第289話 責任追求
ネロ一行が罪人であるガイを連れ逃亡したことで、アクシス家の屋敷には重く張り詰めた空気が漂っていた。
執務室の中央では、ギレイル・アクシスが肘掛け椅子に座り、机を指先でコツコツと叩いていた。
その一音ごとに、場の空気がさらに冷たくなる。
「大失態だ――あの塵にここまで好き勝手されるとはな」
低く、地を這うような声。
怒りを押し殺した声音の方が、怒鳴るよりも恐ろしい。
「……申し訳ございません。私の力が及ばぬばかりに」
「私もです。どのような罰も受け入れる所存です」
頭を垂れるメイド長セリーヌと執事長ジルベルト。
しかしギレイルは沈黙を保ったまま、鋭い視線を二人に突き刺すだけだった。
「まったくですわ。貴方たちがついていながらこの体たらく」
「そうですわお母様。きっとたるんでいたのです」
アンダラとスネアが追い討ちのように言葉を放つ。だがギレイルの目が動いた瞬間、二人はビクリと肩を震わせ、すぐに口を閉ざした。
「……それを言うなら、私も同罪だがな」
ギレイルは深く椅子に背を預け、重い吐息を漏らす。
ネロを捕らえるため、自らも動いたにも関わらず取り逃した――その屈辱が、彼の胸中を煮えたぎらせていた。
「まったく揃いも揃って情けねぇな。あんな塵一人、ぶっ殺すこともできねぇとは」
壁際に凭れかかっていたガンズが、薄笑いを浮かべながら吐き捨てた。
「黙りなさい、ガンズ! 貴方も似たようなものでしょう!」
アンダラがヒステリックに声を上げる。
「俺は途中参加だぜ? それにお前らより仕事した覚えはある」
挑発的に笑うガンズ。その笑みにアンダラとスネアの顔が悔しさで歪む。
その時――。
「三人を連れてきました」
扉が開き、フレアがクール、スノウ、ギルの三人を伴って入室した。
冷気のような静寂が再び部屋を覆う。
「ご苦労。それで、奴らについてはどうなった?」
「冒険者管理局と主要ギルドに魔報を打っておきました。すぐにでも賞金首として指名手配されるでしょう」
フレアの声は落ち着いていた。ギレイルが短く頷く。
「そうか。冒険者どもに任せるのは癪だがな……こちらの息のかかった者どもにも連絡を取っておけ」
そう言ってギレイルは、フレアの背後に並ぶ三人へ視線を向けた。
「さて。お前たちが何故呼ばれたか、わかっているな?」
静かな声だった。しかしその圧は刃のように鋭く、三人の背筋を凍らせた。
「――俺、いや私は嫌な予感がして地下牢に向かったのですが、不意を突かれましてね」
ギルが乾いた笑みを浮かべながら弁明する。だがその言葉を最後まで聞く者はいなかった。
「そのような話で納得すると本気で思っているのですか、貴方は!」
アンダラがすぐさま声を荒げる。だがギレイルが片手を上げ、制止した。
「やめろ、アンダラ。お前は直接の責任者ではない」
そしてギレイルの視線がギルを貫く。
その威圧に、ギルは背筋を正して頭を下げた。
「お前はこれから勇者としてガイの代わりを務めねばならん。にも関わらず、この失態だ。多くの者がお前に失望するだろう」
「だったら命じてくださいよ。魔物退治でもダンジョン攻略でも盗賊狩りでもいい。全部片づけて名声を取り返してみせる。それでチャラってことで」
挑発的な笑みを浮かべるギル。
「やれやれ、素が出てるぞ、ギル」
フレアがため息混じりに呟くと、ギルは「しまった」とばかりに頭を下げた。
ギレイルは嘆息し、今度はクールとスノウに目を向ける。
「ギルよりも問題なのは貴様らだ。地下牢の番を任されておきながら、ネロのような塵を通すとはな」
重く響く言葉に、二人の肩がわずかに揺れる。
「クール」
ギレイルの声が一段低くなる。
「お前は氷の魔法を使う。塵でしかない水魔法に負けるはずがない――にも関わらず、何故だ? まさか油断したなどとは言わぬな」
クールはスッと瞳を閉じ答える。
「油断などしていない」
「ほう。ならば何故だ。納得のいく理由を聞かせろ」
ギレイルの声が冷たく響く。一瞬の沈黙。
「理由は単純だ。ネロの水魔法が強か――」
「理由ならございます」
その言葉を最後まで言わせまいと、スノウが一歩前に出て声を重ねた。唐突な割り込みに、クールが小さく目を見開く。
「連中は、クール様の妹であるアイス様を連れておりました。これは実質、人質に取られたも同じこと。クール様が本気で攻撃できる状況ではなかったのです」
淡々とした説明調ではあるが、声には強い確信が宿っている。
スノウのその“作り話”は、クール本人ですら一瞬言葉を失うほど自然だった。
ギレイルが眉をひそめる。
「確かにアイスは奴らと共にいたが……どう見ても仲間として自ら行動していたぞ」
ギレイルの指摘にスノウは即座に返す。
「本意であったかどうかは不明でございます。操られていた可能性もありますし、クール様が情に流され攻撃を躊躇した事実には変わりません」
スノウの横顔を見ながら、クールは何も言わなかった。
――自分が言おうとした真実、つまり「ネロの力を認めて退いた」という事実を、スノウが意図的に覆い隠したことを理解したからだ。
それが自分と妹を守るための嘘であることも。
ギレイルは重い溜息を吐き、椅子に背を預ける。
「ギレイル様。どうか今一度汚名返上のチャンスを頂けないでしょうか。機会さえ与えて頂ければ、クール様と共に必ず連中を捕らえて見せましょう」
スノウが堂々と言い放った。ギレイルは「うむ」と短く発し――
「妹が人質にされていたなどという言い訳は通用せんが……機会を求める姿勢だけは評価しよう」
「寛大なお心遣い、痛み入ります」
スノウが堂々と頭を下げる。クールは目を伏せたまま、何も否定もしない。肯定もしない。
ただ静かに、その場の流れを受け止めているだけだ。
「スノウ、そこまで言うならチャンスをやろう。ただし――次はないと思え」
「ありがとうございます」
「……尽力する」
スノウが改めてお礼を述べ、クールは短く呟いたのだった――




