひどく悲しかった。
どんよりと晴れない面持ちで身支度を整え、レイレイは広間へと向かった。ルーシュイはいつものように粥を炊いていてくれた。レイレイは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「おはよう、ルーシュイ。明日からはわたしがお粥を炊くから、炊き方教えて」
「いきなりどうされたのですか?」
昨日の罪悪感が尾を引いているとは言い難い。
「ルーシュイに頼りっぱなしだから、少しくらいは何かしなくちゃって思ったの」
すると、ルーシュイは目を瞬かせてから苦笑した。
「レイレイ様には大切なお役目がございます。特に朝は夢から醒めた直後ですから、頭を整理する大切な時間です。そうしたことはお気にないさいませんように」
けれど、本来ならこれは女官の仕事で、ルーシュイがすべきことではなかった。それをレイレイのわがままでさせてしまっているのだ。そう思ったことが伝わったのか、ルーシュイは更に言った。
「大丈夫ですよ。レイレイ様に頼られることは私にとっての喜びですから」
さらり、と極上の笑みを浮かべて言うのだから、レイレイは言い返せない。他の人には厳しいのに、レイレイにはとんでもなく甘い。
「さあ、座ってください」
「ありがと……」
椅子を引かれ、レイレイがそれに座ると、ルーシュイは粥をよそってくれた。ルーシュイも正面に座って食べ始める。レイレイは湯気を立てる粥に湯匙を差し込みながらぽつりとつぶやいた。
「あの、ルーシュイ……。わたし今日、夢を見たの」
そのひと言に、ルーシュイはハッとして顔を上げた。レイレイは苦々しい気持ちで続ける。
「昨日、シージエが助けた男の子――ヤーって名前だった。ヤーはね、農村の子供なんだけど、お父さんと城市に来ていて、それで……」
「はい」
ルーシュイは静かに聴いている。レイレイはふう、とひとつため息をついた。
「ヤーは少しも懲りてなくて、次はもっと上手くやるって言ってた。お父さんも子供のお前が盗った方が上手くいくって」
しょんぼりと語るレイレイに、ルーシュイの目は優しかった。
「貧しさとはそういうものです。正しい心はまず腹が膨れてから養うのですよ。正しい心を保つために飢える、そんな考えはある程度の教養のある人間で、農村の子供が罪を罪とも思わなかったとしてもそれはその子供だけのせいではありません」
空腹を満たすことは生きること。それは何にも勝り優先すべきことなのだ。そこに御託など要らない。ルーシュイはそれをわかっていたのだろう。
「その夢の内容を陛下にお伝えしますか? まあ、いちいちお伝えになるほどのことではないかもしれませんが」
ルーシュイはそう言った。伝えたところであの親子が罰せられるだけで、農村で貧しい暮らしをする人々が助かるわけではない。
「そういえば、ちょっと気になることを言っていたわ」
「気になること?」
「うん。早くギンギョウサンを手に入れないとって。ギンギョウサンって何かしら?」
すると、ルーシュイは少しだけ表情を険しくした。その様子に、ただならぬことかとレイレイも緊張してしまう。
「そうでしたか……。銀翹散は銀翹解毒散という薬ですよ」
「お薬っ? ってことは、病人がいるんじゃない!」
レイレイが慌てても、ルーシュイは冷めたものだった。落ち着いた声はいつもと変わりない。
「そうとは限りませんよ。薬は高級品ですからね。売れば金になります」
「そうかもしれないけど、もし病人がいたら……」
そこまでは夢で見通せなかった。レイレイは落ち着かない気持ちのままルーシュイに言う。
「ねえ、薬屋さんまで行きたい」
「行ったからといって、今日あの子供が来るとは限りませんよ。窃盗に注意しろというのですか? 言われるまでもなく、薬は厳重に管理されていますから、盗むのは容易ではありません」
そんなことよりも早く食事を済ませてくれ、とルーシュイの目が語っている気がした。レイレイはそれでも気になって仕方がない。
「でも、お願い。何かすごく引っかかるの」
すると、ルーシュイは嘆息した。
「わかりました。レイレイ様がそう仰るのなら、何かがあるのかもしれません。食事を終えたら向いましょう」
そのひと言に、レイレイはパッと表情を輝かせた。それから手元の粥に視線を落とし、せっかく作ってもらった粥を冷ましてベタベタにしてしまったことを心苦しく思った。
ぬるめの粥をパクパクと口に運び、美味しいと言って平らげた。ルーシュイはそんなレイレイにただ苦笑していた。




