第266話 水と氷雪の戦い
「どうしても、戦わなければならないの?」
もう一度問いかけても、クールは答えない。沈黙が「是」だと告げていた。
「氷雪魔法・白氷世界──」
クールの紋章が雪明りのように蒼白く輝き、天から白い粒が舞い落ちる。
「これは……雪?」
「スピィ?」
子どもの頃に北方の村で見た記憶が蘇る。だが違う。地面に触れた途端、雪は瞬時に氷へ変質し、白さを保ったまま硬質な光を放った。積もる速度も異常に早い。数呼吸で辺り一面が氷雪の原へ姿を変えていった。
「ネロ、気をつける。雪と氷は兄様の最大の道具。ここからは兄様の独壇場になる」
アイスが背後から声を投げる。
「人のことを気にしている余裕がおありで?」
クールの隣に控えていたメイドが一歩前へ。銀髪をまとめたその女──スノウが冷笑を浮かべる。
「スノウ、妹の相手はお前に任せた」
「仰せのままに」
恭しく頭を下げるや、スノウはカバンから艶のある白革のシューズを取り出し、音もなく履き替えた。靴底に刻まれた紋様が青白く灯り、氷の薄刃が瞬きながらせり出す。
クールは雪の空を見上げ、ぽつりと零した。
「いい具合に積もったな」
見る間に足首が埋まりそうなほど雪は深く、しかも氷結して滑りやすい。立っているだけで熱が奪われそうだ。
「始めるか。凍えろ──氷雪魔法・極凍白夜!」
轟、と風の色が変わった。頬を裂く寒風が雪と氷片を巻き上げ、白い濁流となって僕とスイムへ突き刺さる。
「スピィ……」
あっという間に体の芯が奪われ、スイムが震えて小さくなった。寒い場所で眠るのは危険だと聞いたことがある。このままじゃ不味い。
視界は吹雪で霞み、皮膚は針で刺されるように痛む。僕自身の体温も急降下している。温めなければとても保たない。思いつくのは【水魔法・水温上昇】──だけどこの規模では焼石に水だ。
もっと長く、確実に守れる魔法を……包む、湯、球体──閃いた。
「水魔法・湯包球!」
杖を掲げると、生暖かい蒸気と共に淡紅色の水膜が膨らみ、僕とスイムをすっぽり覆った。湯の膜は厚みを保ち、中はまるで温室のように暖かい。
「これなら耐えられるね」
「スピィ♪」
スイムの瞳に生気が戻る。だが閃いたばかりの魔法は魔力効率が悪い。それにこの状況――膜が割れれば一瞬で終わりだ。集中を切らさないよう意識を研ぎ澄ませないと。
「氷雪魔法・白氷連牙──」
クールの詠唱と共に大地が爆ぜ、雪面から氷の刃が列を成して突き上がった。
「水魔法・水柱!」
足下に柱状の水を噴き上げ跳躍し、氷牙を回避する。しかし吹雪でクールの輪郭は掴めない。視界は真白、音も雪に吸われる。距離を測れないまま魔力だけが削れていく。アイスの方も心配だね──。
◆◇◆
氷雪の世界を作り出したクールが舞台監督のように背後へ退いた瞬間、スノウがアイスと向き合う。シューズの氷刃がスケートのエッジの如く光を屈折させる。
「クール様が整えた舞台、無駄にはしません」
響く声は凍てつく鈴の音。
「くっ……氷魔法・氷場演滑!」
アイスの紋章が揺らめく。足元から生えた薄氷が刃へ変じ、彼女もまた滑るように加速した。
「私と競うつもり? いい度胸ね」
スノウは淡い笑みを浮かべ、氷面に乗る。二人は同時に蹴り出し、粉雪を巻き上げて円を描いた。
スノウの蹴りが最初に閃く。内刃で氷面を抉り、まるで氷上剣舞の一振り。アイスは身を伏せてかわし、逆足で氷片を蹴り上げ牽制。
「動きだけは様になってきたわね。けれど──その技を教えたのは私。教えは教え。師を超えるには足りない!」
スノウは刃を交差させ、刹那で氷面を「X」に切り裂いた。氷塊が菱形に跳ね上がり、アイスへ飛ぶ。
「まだまだ!」
アイスは腰を沈め、片刃で氷塊を蹴り割りながらスピン。砕けた破片が雪煙となり、視界を覆い隠す。
瞬間、雪煙を突き破って伸びたスノウの蹴りがアイスの顎をかすめる。アイスは反射的に後方へ滑り、足先で氷を蹴り上げブレーキをかけた。
(見切れない……これが教えてくれた人の本気……!)
アイスの胸を焦りが灼く。彼女の滑走術を育てたのはスノウだ。右手に輝くは脚の紋章。その脚技は芸術品とも言える仕上がり。
技の起点も癖も熟知している相手に、正面から勝つのは難しい。しかし退けば兄の猛威が妹を呑み込む。
雪は深く、空気は凍り、脚には負荷がかかる──だが心は熱い。氷雪と水、脚と氷。二つの戦いが交錯しようとしていた。
スノウは再び低く構え、氷刃を地に吸いつける。アイスも呼吸を整え、次の一手へと力を溜める。
氷面を裂く刃の金属音が、小さく高く、戦端の鐘を鳴らした――




