第287話 フィアが気になる
「話は大体わかったけどよぉ。結局そのネイトって子とはどういう関係なんだ?」
僕が胸の奥で感じていた疑問を、ザックスが代わりに口にしてくれた。
「うむ。ネイト様は某の主であるからな」
ケトルが背筋を伸ばしながら答える。その声音にはどこか誇りが滲んでいる。
「主……って、もしかしてどこかの姫様とか?」
マキアが首を傾げると、ネイトが勢いよく首を横に振った。
「違うよ! ネイトはね、水なの!」
『――は?』
ケトル以外の全員の声が見事に揃った。
「スピィ?」
スイムまでが小首を傾げる。……いや、ネイトが水ってどういうこと?
「……アイには何を言ってるのか、まったくわからない」
「俺にもわかんねぇぞ。どういう意味だよそれ」
ガイとアイスが同時に突っ込む。
「それはまだ言えぬのだ」
ケトルが神妙な顔で言うと、即座にウィン姉の雷が落ちた。
「だからそれはもういいと言ってるだろう! わかってることを言え!」
ビシッと指を突きつけられ、ケトルの肩がビクッと震える。
「う、うむ。では……某はあの湖に封じられていたネイト様を守っていた。それが主であることも理解している」
「封じられていた? ってことは、ネイトは何かの封印が解けて出てこられたってこと?」
僕が問うと、ケトルはゆっくりと頷いた。
「そうであるな。それもネロたちがアペプを倒してくれたおかげだ。改めて感謝しよう」
そう言ってケトルが頭を下げた。
――そうか。あの怪物が封印の要因でもあったんだ。
思い返す。あの時、ケトルは「もう少し休息が必要だ」と言っていた。
もしかするとあれは、ケトル自身のことではなく、ネイトの“覚醒”のことだったのかもしれない。
「でも封印されてたなんて……どうして?」
エクレアが首を傾げると、ケトルは淡々と答えた。
「我が主だからであるな」
「答えになってねぇぞ」
すかさずガイが突っ込む。
「すまぬな。それはまだ――いや、実は某もよく覚えておらぬのだ」
途中で“言えぬ”と言いそうになったのだろう。
ウィン姉の睨みに気づいて、慌てて言い直すケトルの姿に、思わず笑ってしまう。
「覚えてない? どういうこと?」
僕の問いに、ケトルは少し言い淀み、やがて静かに答えた。
「恐らく……あのアペプの影響だと思う。記憶がところどころ曖昧なのだ」
そうだったのか。
もしあのまま放置していたら、ケトルもネイトのことも、何もかも忘れてしまっていたかもしれない。
本当に、あの時倒しておいてよかった。
「ネイトは何か覚えてる?」
僕が尋ねると、ネイトは指を唇に当てて考えるような仕草をした。
「ネイトはね! まだ行くところがあるの! それが必要なの!」
「行くところ? どこ?」
マキアが尋ねると、ネイトは困ったように唇を噛んだ。
「うぅ……それがわからないの。ごめんなさい」
しゅんとした表情に、皆の表情も和らぐ。
「記憶がないと、どうしようもないな」
ガイが頭を掻きながら呟く。
「で、でもね!」
ネイトがぱっと顔を上げ、声を張り上げた。
「近づいたら思い出せそうな気がするの!」
その目には強い光が宿っていた。
「だから、ネロたちと一緒にいたいの。ダメ?」
縋るように僕を見上げるネイト。
その純粋な瞳を見た瞬間、何も言えるはずがなかった。
「もちろん大丈夫だよ。一緒にいよう。もちろんケトルもね」
僕が笑うと、ネイトがぱぁっと笑顔を輝かせた。
「やった! ネロ大好きなの!」
「忝ない!」
「スピィ♪」
ネイトが勢いよく僕に抱きつき、ケトルが頭を下げる。
スイムも嬉しそうに跳ね、場の空気がふっと明るくなった。
「ネロが決めたのなら文句はないが……いい加減離れんか!」
ウィン姉が呆れたようにネイトを抱き上げる。
「えぇ~」
ネイトが不満そうに頬を膨らませ、ウィン姉の胸元でもぞもぞと動いた。
「ガイも納得した?」
僕が尋ねると、ガイは深くため息をついた。
「わかったのは、お前が相変わらずのあまちゃんってことだけだ。……ったく、しょうがねぇな」
口では文句を言いながらも、ガイの表情にはどこか安堵が浮かんでいた。
これでとりあえず、ケトルとネイトのことは片付いたようだ。
ネイトの「行くところ」も気になるが――今、僕にはもっと大事な問題がある。
「それでみんな。これからのことなんだけど……僕はフィアのことが気になるんだ」
その名を出した瞬間、ガイとエクレアの表情が引き締まる。
フレアは、僕にフィアの居場所を問いただしていた。
それはつまり――冒険者管理局から、フィアがいなくなったということ。
脱走なのか、それとも……別の理由なのか。
確かめる必要がある。
「私もネロと同じ気持ちだよ」
エクレアが頷きながら言った。
「だから、一度ウォルトに戻った方がいいと思う。パパなら何か知ってるかもしれないし」
そうだ。エクレアの父親はギルドマスターだ。
情報の網はきっと僕たちよりずっと広いはずだ。
「それなら、一旦町に戻ろうと思うけど……みんなは大丈夫かな?」
僕が確認すると、次々と声が上がる。
「スピィ♪」
「もちろん愛弟の判断を受け入れるのが姉の務め!」
「師匠が行くならアイも一緒!」
「とりあえず町に戻れるなら、私も安心だね」
「あぁ、町に戻れねぇとどうしようもねぇしな」
「ネロと一緒がいいの♪」
「某は主の判断に従うまで」
それぞれの返事が小屋に響き、心の中にじんわりと温かいものが広がる。
――みんな、本当に頼もしい。
「よし。じゃあ、雨が止んだら出発しよう」
窓の外を見やる。
まだ雨音は強いけれど、なんとなく朝には止みそうな気がする。
だから僕たちは、交代で仮眠を取りながら朝まで休むことにしたんだ――。




