第288話 山小屋で目覚めた深夜のこと
山小屋で、僕たちは夜を明かすことにした。
雨音を子守唄のように聞きながら、交代で番をすることになり、他の皆は順に眠っていった。
僕とスイムも一度は眠りについたけど――ふと目が覚めた。
薄暗い室内に暖炉の火が灯る。焚き火の明かり。揺らめく影の向こうに、番をしているガイの姿が見えた。
スイムは僕の腕の中で気持ちよさそうに眠っている。
小さな体を撫でると、ぴくんと震え、また静かに寝息を立てた。
その寝顔を見て少し微笑んでから、そっと起き上がる。
足音を立てないようにして、暖炉の傍に座るガイの隣へ歩み寄った。
「異常はなさそう?」
僕が声をかけると、ガイはちらりと横目でこちらを見た。
「あったらとっくに起こしてる。……まだ交代の時間でもないだろ。いいから黙って寝てろ」
ぶっきらぼうな言葉。けれど声は思っていたよりも柔らかかった。
「あはは。でも目が覚めちゃったし」
「チッ……勝手にしろ」
舌打ち混じりにそっぽを向くガイ。
でも、その視線の先にある窓の外――雨脚はだいぶ弱まっていた。
焚き火の光が窓ガラスに反射して、淡い橙色の揺らめきが雨粒の跡に滲む。
「雨、収まってきたね」
「……ああ」
それだけ答えて、また黙り込む。
相変わらず無口だなぁ。どうにかして会話を続けたいのに。
「そういえばさ。次はフィアを助けに行くって話になったけど……セレナのことも、少し気になるんだ」
僕が切り出すと、ガイは火の粉を見つめたまま小さく息を吐いた。
「セレナは教会に戻っただけだ。あそこはあいつにとって実家みたいなもんだ。酷いことにはなってねぇだろ」
短く、けれど少し優しい声だった。
確かにウィン姉もそんなことを言っていた。
でも、セレナはあまり家族のことを話さなかった。
教会のことにも触れようとしなかったし――もしかしたら、何か事情があったのかもしれない。
いや、セレナだけじゃない。
フィアも、ガイも、家族のことを語ったことはほとんどなかった。
そう思えば僕も同じだ。
もしかしたら僕たちは――似た者同士なのかもしれない。
「もしかして、僕たちって似た者同士だったのかな……」
思わず口にしたその一言に、ガイが勢いよく顔を上げた。
「はぁ? どこがだ! 全然違ぇだろうが!」
「ちょっ、声が大きいって! みんな起きちゃうよ!」
「クソ……お前が変なこと言うからだろうが」
「ご、ごめんね」
僕が謝ると、ガイは頭をかきながら再び窓の外に視線を戻した。
焚き火の光が横顔を照らし、影の中に沈むその表情には、どこか懐かしさが滲んでいるように見えた。
「……そうだな。似てねぇよ」
ぽつりと呟く。
「昔の俺は、弱くてどうしようもなくて、泣き虫だった。……お前と違ってな」
「え?」
不意に語り始めたガイの言葉に、僕は息を呑んだ。
そうだ。ガイは僕がまだ幼かった頃、アクシス家に出入りしていた。
無口で無愛想な今の彼からは想像もつかないけど――確かに、当時の“あの子”はよく泣いていた気がする。
「うん。ガイは変わったよね。まさか、あの子がガイだったなんて全然気づかなかった」
「……お前には“マイト”としか言ってなかったからな」
焚き火の火が、ガイの瞳に小さく映る。
マイト。そう、ガイは子どもの頃そう名乗っていた。
それ以上、僕も深くは聞かなかった。
そして勇者パーティーで再会した時には、彼はもう「ガイ」になっていた。
「今思えば……マイト家の名前を出さずに接してくれたのも、僕を思ってのことだったの?」
「気持ちわりぃこと言ってんじゃねぇぞ!」
「ご、ごめん! いや違うよ、そういう意味じゃなくて!」
「わーってるよ!」
怒鳴りながらも、ガイの声音にはどこか照れくささが混じっていた。
それがわかって、つい笑いそうになってしまう。
「俺がお前をパーティーに入れたのは、アクシス家の命令だったんだ。だから雑用係として入れておいた」
炎の揺らめきに、ガイの表情が沈んで見える。
「使えねぇから追放したけどな」
「いや、それは違うって今はわかるよ。でも……命じられてたのに、ずいぶん長くパーティーに置いてくれたよね」
「散々文句を言われてたに決まってんだろ。その都度、ごまかしてただけだ」
「ごまかして? それでよく納得してもらえたね」
「――今思えば、お前の姉ちゃんが動いてたのかもな」
「え? ウィン姉が?」
「あぁ。そう考えると、俺はお前の姉ちゃんに世話になりっぱなしだった。
子どもの頃も言われたんだ。『弟の側にいたいなら、自分を磨け。泣き虫のままで釣り合うと思うな』ってな」
その言葉に、焚き火の火がパチリと弾けた。
きっとその一言が、ガイを変えたんだ。
「……クソ親父の仕事の関係で、それからアクシス家には行けなくなったけどな」
ガイがぼそりと呟く。
「だが感謝してる。お前の姉ちゃんにも――お前にもな」
不器用な言葉。
でも、そこには確かに“ガイの本音”が込められていた。
僕の胸がじんわりと熱くなる。
「もういいだろ。さっさと寝ろ。……ネロだけにな」
ガイがぽつりと呟いた。
一瞬、何を言われたのかわからなくてキョトンとする。
けれど――ガイの耳が真っ赤に染まっていた。
「ぷっ……ガイでも冗談言うんだね」
「う、うるせぇ! いいからさっさと寝ろ!」
「ははっ。わかったよ。でもガイ――これからはお互い、仲間としてよろしくね」
焚き火の光の中で、ガイがちらりと視線を寄こす。
その横顔はいつもより優しかった。
「……あぁ」
その一言を胸に刻みながら、僕は再びスイムの傍に戻り、静かに眠りについた。
外では、雨が完全に止んでいた。
夜明け前の風が、山小屋の隙間からひそやかに吹き抜けていった――。




