第270話 兄の想い
クールは確かに強い。けれど僕にも――絶対に負けられない理由がある。
絶葬零氷を耐え切った体は悲鳴を上げていたが、意志まで凍ることはなかった。
「まさか、この魔法まで使うことになるとはな」
クールの表情が、面を伏せたように無機質へ変わる。
向けられる視線は氷剣よりも冷え、呼気すら震えさせた。
「まだ手があるのか……」
杖を握る手が震えるのは寒さだけじゃない。肌が危険を悟っている。
クールの紋章が蒼く脈動し、雪原そのものが脈打った。
「氷雪魔法――氷竜崩雪!」
天地がうなり、吹雪が一気に密度を増す。
雪面が幾筋も隆起し、白銀の骨格が組み上がる。
牙をむいた氷竜が咆哮し、その身に雪崩という質量を纏わせて突進してきた。
「まずい! 水魔法・水守ノ壁!」
咄嗟に展開した壁は竜の牙で砕け、圧搾された雪ごと僕らを飲み込んだ。
真白の奔流。全身に衝撃。視界が消え、凍痛だけが残る。
「スイム!」
「スピィ!」
抱き締めたスイムごと雪が押し流す――やがて静寂。
まだ意識は残っていたが、雪塊に閉じ込められ身動きが取れない。
「水魔法・熱噴水!」
杖に残り魔力を叩き込み、熱湯の柱で雪を溶かす。蒸気とともに雪牢が崩れ落ち、重い冷気が肺に流れ込む。
「はぁ、はぁ……」
「――俺の“とっておき”を受けても生きているとはな。時間をかけすぎたか」
吹雪は止み、クールの呼吸も荒い。
僕と同じ――いや、僕以上に魔力を削っている。
「お互いボロボロだ。まだやるの?」
「スピィ……」
スイムの小さな鳴き声が、不毛な戦いを諫めるように耳に残る。
「俺はアクシス家のために戦う。それが役目だ」
「役目――そこに君の意思は?」
クールの瞳に怒りが揺れた。
「黙れ。妹を巻き込んでおきながら!」
雪面を割るような一喝。
「アクシス家に歯向かえば、国そのものが敵になる。妹まで標的だ」
その言葉は刃だった。けれど胸に刺したのは、僕自身の痛み。
「……確かに巻き込んだ。でも――」
「違う!」
裂くような声。氷面を蹴り、アイスが駆け込む。
「アイは自分の意志で今ここにいる! 巻き込まれたんじゃない!」
アイスの頬には戦いの傷。だけど瞳は曇りなく、クールと僕をまっすぐ射抜く。
「スノウから聞いた。お兄様がアイを家から出した理由――アイを守ろうとしたこと」
「……」
「だけどアイはもう弱いままの人形じゃない! ネロと仲間が糸を断ち切ってくれたから!」
涙を宿した声が、雪景を暖める。
クールの瞳がわずかに揺れ、熱が灯る。
「……まさか、お前がそこまで――スノウを倒して?」
アイスはこくりと頷く。
「アクシス家に狙われるなんて覚悟の上。それでもアイは抗い、いずれお兄様も家も、自由にしてみせる!」
宣言に、クールは目を見開き――ふっと口端を上げた。
「強くなったな、アイス。ならば……残りの力で阻むだけだ」
「え……お兄様?」
「その男の意志が本物か。妹の覚悟が本物か。俺自身が見極める」
クールの紋章が再び発光する。きっとこれが最後の一撃、互いの矜持を賭けた一手となるだろう。
僕も杖を握り直す。
胸奥で水流が渦を巻き、まだ知らない形を求めている――新たな閃きが指先を叩いた。
「分かった。決着をつけよう」
「スピィ!」
「――見せてみろ、お前の【水】の力を」
氷と水。兄と妹。
次の衝突で、全てが決まる――。




