第260話 豹変――
「エクレア。この二人、強いよ」
「うん。何となくわかるよ」
マキアの忠告にうなずいたエクレアは鉄槌を構え、アンダラとスネアの一挙手一投足に集中した。
「そういえばネータがネロだったなら、あのウィズは逆に男装だった可能性もあるわね」
思い付いたようにスネアが声を上げる。数拍、考え込んだのち、はっとして目を見開いた。
「まさか正体はウィンリィ! そうなんでしょ!」
エクレアは答えず静かに構えを深めた。スネアの頬がみるみる紅潮し、乱れ切った髪を握り潰す。
「許せない! 姉のくせにアクシス家を裏切ったうえ、この髪をメチャクチャにして!」
マキアがごまかすために「大胆なアレンジ」と説き伏せていたが、今や誤魔化しは利かない。憤怒の波動がスネアの紋章に火を点けた。
「お母様、私、黙っていられません。ウィンリィを探して責任を取らせます!」
「姉妹喧嘩はほどほどにしてちょうだい。でもあの“ゴミ”に手を貸したなら、お仕置きは必要ね。紙風魔法・天紙の翼――」
アンダラが魔法を行使すると、スネアの背から紙で編まれた翼が生成される。瞬間、突風が走り、スネアの身体をふわりと浮かせた。
「待っていなさい、ウィンリィ!」
怒りの絶叫を残し、スネアは飛び去っていく。その背を目で追ったエクレアは、胸の奥に嫌な予感を抱えたまま構えを直した。
「さて――あのゴミに協力する愚か者を片付けるわ」
アンダラが冷ややかに笑う。エクレアの肩が小刻みに震えた。
「どうしてそこまで酷いことが言えるの? ネロはあなたの息子でしょう!」
その言葉で、アンダラの表情が恐ろしいほど歪む。頬に血管が浮かび、瞳孔がかすかに揺れた。
「私の、子どもですって? ふざけたことを抜かしてんじゃねぇよクソが!」
ネロの話を持ち出した途端、アンダラが豹変し、鬼のような形相に変わり口調さえも荒々しくなる。
「あんなゴミ、産んだことすら悔やまれる! 私の中ではあのゴミはもう死んだんだよ! それがノコノコ戻ってきて好き勝手しやがって! 由緒あるアクシス家に生まれておきながら、水の紋章なんて無価値でこの世の中でもっとも忌むべきゴミの属性を宿しておいて、万死に値するぅぅぅうぅううううッ!」
唇を曲げ目を剥き、嫌悪感と憎悪のまぜこぜになった表情で声を張り上げた。荒ぶるその姿からは貴族の品位など全く感じられない。
「ハァハァ、嫌だわ。私としたことが。全くあのゴミを思うだけで冷静で居られなくなるのだから、本当にアイツはクズね」
「――そう。わかった。いえ、わかっていたわ。こんな考えを持つ家族とネロがわかりあえるわけないって」
「わかり合う? フフッ、寝言は寝てから言うことね。水の紋章を宿した時点で、あのゴミに価値はないんだから」
上品さなど微塵も残さず、嗄れた声で怒鳴り散らす。エクレアは拳を握り締めた。
「ネロはその“水の紋章”でC級試験に挑むところまで来たわ。功績だって山ほどある。それを認められないあなたたちの方が愚かよ!」
「ほざけ!」
アンダラが手を翳した。大量の紙片が渦を巻き、無数の白い鶴へ変わった。
「紙風魔法・千刃鶴!」
紙鶴は刃と化し、突風とともにエクレアへ殺到する。エクレアは雷を纏い、鉄槌を大きく振り抜いた。
「私は――ネロのおかげで強くなれた!」
雷撃を帯びた鉄槌が空気ごと紙刃を叩き裂き、稲妻の熱が紙を灰へ変える。余波だけで床石が割れた。アンダラは一歩、二歩と後退する。
「だから、こんなものに負けたりしない! ネロを認めないあなたにも、負けない!」
裂けた床に雷の残光が散り、エクレアの宣言が廊下に凛と響いた。




